1951年、日本学術会議が全国の研究者を対象に行ったアンケートに、過去十数年において「学問の自由」が最も実現されていたのはいつでしたか、といった問いがあった。この問いに対して「戦時中」という答えが一番多かったそうだ。このエピソードを紹介するのは、天文物理学者の池内了氏だ(『科学者と戦争』岩波新書)。
たしかに戦時中は、自然科学の研究室に軍事目的のお金が大量に流れ込んでいた。1951年といえば戦後の混乱が少しは収まり、市民の多くが新しい民主主義を懸命に生き始めた頃だ。それなのに「学問の自由」の理解はこの程度だった。がっかりだ。好き勝手にお金が使える「自由」と、公権力からの「学問の自由」の法的保障とはまったく異なるのだが。
お金が使える「自由」は、自由をめぐる議論では、むしろ「恣意」とか「勝手」と言うべきだろう。「自由」とは権利につながる言葉だ。「学問の自由」と結びついた政治的敏感さ
安保法制に反対して発言をする益川敏英・京都大学名誉教授(前列左)。右は上野千鶴子・東京大学名誉教授=2015年7月20日、東京都千代田区の学士会館
エピソードをもうひとつ。2008年度ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏は、ストックホルムでの受賞演説を父親の話から始めた。家具の会社を作るという父親の夢は戦争で実現しなかったと語りながら、「自国が引き起こした悲惨で無謀な戦争で無に帰しました」とつけ加えた。
氏の語るところによると、帰国後、学会のある人から、受賞演説で政治の話はしない方がよかったのでは、といった注意を受けたそうだ(『科学者は戦争で何をしたか』集英社新書)。益川氏のような学者なら、政治によって科学どころか生活までズタズタにされたことに敏感な指摘をするのが当然なのに、21世紀になってもまだこうした怪しげな政治的中立、いや政治的無関心を信条として、ノーベル賞受賞者にすら注意する学会仲間がいるようだ。
こうした中で、公権力の介入と資本の誘惑から「学問の自由」を守るためにこそ政治的敏感さが必要であるとする感性の維持に努めてきたのが、日本学術会議だ。「学問の自由」は政治的敏感さとわかちがたく結びついているという確信は、学術会議を超えて日本の研究者に広く共有されているーーと思いたい。最初の二つのエピソードを考えると「思いたい」としか言いようがないが、この問題に関する学術会議の意義は大きい。だからこそ環境汚染であれ、遺伝子組み換えであれ、ジェンダー配分であれ、政治的でもあるさまざまな問題に学術の立場から貴重な提言をこの組織はしてきた――ご意見番としての宣伝は上手ではなかったかもしれないし、専門エゴを押さえ込んで、原発廃止などの提案はやろうとしてもできなかったようだが。
この学術会議の会員推薦名簿のうち6人の任命を首相が拒否するという大事件が発生した。学術関係者だけでなく、映画界をはじめさまざまな分野から批判と抗議の声が、そしてあきれたという嘆きの声があがっている。口先で言いまかすことと納得してもらうことの区別
政権側もつじつま合わせの防戦に忙しい。「総合的かつ俯瞰的」からはじまって、任命権の解釈の変更のありやなしやについての、また、最終絞り込みへの首相の参加度、排除の決定段階での杉田和博官房副長官の役割についてのあいまいな説明、そして「学問の自由」の手前勝手な解釈などなど、火消しのバケツのなかにあやまってガソリンが入っていたものを含めて(官僚も頭が悪くなったのかな)、あれこれ知恵を出しているようだ。
だが、口裏合わせほど手間がかかって能率が悪く、そのうえ信用できないものはないことは、本当は誰でも、そして本人たちも分かっている。
つじつま合わせの形式的議論と、聞いている人が「なるほどそのとおり」と腑に落ちる議論とはまったく異なる。口先で言いまかすことと納得してもらうことの区別と言ってもいい。プラトンやアリストテレスをはじめとする古代ギリシャの哲学は当時の民主主義のために、この区別の重要性を説くことを目的としていたと言っても過言ではない。
ラファエロ・サンティ「アテナイの学堂」(1509–1510年)に描かれた古代ギリシャの哲学者たち(中央左がプラトン、右がアリストテレス) serato/Shutterstock.com
現在でもこの区別こそ学問の仕事なのだ。「誰がどこでなにを勉強しようと自由じゃないか、この件は学問の自由を阻害するものではない」、などと言っても無理なのだ。どんな論理のアクロバット、いや東大話法を駆使しても、納得してもらえることはないだろう。最大の武器は理由であり、根拠である
つじつまあわせによる逃げの議論のひとつが「人事だから理由は言わない」というものだ。だが、学術に関することならばすべて理由を言わねばならない。いや、人事だからこそ理由を言わねばならない。
余談だが、私が多少知っているドイツの大学でも、選考委員会で順位をつけた候補者リストが、大学の承認を経て各州の文部省に回る。滅多にないことだが、リストの順位を学長が、そして文部大臣が入れ替えることがある。法的には可能のようだが、もちろん大騒ぎになる。新聞にも出る。私の友人も入れ替えられたことがある。多くの場合、イデオロギー絡みだが、学長も大臣も「気に入らない思想の持ち主だから」とは言えない。学問上の詳細な理由を展開する。文部大臣はどこの州も相当な見識と教養の持ち主だ。学問のわからない人には無理だ。
その点で、川勝平太静岡県知事の「教養レベル」発言は正しい。氏の発言には批判が多かったようだが、痛いところを突かれたから反発されただけだ(言い方のせいもあるが、これは個性の多様性として認めるべきだろう)。
静岡県の川勝平太知事は、学術会議会員任命拒否問題について、当初は菅義偉首相の「教養のレベルが露呈した」と批判したが、後に「実際に任命拒否をした者が教養のレベルを問われる」と修正した
いや、それ以前にドイツの場合、選考委員会には他大学の教員が招かれて入ることもあるし、学生代表が座っていることもある。すべて理由がしっかりと言えるから、隠す必要はない。
さらに先ほど省略したが、選考委員会が順序をつけた候補者について、他国も含めて別の大学の専門家数人に鑑定書を依頼する。依頼された人は時間をかけて業績を調べ、これまた詳細な文書を送ってくる。それを見て選考委員会は最後の順位づけを行い、先ほど述べた通り、最終的には文部省に行く。
公平性の確保には透明性が不可欠だ。そのための唯一にして最大の武器は理由であり、根拠である。残念ながら日本の大学の人事はこのドイツの水準には遠く及ばないことは確かだが、今回の任命拒否は、さらにもっと低い水準にしようというのだろうか。人事の秘密などと言うのは、アカデミアとは無縁のはずだ(残念ながら日本では、「一流大学」と称するところの文化系ほど、公募すら行われていない)。
もちろん、大学の人事と学術会議の会員任命とは異なる。とはいえ、理由や根拠を言わないというのは、研究と業績以外の理由が存在するからだろう。つじつま合わせにもなっていない。権力の露骨な行使だ。権力はちょっと箍(たが)が外れれば、すぐに違法行為に走り、悪びれるそぶりすら示さないものだ。(つづく)
*続稿は10月26日(月)に配信する予定です。
朝日新聞 WEBRONZA 2020年10月22日 記事引用