私は先に(「小児性犯罪で懲戒免職となった教師には免許状を再発行すべきではない」)、「全国学校ハラスメント被害者連絡会」が行った、小児性犯罪で懲戒処分を受けた教師に対して免許状の再交付をしないよう求める訴えに賛同すると同時に、【A】小児性犯罪を起こさないようにするために学校に求められる方策は何か、について論じた。【B】事件にどう対処するか」
学校に第三者による専門的な相談室を設置すれば、性暴力の抑制につながる Tero Vesalainen/Shutterstock.com
だが、【B】児童・生徒に対し校内で性暴力が振るわれたという訴えがあった場合、学校はどう対処すべきなのか。
(1)第三者による専門的な相談室の設置
まず学校(あるいは学校区)に、第三者による専門的な「相談室」を設け、児童・生徒あるいはその親が、学校関係者を介することなく随時相談できる体制を作るべきである(池谷孝司『スクールセクハラ――なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか』幻冬舎文庫、no.2518以下〔本書は電子書籍のため一定字数ごとに付された「no.」を記す、以下同じ)。
今、「学校カウンセラー」を置くのが一般的になっている。「相談室」設置のために、この制度を利用するのも不可能ではない。だがカウンセラーは精神的ケアに秀でても、性暴力被害を受けた児童・生徒、その親、および加害者と見なされた教師の話を聞き、被害について助言を行い、また加害事実を確かめ、あるいは加害がこれ以上大きくならないようにするために働きかける等の専門的な技能を持っているわけではない。
一方、「性犯罪・性暴力被害者のためのワンストップ支援センター」あるいは関連NGOのスタッフならば、この任に耐えうるであろう。彼らは子どものための「司法面接」の訓練を受けていることも多い。なるほど現状ではいずれの運営も厳しく、政府による財政的支援なしには対応は困難であると想像されるが、担い手としての重要性は明らかである。
もちろん「相談室」は、事前に設置されれば性犯罪防止のためにも機能する。小児性犯罪者は一般に、日常的な接触から始めてじょじょに程度を増幅させるが、その初期に相談室が機能すれば、早い段階で性暴力を抑制させることができる。またそもそも、相談室の存在自体が一定の抑止力にもなる。(2)専門家を交えた第三者委員会による調査
校内で小児性犯罪が起きたときは、専門家を交えた第三者委員会に調査を委ねるべきである(池谷、no.2877)。教委は、訴えがあった場合、同委員会を直ちに設置すべきである。周辺に専門家が不在でも、オンラインでの対応も期待できる。
学校関係者のみで調査を行うのは不可である。「教育」機関に根強い無謬神話と、不祥事に対する隠蔽体質(同上、no.2529)が残る限り、それは最悪の選択である。だいいち、小児性暴力について無知な人に、まともな対応ができるはずがない。陪審員的な立場の人、つまり市民常識を下に判断することが期待された人は、いてもよい。だがそれは、専門的知識を有する人が不要であることを意味しない。弁護士が「専門家」の一人とされることがあるが、学校と関連の深い弁護士なら第三者の資格はない。
私は不幸な事例を、知人からつぶさに聞いたことがある。
知人の属する学校で生徒に対する性暴力が起きた時、同校教職員による調査委員会が作られた。異なる分野の教員、職種の異なる職員が委員に選ばれたが(性暴力について知識を有する教員は選ばれなかった)、性暴力事件に関する素人の集まりであった上に、結局身内に対する甘さが出て、加害者の言い分をそのまま認めてしまい、客観的で検証に耐えうる調査はついにできなかったのである。この過程で学校弁護士は、事態を隠蔽する方向で動いた。こうして、加害者は無罪放免になった。
この事件には後日談がある。その後加害者は同種の事件を校内でくり返し起こし、結局懲戒免職になった。だがその時点でも、性犯罪の事実ならびに身内による調査について、一般の教職員には何も知らされなかった。校内での性暴力は対岸の火事ではないと肝に銘じ、かつ第三者による調査を通じて厳格に対処することが、次の犯罪を抑止する力になるのだが。政府の「強化方針」に欠けるもの
以上の対策を実施するためには、各学校・教委の努力はもちろん、予算措置に裏付けられた、政府レベルでの確たる対応が求められる。
政府が2020年6月に公表した「性犯罪・性暴力対策の強化の方針」(以下「強化方針」)は、全体として、被害者保護を重視する姿勢を示している(2020年から3年間の集中強化期間をおいた点にもこれは現れている)。これは、長年にわり性犯罪被害について各分野でなされた研究・運動のたまものである。来たるべき刑法再改定の動きとも関連して、ここで打ち出された方針をとどこおりなく具体化すべきであろう。
性犯罪の予防には広範な性教育が必要だ Larisa Rudenko/Shutterstock.com
だが、小児性犯罪に関連する部分については、いくつかの問題を指摘しなければならない(以下は学校内の性暴力問題に限らない)。
(1)広範な性教育が不可欠である
