ヤコブ家庭を中心とする摂理
これ(先生が図―15を板書される)は個人個人の家庭を持つための世界全体の争いだったのです。今や、女たちの姉妹関係の戦いをいかに収拾するかということです。一人の男を中心として、神様一人を中心として、これを収拾しなければなりません。
これを蕩減するために、神様が初めて四〇〇〇年目に着手する時、ヤコブを中心として蕩減復帰しなければならなかったのです。そして争ってはいけないのです。(先生が図ー15の①の中央に「×」印を入れる)争うようになっていないのです。それでヤコブは七年の契約をして、(図ー15の②を参照)ラケルをめとるようになったのです。いよいよ結婚の日を迎えて、ヤコブは男として有頂天の喜びと興奮の真っ最中に、結婚の初夜のいよいよ出発の時に、思いもよらないことが起きたのです。
ユダヤの結婚式は、韓国の結婚式のようなのです。結婚の初夜には二本のろうそくをつけて、奥さんになる人が真っ白に化粧して、ほほに赤い丸を付けて部屋に入っていくのです。それでもし美人ではなく、気持ち悪いブスさんであったら、男は逃げていくのです。(笑い)
ヤコブは、一夜明けて見た時に自分の妻がラケルではなく、姉さんのレアだったのです。あなたたちも、それを考えてみてください。これ以上の大変なことはないのです。「ワー、七年間の苦労はどこへ行ったのか」と、死んでしまいたいほど、気絶しそうになったのです。
ここで問題は、なぜ神様が四〇〇〇年目に摂理を着手される時に、レアを加えることを許したのかということです。神様はすべてが分かっていたのに、なぜラバンのすることをそのまま放っておいたかということも問題なのです。しかし、それは仕方がないことなのです。神様が復帰を着手するに当たっては、堕落したエバを完全に復帰して、神様のすべてを相続して、奉仕する立場のエバが立たなければならないのです。そのような堕落した立場のエバがいなければ、妹のラケルもいないのです。
堕落したエバの立場で、姉さんとして妹に侍るような女がいなければ、ラケル自体が神様に帰っても、母親として子供を持つことができないのです。原理的堕落論の観点から、二流系を現場で一流系にまとめていかなければならないのです。二流の女を持った神様の立場を蕩減しなければならないのです。それを蕩減しなければ、堕落の実際の現場を知っているので、神様は「そんなことはできない」と言われるのです。それで、仕方なしにそうせざるを得なかったのです。
それで、どうなったかというと、姉のレアはまるっきりサタンの女として、男と女をすべて自分のほうにまとめてしまうのです。自分の身近な僕の女の二人と組んで、三人で十人の子供を生んだのです。一方ラケルは、一人で二人の子供を生んだのです。これらがみんな怨讐になっているのです。怨讐になって、そのまま永遠に残っていくのです。これを、いつかは解決しなければならないのです。このような内的な女の世界の絡み合いがあったということを、今まで人類は誰も知りませんでした。先生によって解決されたので、これらが一つになることができるのです。一つになった場合には、問題はないのです。
このようにして、こっち(妾)が姉の立場で、こっち(正妻)が妹の立場で、絶対的に命令に服従していった場合には、(図―15の②を参照)二流が一流になって、これが長子権、これが正妻圏になって、これ(レア)が逆に妾の立場に立って慕っていけば、天に帰ることができるのです。天に帰って共に住むとき、妾は要らないかというと、そうではないのです。簡単に妾と言っても妹の立場であり、それが完全に一流の相対圏に立てば、堕落しなかった正式の女として、神様に向かうことができるのです。
こういう絡み合いが、あなたたちの家庭にもあるのです。ですから家庭において、女がサタンによって堕落したのですから妾の立場が問題なのです。正妻と妾の立場です。みんなの家庭もそうでしょう。お父さんは天使長ですから、たくさんの女と関係するのです。そうすることによって、神様の愛の基台を破壊し、家庭をめちゃくちゃにするのです。家庭を守るのではなく、家庭をめちゃくちゃにするのです。嘘をついて、家庭を崩してしまうのです。それは、まるっきりサタンなのです。自分のお父さんであっても、そのような悪いことをするのはサタンの実体です。そうなると、子供も親を嫌って、絶対に親の後について行かないのです。そして、お母さんは毎日泣きずるのです。日本にも、そういう家庭がたくさんあるでしょう。
