2020年9月16日に安倍晋三政権が総辞職、菅義偉新政権が発足した。安倍首相は外交・安全保障政策に積極的な姿勢を見せ、NSC(国家安全保障会議)の創設、平和安全法制の制定など、様々な施策を実現してきた。それによって日本の外交・安保政策の何が変わったのであろうか。本稿では、安倍政権における外交・安全保障政策を振り返りつつ、菅政権の外交・安保政策について考えてみたい。
官邸に一元化された外交・安全保障政策
衆院本会議で国家安全保障会議設置法案についての質疑に備える(右から)安倍晋三首相、菅義偉官房長官、岸田文雄外相=2013年10月25日、国会内
安倍政権で変わった点でまず挙げるべきは、2013年から14年にかけてNSCとNSS(国家安全保障局)が創設されたことであろう。これらは米国のNSCを模範として、外交・安全保障政策における官邸機能を強化するためにつくられた組織である。13年には初の国家安全保障戦略も策定され、日本が取るべき安全保障政策の指針を定められた。
NSCとNSSは外務省や防衛省などに分かれていた外交・安保政策を首相官邸のもとに一元化し、横断的な政策決定を行う場となった。外務省、防衛省などから集められたスタッフがNSSで勤務したのち、元の省庁へと戻っていく。これにより、外交・安全保障の縦割り構造は各省庁にまたがる横断的な構造へと変わっていった。
NSC発足をはじめとする外交・安全保障政策における官邸一元化が実現した一因は、安倍政権が長期政権であったことだろう。安倍政権においては、主要閣僚が頻繁に交代することなく長期間在任した。たとえば外務大臣は、岸田文雄氏が約5年間、河野太郎氏も約2年間、その地位にあった。
大臣としての経験が積み上がるなかで、専門知識が増し、見識も深まる。定期異動がある官僚と互角に渡り合うことが可能になり、コントロールが容易になった。その結果、外交・安保政策においても、政治主導で連続性が維持されるようになったと言えよう。
FOIP(自由で開かれたインド太平洋構想)を推進
安倍政権で変わった点としては、FOIP(自由で開かれたインド太平洋構想)も挙げられる。FOIPとは2016年8月27日、ケニアのナイロビで開催された第6回アフリカ開発会議(TICAD VI)の基調演説において、安倍総理が打ち出したもの。ルールに基づく国際秩序の確保を通じて、自由で開かれたインド太平洋地域を「国際公共財」として発展させるという考え方である。
安倍総理は2012年の就任当初からインド太平洋地域の重要性を指摘、法の支配、航行の自由などの国際秩序維持を打ち出していたが、中国の動きが活発化するなか、FOIPは中国が打ち出す「一路一帯」などの戦略への対抗軸ともなった。今では、米国などの主要国もFOIPに賛同し、積極的に後押ししている。
日本政府も、インド太平洋地域諸国に対してインフラ整備やTPP(環太平洋パートナーシップ協定)などの経済パートナシップの強化、巡視船の供与や人材育成を通じ、各国の海洋警察能力の構築を後押ししている。外交・安全保障だけでなく、経済にも跨(またが)る概念を打ち出し、それを進めたのは安倍政権の成果と言えよう。
安倍政権でも変わらなかった憲法をめぐる構図
こうした変化があった一方で、変わっていない点も存在する。最も大きいのは外交・安全保障政策の根幹部分であろう。確かに安倍政権において、集団的自衛権の解釈変更や平和安全法制は実現した。しかし、それでも外交・安保政策の根幹部分は変わっていない。
そう書くと、憲法を想起する人がいるだろう。日本政府は、日本国憲法の制定以来、解釈変更によって、外交・安保政策を進めてきた。裏を返せば、憲法に手をつけることなく、外交・安保政策を時代に合わせて推し進めてきたのである。
たとえば自衛隊の海外任務は、かつては停戦監視や選挙監視、掃海といった非武装によるものだったが、今ではソマリア沖の海賊対処に見られるなど、武装した艦船による任務も含まれるようになった。
それは、派遣される自衛艦の装備を比較すると明らかだ。1991年のペルシャ湾派遣部隊に護衛艦が随伴することはなかった。任務が掃海で護衛艦の必要がなかったのも事実だが、護衛艦が随伴することで、憲法9条に牴触するという指摘を受けることを避けたかった側面は否定出来ない。
それが、2001年9月11日の同時多発テロを受けて行われた自衛隊によるインド洋派遣では、護衛艦が補給艦に随伴した。09年には、海上自衛隊がソマリア沖での海賊対処を開始。日本は哨戒機と護衛艦を派遣し、第151合同任務部隊(CTF151)の一員として、15年には自衛官が司令官に着任した。
