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第三十三回「真の神の日」敬礼式後の御言
2000年1月1日 午前時より
ニューヨーカーホテルのグランドボールルーム
敬礼式の後、真のご父母様が韓国語で御言を語られました。
天上世界と地上世界が統一された位置で「家庭盟誓」を唱和する
統一教会の祝福家庭には、「家庭盟誓」があります。皆さんがこれを唱和する時、ただ何気なく、毎日習慣的に唱和するのではなく、天上世界と地上世界が統一された位置で唱和しなければなりません。
一番目は何ですか?。私たちの家庭は?。一緒に大きな声で言ってみてください。私たちの家庭は (「私たちの家庭は」)。真の愛を中心として (「真の愛を中心として」)。本郷の地を求め (「本郷の地を求め」)。本然の (「本然の」)。創造理想である (「創造理想である」)。地上天国と天上天国を創建することをお誓い致します (「地上天国と天上天国を創建することをお誓い致します」)。私たちの家庭において、この責任が重要だというのです。
神様の創造理想は、天上と地上を統一しなければなりません。統一して創建し、一つにしなければならない責任が私たちにあるのです。そのような誓いをしているのです。それを、自分の八十年の生涯で、すべてなせると思いますか?。できません。人類の先祖であるアダム・エバが堕落していなかったならば、その時に、このことがすべて成し遂げられていたのです。
その時、神様の息子・娘の立場に立っていれば、創造理想を再創造する必要はありませんでした。そのまま地上天上天国を完成し得るすべてのことを失ってしまったので、人類の先祖と共に、このことをなさなければならないのです。自分たちだけではできないのです。真のご父母様と天の父母が一つとなり、すべての蕩減過程を乗り越えることのできる位置に入り、祝福を受け、「家庭盟誓」をもったということは驚くべき事実です。そのことを知らなければなりません。
何ですか? 「家庭盟誓」です。盟誓というものは、それに一点一画でも背くことはできません。あなたたちが背けば、すぐに引っかかります。霊界に入っていく時、問題となります。拡大鏡があり、自分たちがどのように暮らしてきたのか、それが足の先から頭のてっぺんまですべて、白昼のもとで透き通って見えるようになるのです。
そのような基準に立つべき自分自身が、そうなれなかった場合、引っかかったその暗闇自体が影となるのです。そのような影が残れば、神様から遠く離れた影の残る位置に立たなければなりません。ですから、夫と妻は、一心一体にならなければなりません。
創造の原則は正分合作用
皆さん、創造の原則は何ですか?。正分合作用です。共産党は、正反合作用です。反対です。神様の真の愛が実体から分かれ、アダム・エバが生まれたのです。アダム・エバが生まれた目的は何かというと、大きい愛を受けるためです。衝撃的で、刺激的な愛を受けるために分かれたのです。
皆さん自身を見ても、個々人、愛をもっています。愛の性稟をもっています。愛をもっているというのです。生命をもち、血統をもち、良心をもっています。しかし、皆さん自身がもっているこれらのものは見えません。見えないのです。どのようにしても見えず、感じることができません。愛を一人で感じることができますか?。生命というものは、「男性の生命体だ」「女性の生命体だ」「私の生命体だ」と、生命が一人で、主体的な何かをもって現れることはできません。必ず、相対が現れなければならないのです。
それゆえ、一人でいれば、心と体が一つになっているので、感じることができません。心と体が一つになっていれば、感じることができないのです。皆さん、瞬きをし、呼吸をし、脈を打つこと、それを一日何度くらい数えたり、感じたりしますか?。できません。一つになっているので、感じることはできません。
「一つになっていて感じられない」という立場は、神様も同じです。神様は、愛の主体、生命の主体、血統の主体、良心の主体として、一人でいるのです。一人の位置で心と体がバランスをとっているので、感じることができないのです。ぴたっと中心になっているのです。
神様ご自身が、愛がどのようなものであり、生命がどのようなものであり、血統がどのようなものであるのか、そのすべてを感じることのできるものが何かというと、愛でもなく、生命でもなく、血統だというのです。皆さん、血統は生きているのです。血統は永遠に死にません。アダム・エバから今まで、数千代、数万代にわたり、私たち自身はその血統に連結されているので、その血統は生きているというのです。千年、万年、億万年、生き残る血統なのです。
ですから、血統が存在することによって、本然の愛と関係を結ぶことができ、本然の父母の生命体と因縁をもつことができ、そして、自分を中心として永遠なる後代の子孫と因縁を結ぶことができるのです。
自分がもっているこの血統は、一代でなくなるのではありません。根から、ずっと永遠に続くのです。血統は永遠に続きますが、皆さんの愛は一代、一代、違うのです。父母の愛、祖父母の愛、数千代前の先祖の愛、今日、地上にいる横的な数多くの家庭の夫婦の愛、後代の子孫、万代、億千万代の後孫の愛……。愛というものは、一段階、一世、一世に分かれているのです。これを一つに結ぶことができるものが何かといえば、動脈・静脈と同様の立場にある血統だというのです。分かりますか?