天に背いて理想家庭を破壊する者は、滅亡の地獄に落ちていくのです。間違いないことです。ですからサタンを淫行の神と言うのです。それで、巫女たちはみんな品行がよくなく、男女関係が乱れていたのです。サタン的な女とサタン的な男は、男女関係が乱れていたのです。天的理想の家族愛の基盤を完全に崩壊しようとしているので、それにつながる者はすべてサタンと共に地獄に行くのです。これを解放しなければならないのです。神様の道は二流系をまとめて一流系にしていくのですから、逆説的論理を使わざるを得ないのです。妹を中心として姉さんを屈伏させて、妹が姉さんになって、姉さんが妹になるのですから、天地開闢時代が来るのです。
すべてが反対になるのです。お父さんが子供になり、子供がお父さんになるのです。孫がおじいさんになり、おじいさんが孫になるのです。回れ右をするので、そうなるのです。先祖が孫の王様のための使用人になるのです。天地開闢という話があるように、理解できない時代がやってくるのです。お父さんが自分の子供に、おじいさんが自分の孫に毎朝、最敬礼をしなければならないのです。それをしないと、神の国へ入れないのです。回れ右をしないと、神の国へ入ることができないのです。おじいさんは孫の立場に、お母さんお父さんは、子供の立場に立つのです。白髪のおじいさんたちは、自分の孫に誰よりも奉仕しなければならないのです。そういう時代が来るのです。
蕩減復帰のイスラエル歴史
神様は既成の家庭を祝福するよりも、汚れのない純潔な男と女を祝福したいのです。そのような、純潔な家庭は完成のほうです。男女関係をして結婚したのは中間のほうです。既成家庭の場合は堕落のほうです。それで、人間の三層を見ることができるのです。堕落した家庭と、イエス様との約束に従って新婦として新郎を待つような男女と、それから純潔な男女です。統一教会では、その三段階の先祖をまとめたのです。アダム家庭は自分なりに結婚した家庭です。
ノア家庭は二番目です。イエス様の家庭を縦的にみた場合、横的なノア家庭は世界的に二番目であり、相対的に対比的に立つのです。ノア家庭は約束を守って地の条件は立たせたのですが、天の目的を果たすことができず、結婚理想世界はなせなかったのです。それで初めて着手したのが、ヤコブ家庭なのです。ヤコブ家庭から正式に蕩減復帰の歴史がつながったのです。
こういう過ったことを正してきたのが、イスラエルの歴史です。十支派の北朝と二支派の南朝です。これがイスラエルの国とユダヤの国です。ユダヤとイスラエルの二つの国に分かれて争ってきたのです。旧約聖書の預言書を中心として、対峙国としてカイン・アベルのように戦っているのです。それを一つにしなければならないのです。
ヤコブの血統を引き継いだ後孫が、なぜ兄弟で分裂したかというと、それは、お母さんたちのゆえです。
お母さんたちが一つにならなかったのですから、子供たちが一つになれないのです。両親が一つにならなかったのですから、我々も心身紛争しているのです。それと同じことです。これを、どんなことがあっても正さなければならないのが、人間の最高の使命なのです。絶対になさなければならないのです。
人生を遊び暮らして霊界に行けば、大変なことになるのです。霊界には、蕩減復帰という言葉がないのです。一方きりで終わるのです。家庭によって蕩減復帰は終着するのです。
ですから、蕩減復帰時代に生きることのできる人生路程が、いかに貴重であることかしれません。どんなに苦労しても、七十年精誠しても、一生です。失敗すれば永遠無限につながるのです。遊び半分ではないのです。先生は遊び半分の男ではないのです。真剣な戦いをやってきたのです。あなたたちも真剣になっていますか? (はい)。
真剣になっていなければ、このような蕩減の道を越えることは絶対にできません。生命をかけないといけません。ですから、死なんとする者は生きるし、サタンの圏内でそのまま生きたいという者は死ぬのです。地獄に行って永遠の生命の価値がなくなり、死亡圏に陥るのです。生きんとする者は死ぬし、死なんとする者は生きるのです。聖書は、こういう逆説的な論法を結論として教えているのです。ですから末の時期には、自分の最も愛する家族が怨讐になるのです。それを包容した場合には、この堕落圏内を逃れる道がないのです。それをけ飛ばして、それを押し込んで、堕落圏を抜け出る決死的な戦いをすることによってのみ救済されるのです。
