東京にも野生のシカがやってきた
東京の荒川河川敷、鹿浜橋近くを歩くシカ=2020年6月2日午前8時20分ごろ、東京都足立区、岩田剛史さん提供 シカを捕獲するため網を張る警視庁の捜査員や足立区の職員ら=2020年6月2日午後2時55分、東京都足立区、藤原伸雄撮影 コロナ禍で東京アラートが発動された翌日、足立区の河川敷では20人以上の警察官によるシカの大捕り物があり、200人を超える見物人や報道陣が詰めかけたという。シカやイノシシなど大型の野生動物が都市に出没するのは、すでに全国的な現象となってしまった感がある。
こうした都市出没の原因は、人間が自然を無管理状態に置き続けてきたことにある。かつて野生動物にとって最大の脅威は人間であった。シカやイノシシなどにしてみれば、最強の捕食者が人間だったのである。もっとも、その頃は人間が少なく、彼らも平野部で暮らすことができた。
しかし、明治期から昭和期にかけての人口爆発と乱獲の時代に、彼らは平野部や人里から一掃され、山に閉じ込められた。ところが高度経済成長期を過ぎたころ、人間は捕食者をやめてしまう。さらに高齢化、過疎化した里山や農地が無管理となり、結果的に集落周辺を大型動物たちへ最適な棲み処として提供してしまった。そこに流れる川の土手や河川敷は、人手も予算も足りずに荒れ果て、おかげで野生動物たちは身を人目に晒すことなく、易々と河川伝いに都市まで侵入できるようになったわけだ。
つまり、大型動物たちの都市出没問題は、野生動物の問題ではなく、人間社会の問題なのである。私は、こうした野生動物の社会問題を「野生動物問題」と呼んでいるが、その問題解決には、野生動物と人間と土地利用を適切に管理する必要がある。これを「野生動物管理(ワイルドライフマネジメント)」という。
ところが、わが国にはそれを実施する「野生動物管理官」と言えるものが不在である。当然、管理責任者がいなければ、管理などできるはずがない。いつまで経ってもシカやイノシシを警察官が追いかけまわす状況が変わらないのには理由がある。だからといって、決してこれを日常の風景になどしてはならないのである。
野生動物問題は深刻化の一途
農地や植林地を守る防護柵。しかし、これだけで共存は難しい。人間の生活圏を囲むような緩衝帯の整備や個体数調整などと合わせて、新たな棲み分けの線引きが必要だ=神奈川県山北町、筆者撮影 野生動物問題は都市への出没だけではない。例えば、農林水産業被害問題。かつては中山間地域問題と捉えられてきたが、今世紀に入ってから各地で被害が激甚化し、一気に社会問題化することとなった。被害総額は毎年数百億円の規模で、この対策に少なくとも年間100億円を超す税金が費やされている。
とりわけ問題なのはシカの激増だが、政府によって2013年から始まった「10年間で個体数を半減させる」という政策も、ハンターの減少などで目標達成には程遠い。そうこうしているうちに、分布域は都市部や高山地帯にまで拡大し、日本を代表する国立公園の大半でシカによる 自然植生への影響が出ている。貴重な自然林が枯死している場所も少なくない。もはや被害問題と一括りにはできず、国土保全の観点からも深刻な事態となった。
ペットブームに端を発する外来動物問題も近年、深刻化している。例えば、北米原産のアライグマは、アニメの影響でペットとして輸入されたが、野生由来の個体であるため、飼いきれず大半が遺棄されたものと思われる。すでに、全国の大都市で野生化し、捕殺数が年間3万頭にのぼる。一方で、人間はオオカミやカワウソ、トキやコウノトリなど、多くの野生動物を絶滅に追い込んできた。
豚熱が発生した現場に入る作業員=2019年3月23日午前10時26分、岐阜県山県市、山野拓郎撮影 さらに、今まさに問題となっている新型コロナウイルスや、高病原性鳥インフルエンザ、CSF(豚熱、いわゆる豚コレラ)、さらにASF(アフリカ豚熱)は、すべて野生動物由来の共通感染症である。しかし、これらのウイルスは過密な家畜や人間集団で感染爆発を引き起こし、これに巻き込まれた野⽣動物をさらなる媒介者にするだけではなく、被害者にもしてしまう。