堕落の問題とは、愛を失ってしまったこと、父母の生命体すべてで失敗したことです。それも恨めしいことですが、それが問題ではないというのです。以前に過ちを犯し、過ったことを後で修正するということが蕩減復帰ですが、そのようなもの(愛を失った恨み、生命体で失敗した恨み)は問題視しないというのです。その一番の問題が何かというと、血統だというのです。分かりますか?
血統は垂直に降りてくるものです。神様は縦的な父母であり、地上の人類始祖は横的な父母です。九〇度です。九〇度になる焦点があり、これが一つにならなければなりません。一つになろうとすれば、すべてのものは正分合作用によって三段階で発展します。私個人は、神様から分かれて出てきました。神様を中心として見れば分かれているのです。男性の中にも女性性稟が、女性の中にも男性性稟があります。正から分かれて一つになるのです。
心と体が一つにならなければなりません。一つになるのは、何によって一つになるのかというと、それは真の愛です。愛だけが、心と体を統一させることができるのです。それ以外のものではできません。
体を、世の中のすべてのダイヤモンドで美しく装ったとしても、心の中を統一することはできません。心の世界の華麗な神様の栄光と全権を相続したとしても、それが絶対的に心と体を一つにすることはできません。心と体を一つにするのは、真の愛です。神様の愛なのです。分かりますか?
一人でいれば感じることができないのですが、対象の立場に立つことによって、神様の性稟を感じることができるのです。神様の性稟です。男性なら男性、女性なら女性、個々人の人格を中心としたその性稟と神様が水平になり、バランスがとれているので感じることができませんが、相対圏が出てくることによって強く感じるのです。このような心と体の一体圏が、正分合の一番目です。
それゆえ、心と体が絶対的に一つになっていない人は、天国に行くことができません。真の愛は、水平においての中心の位置、全体存在世界の中心の位置を突き破ることができるのです。縦的です。軸だというのです。軸をつくるものは真の愛しかありません。
ですから、ここにおいて私個人を中心として、一心、一つの心にならなければなりません。一つの心です。何を中心としてですか?。愛を中心としてです。縦横の私自体も、愛を中心として九〇度にならなければなりません。
こうして心と体が一つになり、日常生活から永遠な生活にまでも合わせることができるようにならなければなりません。モデル型としてです。九〇度に合わせなければなりません。それが何によって一つになるのかというと、真の愛だというのです。
ですから、一つの性相と形状的個体が全体に展開して分かれ、神様を中心とした二番目の結実が女性です。そして、三番目の結実が夫婦です。四位基台形態をなして完成した男性、完成した女性です。正分合によって一体となることのできる、そのような男性と女性が一つになるのです。
個体完成した人が夫婦として一つになるのです。これが、天地合徳(天と地が一つになるという意味)です。天の国と地上の国の合徳、東洋と西洋の合徳、前半球と後半球の合徳です。そのような球形体を成し遂げるためです。
これは水平になるので、天的な真の愛が天から降りてくるのです。垂直です。分かりますか?。これは個人的な垂直完成です。夫婦の垂直完成は、男性と女性の家庭を中心として頂上から降りてきて一つになった位置で、四位基台形態を中心として子女を生むのです。これが種になるのです。モデルです。このモデル形態を中心として結実するために、ここから子女が出てくるのです。
子女というものは何ですか?。神様は、この地上に存続するすべてのものを歴史的に感じることができませんでした。それは、一つになっているので感じることができませんでした。しかし、このようなアダムをつくることによって、見えない無形の神様が実体の神様として現れる時までの、神様が育ってきたその事実を、実体として感じることができるのです。それがアダム・エバだというのです。
無形の神様は、霊界に行っても見えません。無形の存在が相対的実体圏として現れたならば、そこには喜びがあるのです。神様にも、幼い少女時代があったのです。皆さんも自分の少年時代の写真を見ると、喜びがあるでしょう。衝撃を受けるのです。「あ、これはかわいい」と、キスまでしたくなります。