ですから、あなたたちの最も愛する者が、あなたの生命を永遠に引き取ってしまうのです。「学校に行って勉強をする」と言っても、勉強も何もないのです。金を愛する者は、金が自分の首を引っ張るのです。勉強して知識を愛する者は、知識が自分の首を取るようになるのです。権力をむさぼり、それを願う者は、それが自分の首を取るのです。女性に引かれていく者は、女性にやられるのです。分かりましたか? (はい)。それで、すべてを切ってしまうのです。だから「独身生活をしなさい。出家をしなさい」と、神様は教えてくれているのです。
それで統一教会は、全部が統一できる基準をなし得たので「故郷に帰りなさい」と言うのです。これは、何千万年も人間が願ってきた希望の宣言なのです。福音の宣言なのです。それで故郷に帰るには、結婚して帰りなさいと言うのです。子供と共に帰りなさいと言うのです。統一教会の祝福家庭は、子供を抱えて帰るのです。「ワー、金がないから困ります」と言って、金のために回れ右をした場合には、全部サタンの側にやられてしまうのです。どんな難しいことがあっても、昆虫も生きているし、魚も生きているのですから、万物の霊長たる人間は、自分で開拓して堂々と生きていけるような権威を持たなければ、神様の創造に対しての反目になるのです。
小さな昆虫も雄雌が共に生きているのに、魚も子供を連れても雄雌共に生きているのに、万物の霊長たる人間が、何ですか 山に行けば食べ物もたくさんあるし、海に行けば食べ物がたくさんあるのです。けだものもたくさんいるし、昆虫もたくさんいるし、鳥もたくさんいるし、魚もたくさんいるのに、なぜ人間が生きられないのですか ですから先生は、みんなに魚釣りを教えてきたのです。
釣り針を作ることなど問題ありません。田舎に行けば、女たちはみんな縫い針を持っているのです。おばあさんが縫い針の使いものにならないものを持っていた場合には、「おばあさん一つ下さい」と言えば、みんなくれるのです。それで糸がなければ、ナイロンの足袋を解けば立派な糸になるのです。それで、いくら魚を釣っても切れないのです。ナイロンの糸は二倍以上の魚を引っかけても、一日中でも釣れるのです。ですから糸も針も問題ないのです。使いものにならない針があった場合は、ローソクを借りて、ローソクを灯して針が赤くなったところを、ペンチなんかで曲げれば、針も作れるのです。
それで糸を結ぶ所をつくるには、中間にローソクの火を当てて、赤くなったそこをペンチでもってたたくと、これが広くなるのです。そこでその下に糸を巻けば抜けないのです。また餌は、どこにでもみみずがいるし、肉であれば何でも餌になります。そうして、釣り竿は要りません。この手一本で大丈夫です。このようにして、一日に十人、二十人でも食べさせることができるのです。魚を取って補給することができるのです。
アフリカの低開発国家で、お母さんが五人の子供を連れて餓死していく姿を見た場合、なぜ死ななければならないのでしょうか? もし、お母さんが釣りの方法を知っていれば、五人の子供を食べさせることなど問題ないのです。川には魚が無尽蔵です。今回ブラジル行った時、いやー、魚の多いこと多いこと、先生は目が回ってしまったほどです。それは話にもなりません。いろいろな魚がいて、投げ網をした時には、網を引き上げることができないほどでした。それをみんなアフリカへ回したとすれば、村中の百軒の子供を皆、食べさせても余りあるのです。それなのに、なぜ餓死するのでしょうか? それは、部落の先祖たちが、先輩たちが教えてあげなかったからです。ですから、統一教会のメンバーは釣りとハンティングを覚えておきなさい。(はい)。
今や、鉄砲はどこでも買えます。それを持って、鹿なんかを追っていくのです。鹿は山奥の低地の静まった所で水を飲むのです。どんなに遠くに住んでいても、いくつもの峠を越えて水を飲みに来るのです。ぞろぞろと朝の挨拶に来るのです。それで鹿を一頭取れば、一か月は食べて生きられるのです。
先生は、こういうことをみんなに教えてあげるのです。アフリカの部落に行っても女たちを集めて、釣り針の作り方、釣りの方法を教えてあげるのです。「そんなことは知らないし、できません」と言っていても、魚を捕って子供たちに食べさせるので、みんな有名になります。「あー、統一教会は素晴らしい。西洋の宣教師は、自分たちの家にあったものをみんな取っていったけれど、統一教会の人々は餓死しようとしている者を生かしてくれる」と。それで、「救世主が来られた。メシヤだー」と証しできるのです。
メシヤは、日本では食堂の親父ですね。(笑い)なぜ笑うのですか、そうでしょう? 肉体を救済する食堂の親父なのです。霊肉共の食堂の親父が必要なのです。先生はそういうことやっているのです。霊的な親です。何か食べさせて、弱った者を元気づけるのです。そうすると、日本を越えて勝利を誓うようになるのです。霊的な食べ物を食べて元気づけられると、そうならざるを得ないということは当然のことです。ですから、霊肉共の食堂の親父なのです。そうすることで、実感的になるのです。大変なことになりました。
