イスラム教過激派に感化されたとみられるチェチェンからの難民によるフランス人教員の殺害テロ事件は、フランス共和国の国是「自由、平等、博愛(連帯)」はもとより、「非宗教(信教の自由)」や「表現の自由」といったフランス憲法に明記される「共和国としての理念」と現実との隔たりを、まざまざと見せつけた。
この隔たりをどうすれば縮められるのか。フランス人は今、必死でこの永遠の命題に取り組んでいるようにみえる。
パリ北西部コンフランサントノリヌで16日夜、殺害された教員が勤務していた中学校前で報道陣に語るマクロン大統領=2020年10月16日、AP
ソルボンヌ大学でおこなわれた国民葬
惨殺されたのは、パリ郊外コンフラン・サントノリヌの公立中学の哲学・歴史の教員、サミュエル・パティさん(47)。マクロン大統領は10月21日夕、パティさんの国民葬を、「啓蒙と教育」の象徴であるパリ・ソルボンヌ大学の中庭で主宰した。ここには、細菌学の祖ルイ・パスツール、そして文豪、というより共和主義の具現者であり政治家でもあったヴィクトル・ユゴーの銅像が立っている。
パティさんにはフランスの最高勲章であるレジョン・ドヌールのシュバリエ章が授与され、大統領が遺族の承諾のもと、長文の追悼文を読み上げた。パティさんが「教育者」として、生徒たちに「(仏共和国の)市民になり、市民の義務を果たし、自由を実施することを教えた」と述べ、教育者として、そしてフランス共和国の良き市民として、お手本だったことを強調した。
夜間外出禁止令発令の日に起きた残忍な事件
パティさんの首が切断された遺体が勤務先の公立中学近くで発見されたのは10月16日の午後。この残忍で野蛮な事件は即、国中に伝わった。
フランスではちょうどこの日から、パリ(パリ郊外を含む)など9の大都市で「夜間外出禁止令(午後9時から午前6時まで)」が出された。新型コロナウイルスの感染の再拡大で、1日あたりの感染者が連日1万人を超え、2万人以上に達した日もあったからだ。
16日の午後9時前には、通常は週末の人出で賑わうシャンゼリゼ大通りをはじめ、街中から人影が消え、まるで国中が惨殺されたパティさんの喪に服しているかのようだった。
パティさん殺害の容疑者は、急報で駆け付けた警官隊に武器のようなものをかざして抵抗姿勢を示したため、その場で射殺された。近くには血塗られた刃渡り35センチの大型ナイフが落ちていた。
身元を確認した結果、モスクワ生まれのチェチェン系難民で18歳と判明した。同夜のうちに同居の両親、祖父、弟(17)、ナイフやピストルなどを提供した仲間や、SNSでの拡散で犯行に影響を与えたとみられるイスラム教過激派の活動家など11人に加え、容疑者にパティさんを特定した報酬として金を受け取った複数の生徒が拘束された。
「夜間外出禁止令」が出て閑散としたシャンゼリゼ大通りのレストラン=2020年10月17日午後8時半ごろ、山口昌子撮影
ムハンマドの風刺画を授業で使用
パティさんは10月5日、「倫理、市民教育」の授業で、フランスの風刺週刊紙「シャルリー・エブド」が過去に掲載した、ムハンマドが全裸になった姿を含む2枚の風刺画をスライドショーで生徒に見せた。「表現の自由」を討議するのが目的だった。
クラスにはアラブ系などイスラム教徒の生徒が多数いるので、事前に「イスラム教徒の生徒をはじめ、見たくない者は教室の外に出てもよろしい」と述べた。混乱がなかったので、翌6日にも違うクラスで同様の授業を行った。
「倫理、市民生活」の授業は、国歌「ラ・マルセイエーズ」を歌えなかったり、フランス共和国の国是「自由、平等、博愛」や「非宗教」に無関心だったりする移民の生徒が増えたため、フランス国民としての基本を学習するため、「歴史・地理」の授業の枠組みで長年、実施されている。
