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すべての人々が貧困から救われ、最低限の生活ができるだけの所得を保障される――。それは近代国家の夢であり理想像でもあった。
16世紀にはトマス・モアが著書『ユートピア』でそう夢想し、ジョン・スチュワート・ミルやミルトン・フリードマンら経済学の泰斗たちはそのための提言もしてきた。近年それは「ベーシックインカム」と呼ばれるようになり、究極の貧困対策としてしばしば注目されてきた。
今年、新型コロナウイルス感染拡大で多くの人々が生活困難に陥ったのを機に、いま改めて注目を浴びている。パンデミックが呼び起こしたベーシックインカム待望論は、はたして検討に値するのか。
コロナ禍で盛り上がる導入論
コロナ禍による雇用消失と貧困は世界的な現象である。それに苦しんでいない国はないし、解決策に頭を悩ませていない政府首脳はいないだろう。困難に立ち向かう対処法として、ローマ教皇やグテーレス国連事務総長、ジョンソン英首相ら世界の要人たちからはベーシックインカムの導入を求める声が出ている。
「ベーシックインカム」とは、すべての国民に最低限の生活を営めるだけの現金を定期支給する制度だ。生活保護費のように支給対象者を絞るための厳しい審査はいらず、支給対象になったことによって周囲から差別を受けることもない。その点では貧困に対する究極の安全網とも言える。
もともとは人間らしさをもたらす経済的な安定を求める左派の主張から登場した制度だった。ところがその後は、「小さな政府」をめざす新自由主義の立場からも、社会保障のスリム化、合理化を目的としての導入論が提唱された。
菅政権でもベーシックインカム導入が検討される可能性はある。政権発足後、菅義偉首相がすぐさま会った民間人で、首相が経済ブレーンと頼む東洋大教授でパソナグループ会長の竹中平蔵氏が導入論者だからだ。
竹中平蔵氏
竹中氏は菅首相と会食した5日後、BS―TBS「報道1930」に出演し、国民1人月7万円を支給するベーシックインカム案を紹介した。竹中氏はこれを「負の所得税」といい、所得が一定以上の人は、あとで確定申告などを通じて政府に返せばいい、と説明している。これによって「生活保護も年金もいらなくなる」「7万円で満足できなければ、あとは自分で稼いでという、ある意味すごくフェアな制度だ」とも語った。
なぜベーシックインカムがいま必要なのかについて、竹中氏は「これから若い人がいろんな挑戦をしないといけない。ただ失敗する可能性だってある。そのままでは非常に不安定な社会になるから、そのときに一つの安心のよりどころとして制度を作るべきだと考えた」という。
どうやら竹中氏はローマ教皇のような弱者救済の視点で導入論を唱えたわけではなさそうだ。どちらかといえば、菅首相のモットーとする「自助」の精神に近い。つまりは自己責任論の延長線上にベーシックインカムを置いていると言えるのではないか。
このとき「報道1930」に竹中氏と一緒に出演していた私は「最近、日本でベーシックインカム導入論を唱えているのは、ヘリコプターマネーでお金をばらまけば景気が良くなるというリフレ派、それと孫正義ソフトバンクグループ会長兼社長や竹中さんのような社会的成功者たちだ」と発言した。そのとき竹中氏がすごく嫌そうな顔を見せたのが印象的だった。
ベーシックインカムに詳しい宮本太郎・中央大教授は「ベーシックインカムは四つの変数でまったく違った制度になる」と指摘する。①どれだけの給付水準か②既存の給付やサービスの何を廃止するのか③いかなる税制を設定するか④給付に何らかの条件をつけるか、の4基準だ。その結果によって、社会民主主義的ベーシックインカム、新自由主義的ベーシックインカム、保守主義的ベーシックインカムに分かれるという。
「累進的な所得税で財源を調達し、高い水準のベーシックインカムを導入するか、経済支援の制度全般を大きく縮小して財源を調達しつつ、現行の税制の枠内で(あるいは減税をして)導入するかで、まったく別物となる。社会民主主義的なベーシックインカムか、経済的自由主義に基づくベーシックインカムかという違いだ」と宮本氏。
さらに保守主義的ベーシックインカムというのは「ベーシックインカム導入のために保育サービスなどの財源が犠牲になり、女性が家庭で家事や育児を担うことの報償のような意味をもつタイプ」という。「制度の導入がかえってジェンダー分業を固定化させる結果をもたらすなら、制度としては保守主義的な性格が強まるからだ」と宮本氏は言う。
各国で国家的実験や国民投票
