2度の挫折と夫の支え
●新譜は男性歌手のカバー集
5月20日、男性アーティストの作品のカバーアルバム「No Reason~オトコゴコロ~」(ビクターエンタテインメント)をリリースする。安全地帯の「ワインレッドの心」やスピッツの「ロビンソン」など“後世に歌いつぎたい”という11曲を、高橋自身が選んでレコーディングした。
高橋はこれまで2枚のカバーアルバムを出し、合計32万枚とヒットさせた実績がある。カバーブームの今回も、ヒットが期待できそうだ。
新曲じゃ売れないからカバーを出す、という歌手もいるが、高橋は違う。毎年、新曲を出し、コンサートツアーも行い、スケジュールは半年以上先までいっぱいだ。
レコードデビュー35周年の昨年は、“音楽の殿堂”ニューヨークのカーネギーホールの大ホールを満員にした。カーネギーで歌ったのは、93年以来2度目。還暦で第一線とはたいしたものだ。
●意外にあがり性とかで…
順風満帆の歌手生活のようだが、意外や、高橋は心配性であがり性。自分の歌に自信がもてず、デビュー後、2度も故郷の博多に戻っている。
1949年3月6日、広島県佐伯郡廿日市町(現・廿日市市)で、国鉄勤務の父と銀行勤めの母の間に生まれたが、両親は後に博多に転居。高橋は博多で育った。
小学校3年生のとき、両親が離婚。母親に育てられたが、ジャズプレーヤーになった父親の影響で歌を学び始め、高校2年のとき、渡辺プロダクションにスカウトされ上京。“スクールメイツ”としてデビューするものの、駒沢学園女子高校卒業後、事務所を辞め、博多へ戻りクラブ歌手になった。
73年、“ペドロ&カプリシャス”のリーダーにスカウトされ、“ペドロ――”2代目ボーカルとしてデビュー。78年、“ペドロ”を離れソロになったときも、博多に戻りクラブで歌っていた。
そんな高橋を支えたのが、夫のヘンリー広瀬。高橋は93年、“ペドロ”の元メンバーだった、6歳上のヘンリーと結婚。ヘンリーに自身のプロデュースやバックバンドをまかせ頼りきっている。
「高橋はヘンリーを信頼して何もかも任せ、自分は歌に集中している。もっとも、家で家事はやっている。レコーディングなどで疲れて帰っても、食事の準備をするそうですよ」(雑誌記者)
案外、古風な女のようだ。