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毎日新聞 2022/7/11 東京朝刊 647文字
「自由人の間では、投票に代えて銃弾で訴えることは成功しない。そうした訴えを起こした者は必ず敗れ、代償を支払う」。南北戦争中、リンカーン米大統領は知人への手紙に書きつづった▲「暗殺が世界の歴史を変えたことはない」「暗い気持ちに陥った国民を安心させることは我々の義務だ」。リンカーンが暗殺されると、英国の政治家ディズレーリは議会で人心の安定を求めた▲安倍晋三(あべ・しんぞう)元首相が街頭演説中に銃撃され、死亡する事件が起きた。民主主義への許されない攻撃に国民の心にもさまざまな思いが交錯しているだろう。それでも多くの有権者が参院選の投票所に足を運んだと聞いてホッとする▲1960年に社会党の浅沼稲次郎(あさぬま・いねじろう)委員長が立会演説中に右翼少年に刺殺された。「沼は演説百姓よ よごれた服にボロカバン きょうは本所の公会堂 あすは京都の辻の寺」。当時の池田勇人(いけだ・はやと)首相は追悼演説でライバルの大衆政治家をたたえる詩を引用し、「目的のために手段を選ばぬ風潮を今後絶対に許さぬ」と誓った。殺伐とした社会の空気は徐々に和らいだ▲コロナ禍、ロシアのウクライナ侵攻に加え、銃撃事件で社会の不安が高まる。それを拭う政治の知恵が必要だ。米国の連邦議会襲撃事件などで世界的な民主主義の退潮も指摘される。言論の府の役割はかつてなく重い▲与党が改選過半数を得たが、少数意見への配慮も民主主義の大事な要素である。池田氏の政治的系統に連なる岸田文雄(きしだ・ふみお)首相の「聞く力」の真価が問われる。