神様が過去に、見ることができず、感じることができなかったことを、このように感じることができるのです。愛が停止して感じることができなかったのに、(アダム・エバが)神様自体の実体対象となって現れることにより、「わ」と、揺れ動くのです。それがアダム・エバをつくった目的です。
男性と女性を一つにするのは真の愛
それと同じように、結実した男性と女性は、神様の分かれた性稟が一つになり、相対的立場で、水平でぶつかることによって一つになるのです。こうして一つになる力は、男性がいた位置、女性がいた位置を越え、一つになり入っていくのです。
一つにならなければならないのですが、男性と女性が全く同じであるならば、これは対立するのです。力も同じならば、ぴたっと対立してしまうのです。それゆえ、男性が主体なので中心に立ち、弱い女性がその周囲を回るのです。そのようにして一つになり、水平の世界をなしていくのです。そのことを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。
では、本性的にみるとき、男性と女性を一つにするものが何かといえば、それは真の愛です 神様の愛です。横的に伸びていく愛であると同時に、垂直に降りてくる神様の愛を中心として一つになるのです。神様が祝福するようになれば、真の愛の主人は神様なので、だれが相対的に喜びを感じるでしょうか?。横的な夫婦が感じるのです。天地合徳です。
男性と女性というものは、この世界で言えば、プラスの世界とマイナスの世界と同じです。また、無形世界と実体世界です。これを一つにするのは真の愛しかありません。そこでは、政治的力、知識の力、経済力というものは、全く無力です。一つにすることはできません。お金で一つになろうとする世界は滅びます。力で一つになろうとする世界は滅びます。また、知識で一つになろうとする世界は滅びるのです。
本当に愛する相対は、億千万のお金をもらっても取り替えることはできません。そうですか、そうではないですか?。真の愛がそうだというのです。それから、力で強制してもできません。強制では、千年、万年、回ることはできません。強制ですれば、点を中心として永遠に回転することはできないのです。強制ですれば、回りながら、どこかにいって壊れてしまいます。この宇宙から追放されるのです。
知識をもった人は、すべてを競争と考え比較します。知識には比較能力があるのです。知識には内外の内訳をすべて比較して、重い、軽い、ということを測定する能力があるので、知識では絶対に定着することができません。比較して少しでも高ければ、自分が上に行こうと考えるのです。
世界的な学者たちでも、今新しく発見された一つの単語を先に知っている人が、世界で最高なのです。「自分が一番だ」と考えるのです。知識は、頂上を占めるための道具となっているのです。それでは統一できません。
また、一つにし得るものは、政治の力でもありません。分かりますか?。今まで神様は、政治を通して世界を一つにしようとはしませんでした。この世の中の政治が、すべてを滅ぼしてきたのです。また、今まで神様は、お金で世界を一つにしようとはしませんでした。お金で愛を買うことはできません。お金で、知識で、愛を買うことはできないのです。
このような原則的基準から見るとき、真の愛よりもお金、真の愛よりも力、真の愛よりも知識を重要視し、求めていく人は、脱落の祭壇に上がり、地獄行きだというのです。
これを踏み越えて、この政治の力を踏み越えて、情(愛)の政治をしなければなりません。政治とは、自分の利益のためにするものではありません。全体のためのものであり、神様の力の作用の比準に合わせた全体のための力なのです。
知識を得れば、神様のように自分が兄となり、知らない人を指導しなければならないのですが、今日の堕落した世界では、一つでもより多く知っているということで支配しようとするのです。それは、すべて邪悪な悪魔であり、天地大道の理想圏を破壊する邪悪な者たちです。この邪悪な者たちを撃破しなければなりません。命とお金を取り替えることはできません。愛を、お金、力、知識と取り替えることはできません。
今、女性解放時代が来て、今から大学出身の女性が多くなるのです。女性を貴く思う時代が来れば、世の中がよこしまな世の中になります。今までは、男性第一主義で来ましたが、女性を重要視するので、学校でも女性が多くなります。女性の値打ちが上がるのです。女性を重要視する時になれば、修士や博士の女性が多くなるのです。