ベーシックインカムの実験を実施した国もある。カナダ(オンタリオ州)やフィンランドなどでは主に失業者対策としておこなわれた。イタリアでも2年前に誕生したポピュリズム政権が低所得者向けに現金給付を始めた。
フィンランドが2017~18年におこなった実験は、2000人の失業手当受給者に月560ユーロ(約7万円)を給付するというもので、対象者を絞った実験だった。それを終えたあと、実施主体の社会保険機構は「就労している市民も対象に実験の拡大を」と政府に求めたが認められず、本格導入は実現しなかった。
スイスでは4年前、大人に月2500スイスフラン(約28万円)、子どもに月625スイスフラン(約7万円)を給付するベーシックインカム制度導入案をめぐって国民投票がおこなわれた。結局、賛成23%、反対77%で否決され、導入は見送られた。
米国でも、1960年代末から70年代初頭にかけて、米ニクソン政権がベーシックインカム制度法案を何度か提出し、成立寸前までいったことがある。きっかけはジョン・K・ガルブレイス、ジェームズ・トービン、ポール・サミュエルソンら著名な経済学者5人が1200人の学者の署名を添えて議会に導入を求める公開書簡を送ったことだった。これを受けて、ニクソン大統領がやや控えめなベーシックインカム法案を提出したのだが、下院を圧倒的多数で通過したものの、上院ではもめた末に「これでは不十分」という民主党の反対にあって廃案になった。
今年の米大統領選の民主党候補者レースに出馬したアンドリュー・ヤン氏は、すべての米国の成人に毎月1000ドル(約11万円)の小切手を提供することを提案した。まだコロナ感染拡大前のことだったが、ヤン氏は早々に候補者レースから撤退を余儀なくされ、同案は大統領選のテーマから姿を消した。
だがコロナ禍が世界に拡大した今年、ベーシックインカムの導入機運は改めて広がりを見せているようだ。スペインは6月、貧困世帯向けに月約1100ドル(約12万円)を提供するプログラムを導入。ドイツは8月、120人のドイツ人が3年にわたって月1400ドル(約15万円)を受け取る社会実験を開始した。各国がさまざまな形式での試行に乗り出す事例が出てきている。
AIに仕事を奪われた補償?
ここ数年は米シリコンバレーの起業家たちも導入論を唱えていた。テスラCEOのイーロン・マスク氏やフェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグ氏らである。彼らがこの政策に関心をもった動機は、人工知能(AI)やロボットの急速な普及で多くの人間の仕事が奪われるのは避けられない、と予測され始めたことだった。
テスラCEOのイーロン・マスク氏
マスク氏は3年前の講演会で「これからは人間がロボットに勝る仕事はますます少なくなる。私がそうなってほしいと思う希望ではなく、おそらく現実になることだ」と述べたうえで、「普遍的なベーシックインカムは必要になると思う」と語った。さらにその財源については「商品やサービスの生産性が極めて高くなるだろう。自動化のおかげで豊かになると、ほとんどすべてのモノの値段が極めて安くなる」と述べ、経済成長によって財政支出もまかなえるようになるという楽観論をとっている。(「ハフポスト」2017年2月)
宮本教授はこういう経営者たちの主張にはやや偽善を感じる、という。マスク氏らがそういう発言をする背景には、人々の不安や不満があるからだ。AIに仕事を奪われ、IT経営者のような超富裕層にばかり富が集中する現状は許せない、という庶民の怒りである。
「このままでは人々の怒りが収まらない。ならばベーシックインカムでも出しておけばいい、というのが彼らの発想だろう」と宮本氏は見る。
技術進化と社会の構造変化が必然的に失業増大と貧困拡大をもたらすという見立てには異論もある。経済学者の多くが指摘するのは、新たな技術革新で大量失業が生まれても、その環境に見合った新たな仕事が生まれ、雇用を吸収してきた歴史である。
よく例に出されるのが19世紀初頭の産業革命の最中に起きた「ラッダイト運動」と呼ばれる機械打ち壊し運動だ。産業用機械の急速な普及が人間の仕事を奪ってしまうことへの危機感から生じた抗議運動だったが、実際は人々の仕事はなくならなかった。
産業革命によって経済そのものが拡大し、金融や通信、交通、エネルギーなどの分野でさまざまな市場が広がった。新たな需要が生まれ、むしろ人間の仕事は増えていったのである。だからいま起きつつあるAI革命で奪われる仕事があっても、新たに生まれる市場や仕事が必ずあるはずだ、と経済学者たちは考えている。
