+神をたたえよう。神は偉大、すべては神に造られた。
おはようございます。
今日は年間第25土曜日です。
受難と死の真の意味、イエス・キリストと教会の母聖マリア、聖母の配偶者聖ヨゼフ、そして諸聖人の大いなる祝福がありますように!
また、大天使とすべての天使、私たちの守護の天使が今日も皆さまを見守り平和でありますようお祈りします。
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ルカによる福音
<「人の子は人々の手に引き渡されようとしている。」弟子たちは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。>
〔そのとき、〕イエスがなさったすべてのことに、皆が驚いていると、イエスは弟子たちに言われた。「この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に引き渡されようとしている。」弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠されていたのである。彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。(ルカ 9・43b−45)
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バン・ヨンオク神父様の文「時がくればわかる」です。
学生時代に受験勉強をしながら感じたことです。 よく分からなかったことが受験を目の前にして理解できることが多かったのです。 先生が教えることがすぐに理解できなくても、聞いておけば時が来て分かるようになるのと 同じです。 イエス様はご自分がなさったことに驚いて感嘆していた弟子たちに理解できない話をします。 「この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に引き渡されようとしている。」(ルカ9・44)。 この御言葉はご自分の受難に対する予告でした。 虚しい理想にとらわれたり、虚しい希望に浮かれてはいけないということでした。
このようにイエス様はご自分の受難について予告されましたが、弟子たちはまだ理解できませんでした。 彼らは結局、主の受難を目撃した後に気づくようになりました。 ですから、今はわからず理解できなくても、主の御言葉を聞いて心に留めておく作業を怠ってはいけません。 多くの人が言います。 両親の心を推し量る時になると、親はすでに世の中にいなくて後悔の涙を流すことになるということです。 弟子たちも遅きに失した後悔をするようになりましたし、今日私たちもその轍(てつ)を踏んでいます。
主の御言葉に耳を傾けて肝に銘じれば、主の心を推し量ることができ、主との交わりを成すことができます。 ですから、「だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言葉を、すなおに受け入れなさい。御言葉には、あなたがたのたましいを救う力がある。」(ヤコブ1・21)。 御言葉に耳を傾けて聞けば、時がくればその意味が分かるようになり、その喜びを享受することになるでしょう。 だから、「御言葉を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。」(ヤコボ1・22)。
実践に移して実行する人は、自分のその実行によって、祝福され、幸せになるでしょう。
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遅きに失した後悔よりはやめに主のみ旨を分かり、実践できますように聖霊、きてください。