女性は神様の前を歩くことはできません。罪を犯したからです。終わりの日に(この世を)滅ぼすフリーセックス、ホモ、レズビアンは、だれがするのかというと、男性よりも女性なのです。愛の志操を守れないのは、男性よりも女性なのです。
女性に対して、十回押して倒れない者はいないと言うでしょう。韓国の格言です。十回押して倒れない木はないとは、堕落したエバの後裔なので倒れるようになっているということです。それは力で征服することができます。力を誇って征服することができ、それからお金で征服することができ、知識で征服することができるのです。
真の愛で征服しなければなりません。お金を越えて絶対従順な女性、力を自由自在に乗り越えることのできる女性、知識を自由自在に乗り越えることのできる真の愛をもった女性は、何人いますか?。堕落した世界には一人もいません。種がありません。
女性を中心として見る時、妹になり得る種を失ってしまい、姉になり得る種も失ってしまい、妻になり得る種も失ってしまい、母となり得る種も失ってしまい、おばあさんになり得る種、女王になり得る種も失ってしまいました。だれがその種を失うようにしたのですか?。女性です。(「アーメン」)。男性と女性です。それも「アーメン」と言わなければなりません。女性のゆえに、すべて「アーメン」なのです。このような女性は滅びる運命です。
朴普煕 (「はい」)。私たちは舞踊団をつくっていますが、女性はみな化粧をしているでしょう。(「はい」)。化粧はだれがしてあげるのですか? (「各自がします」)。しかし、「手伝ってあげなさい」と言えば、女性は男性に化粧をしてあげたくなり、男性は女性に化粧をしてあげたがるのです。そのようにすれば問題が起きます。きれいに唇を塗れば、男性も女性も「唇を合わせたい」と思うでしょうか、思わないでしょうか? 「このように美しく、花の香りがするものと一度キスしてみたい」と、問題が起きるのです。
ですから、統一教会の舞踊団では、女性には女性が化粧してあげなさい。男性には男性がするのです。絶対に、交代して化粧してはならないのです。踊りを踊る時は、仕方なく体が触れ合いますが、普段は手をつなぐことはできません。「自分の相対とのみ手をつなぐ」と考え、心がわくわくし、胸がどきどきしてはいけません。
初愛の電線が切れていれば、いくらキスしても通じません。しかし、連結されていれば、少しでも触れればスパークするのです。雷が落ちます。
以前、私が自然の結婚式の話をしたでしょう。天地に雲が生じるのは、人間世界のすべての存在が結婚式をするその代表です。愛する時、声を出すでしょう。猫は「ニャオン」、ネズミは天井で「チュー、チュー」と大騒ぎします。愛すれば声を出すのです。
それから、二人は喜び、目を閉じ、愛の光が天地を振動させるのです。そして、「私はなくなります。その力が世界に伸びていき、全世界に、神様の真の愛の圏の中心に花を咲かせ、刺繍するようにしてください」と、祈祷するのです。このように願うのです。それが愛の位置なのです。
では、男性と女性は愛する時、声を出しますか、出しませんか?。鳩も「クククク」と言います。一度言ってみてください? (「クククク」)。九×九は八十一です。これはサタン数です。
「再出発の王だ」、これが八十一です。分かりますか? 「クク、クク」。それはサタンです。これは八十一です。掛ければ拡張する以上なので、解放圏が展開するのです。
それゆえ、一九九九年に「九・九節」があったのです。「三・十節」とは何かというと、旧約時代完成、新約時代完成、それから成約時代完成です。今まで縦的な三段階の祭物を捧げてきた歴史を、「九・九節」と「三・十節」で横的に捧げたので、サタン世界は終わるというのです。
一数、二数、三数、一数は神様の数ですが、二数圏をサタンが占領してしまいました。一数、二数、三数、四数……、すべて神様の数になったのです。数理的原理原則を通して創造された被造世界の主人が、神様です。数理的原則を知り得ない者は、この世界の主人になることはできません。サタンには、この自然が唾を吐いてしまいます。このように解放時代をつくったのです。
神様の命令なしに行ったことは一つもない