北朝と南朝を一つにするエリヤの使命
そのようにして、北朝十支派はレアの派閥の系列になるのです。ユダの二支派の国家が、それと戦ったのです。家庭の統一ができないので、国家的紛争圏に拡大したのです。国家を治めるのは父母なのです。国家的な父母が来られて、これらを一つにさせなければならないのです。神様はそれを知っていて、エリヤという預言者を立てて警告してきたのです。「北朝と南朝は兄弟であり、同じ親の子供である。互いに血を見て争うような歴史的な紛争の元になる不安をつくってはならない。共に相談して、一つになることを誓いましょう、やりましょう」と言うと、みんな「それはそうだ」と喜んで答えたのです。
そのように決めて、「我々はほかの神を信じることはない。真の神を信じる先祖を持っていたのだから、真の神が我々の先祖を助け、我々に先祖をつないでくれたのだから、その神につながらなければならない。異邦人の神と関係を持っては駄目だ」と言ったのですが、北朝イスラエルはバアル神とアシュラの偶像を崇拝する邪教国家になってしまったのです。それで、いつも争ったのです。
それで、「試しに、神様に祈ってみましょう。あなたたちの侍っているバアルの神、アシュラという偶像崇拝の神が本当の神かどうか、今から祭壇をつくって祭物に水をかけましょう。その祭壇に天から火を降ろして祭物を焼いてしまう力を持っているほうが、本当の神です」と言うと、北朝も南朝も「それに従いましょう。そうしましょう」となったのです。
そこで、北のほうにはたくさんの人々がいて、偶像崇拝の祭司たちと共に八五〇人集まって、エリヤ一人に対決したのです。それで当然、八五〇人が祈れば、自分の信奉する神のほうが奇跡を起こして、祭壇全体を燃やしてしまうに違いないと思ったのですが、いくら祈ってもそんな現象は何一つ起こりません。そこで、「あなたの神はそれができないのだから、私が一人で祈る番です」と、八五〇人対一人で、神様に祈ると天から火が降りてきて、八五〇人の祭司と共に祭壇の祭物をみんな焼いてしまったのです。
そこで北朝も南朝も共々に、万歳をすれば本当の神様になるべきなのに、「今まで習慣的に侍って、生命をかけて信奉してきた祭司たちを殺した。ワー、この野郎」と。長老をはじめとして、全部が競ってエリヤを捕まえて殺そうとしたのです。それでエリヤは山に逃げていったのです。神様の命令どおりにやったので一つになると思ったのに、一つになれないで、こういう死の境地に追われて、自分の生命を神に献げなければならないという非常な立場で、「神様、こういう結果になったのですから、私の生命を取ってください」と祈ったのです。
そこで、神様の意志は何かというと、「いまだに七〇〇〇名のバアルとかアシュラの偶像の神に服さない者が残っている。どんなことがあっても、再びこれを一つにしなければならない」というのです。蕩減復帰はプラス・マイナスの兄弟圏をなさなければ、神の立つ中心がないから、絶対的要求として命令したのです。エリヤはそんな公式も何も知らないので、ただ祈ったのですが、君たちは公式を知っているのですね。分かりましたか? (はい)。これは先生の作り話だと思いますか? もともと原則としてあったことだと思いますか? (原則としてあったことです)。
それで、これらを一つにすることができれば、イエス様が来られる時が近いというのです。このカイン・アベルを一つにしなければ、再び国家的メシヤとして来られるお父様を殺してしまうことになるのです。大変なことです。エバが堕落してアダムを殺したことを、再び神のほうにもとがえしてあげ、その権限を神共に一体とするためにアダムとして来られた方を殺してしまったらどうなりますか 神様が直接働いて再創造する道を、平面的に復帰していかなければならないと大変なことになるのです。
それで神様は、「メシヤが来られる前に、再びエリヤを送る」と言ったのです。このような内容をイスラエル民族は知らないのです。先生によって、みんな知ることができれば神様がエリヤを送るのも当然であり、イエス様の前に、イスラエル民族がユダヤ教を信じて一体になるのも当然だと思うのですが、当時はエリヤ自体も分からないことだったのです。堕落して何も分からなくなった先祖から生まれた後孫だから、根本と結末がはっきりしないのです。あなたたちも同じです。
