世界平和統一家庭連合(世界基督教統一神霊協会「統一教会」)に関する年表
1945年
- 4月28日 - 文鮮明は崔先吉との婚姻届を提出。
- 10月 - 郭山の警察に一時拘束される。
- 10月 - 京畿道の坡州のイスラエル修道院 の金百文(キム・ペンムン)のもとで学ぶ。京城の永登浦区域所(現:永登浦区)上道洞の礼拝所で補助引導師を務めたと言う。文鮮明の著作『原理原本』(1952年発行)は、この金百文の著作『基督教根本原理』(1946年3月2日起草、1958年3月2日発行)の執筆中に文鮮明が盗作したという証言がある。
1946年
- 6月6日 - 天啓により、妻と3ヶ月の息子「文聖進」(ムン・ソンジン)を置き去りにして、朝鮮キリスト教布教の中心地であったソ連占領下の平壌へ行く(神が用意した神霊集団を統合し直すためとされる。それらの集団は「混淫派」や「霊体交換派」と呼ばれる「血分け」を行う者達だとも言われる。)。
- 朴雲女(パク・ウンニョ)と共に布教を始める。
- 6月11日 - 金百弼(キム・ウォンピル、三弟子の1人)が弟子となる。
- 8月11日 - 牧師の訴えと李承晩(イ・スマン)のスパイ嫌疑(風俗紊乱の容疑だったとも言われる)で大同保安署に拘束される。
- 大同保安署に3ヶ月収容(獄中に、再臨主を待つ「腹中教」の教祖「許孝彬」(聖主教平壌教会長「李一徳」の妻)とその幹部もいた)。朝鮮労働党当局による拷問を受ける。
- 11月21日 - 釈放。
1947年
1948年
- 4月7日 - 文鮮明は、「社会秩序を乱した」という社会紊乱罪で、重労働5年の実刑を受ける。
- 4月〜5月 - 平壌刑務所に収監される。
- 5月20日 - 興南(フンナム)収容所(徳里特別労務者収容所)に移送、収監される。肥料の山を移しかえる仕事をさせられる。興南収容所に収監されている間に妹が亡くなったとされる。
- 文鮮明が収容所に送られてきた朴正華(パク・チョンファ)を弟子にする。