2018年に岐阜県で28年ぶりとなるCSFが発生し、イノシシに感染してしまった。28年前にはイノシシが平野部に生息する状況ではなかったこともあり、イノシシへの感染対策は準備すらできていなかった。結果的に、わずか1年間で感染エリアは1万平方キロにまで拡大した。この間に、100億円単位の対策費が投入されているが、終息の目途はたっていない。
病院に医師が必要なように、地域社会には野生動物管理官が不可欠
では、どうすればよいのか。進路を見出そうと、2018年に環境省自然環境局長から日本学術会議会長に「人口縮小社会における野生動物管理のあり方の検討に関する審議」が依頼された。その結果、都道府県に野生動物管理専門員を配置するとともに、地域に根差した野生動物管理を推進する高度専門職人材の教育プログラムを創設すべき等が提言された。
シカの採食や踏み荒らしで田んぼのようになった屋久島の高層湿原。シカは本来、平野の動物であるが、当面は山の中で人間が管理し続けるしかない=屋久島・花之江河、筆者撮影 前述したように多岐にわたる野生動物問題を解決するには、知識や技術に加え、科学的な分析能力も要求される。医療にたとえれば、病院だけではなく専門職である医師が不可欠である。同様に、教育では学校だけではなく教師が、防災では消防署だけではなく消防士が欠かせない。
つまり、野生動物問題を解決するには、社会インフラとして野生動物管理を位置づけ、専門職である野生動物管理官がいなければならない。なぜ「官」なのかと言えば、野生動物が国民の共有財であるからだ。ただでさえ、日本は公務員が極端に少ない国家である。公共財の管理という職務を信託する人材に、公的資金を投入しないのはおかしな話だ。
もっとも、「管理官の必要性」などという当たり前のことは、前世紀から野生動物関連法の審議のたびに、繰り返し国会で厳しく指摘されてきている。2014年鳥獣法抜本改正時の国会附帯決議では、野生動物管理の専門的職員を都道府県に配置すべく、その配置状況を国が把握し、毎年公表することが求められた。この結果、2015年度当初には、全国の鳥獣担当職員が4246人(非常勤職員を含む)配置されているにもかかわらず、専門的職員はわずか135人しかいないことが明らかになった。しかも、13県では専門的職員がまったく配置されていないこともわかった。これで野生動物問題が解決するわけがないではないか。
人材はいるのに増えない専門的職員、政策決定者は決断を
2015~2019年の都道府県における野生動物管理に関する専門的職員の配置状況(環境省調べ) もちろん、この結果を受けて、各自治体の現状は徐々に改善すると期待された。少なくとも全国に4000を超すポストが現実にあるのだ。しかし、若干の改善の兆しはあったものの、2017年度をピーク(といっても160人)に、以降は逆に配置する県も専門的職員数も減少に転じてしまった。
もはや、都道府県自身が、こうした職員の必要性を認めていないと考えざるを得ない。国情が異なるので直接的な比較にはならないが、例えば行政機関に1万人以上の野生動物専門技術者が雇用されている米国とでは、あまりにも状況がかけ離れている。
これからの日本社会では、超高齢化と人口減少で、人間の生活圏に押し寄せる野生動物を食い止めることはできないだろう。もちろん、小鳥などのように人間と同じ場所で共存できる野生動物も多いだろうが、大型野生動物や一緒に運ばれてくる病原体などとは現代の人間は共存できない。少なくとも当面は棲み分ける以外の選択肢はないだろう。
その新たな「共存のかたち」は、誰も経験したことのないものである。そのうえ、地域の風土や人の暮らしぶりに合わせ、地域ごとに処方箋を書く必要がある。専門的職員に求められているのは、そういう仕事だ。幸い、それを志す若者も、人を育てる大学も数多く出てきた。
あとは、政策決定者が決断するだけだ。
朝日新聞 WEBRONZA 2020年7月3日 記事引用