一方、ベーシックインカム推進派の主張には次のようなものもある。人は働きたくなければ働かなくてすむようになる、賃金労働にこだわらず自分にとって有意義なものにだけ時間を使えばよくなる、と。
これについて萱野稔人・津田塾大教授はこう指摘する。「働きたいのに働けない人々の、働きたいという願望は、対価として賃金が支払われる仕事に就くことのみによってかなえられる。ベーシックインカムがあるから賃労働以外のことをすればいい、と言うのは、お金をあげるから仕事をあきらめろ、と言うのと変わらない。つまりベーシックインカムは基本所得を給付することで『労働からの排除』を固定化してしまう」(日経新聞2017年7月「やさしい経済学」)現金給付か公共サービスか、それとも
日本政府の財政能力を考えれば、ベーシックインカム導入が人々の生活水準の向上をもたらすとは限らない。仮に1億2700万人の国民全員にひとり毎月10万円支給するなら国民全体で年間152兆円、7万円支給なら年間107兆円が必要になる。
これに対し、2020年度の社会保障給付費(保険料と国庫負担、地方負担などでまかなう給付総額)は総額約127兆円だ。つまり現在の年金や医療、介護、福祉すべての公共サービスや給付を全部やめて、全額ベーシックインカムに回しても、1人10万円を配ることはできないのだ。7万円配るにも社会保障給付費の84%を充てなくてはいけなくなる計算になる。
ちなみに現在、生活保護費の受給者には単純平均で1人14万円が給付されている。これがベーシックインカムの7万円に置き換わるなら、生活保護受給者にとっては収入が半減になってしまう。そのうえ医療や介護サービスはこれまでのような条件で受けられなくなるのだ。宮本氏は「ベーシックインカムの看板のもとで、社会保障の破壊が起きかねない」と危ぶむ。
経済学者たちが予測するように、AIの進化が一時的に雇用を奪っても、長い目でみれば、人間が介在することが求められる新たな仕事が生まれるのかもしれない。しかし、目の前で進む急激なAI技術の進化はスピードが速すぎる面も見逃せない。その変化に人々の雇用のシフトが追いつかなければ、一時的に失業や貧困が広がる恐れがある。そう考えておくべきではないだろうか。
その対策としてベーシックインカムでは対応しきれないのだとすれば、もっと的を絞った貧困対策を検討しなければならない。具体的に何が必要なのだろうか。宮本氏があげるのは住宅手当と児童扶養手当の充実だ。
「最低賃金を全国一律上げていくのに加え、住宅手当を充実するという方策が考えられる。住宅手当を導入する場合、住居確保給付金のように振り込み対象を家主にして、現物給付的性格を高めることもできる。こうすれば、高齢化する家主や地域に対する支援という性格を兼ね備えることにもなる」
「児童扶養手当の給付対象を広げる方法もある。児童扶養手当を受給する児童数は2018年で約94万人。しかし18歳未満人口に子どもの相対的貧困率13.5%を掛け合わせて出した貧困世帯の子ども数は約255万人にもなる。このギャップを埋めていく給付も考えられる。こうした住宅手当や子どもの貧困率抑制に直結する給付は、見方によってはベーシックインカム以上に納得感が高いだろう」
現金を一律支給するベーシックインカムより、一定水準の公的サービスをすべての国民に提供する「ベーシックサービス」が有効だという意見もある。
宮本太郎氏
井手英策・慶応大教授はこう指摘している。「サービスは必要な人しか使いません。お金は噓をついてでももらおうとしますけどね。このちがいも大きい」「民主党政権のときに、子ども手当というと高齢者が猛反発した。なのに乳幼児の医療の無償化は全国でいまどんどん進んでいます。(中略)お金は嫉妬と疑いを生んでしまうのです」(井手英策「いまこそ税と社会保障の話をしよう」東洋経済新報社)
そこで宮本氏が提唱するのは「ベーシックアセット」という考え方だ。同額の現金を給付するベーシックインカムでも、同じ水準の公共サービスを提供するベーシックサービスでもなく、複数のアセット(公共資源)をひとり1人が抱える多様な困難さに応じて、社会に参加するのに必要かつ最適な組み合わせを提供する、という構想である。まだ社会的には共有されていない「ベーシックアセット」の考え方については、近く出版される宮本氏の著書で詳しく明かされるだろう。
「日本版ベーシックインカム」の可能性
今春、コロナ危機で収入が途絶えた世界中の人々の生活を支えたのは政府の現金給付だった。日本でも国民全員に1人10万円が配られた。これがベーシックインカム導入の足がかりになったとみる向きもある。