先生は、完成した真の父の立場です。堕落圏のアダムの先祖とは違うのだから神様と相談して、「すべては愛の関係を結ぶことである」ということを明白に分かるようにしたのです。それで、出発がはっきりしているし、過程がはっきりしているし、結果もはっきりしているので、終末にはどのようにして神様に帰ることができるかということを教えることができるのです。ですから、そういうことを教えることのできる人こそ、真の親でなければならないということはもっともな話であるというのです。偽りと無知によって堕落したので、これを文明のルーツの立場から復帰するということは、もっともな話なのです。ですから、真の父母はどのくらい必要ですか? (絶対に必要です)。
あなたたちは、「良心は神に優る」と言うのですが、そのようになったら、真の父母は要りますか、要りませんか? 神様の相対圏に入ったならば、必要ないのです。君たちが真の父母になるのです。真の父母が必要なのは、自分も真の父母を相続して、二代目の真の父母となり、三代目の真の父母になるためです。そうなれば、サタンと真の父母は永遠に関係がないので、あなたたちも完全勝利なのです。完全に神様と地上で永生が伴うので、希望の世界は言うに及ばないのです。分かりますか? (はい)。これは重要な話なのです。
「真の父母と成約時代」の宣布
イエス様が来られた時にユダヤ教徒とイスラエル民族は、なぜイエス様を殺すようになったのかというと、それはエリヤが来なかったからです。メシヤが来られる前にエリヤが来て、メシヤの行く道を正すというマラキの預言があったからです。それでイエス様より先に、エリヤを探し出さなければならなかったのです。なぜそういうような内容を神様は預言させたのかというと、人間が神様をだましたからです。ですから蕩減復帰によって、神様は人間をだまさなければならなかったのです。
悪いことをした者は、ただでは祝福されないのです。相続されないのです。試験にパスすることによってのみ相続することができるのです。ただでは相続できないのです。悪いことをした以上の内容の試験にパスした場合に、相続し得る道が開けるのです。無知によって堕落した者は無知の条件でもって蕩減復帰しなければならないのです。こういうことを知らなければ、いくら聖書を読んでも神様を知ることができないので、聖書を信じるとともに否定しなければならない立場に立つのです。肯定圏をいかに探し出すかというと、人間が神様を否定したので蕩減復帰の原則によって、人間は神様に否定されるような立場に立たされることによって、その穴が埋められていくのです。それが蕩減復帰なのです。
先生も、これまで神様にたくさんの試験を受けてきました。啓示では、「ワー、君、文鮮明はこのようになる。大変なことになる。必ず高い所に上げる」と約束されたのに、必ず牢屋に入れられたのです。しかし、それは間違いではないのです。先生は牢屋に入って、それで死んでしまうのではなく、必ず跳躍、飛躍していくので、統一教会も必ず発展するのです。先生はダンベリーから出て七年目に、「真の父母と成約時代」を超国家的にアメリカ国会で宣言したのです。これ以上の勝利はないのです。(拍手)ですから、迫害は悪いことではないのです。迫害の後には、必ず祝福されるのです。
若い時にむさぼり食って遊んだ者は、老人になって乞食の従兄弟のようになるのです。若い時に苦労する者は、老年になって楽するようになるのです。登り坂があった場合には、必ず下り坂があるのです。世の中は、そうなっているのです。平地があまり続く所では病気になるのです。住む所がないからです。山には、休む所があるのです。岩によりかかって寝ることもできるし、洞穴があれば、そこで寝ることもできるのです。平地に行ったら蛇ばかりです。みんな恐ろしいものが、その穴の中に入っているのです。ですから蕩減が必要なのです。蕩減を通過した場合には、峠の上の高原地が現れるのです。永遠の高原地は、理想郷になるかも知れないのです。
ですから、自分が必ず偉くなろうとすれば、それに相応して、偉い人にならないようにと引っかける者を乗り越えることによって、その引っかけた者の世界を指導することができるようになるのです。全世界が文先生に反対しても、それを乗り越えているので、文先生はその世界を神様の立場で指導する道が開かれていくのです。文先生がここまでやって来れたのは、自分一人の力ではないのです。神様と共にやってきたからです。今でもまだ行かなければならない道があるのです。