パティさんは毎年、同様の授業しており、教授仲間によると、今回も7月から準備していたという。同校の卒業生は仏テレビの取材に対し、「パティ先生の授業で、ショックを受けたことは一度もない」と証言していた。SNSで拡散したパティさんの情報
ところが、この授業の話を娘(13歳)から聞いたイスラム教徒の父親が、「イスラム教徒の生徒を教室から追い出したのは差別だ」と激怒。イスラム教過激派の活動家で知られる男と共に学校に抗議に行った。校長と共に応対したパティさんは、「誤解」があったと謝罪したが、その後も父親と活動家はSNSを使ってパティさんを罵り、辞任を要請した。
このSNSを見た約100人の中には「死の脅迫」をする者も現れ、パティさんの自宅の住所なども拡散された。容疑者がこのSNSを見て、父親に連絡したとの情報もあり、SNSに強い感化を受けたのは間違いなさそうだ。
射殺された容疑者の携帯電話には、「異教徒の指導者、マクロンへ ムハンマドを貶めたお前の犬を一匹、処刑した」という発信済みの“犯行声明”と、切断されたパティさんの頭部の写真が残されていた。
イスラム教過激派にマクロン大統領が警鐘
大統領は10月初旬、イスラム教過激派のフランスへの浸食に対し、「フランス共和国」との分裂を狙う「分裂主義」と述べ、「反分裂主義」を表明して警鐘を鳴らした。パキスタンからの難民男性(25)が「シャルリー・エブド」の旧社屋前で、2人の通行人を刃物で襲い、重傷を負わせた事件が発生したからだ。
パリのキオスクで9月2日、店頭に並んだ仏週刊紙シャルリー・エブド(左上)=2020年9月2日、疋田多揚撮影
フランスでは、9月初旬から「シャルリー・エブド襲撃事件」と「イスラエル系食品店襲撃事件」の2件のテロ事件(2015年1月発生)の公判が始まり、それに合わせて同紙はテロの引き金になった「イスラム教過激派」の特集号(2006年)の表紙に使用したムハンマドが「バカどもに愛されるのは辛い」と泣いている風刺画を再掲載した。これに怒ったパキスタン人が社屋が移転されたことを知らずに、再度の襲撃を企てたことも判明した。
マクロンが「反分裂主義」を表明した時、通常はマクロンに批判的なフランス人の友人が、「マクロンの勇気に感心した」との感想を漏らした。イスラム教過激派の問題はフランス共和国の喉の奥に刺さったトゲだ。抜こうとすれば、必ず「人種差別問題」に発展し、非難や攻撃の嵐に見舞われ、痛みが増大するのは必至だからだ。着実に増えるイスラム教徒とモスク
フランスにいる過激派を含むイスラム教徒の人数は、アラブ系やアフリカ系の2、3世が増えたことで着実に増えている。フランスではイスラム教がカトリックに次ぐ第2の宗教だ。モスクの数も2009年の1536から2018年には約2500と急増中だ。イスラム教徒の生徒が対象の私立学校も増えつつある。
イスラム教徒の人口は500~600万人(仏国立人口研究所、2018年)。うち半数がモスクに通う熱心なイスラム教徒とみられる。ちなみに、フランスの全人口は約6650万、60%がカトリック教徒だが、教会に通う信者は約400万、教会数は約4万だ(同)。
モスクが増加している背景には、イスラム教徒の票獲得のために、モスク建設を公約する政治家が党派を超えて増えているという事情がある。パリ郊外では、今年1月に施工が始まった「大モスク」が建設中だ。
この大モスク建設と引き換えに取り壊しが決まったパリ郊外サンドニのモスクは、相変わらず開かれており、しかもイスラム教徒の中でも超過激派のサラフィストの温床になっている。このモスクの責任者がパティさん辞職などを要請した父親の運動に参加するよう呼びかけ、父親の携帯番号なども明記したとの情報もある。