かねてベーシックインカム導入を主張してきたカナダ・マニトバ大のエブリン・L・フォーゲット教授は、米フォーリン・アフェアーズ誌(2020年11月号)で、「ベーシックインカムに反対する最も一般的な議論は、どんなに有益であってもコストがかかりすぎるというものだ。(中略)しかしベーシックインカムを支出とみなすのは間違ってる。それは人々が望む社会への投資。(中略)病気になるまで待って貧しい人に治療費を払うよりも、自分の世話をできるように事前にお金を与える方が良い。ベーシックインカムは費用対効果が高く、人道的である」と主張している。
日本でも次の談話のように、検討に前向きな政党が出てきた。
「今後も災害や疫病などは起こりうる。国民生活の最低保障としてのベーシックインカムについて考えなければならない時代に入っている。導入すれば社会保障の合理化は必要だが、後退させてはならず、バランスをどう取るかが課題になる」(斉藤鉄夫・公明党幹事長=当時)
「国民民主党は基本政策で給付付き税額控除など基礎的所得を保障する『日本版ベーシックインカム構想』を提唱している。(中略)中長期的に実施するなら生活保護や年金など既存の社会保障制度との統合が必要だ」(玉木雄一郎・国民民主党代表)
「(憲法25条の)生存権を保障するという考え方に立ち、日本共産党もベーシックインカムを長期的な議論として位置づけたい。一方で、社会保障を圧縮して自己責任に持っていくための議論もあるようにみえる。そうした考え方にはまったく賛同できない」(田村智子・日本共産党副委員長、政策委員長)
(以上は「週刊エコノミスト」7月21日号の「ベーシックインカム入門特集」の談話から)
自民党内にもベーシックインカムの導入検討を始めようという動きが出てきた。この8月、「Withコロナ・Afterコロナ 新たな国家ビジョンを考える議員連盟」(下村博文会長)は次のような提言書をまとめた。
「ベーシックインカムを導入する場合、最低限度の生活保障の観点からその金額水準はいくらが妥当か。導入の前提として、財政支出を社会保障分野に限らず総点検し、重複する行政サービスを洗い出したうえ廃止・縮減、また新たな所得税制等のあり方を検討し、ベーシックインカムの水準に応じた必要な財源を確保しなければならない。(中略)給付付き税額控除制度についても類似の検討が求められる」
何らかの形でベーシックインカムのような制度を導入するなら持続維持可能な設計が必要であり、財源の裏付けが求められる。先に論じたように、いまの日本の社会保障制度に上乗せする形でベーシックインカム(現金支給)を導入するというのでは、どう考えても財政的につじつまが合わない。
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コロナ危機対策でおこなわれた国民1人10万円給付については、評価は分かれている。職を失った労働者や休業を余儀なくされた飲食店経営者たちにとって、「10万円」は有効な生活支援になった一方で、コロナ禍でも収入を維持できた人たちにはとっては政府からの思いがけない追加ボーナスのようなものになってしまった。いったい財源は最終的に誰が負担するのだろうか、という問題意識とともに、その必要性に疑問をもった人も少なくなかったのではないか。
繁栄の絶頂期にあった半世紀前の米国でならいざしらず、いまやどの先進国も実効性ある水準でベーシックインカムを継続していける財政余力はまったくない。とりわけ一般政府の債務残高(地方自治体の債務や政府短期証券も含む、世界共通基準にもとづく債務)が2019年3月末時点で1323兆円にのぼる日本では、まったく現実味がない選択肢だろう。
この債務の規模は国内総生産(GDP)比で236%(国際通貨基金ベース)となっている。その比率は財政健全度を示す指標とされ、低いほど健全、高いほど悪化していることを示す。残念ながら日本は世界113カ国中113位と最も率が高く、最も財政が悪化している政府なのだ。
そんな日本でベーシックインカムが導入されるとしたら、生活保護など弱者救済予算の切り捨ての口実になりかねない。あるいは既存の社会保障を守るという口実で、また借金を重ねる言い訳になることも考えられる。そうなったら国債増発にさらに拍車がかかる。
そんな展開にはなってほしくないが、この国の財政ポピュリズムが行き着くところまでいけば、政治は「究極の安全網」としてではなく、「究極のバラマキ策」としてベーシックインカムを活用することになるだろう。
朝日新聞 WEBRONZA 2020年11月30日 記事引用
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