ソマリア沖の海賊対処。海上自衛隊の補給艦「ときわ」(中央)から同時に洋上補給を受ける護衛艦「さざなみ」(左)と「さみだれ」(右)=2009年6月6日、アデン湾、海上自衛隊提供
このように日本政府は、憲法9条という枠の中で、外交・安全保障政策の枠を少しずつ広げてきた。つまり、「しても良いこと」を加えながら、政策を実現してきたのである。安倍政権もこの流れの延長線上にある。
自衛隊の創設以来、自衛隊への権限付与は、「しても良いこと」をリスト化した「ポジティブリスト」だった。これに対し、「してはダメなこと」をリスト化し、それ以外に対する広範な権限を与える「ネガティブリスト」にすべきという議論がある。
集団的自衛権の解釈変更や平和安全法制は、9条の範囲内で出来ること、すなわち「ポジティブリスト」に新たな任務を加えものだ。安倍政権であっても、そこを変えることは出来なかった。なぜ、変えられなかったのか。変えなくても課題への対処が可能であり、その方が簡単だったからだ。
このように、日本ではしばしば解釈改憲によって外交・安保が進められてきた。具体的には、特別法をつくるか、現行法を改正することによって、解釈が変更されてきたのである。これを変えようとすれば、憲法そのものを改訂が必要だが、日本において憲法改正のハードルは非常に高い。
外交・安保政策における懸案は、緊急に対応する必要があるものが多い。たとえば90年8月のイラクによるクウェート侵攻、2001年9月11日の同時多発テロなどで、日本には素早い対応が求められてきた。憲法改正といった時間と政治的な労力のかかる作業をしている時間はなかった。
2016年に施行された平和安全法制は、憲法9条の枠内での任務であり、9条体制を変えるものではない。「一強」といわれた安倍政権でも、これを通過させるために、多大な労力を要した。
解釈改憲であれば、緊急性を要する問題にも、短期間で対処が可能である。特別法を作る、場合によっては現行法で認められている任務のみで行うなど、その時々の状況に応じて、政策を実現できる。
国会論戦は、個別の任務を認めるかどうかに特化して行われる。その一方で、なぜ日本がその政策を実現しなくてはならないのか、それが日本の国益にどう適うのかという議論はなおざりにされる。その結果、国会では憲法9条をめぐる神学論争が続けられた。
NSC、NSSの本領が発揮されるのはこれから
ここまで、安倍政権における外交・安保政策の変化を論じてきた。当然ながら、安倍政権で何もかもが変わったわけではなく、何も変わらなかったわけではない。繰り返すが、安倍政権における変化として顕著なものは外交・安保政策の官邸一元化であろう。
では、安倍政権を引き継ぐ菅政権で外交・安保政策はどうなるだろうか。
NSCやNSSがつくられた背景には、外交・安保政策における専門性と連続性を担保するという側面もあった。乱暴な言い方をすれば、外交・安保政策に必ずしも明るくない総理や閣僚であっても機能することを前提としていたのである。
菅氏は、内政には通じているが、外交・安保政策には暗いとされている。言い方は悪いが、NSCやNSSがつくられたのは、菅首相のような外交・安保の“素人”が政権の座に就いた場合でも、日本の外交・安保政策が混乱なくおこなわれるためだとも言える。NSC、NSSの本領が発揮されるのはこれからではないか。
安倍政権は、良くも悪くも外交・安保政策に意欲がある政権だった。他方、歴代政権の外交・安保政策を継承し、一歩を踏み出さない政権であったことも事実である。対米関係を重視し、日本の国際的役割を示すために国際貢献を行っていくというのは、湾岸戦争以来、外交・安保政策の専門家達が繰り返し指摘してきたことである。
安倍総理は、本人が何度も言及したように、民主党政権で滅茶苦茶になった日本外交を正常化させようとした。しかし、現下の国際情勢は、大統領選挙を迎えた米国の今後、米中対立、中国の台頭、コロナ禍など、安倍政権発足時よりも混迷の度合いが増している。
湾岸戦争から30年、日本は着々と外交・安保上の実績を積んできた。これからは積み重なっていた宿題を片付けるのではなく、新たな課題に取り組むべき時だろう。新政権がどのような外交政策をとるかはまだ分からない。国際情勢の混迷の度合いは増している。菅政権には安倍政権の前例を踏襲するばかりでなく、新時代を見据えた外交・安保政策が求められる。
衆院本会議で首相指名を受ける菅義偉・自民党総裁=2020年9月16日午後1時45分、国会内
朝日新聞 WEBRONZA 2020年9月22日 記事引用