アジア太平洋地域で、力を背景にした中国の「いじめっ子」のような振る舞いが止まらない。そこで頼りになるはずだった米国も、いじめっ子のような大統領のもとで迷走している。そんな世界と向き合ってきたオーストラリアの前首相、マルコム・ターンブルさんに、2年前までの首脳外交を振り返ってもらった。
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――あなたは首相在任中に中国の習近平(シーチンピン)国家主席や李克強(リーコーチアン)首相と会談を重ねました。中国と東南アジア各国が領有権を主張する南シナ海問題は米中の緊張を生んでいます。古代ギリシャの歴史を引いて懸念を伝えたそうですね。
「歴史家トゥキディデスは、スパルタがアテネの台頭を心配したことで戦争になったと書きました。新興国による覇権国家への挑戦が大戦争を引き起こす『トゥキディデスのわな』です。習氏が『わなを避けなければならない』と話していたので、私が取り上げて何度か議論しました。中国の南シナ海政策は、わなにはまるように仕向けているようだからです。これは国際法に基づいて解決すべきで、地域の緊張を高める行動を懸念するとも伝えました」
――習氏はどう応じましたか。
「豪州には関係がない話だ、というものでした。米国に対する姿勢と同じです」
――李首相とはどんな話を。
「南シナ海問題で、古代ギリシャの別の例を挙げました。アテネの使者がメロス島を訪れ、『我々に付くのか、スパルタに付くのか』と迫った。メロス人が『中立でいたい』と頼むと、アテネ側がしびれを切らして『力が対等でなければ正義はない』と言った、という(最終的に武力で服従させた)逸話です。力が正しいというやり方は受け入れられないと」
――李氏の反応は?
「怒りはしなかったと思います。習氏も李氏も、中国の公式の主張と一致しないことは何一つ言いませんでした。南シナ海の環礁や島々は中国の一部で、開発する権利があるという主張です」
――しかしハーグの常設仲裁裁判所は2016年、その主張を否定しました。米国は「航行の自由」作戦で警告しています。それでも中国は行動をやめません。
「中国に、一方的な行動は、関係国の信頼を損なうと確認させることが大切です。ここを非軍事地域にして経済開発しようと中国が提案するのはどうでしょう。問題を実務的に解決する方法はたくさんあります」
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――あなたは「ビッガー・ピクチャー(A Bigger Picture)」という回顧録で、在任時に情報機関から中国のサイバー攻撃の説明を受けたと書いています。先日、政府や企業へのサイバー攻撃が増えているとモリソン現首相が発表しました。これらも中国によるものですか。
「臆測では発言しません。いま、情報機関の説明に接しているのはモリソン氏ですから。ただ基本的に言えることは、中国は世界中でどの国よりも大規模にサイバー空間でスパイ活動をしている、ということです」
――その認識が、次世代通信規格5Gの事業で中国の華為技術(ファーウェイ)を締め出すことにつながったのですね。
「間違いなく正しい決定でした。脅威は、能力と意図の組み合わせで生じます。5G事業を中国の設備、ソフトウェアで進めると、豪州のサイバー空間に害を与える能力があることになります。そんな意図はないと中国は言うでしょう。でも、華為は他の中国企業と同じく、中国の情報機関の指示には従わなければなりません」
――中国はその後、豪州産品の輸入にブレーキをかけたり、中国系豪州人の作家を十分な容疑を示さずに拘束したりしました。
「それは豪州に対するいじめだと断言できます」
――中国は最近、中国人に豪州に行かないよう勧告しました。一連の動きは豪州の経済や社会に打撃を与えています。
「大切なのは過剰に反応しないことです。嵐は過ぎます。豪州の産業界は、政治的な理由で鉄鉱石や牛肉、ワインを買ってもらえなくなると心配しますが、中国は豪州の産品の質が良く、価値があるから買うのです。中国人の留学生が来なくなるという教育界の懸念も同じです。留学生は豪州で学びたいのです。英語圏をめざす留学生が、歓迎されないかもしれないトランプ大統領の米国に行くでしょうか」
「中国は本来は気にするべきでないことで怒っています。中国が豪州を吟味し、怒る対象に選んだのです。モリソン氏が、新型コロナウイルスへの中国の対応について国際調査を求めたことも理由です。『力が対等でないと正義はない』と示そうとしているのです」