男性も、女性も、なぜ結婚するのですか?。男性も半分であり、女性も半分です。これが一つにならなければなりません。一人で暮らす女は滅びるのです。
愛の主人はだれですか?。愛の器官の主人は自分ではありません。女性には、自分のものが一つもありません。胸とお尻が大きいのは、だれのためですか?。赤ん坊のためです。
統一教会の女性たちには、悪口を言われ、地獄に引かれていく者がたくさんいます。自分勝手にする者。今から、先生と離別です。生き別れるのです。別れる時が来たというのです。今回の八十歳の誕生日を過ぎれば、全員故郷を離れなければなりません。先生が助けてあげていることを、すべて切ってしまわなければなりません。あなたたちの思い通りに生きてみなさい
先生は、世の中の人々にすべての面で勝ちました。個人的に勝ち、家庭、氏族、民族、国家、世界的に勝ちました。仕事をするうえでも、農村に行けば農村のチャンピオンであり、海に行けば漁夫のチャンピオンであり、学界に行っては学界のチャンピオンであり、宗教界に行っては宗教界のチャンピオンであり、政治、経済、すべてにおいてチャンピオンです。
そのような父の言うことを聞かない者たちは、そのままにしておくことはできません。さっさと整理するのです。天地すべてが呪うのです。呪われないために、八十歳以降、全員出発しなければなりません。
私は以前に勧告しました。あなたたち統一教会の人々はお父様の後を歩んできたので、労働者の時は労働者の生活をしなければならず、漁夫の時は漁夫とならなければならず、監獄に行ったならば、監獄に行く悲しみも感じることができなければなりません。子女は父母の血統を受け継ぐのです。その父母の血統の中には、歴史過程の血統がすべて含まれているのです。曲がりくねった道を三代をかけて一つにしてこそ、垂直になるということを知らなければなりません。三代が一つにならなければなりません。
ですから、神様の愛とは何かというと、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛という三大愛が一致し、一つの核を中心として結束するものが神様の愛だというのです。
この中で日本人は手を挙げなさい。西洋の人、手を挙げなさい。何のことか、分かりますか?。すべて焦点を合わせなければなりません。言葉が分からないのに、どのようにして焦点を合わせるのですか?。言葉は一つにならなければなりません。
神様が使う愛の標準語は、どの言葉ですか?。考えてみましたか?。それは真のご父母様が使う言葉です。違いますか、違いませんか? (「正しいです」)。尋ねた先生が間違えば、激しく攻撃しなさいというのです。先生が間違ったことが何かありますか?。神様の命令なしに行ったことは一つもありません。
病人が死んでいくので、ハンセン病にかかった人を治療しようとして、自分がハンセン病にかかり、その自分を通して治療方法を探し出す、ということもしたのです。何のことか分かりますか?
「ハンセン病を治すために千万種類の調査と千種類の鑑定を行い、そのもとでハンセン病の根源を知り、このように治した」。こうしたためにハンセン病にかかり、ハンセン病患者になったからといって、「こいつ。おまえは地獄に行け」と言うでしょうか? 「おまえは地獄にいる人ではない。天国に行かなければならない。その汚れを私が洗ってあげ、絹のおくるみで包み、天の国の宝として立てるであろう」と言うというのです。
「家庭盟誓」です。「家庭盟誓」で始まったでしょう。(「はい」)。再創造歴史は、ただそのまま再創造されるのではありません。復帰は、ただそのまま復帰するのではありません。蕩減復帰です。直系の子女も蕩減復帰です。あなたたちも、ただで得てはいけません。統一教会の血肉を中心として、先生の血肉を削って得たすべてのもの、宝、ダイヤモンド、天下を与えても用いることができないものを用いるためには、相対的苦労の価値を備えなければなりません。分かりましたか?。この者たち
荷物をまとめて一度思い通りに生きてみなさい。今はそのような時です。
今では、先生の御旨はすべて成し遂げられました。先生は優れた男性です。愚かな男性ですか、優れた男性ですか? (「優れた男性です」)。女性という女性は、西洋の女性でも東洋の女性でも、先生と結婚したくないという人に、一人も会ったことがありません。八十歳の老人でも、今「結婚する」と言えば、「先生が八十歳でも私はお嫁に行く」という女性がたくさんいるのです。(笑)
