本当に正しく知りましょう。聖書と新天地
この内容は教会や聖徒の信仰知識のために共益的な目的で聖書を根拠として書いたものです。
また、この内容は教会や聖徒たちの真信仰のため
「あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい」と仰せられた
イエス様の御言葉(マタ5:37)を根本として書いたものです。
新約の啓示録の悪霊の国
本文:啓18章(啓17,13,12章、ダニ2章)
旧約で見たバビロンは、神様の国、エルサレムを滅亡させて、捕虜として捕えた悪霊の国であった。ダニエル書2章で見たバビロンの神像、すなわち、偶像の頭は純金であり、胸と両腕は銀であり、腹とももは青銅、すねは鉄、足は鉄と粘土だと言ったのは、いろいろな国が一つにまとまっている事を言っているのである。この列王の王がまとまって連合したものがバビロンであり、ネブカデネザル王であった。この肉的国をたとえたものが、啓示録の霊的バビロンである。この霊的バビロンは、いろいろな教団がまとまって連合したものであり、旧約時代の肉的バビロンのように、神様の幕屋(啓13章)を飲み込んだ者たちである。
啓示録18章と17章の、バビロンの淫婦がすわっている七つの頭と十本の角が、啓示録13章の神様の幕屋を飲み込んだ者たちである。啓示録13章の現場でこの事件を見た者は、獣のようなこのバビロンの実体を見たのであり、これをあかしすることができる。だからこそ、神様は、これを預言で約束されて、今日、現わされて成し遂げられたのである。このバビロンの獣に、額と手に刻印を受けて、拝んだ者たちは、背教した者であり、この獣、バビロンは、神様の幕屋の聖徒を滅亡させた滅亡者である。これが、バビロンに滅亡された肉的イスラエル(エルサレム)の終末のような、霊的イスラエルの終末なのである。
イエス様は、ヨハネの福音書14章29節に、そのことの起こる前に話したのは、それが起こったときに信じるためだと言われた。ならば、啓示録の事件を前もって語ったという事は、啓示録が成し遂げられるとき、見て、信じさせるためだという事である。この啓示録に、神様の幕屋と悪魔の幕屋、神様の牧者と悪魔の牧者をわかるようにされ、神様の食物と悪魔の食物をわかるようにされた。なぜ、背教する事があり、滅亡させる事があるようになるかをわかるようにされ、神様の約束の新しい国と新しい民族があるようになるかをわかるようにされた。これを(啓示録)成し遂げて、見せても信じないのは、悪魔の種で生まれたからである。神様の種で生まれた者は、これを見て全て信じた。これが新しい契約であり、約束であり、信仰である。だから、約束を信じてこそ、救いがあるようになる。
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