きょう、そのような先生に対して、自ら模範的な社会、国家をつくりますという計画を持ったアベルの国が、「文先生以外に頼れる方はいません。国を挙げて歓迎いたします」という答えをしてきました。皆さんは、それをやりましょうか、やらないでいましょうか? (やります)。日本人に血と汗と死ぬような苦労をさせても、世界が望むような国をつくりましょうか、日本人は見物人として後ろのほうにおいて、何もさせないようにして、それを黒人にだけさせましょうか? (日本人がやります)。黒人にさせた場合に、その黒人が神様の王子になるのです。王様になるのです。
それで、先生はきょう、会議で「私は韓国人ではない。天国の王子である。全体を平安にするため最も素晴らしい国をつくるのである。私を頼ってはならない」と言ってきました。先生は、これから南アメリカに行って、ブルドーザーの運転手になるのです。開発の先頭をきって、朝の五時から十二時まで働き続けて、若い者がみんな逃げるような仕事もしなければならないのです。大変なことです。八十歳に近いおじいさんが、そんな死ぬような恐ろしいことを平気で言うのは、大変なことです。
そんなことを先生がやれると思いますか? どうですか? 先生が老人みたいに見えますか、青年みたいですか? (青年みたいです)。目と言葉はそうですが、髪や顔はみんな老人に間違いないのです。気を失って倒れても、一人では起きられないことがいくらでもあるのです。しかし、先生が現場で倒れることによって、統一の勇士たちは先生の後について全世界で奮起して、先生が生きてやるより以上のことのなされる道がなきにしもあると思うのです。死ぬ時は、きっぱりとしなければなりません。
それで平和という問題は、どこでも大問題なのです。両方の目が戦いますか? もし戦ったら大変です。口も三ミリ片寄った場合には話しにくいのです。振動数が違えば、大変なのです。相対関係が合うことによって、相応の平和の境が合うことによって、正式な振動によって自由に言葉が語れるのです。耳もそうです。左右が違った場合には、苦しみが生じるのです。宇宙がそうなっているので否定できないのです。
神様の心中の悩みは人間の救援である
メシヤが来られる前にいかに北朝と南朝を一つにするかという、神様の心中の悩みを知る者は世の中に一人もいませんでした。エリヤ自体も、そのことを知らなかったのです。ただ神様は命令する方であると思っていたのです。もし、文先生みたいに明白な解説ができたとすれば、イスラエル民族が一つになれるように教育するのは当然なのです。知らなかったのです。それは堕落の後孫として生まれてきたからです。その元を探って乗り越える者が一人もいないので、歴史は回り回って連綿として今までつながってきたのです。自分を中心として解決できるかというと、それもできない後孫の道が続いてきたのです。ですから、それを知った場合には、もう休めないし、疲れないのです。
さて、金を持って何をするというのですか? 人間を救うのが神様の目的なのです。神様には、金なんか要りません。救援の目的を最も大切にするのです。そうですか、そうではないですか? 知識を持って何をするというのですか? 知識は要らないのです。子供を生んで罪のないいい親になれば、それでいいのです。習う必要はないのです。先生は習って、こういうことが分かったのではないのです。神様と一つになることによって、すべてが分かったのです。祈ると、すべて前後がはっきりとするのです。それを判定して、判決を下すという問題ではないのです。
あなたたちの家では、お父さんを中心として、お母さんが喧嘩をしますか、しませんか? 喧嘩をしない父母を持った人は手を挙げてみなさい。口喧嘩はしたでしょう? 布団の中でも喧嘩するのです。子供には恥ずかしいから、口にも出さないで、顔にも表さないで、喧嘩もしない夫婦がいるでしょうか、いないでしょうか? それはいないのです。
それで問題は、みんな旦那さんと奥さんの愛の問題なのです。親と子の関係も愛の問題です。兄弟関係も、「お母さん、私を愛してください。姉さんだけを愛して、私のことは何でも無視して困ります」と言うのです。困る(小丸)と言うのだから、半分は堕落圏です。百丸になったらいいのです。今から、統一教会は困るという言葉を使ってはなりません。百丸です。(笑い)困るを使うと、日本人は半分にしかならないのです。ですから、エバ国家です。困るというのは、男女の愛の動機によってそうなったのです。それは否定できません。男と女を中心とした愛の問題を完璧に解決していけば、紛争も差別もないのです。ぶつぶつ不平を言うこともないのです。本当か嘘か、やってみなさい。文先生の話を信じることができるかできないか、やってみなさい。
