本当に正しく知りましょう。聖書と新天地
この内容は教会や聖徒の信仰知識のために共益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真信仰のため
「あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい」と仰せられた
イエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
今日、伝統教会のキリスト教徒たちも、初臨の時のように、また約束の牧者を信じないのだろうか?啓示録(黙示録、以下啓示録と表記)の時は、審判の時である。
啓示録を加減すれば天国に入れず、のろい(災害)を受けると言った。プロテスタント教会の牧師たちと聖徒たちは、啓示録を加減しなかったか?すべて加減した。それゆえ、プロテスタント教会は、天国に入れない。この言葉は合っていますね?しかし、迫害は世の人々よりもっと上手だ。そうですね?迫害する行為は真理ではない。これは悪魔のすることである。
新天地の聖徒たちとプロテスタント教会の牧師たちが、一緒に新約の啓示録について、試験を一度してみよう。啓示録を加減しているのに、どうして試験で勝利するだろうか?啓示録を加減しても、天国に行くという聖書の聖句はない。威信の問題ではなく神様の御心通りできなければ、硫黄の火の池の地獄に捨てられて、熱い火の中で永遠の刑罰を受けることになる。
それゆえ、へりくだり、悔い改め、再び生まれて約束の御言葉である真理で武装しなければならない。新天地は、啓示録の預言のみならず、その実状まで精通している。
新約が成就された実状と新約聖書に約束した牧者を悟り、調べて、彼の証しを受けてこそ(啓22:16)、救われるようになる。今のその信仰と知識のなさでは、天国に入れない。初臨の時、旧約聖書に精通した方は、イエス様だけであった。主の再臨の時である今日、新約聖書に精通する所は、唯一、新天地だけである。
わからないのに、わかるふりをして、異端が「正統」であるかのようになりすまし、初臨の時、イエス様を異端呼ばわりしたように、今日、新しい天、新しい地、新天地を、また異端呼ばわりするので、悪魔が踊るだろう。誰が正統であり、異端なのかは、新約の啓示録の御言葉で試験をしてみればわかるだろう。偽りの牧者たちは、古い信仰をやめて、まことの真理の種で生まれた新天地に来て学び、試験に合格し、新天地人になってこそ、救いを得るようになる。啓示録の意味を知ってこそ、その御心通り行うことができるだろう。そして、その御心通り行ってこそ、天国に入ることができる(マタ7:21参考)。啓示録をわからなければ、誰かを「異端だ」と言う資格もない。肝に銘じなさい。
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