「強化方針」は、「学校等における教育や啓発の内容の充実」(8頁)という項で、「生命の尊さを学び生命を大切にする教育」を前面に出している。だがこれでは抽象的すぎる。重要なのは、「生命」にではなく、内容をより特化した「性」に関わる教育である。
これでも起草者なりに、「性教育」に敵対的な安倍政権(当時)に忖度しつつも一定の工夫をこらしたのであろうが、「強化方針」には、性教育をさすと思われる言葉・説明は見られない。教育に関して「性」が付される言葉はあっても、それは「性暴力や性被害の予防や対処に関する教育」にすぎない(同前)。
だが、性暴力・性被害を切り離して論ずるのではなく、なぜ性への攻撃が、あるいは性にからんだ攻撃が「暴力」であり、人の一生にとって甚大な「被害」となるのかを理解しうるようにする広範な「性」教育こそ、必要なのではないか。
それなしには、性暴力の卑劣さや性暴力から身を守る必要性は理解不可能である。だから、他者との最も親密な関係を築きうる媒介となる性的身体や性的行為の意味を、そしてそれらは断じて暴力の対象や暴力の一部とされてはならないということを、年齢に応じ少しずつ理解させる必要がある(→次項)。(2)タブーゾーンはより広い――再び広範な性教育の必要
性犯罪の被害者生徒に対応する体制強化が急務だ MAHATHIR MOHD YASIN/Shutterstock.com
「強化方針」には、子どもに対する指導法の一環として、「水着で隠れる部分については、他人に見せない、触らせない」云々とある(8頁)。こうした具体的な指導は重要である。これなら子どもにも理解しやすい。だがそれが落とし穴となる。
ここでも、なぜ水着で隠す部分が重要なのかをめぐる広範な性教育なしには、けっきょく理解は限られるだろう。つまりそうした部分は、排泄のためだけではなく(幼い子にはそうとしか理解されないだろうし、また女子の水着が上半身にかかる訳は理解されないだろう)、人が、女であれ男であれパートナーと生きていく上で大切な部分だと、はっきりと教える必要がある。
性教育実践を過少に評価してきた文科官僚には分からないであろうが、性教育の今日の水準から言えば、以上を児童に伝えることさえ十分に可能である。
またそもそも、文化的に「身体接触」の度合いの小さい日本で――これまで新型コロナウイルス感染が比較的小さかった事情の一つはおそらくこれである――「水着で隠れる部分」に注目させたのでは、むしろ問題を招くであろう。子ども同士の場合には一概に言えないとしても、親等をのぞく一般的な大人に対しては、「水着で隠れる部分」以外をも、「タブーゾーン」(デズモンド・モリス『マンウォッチング(下)』小学館ライブラリー、149頁以下)として、つまり触れてはならない身体部位として、扱うべきである。
具体的に言えば、唇のまわり、上半身では上腕(二の腕)、下半身では腿(もも)その他が、ここに入るであろう。
もちろん、教師が多様な場面で児童・生徒の身体部位に触れることはあろうが(ただし触れずに指導ができないわけではない)、特別な関心・執着をもって触る、なでる、さする、吸う等の行為――そうさせることも含めて――の異常さは、「児童・生徒から力を引き出す寸劇」(「小児性犯罪で懲戒免職となった教師には免許状を再発行すべきではない」)等でそれとして教えれば、また広範な性教育の一環としてより広い視点から教えれば、子どもでさえ理解できる。
(3)「不審者」とは誰か
「強化方針」には、子どもの年齢に応じた教育内容の項で、「不審者等に付いていかないなど……防犯指導を行う」とある(8頁)。だが、不審者とは誰のことか。
「挙動不審」な者が不審者なら、多くの小児性犯罪者(彼らは一般に挙動不審な態度はとらない)は見逃されるだろう。挙動不審な性犯罪者がいたとしても、それを認知した時は手遅れであろう。
あるいは不審者とは「知らない人」のことか。だが子どもには、相手を知っているか知らないかは実は分からない。いま子どもたちは、道端で出会った大人に挨拶せよと指導されているようである。私は散歩・ジョギングのさなかに、小学生から「こんにちは」と何度挨拶されたか知れない。だが一般的な意味で「知らない人」も、こうして2、3度挨拶すれば、子どもには「知っている人」となるだろう。それにそもそも小児性犯罪者は、子どもに、まず「知っている人」となるべく巧みに近づくのである。
だから、「不審者等に付いていかない」ようにではなく、むしろ犯罪が起こりやすい、起きた社会空間を問題にする「犯罪機会論」の視点に立って、人が「入りやすい」場所、「他から見えにくい」場所へは行かないようにと、児童・生徒に指導すべきなのである(小宮信夫『子どもは「この場所」で襲われる』小学館、電子書籍版、no.546)。
「強化方針」の基本的問題性
その他、政府の「強化方針」は小児性犯罪者を含む性犯罪者に対する、いくつかの再犯防止施策にふれている(3頁)。
だが私には、「強化方針」は本稿で論じた諸点について目配りが足りないと感じられる。ことに性教育を敵視して、その長年の蓄積から何も学ばないから、論ぜられるべき事柄も不問のまま放置されるのである(「もっとつっこんだ性教育を!」)。
朝日新聞 WEBRONZA 2020年10月27日 記事引用