本当に正しく知りましょう。聖書と新天地
この内容は教会や聖徒の信仰知識のために共益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真信仰のため
「あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい」と仰せられた
イエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
約束と信仰と救い
本文:ヨハ14:29(啓示録)
神様とイエス様は、新約聖書に、何を、私たちと約束されたのか?私たちは、イエス様が預言された新しい契約を悟って、信じて、守ったのか?末世に預言された背教者と滅亡後と約束した救い主は誰なのか?イエス様は、旧約を成し遂げられて、新しい契約(新約)をされた。私たちは、末世に成し遂げられる預言、新約の啓示録の意味を悟って、その御心通りにしているのか?私は、新約聖書が言っている誰であり、新約の約束通りに創造されたのか?
新約、すなわち、新しい契約を総合したものが啓示録であり、これを信じて守る者が救われると言われ、加減するならば、天国に行かれず、のろわれると言われた(啓22:18-19)。私は、加減しなかったのか?啓示録の中には、背教者がいて、滅亡者がいて、救い主がいる。その出現順序は、まずは背教者であり、二番目は滅亡者であり、三番目が救い主だと言った(Ⅱテサ2:1-4)。
神様の約束、旧約をイエス様が成し遂げられたが、肉的イスラエルは、信じず、迫害して、イエス様を異端だと言って殺した。新約の霊的イスラエルである韓基総は、新約の成就を信じるのか、信じないのか?初臨の時のように、また異端だと言って迫害するより、新約聖書通り成し遂げられたものなのか、確認してみる方が賢明だろう。新約に約束した成し遂げられる啓示録は、天地間に、その意味と実体をわかる者は一人もいない。ところが、「これだ、あれだ。」と言い、恣意的に解釈する者は、聖書博士ではなく、偽りを作り出す偽りの博士である。新約の啓示録をわかる方法は、ただ、遣わされた代言の使者に聞く事である。
記録された啓示録は、サタンの牧者に隠すために比喩で記録されて、成就の時は、その実体(背教、滅亡、救い)が現れる。主は、遣わされる使者に、アモス書3章7節のように、比喩で封じられた秘密を見せてくださり、教えてくださって、施行させる。こうして、啓示録成就の時の牧者と聖徒たちは、主が遣わされた約束の牧者に出会って、実状をあかしする御言葉を聞いてこそ、わかるようになる。
啓示録の時は、腐敗したアダムの世界にノアを立てられたように、一つの時代が終わって、新しい時代が到来し、新しい国、新しい民族が創造される時である。知識のない偽りの牧者の非真理の中では、偽りの言葉を学んで、偽りの言葉を話すようになり、地獄に行くようになる(マタ15:14参考)。そして約束の牧者の真理の中では、真理を学んで、真理を話すようになり、天国に行くようになる。偽りを話す者には、偽りの神、悪魔が共にいて、真理の言葉を話す者には、神様の聖霊が共におられる。人は、家のようであり、畑のようであるため(Ⅰコリ3:9、16)、どんな神の家なのか、どんな種が蒔かれたのかによって、その行いが現れる。
韓国の韓基総の牧者も教徒たちも、新約の啓示録の御言葉に対して知識がなく、100の質問に対して、一つ二つの答えさえできる者がいるかどうかも疑問である。聖徒は、自分が、新約が言っている牧者(背教者、滅亡者、救い主)のうち、どんな牧者に所属しているのか、わからなければならない。約束の啓示録の成就の時は、約束の牧者に従わなければならない。末世には、一般の牧者によって救われることはできない。だが、聖徒たちは、神様の約束の御言葉よりも自分の牧者の言葉を信じている。だからこそ、自分の牧者と約束の牧者の聖書の解釈を、それぞれ聞いてみて、どれが正しいのか、わからなければならない。約束の牧者に出会わせないようにする牧者は、みんな偽りの牧者である(マタ23:13参考)。
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