それで平和の境に立つか、統一の一体圏の家族になるか、それを試してみれば文先生はそれほど悪くないというのです。「絶対に信じたい。追っかけて行こう。つかんで行こう」とするその時に、もし先生が霊界に行っていたとしたらどうしますか? 地上には、長くはいられないのです。今、先生は準備をしているのです。いつまで生きられるか予想して生きているのです。日本人は、「早く文先生が亡くなればいいな」と思うのでしょう、そうでしょう? (いいえ)。「先生が亡くなればいいな」と思っていた者が、この場に来て、二日間先生の話を聞いてみて、今でも亡くなればいいと思いますか、亡くなったら困ると思いますか、どっちですか? (困ります)。それは、小丸か百丸か、大変な革命が起こりました。
こういう素晴らしい内容を人類五十億の前に、先生が四十日間ラジオとテレビで放送した場合には、世界の三分の二以上の人々が回るのは間違いないことです。そう思いますか? (はい)。大変なことです。それを四十年間も邪魔してきたのです 四十代に天下の王者として立つべき者が、それに向けて八十代で準備をしなければならない悲惨な立場に立っているのです。そのようになってしまった相対のエバとは一体何かというと、世界と国を売った者たちです。
韓国をはじめとして、世界中のすべての国々も反対してきましたが、反対した者はみんな統一教会によって、サタン以外は統一されるのです。不思議なことです。統一教会を撲滅させるために戦った者たち、右翼・左翼が一つになって、「ワー、統一教会除去運動」と、やっているのです。よくもサタンはすべてを知っているのです。アメリカと日本とフランスとドイツで共に、文先生打倒運動をしているのです。それで、どうなるかというと、負けそうな現状が目前になってくるとイギリスなどは利口なもので、十三年間の法廷闘争をみんな下ろして、統一教会に裁判費用の弁償をして後退していったのです。
日本はどうですか? 利口ではないですね。霊界では教えているのに、日本語の基準が低いので、天宙的な高い理想郷のことを分からないのです。
先生の大叔父さんは、愛国者として死んだのですが、どこで死んだのか誰も知らなかったのです。しかし、夢で孫に現れて「私はこういう住所の地に埋められている」と、その住所を霊界から教えてくれたのです。それで、その言葉を記録して手紙を出したところ、返事もきたのです。それで、そこに行って、おじいさんのお骨を取り出して、今はソウルの北のほうに埋められているのです。
地上において功労のある者は、地上に関係を持って、横的に自分の後孫につなぐ道があるのです。しかし、それをなすのは愛なのです。国を愛する愛の因縁で、自分の血を流し、生命を献げるような極致において感謝された者は、地上でも解かれる道ができるのです。地上で完成したアダム家庭は、いつでも地上に降りてきて後孫を指導することができるという話です。
そのような愛国者の後孫が文先生なのです。これは、世界が反対するとしても変わりません。四年前に国家から愛国者の家族の勲章をもらったのです。それで先生の家の教えは、「万民に御飯を食べさせてあげなさい」ということです。「通りすがりの乞食とか、貧しい人々が、自分の家の門前で一泊の宿を願ったり、食べ物を願ったならば、絶対にそのまま帰してはいけない。食べさせて、泊めてあげなさい」というのです。ですから、先生の家には別棟があって、そこにはいつも十人、二十人のお客さんが泊まっていたのです。
そういうことを教えられて育った先生ですから、今では世界の人々を食べさせているのです。そして、その人々が帰る時には、「この一家が栄えますように」と、みんな涙して帰るのです。あまりにも自分の生涯で忘れられない待遇をされたので、自分の住所をちゃんと記入して、「私は今、乞食のような生活をしているが、いつか時が来た場合には、あなたに驚くほどの幸運を与えることでしょう」という手紙を残していった人もいるのです。
残された天使長の立場の使命
奉仕して犠牲になれば先祖の中心に立つという鉄則は、一家の教訓のとおり、一族においても変わらないのです。先生は学生時代から今までそうやってきたのです。「統一教会は、みんな幼虫がさなぎになって、それでおしまいだ。蝶になれない失敗の男だ」と言われてきたのですが、そのような人の言うことを聞いて、人の後をついて行くような先生ではありません。「私の手で天下を統一する。神様を解放する。南北統一は私の手によって、世界統一は私の話によって成す」と言った時、そのことを誰が信じましたか?
