受難の源流
第1章 - 梨花女子大学校教授の免職事件
2. ジャンパー姿の青年が統一教会の教主
梁允永女史は、統一教会の理念(「統一原理」)を劉孝元氏から聞き始めた。初めの講義の内容は、神様が人間と宇宙をどのように創造されたかである。梁允永女史は、講義を聴きながら驚いた。
人から「神様はどこにいるのか。神様はどのようにして生じたのかを教えてほしい」などと聞かれても、今まで説明することができなかった。
ところが、劉孝元氏の講義は、梁允永女史の長年の疑問をいとも簡単に解明していたのである。
聖書の中でどうしても理解できなかったことも、明快に説明しているのであった。この教会が異端ではないかという警戒は、すでに梁允永女史の心の中から完全に消え去っていた。梁允永女史は、翌日も講義の続きを聴いた。
講義を聴き進んでいくに及んで、無性にこの教えを解いたかたに早く会いたい心情に駆られてきた。“この真理を解いたかたは、神様に近いかたに違いない”と、梁允永女史は確信したのである。梁允永女史は、自然に込み上げてくる思いを抑えきれなくなり、講義をしていた劉孝元氏にこう懇願した。
「この真理を解明されたかたに、早く会わせてほしい」
劉孝元氏は講義を中断して、笑みを浮かべながら答えた。
「本当にこの真理を解いた人に、会いたいのですか?」
「本当です。早く会わせてほしい」
その日の午後五時、一人のジャンパー姿の青年が梁允永女史たちがいる部屋に入ってきた。梁女史はその青年の顔を見ると、六か月ほど前に一度会ったことがある青年だった。その青年こそ、「統一原理」を解かれた統一教会の教主、文鮮明師であった。
文師は、一九五三年九月十七日に釜山からソウルに来て、鍾路区の壽松国民学校の近くに下宿しておられた。同年十月十八日、梁允永女史は釜山にいた妹(梁允信女史)に誘われて、文師に会っていたのである。
初めて会ったときの文師は
「聖書だけでは乱れた世界を救うことはできない」と、泣きながら語られ、文師が神様の道を歩むようになった動機や、人間の救いに関して語られた。
初めて会ったときの厳粛で堅実な印象とは違って、再び見る文師は慈しみ深く感じられたのである。文師は梁允永女史たちに、夕方の五時から翌朝までイエス様や聖書について話し続けた。
梁允永女史は、劉孝元氏から講義を聴いた三日後の四月五日、統一教会に入信した。梁允永女史は、この教えが真理だと悟るや、民族のために生涯をささげた伯父(梁甸伯牧師)のように、統一教会に一生を懸ける決意を固めた。
この時からの梁允永女史の伝道活動には、目を見張るものがあった。入信した翌朝五時から伝道に出かけたのである。最初に訪ねたのが、知り合いの韓景職牧師(永楽教会の創立者)の家であった。「統一原理」を伝えようとしたが、牧師に“気がふれた”と思われてしまった。
その後は、学んだ真理を李承晩大統領に伝えるため、同大統領夫人に親しかった人々を訪ねた。その中のひとりに、梁允永女史の学生時代の師であり、当時の梨花女子大学校の朴瑪利亞副総長も含まれている。朴副総長は、後の「梨花女子大事件」と文師の収監に深くかかわった人物である。
카페 게시글
受難の源流
受難の源流 - 第1章 - 梨花女子大学校教授の免職事件 - 2. ジャンパー姿の青年が統一教会の教主
다음검색