負債を負うにもほどがある
「家庭盟誓」の第一は何ですか?。本郷の地を求め……。本郷の地を失ってしまいました。故郷を失い、本郷の祖国がありません。国のない者たちです。米国に来ても、市民権がなければ、犬の糞のような扱いを受けます。故郷がなく、祖国を失ってしまったかわいそうな群れは、すべて地獄の居間に引かれていくのです。そのことを知らずに暮らしています。
皆さんの故郷はどこですか?。霊界だということができますか?。地球です。地上で生まれたのです。そのような観念から、米国やどこどこの国、このぼろぼろの服のような国は、すべて滅びるのです。すべて滅びるというのです。世界の主人がいません。
自分の息子・娘を主管することのできる父母がいないのであり、妻を主管する夫がいないのであり、夫を愛で抱くことのできる女性がいないのであり、息子・娘も自分の息子・娘ではありません。どこからかもらってきた息子・娘です。神様はそのような息子・娘を、自分の息子・娘よりももっと愛したというのです。サタンがそこに屈服するのです。
統一教会の行く道は、カインを自分の息子・娘よりももっと誇り、自分の妻よりも世の中にいる女性をもっと尊重視するのです。それが神様の教えです。家庭を復帰し、再び入っていくためです。蕩減するためなのです。罪を犯したために、蕩減しなければ進むことができないのです。蕩減法を適用して上がっていくのが、統一教会の文先生が行った道だというのです。その公式的な原理が、個人的公式、家庭的公式、氏族、民族、すべてが一つの線に連結されているのです。真の愛の道だけが、一つの道となるのです。
お金の線はこちらに行き、知識の線はあちらに行き、権力の線はこちらに行き、自分勝手にあちらこちらに向かっていますが、真の愛の道は直行です。永遠に直行です。太陽の光が間違いなく二十四時間後には再び帰ってくるのと同じように、日が沈む姿も同じです。千年、万年、ずれることがありません。そのような直行的な行路、原則的な行路がないので、人間は千態万象なのです。
これを一つにするために苦労してきた先生です。真のご父母様です。
真のご父母様を引きずり、荒れる大海を越えていかなければならず、次に泰山を越えていかなければならず、無限なる世界の曲折、迫害のわなの峠を埋めて、また埋めながら、これを平地にしてきたという事実を、天地のだれも知りません。先生が何をしているのか、あなたたちも分からないのです。この者たち、負債を負うにもほどがあります
そのことをよく理解し、全員で一章を一度読んでみなさい。(「私たちの家庭は真の愛を中心として」)。真の愛を中心として (「本郷の地を求め」)。本郷の地を求め、本郷の地を失ってしまいました。求めて何ですか? (「本然の創造理想である」)。本然の創造理想を破壊したのです。本然の原則的基準を破壊したというのです。(「地上天国と天上天国を創建することを」)。地上天国と天上天国をつくることを失ってしまったので、私たちがそこに入っていき、完成ではありません。完成する材料がありません。創建するのです(「アーメン」)。
二番目は何ですか?。真の愛を中心として、神様と真のご父母様に侍り……。侍るということにおいて、自分勝手にするのではありません。この者たち。今まで自分勝手に生きてきました。体をばらばらにしてはげ鷲の餌にしなさいと命令があれば、私はそのようにします。怨讐の中の最高の怨讐の息子を、最高に愛する位置に立てることはできない、というのが(本来の)天理です。それは理論的に間違いありません。しかし、今はそのような道を行かなくてよいのです。
今日の祝福は、霊界の怨讐を中心として行っているのです。聖人と殺人魔は怨讐です。聖人の息子と、スターリン、ヒットラーの息子・娘とを結婚させました。国境が怨讐なので、国境を中心として交差結婚すれば、平和な世界が来るのです。
そのような父の御旨をなしてきたのですが、自分勝手に、自分の思い通りに消化し、踏みにじっているのです。私は、みっともない者は見たくはありません。こん棒で足を切って、はげ鷲の餌にする。そのような先生の性格を知らず、自分勝手に動いている者たち。私の目で見たくありません。思い通りにしてみなさい。
あなたたちも同じです。先生の子女が過ったことを天法によって治め、それを第一号として、その通りに行うので、第二号、第三号は問題ありません。