イラクやシリアには一時、アルカイダやイスラム国(IS)に参加するためにフランス人400人余が渡ったが、彼らの大半は、このモスクの“出身者”だ。米軍の空爆で死亡したり、フランスに帰国したりした人もいるが、現在も約100人が残っていると伝えられる。
「内なる戦い」とダルマナン内相
ダルマナン内相はこのモスクの閉鎖を命じ、大統領もいくつかのイスラム教過激派グループの解散を命じたが、「テロ称賛」を堂々と表明するイマン(イスラム教の導師)は後を絶ちそうもない。
パリ郊外に住むパキスタン人のイマンは、VTRで「テロ称賛」を流した結果、国外追放になったが、これを不満として上訴した。国外追放の執行期間は1年で、上訴中に1年が過ぎたため、イマンは仏内で相変わらず“布教”を続けている。強制送還を命じられても、フランス国内に留まり続けることが可能なのだ。
ダルマナンは今回の事件を「内なる戦い」と表現した。2001年の米国同時多発テロはアメリカ人以外の外敵からのテロ攻撃だったのに対し、フランスでは「シャルリー・エブド襲撃」から今回の事件に至るまで、一連のテロはフランス国籍やフランス政府が寛容に受け入れた移民、難民が容疑者という点で、確かにフランス内で培われた「内なる敵」との戦いとも言える。
今回の事件の容疑者は約10年前にチェチェンからやってきた難民だ。一家は「政治亡命」を申請したが、(フランスは経済亡命は容認せず)、政治亡命は本国に送還された場合、「死刑」などの「死の危険」がある場合に限られるので却下された。ただし、本国送還にはならずに、2032年までの滞在許可証が与えられ、住居の提供など種々の恩恵を受けている。フランス共和国の「自由、平等、博愛」の理念に基づくものだ。
「イスラム過激派は我々の国では安眠できない」
マクロンは第3共和制宣言(1870年9月4日)から「150周年」に当たる今年9月4日の記念式典で演説し、「シャルリー・エブド襲撃事件」を念頭に、フランス憲法に記されている「非宗教」は、「表現の自由、冒涜の権利と分離できない」と指摘し、フランス共和国の根幹が「非宗教」であることを強調。さらに、「非宗教」を否定した「イスラム分離主義者」の「居場所はフランスにはない」とも言明した。マクロンは9月2日にも、「フランスには(神への)冒涜の自由がある」と断言し、ムハンマドの風刺漫画を掲載した「シャルリー・エブド」を擁護した。
マクロンは今回の事件後も「これは我々の闘いであり、(共和国の)存在を賭けた闘いだ。反啓蒙主義が勝つことはない。イスラム教過激派は我々の国で安眠できない」と述べ、法的措置を強化すると宣言した。
しかし、フランス憲法で「非宗教」、つまり信仰の自由が明記されいるので、法案作成までには紆余曲折がありそうだ。というのも、この6月に与党・共和国前進のアタル国民議会議員(現政府報道官)が「SNS上で発信される憎悪と闘うための法案」を提出した際、憲法評議会が審議した結果、法案が憲法で保障する「表現の自由」に抵触する可能性があるとして差し戻されたからだ。
ただ、この法案は今回、SNS上でパティさんへの憎悪、非難が煽られ、拡散されなかったら、残虐な事件は防げたのではないかとの指摘や反省が出され、12月9日に改めて国民議会で審議されることになった。
日本でも匿名という卑劣な手段を使ったSNSでの罵詈雑言、虚偽に基づく非難などで自殺者も出ているが、菅義偉内閣からは法的な対策をとるといった声は聞こえてこない。哲学者のエリザベス・バダンテールは、「もはや平和主義(パシフィズム)では何も解決できない」と指摘している。「平和主義」が最優先事項の日本人にとっては耳の痛い指摘だが、欧米の辞書には「平和主義」の意味として、「事なかれ主義」「敗北主義」が列記されている。(一部敬称略)
朝日新聞 WEBRONZA 2020年10月23日 記事引用