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――米国のトランプ大統領も難しい相手だったでしょう。
「相当なナルシシスト(自己陶酔者)で、いじめっ子気質がありました」
――米国による鉄鋼・アルミ製品への高関税を回避するために直談判しましたね。率直に向き合う、という戦略だったとか。
「その通りです。私は彼のような人々と長年、付き合ってきました。おべっかを使う相手に対しては優位に立とうとしてくるのです。ある人は『私の生き方は相手をいじめることだ。でも、いじめが通用しない相手だとわかれば対等に接する』と言っていました。肝心なのは、丁重に接し、でも、自らの立場をしっかり守ることでした」
――トランプ氏は「自分が中国産品を全面禁輸にしたら、どうなる?」と尋ねたそうですね。
「世界大恐慌になります、と答えました。トランプ氏は保護主義者です。私の仕事は彼を再教育することではなく、豪州の国益を守ることでした。自由貿易の確保が、豪州国内の雇用を守ることにつながります」
「トランプ氏の外交の立場は、世界はディストピア(暗黒郷)である、というものです。多くの場所で互いが憎しみ合い、殺し合ってきたという見方です」
――そんなトランプ政権が世界をどう変えましたか。
「変わるかどうかは次の米大統領選次第です。再選されれば私たちにできることはありません。彼はあまりに予測不能で逆効果なことをしてきました。北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長とのショーに表れています。厳しい経済制裁を続ければ成果が上がるはずだったのに、米国の大統領と対等という立場を圧制国家の長に与えた。しかも、そこから何も得られなかったのです」
「米国の世界での影響力が低下してきたのに、(気候変動対策の)パリ協定など国際的な枠組みから離脱を続けました。そんな中で、私と安倍晋三首相の外交的な業績は、米国が抜けた環太平洋経済連携協定(TPP)の存続に努めたことでした」
――安倍氏のトランプ氏との付き合い方をどう思いますか。
「私は安倍氏のやり方を批判しません。安倍氏がトランプ氏を大いにもてはやしたのは疑いがないでしょう。しかし、多くの日本人たちがそうすることを期待したのだと想像しています」
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――日本が独仏と争った豪州の潜水艦12隻の購入計画で、最終的に受注したのはフランスでした。前任のアボット政権では日本が最有力と見られていました。長年の政治的なライバルだったアボット氏の意向を覆したかったのではありませんか。
「正真正銘、客観的な決定でした。国防省の精緻(せいち)な選定過程があり、米国の潜水艦専門家の助けも得たうえでの結果です。全く政治的な決定ではありません。ただ、安倍氏は日本が選ばれると信じていただろうと心配しました。(決定時に)電話をしました。安倍氏は落胆していましたね」
――コロナ危機による混乱もある中で、これからの世界の課題をどう考えていますか。
「私たちは国際関係を、世界の中心の交代劇と考えてきました。今ならワシントンか、北京かということになります。ここで非常に大切なことは何か。ほかの多くの国々と協力していくことです。すべての国の権利が尊重され、貿易を政治的な優位を得るために使わないという目的のためにです」
――二つの超大国を前に、その効果には限界がありませんか。
「太平洋の西側をアジアの西半球と呼ぶ人がいます。19世紀に米国はモンロー主義を掲げ、欧州列強の西半球(南北アメリカ)への介入に反対した。中国も当時の米国のように、アジアの西半球で自分の主張を強めるでしょう」
「当時の米州は、英領カナダのほかはスペインやポルトガルの旧植民地や植民地で、統治や経済の面でひどい状態でした。しかし、いまのアジアの西半球には、世界3位の経済大国の日本とG20(主要20カ国・地域)に入る韓国と豪州、インドネシア、インドがあり、ベトナムやタイもある。これらのすべての国々に、中国の力に惑わされないよう協力する能力があると思います」
(聞き手・小暮哲夫)
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Malcolm Turnbull 1954年生まれ。弁護士、投資銀行のゴールドマン・サックス豪州法人会長などを経て2004年、下院議員に。15~18年に首相を務めた。