それゆえ、八十歳になる今年を中心として、先生と皆さんは分かれます。今年を中心として清算する期間です。これが九七年からの三年です。九七、九八、九九、二〇〇〇年です。十です。ここから、四、五、六、七です。二〇〇三年までに、私たちはすべてのことを終えなければなりません。分かりますか?。青少年純潔運動で結ばれた者たちも、三年後までには、すべて祝福してあげなければなりません。
今、そのようなことをしているのです。エデンの園に帰ってきたので、マッチング運動です。世界のいかなる息子・娘もマッチングされ、三分の一も「嫌だ」とは言いません。これを三年後までにすべて終えれば、先生一代で、すべてのことを清算できるのです。先生がどのくらい生きるのか、皆さん、考えてみなさい。この地上に長く生きていたくありません。
第二は何ですか?。真のご父母様に侍り (「天宙の代表的家庭となり」)。代表的です。頂上です。こうして見ても頂上であり、こうして三六〇度回りながら見ても、一つの頂上なのです。一つしかないのです。そのような位置で代表的家庭となり、それがそのままそのように上がっていくのではありません。中心があるのです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を代表して、逆さまに立つのです。逆さまに立てるものが代表なのです。代表的家庭であり、それから何ですか? (「中心的家庭となって」)。中心的家庭です。
ここに行き勝利し、神様の前に、頂上に上がっていき相続を受け、「おまえは私の息子・娘だ。万歳。堕落したすべてのものを清算し、解放圏に立ったのだ」と、こうならなければなりません。
そのようになれば、その次にはそのまま降りてくるのです。世界の代表であり、国家の代表、氏族の代表であり、民族の代表、家庭の代表であり、個人、夫婦の代表の位置に来るようになるのです。代表的家庭が中心的家庭となり、それから家庭では? (「孝子」)。どのような家庭ですか?。神様に侍る家庭です。
神様の前に孝子がいません。孝子となり、それから何ですか?。神様の国がありません。今に国を復帰する時が来るのです。国の前に忠臣となり、天の前に世界がありません。家庭と国を連結し、世界には祝福家庭が広がっています。天地に満ちあふれているのです。
今では家庭を引っ繰り返して打ち込んだので、家庭さえ復帰しておけば、国は考えなくてもよいのです。国は、どこに行っても立てることができます。何のことか、分かりますか? (「はい」)。
「文総裁はお金がたくさんある」といううわさがたちました。済州島の何倍にもなる島国を一つ買い、「統一教会の全信徒、大移動」とすれば、国は一瞬のうちにつくることができるのです。つくることができるでしょうか、できないでしょうか? (「できます」)。「大移動の準備をしなさい」と言いましたか、言っていませんか? (「言いました」)。
全員、ジャルジン四十日修練です。ジャルジン四十日修を行う修練所の名前は何ですか?。世界平和統一家庭連合、何ですか? (「教育本部です」)。どのような教育ですか?。祝福家庭を教育するのです。
天上世界、霊界を代表した者たちとこの地上の人々を祝福しました。祝福した霊界の先祖たちは、カイン的立場です。サタン側である左をすべて満たし、真のご父母様を中心として、「四・四節」を中心として右と左を一つにし、すべての祝福家庭が四位基台となり、真のご父母様と写真を撮ることのできる時となったのです。
あなたたちの家はどこですか?。あなたたちの父母はだれですか?。今まで自分がこの世の中の大将や大統領であったとしても、それはおしめにしかなりません。それをすべて片付けて、「私たちの父母は真の父母しかいない」と、ならなければなりません。
初めて、先生が写真を撮ってあげるのです。あなたたちがいくら不足で、病気であっても、写真を撮ってあげたので、神様の血族圏内に入っていくことのできる権限が与えられるのです。
だれでも写真を撮ってあげるのではありません。真のご父母様と写真を撮りたくない人は手を挙げなさい。一人もいませんね。撮りたい人、手を挙げなさい。わわわわ、見たくありません。資格があって手を挙げるのならよいのですが……。警告します。
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