今から五十年前は牢屋に追い込まれて、今にも死にそうな姿で出てきたのに、その後も堂々と語り続けている先生なのです。それで、「いつまでも気違いが直っていない。万年気違いだ。希望なき者だ」と思われてきたのですが、今では統一教会の教祖として、日本の素晴らしい人たちを前にして堂々と語り続けていく人になろうとは、誰も夢にも思わないことです。
君たちは先生の弟子ですか? (はい)。本当ですか? (はい)。これが二日前だったら大変です。気持ち悪くて、憎悪一発で切り込んでくるような立場だったのですが、今は、そういう憎しみが一身にあふれてこないことを感じた場合には、既に変わった皆さんを発見せざるを得ません。そうですか? そうだと言う者は手を挙げてください。(はい)。ありがとう。
その手をみんな記念として、残しておきたいものです。こんなことは日本の歴史にないことです。二日間で顔も知らない者たちが、反発心、憎悪を超えて、みんな一つになって、統一と平和のために手を広げて「万歳、統一」と。一つになったその手は素晴らしいのです。その手を博物館に永遠の記念に残しておいても恥ずかしくないというのです。そのために喜んで血を流して死んでいった場合には、それを見て、「そんな人間がいたのか」と、大変革の大革命を来たらすこともできるのです。今は普通の人間が必要なのですか、特別な人間が必要なのですか? (特別な人間です)。
かつてエリヤは、メシヤの来られる前に統一の道を約束して火の車に乗って昇天したので、再び火の車に乗って降臨してくるものと思ってイスラエル民族のユダヤ教徒は待っていたのですが、いまだに現れません。永遠に現れません。彼らは、完成は地上でなされることを知らなかったのです。
文先生は、それを知ったのです。旧約時代に失敗したことを蕩減するのがイエス様と洗礼ヨハネだったのです。天使長が堕落したために、復帰された天使長がアダムの前に立つのです。イエス様はアダムであり、復帰された天使長の立場が洗礼ヨハネなのです。洗礼ヨハネは罪を隠すような悪魔の天使長ではなく、罪の背後をすべて明らかにして、それを国家と国民に教えてあげて、アダム圏のイエス様につなぐようにする天使長の使命を持って現れるべきなのです。天使が堕落したために蕩減復帰の立場で、そういう条件を立てざるを得ないのです。
ですから、イエス様は完成していないのです。堕落したアダムと同じなのです。国家的基準の勝利基台は持っているのですが、世界基準になっていないのです。それは、ちょうど完成した真の父母の前における未完成なる天使長の立場です。これは、旧約時代にエリヤとイエス様が失敗したことを蕩減復帰するために、洗礼ヨハネの代わりにイエス様が再臨の主の来られる前に、天使長として雲に乗って来るという話です。
ですから、イエス様は雲に乗って絶対に来ますか、来ませんか? (来ません)。クリスチャンは、絶対に来ると言うのです。ここに集まった者たちはどうですか? (絶対に来ません)。先生が「絶対に来る」と言ったら、どうしますか? (絶対に来ません)。何億万年たっても来ないのです。先生が利口ですか、 クリスチャンのほうが利口ですか? (先生です)。不利口な者はサタンに属し、利口な者は神様に属するのです。なぜかというと、全知全能で何一つ知らないことのないのが神様ですから、はっきりと知っているに違いない神様は滅びることはないという結論になります。ぼやけていたら駄目です。十二時近くなるので眠っているのではないのですか? (目を開けています)。
おじいさんたちは目の前を迷いの夢が行ったり来たりしているのです。おじいさんたちは先生を芳しく思わないのだけど、若い青年として先生をはっきり歓迎し、喜ぶという話です。そうですか? (はい)。「そう」は何ですか? (牛です)。牛ですね。正義に正しく奉仕して、犠牲になることです。ですから牛を尊奉しなければならないということは、正しいことです。牛より以上に犠牲になりますか、牛より以下の犠牲になりますか? どうですか? (牛より以上です)。牛に優るのです。それには奉仕し、犠牲になることで、牛の王様になるのです。祭物の王様になるのです。そのように、神様を直接に迎え入れる祭壇にならなければならないという話です。分かりましたか? (はい)。
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1. 文鮮明先生御言選集
文鮮明先生御言選集 19950119 - 蕩減復帰の峠を越えましょう 5
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