Feng Yu, shutterstock.com 何度か論座で取り上げてきた、学術論文の著作権と専門出版社の寡占化の問題だが(例えば
『著作権「過保護」が科学の発展を妨げる』)、この弊害が私の論文の作製にすら影響を及ぼすようになったので、ここで改めて取り上げたい。
科学論文での図の引用に使用料を要求
まず、何が起こったから簡単に述べる。
米国航空宇宙局(NASA)経由で得た大気組成標準モデルのグラフ。これと同じ内容のグラフを過去論文から引用しようとしたらSpringer-Natureが使用料を要求してきた。
NASAの該当ページ 先月、私は、15-30年後の宇宙科学ミッションで解明すべき課題をテーマにした論文を投稿した。論文の性質上、未解明の関連現象を列記しており、その説明のために観測データの図を多くの過去論文から選んで利用している。日本の著作権法であれば「正当な引用」として許可無し使用が認められる内容だ。
ところが、これらの図の使用に対し、原論文を掲載した出版社のうちの2つ(米国WillyとオランダSpringer-Nature)が、図の使用料(1枚1万円以上)を要求してきたのである。これは科学の発展を妨害する歴史的横暴だ。本稿で、なぜ、このような横暴が生まれたのかを考え、それに対抗する方策を論じたい。
観測データは人類の共通財産である
そもそも科学とは過去の研究の積み重ねのもとに発展するものだ。だから、学術論文執筆の際に、解明・未解明の現象の区別を明確にすべく、過去論文の図を正式なクレジット(引用元明記)のもとに利用するのは日常茶飯事であり、この種の引用に料金が発生しないのも科学の世界では常識だ。それが過去の科学の発展を生み出してきた。
しかも、件の図は著作権が成立するかすら極めて怪しい。というのも、プロットされた観測データや標準モデル(データを色々な手法で補完したもの)は「自然のありかた」を示すもので、発明ではなく発見の類いだからだ。それらは取得者への使用優先権やクレジットこそ必要なものの、著作権・特許と無関係だ。公開データとなれば、使用優先権すらない、人類の財産である。だからこそ、データ取得に税金を投入するのだ。
当然ながら、そのようなデータの単純な表示(グラフなど普通の解析プログラムの出力)に著作権は存在し得ない。大きく譲って、グラフのレイアウトや説明用のイラストが芸術的で、かつそれらの現象を表示・説明する別の方法が存在すれば、もしかしたら、そこに関してだけ著作権があるかも知れない。でも件の図に著作権を認めるだけの独創性はない。
学術論文の図は正式なクレジットをつければ引用できるし、それ以前に観測データから得たグラフに著作権は存在しない。これが、少なくとも2000年頃までの世界共通の常識だった。そもそも1980年代までは論文そのものに対して著作権という概念が科学者側になく、著作権マーク「©」が論文のどこにもないことも多かったのである。科学の発展の歴史を考えれば当たり前だ。
「有名」出版社による強引な「著作権主張」
大学の図書館=shutterstock.com ところが、学術雑誌の寡占化が進むにつれて、「著作権主張」を表示する出版社の比率が高くなった。さらに、ネットで論文pdfが取得できるようになった21世紀は、海賊版防止のために全ての論文が著作権表示するようになった。著作権を設定するかしないかはっきりさせる米国の伝統が影響してきたせいもあるだろう。
そういう「厳格化」の流れに乗って、出版社が著作権を最大限に主張するのは自然な流れだろう。一方で、著作権設定を嫌う科学者や、税金での仕事が自由に読めない状況を嫌う国も多いわけで、それが欧州でクリエイティブ・コモンズ(CC-BY)による出版を加速させた。CC-BYとは『科学の開放を目指す「オープンアクセス」の落とし穴』で説明したように、ネット社会にあわせて「著作物を許可無しで再利用して良いための条件」の宣言フォーマットで、今ではウィキペディアも採用している国際標準だ。
こうして線引きがはっきりし始めると、多くの出版社が、全ての図面、すなわちデータのプロットそのものにも著作権を「取りあえず」主張するようになってきた。 出版社にも言い分はあるかもしれない。例えば「説明」と称する紹介記事で、全ての図をそのまま使われたのでは、そちらばかりが読まれかねないという可能性だ。しかし、そのような危惧は、科学者が学術誌に投稿する場合の「引用」ではありえない。というのも、そのような論文は「盗作」と呼ばれるからだ。
それでも10年ほど前までは引用にクレジットを要求するだけだった。これは当たり前の要求なので、科学者たちは、これを受け入れてきた。それが「図の引用には全て許可が必要」と出版社が拡大解釈するようになり、「許可を出せるのだから、使用料だって要求できる」「科学論文での引用でも金を取ろう」とエスカレートしたのではあるまいか。
著作権を保持する学会と矛盾する出版社の要求
図の使用料を要求された画面 今回の論文作製にあたって「使用料」を要求してきたSpringer-Natureの場合、同社のReview雑誌(他の論文の引用を中心とする雑誌で、その引用では金は払っていない)にあった図を、同社の別の雑誌で引用しようとしたら、使用料を要求してきた。
Willy社もひどかった。引用論文の著作権を米国地球物理学連合(AGU)が持っており、そのAGUが「科学論文での引用は当然無料」という方針なのに、論文サイトにある「再使用について」のリンク先で使用許可を求めると、使用料を要求されるのである。
米国地球物理学連合(AGU)の引用ガイドラインが示されているサイト 数年前にこの件でAGUの出版部に問い合わせると「当然無料」との答えが返ってきた。最近はその手の問い合わせが多いのか、とうとう、どのような条件で許可なく引用できるかのガイドラインがAGUサイトに掲載されるようになった(図)。にもかかわらず、Willy社は今でも著作権者の意向(=無料で引用可)を無視して金を取ろうとしている。
AGUに限らず、学会主導の論文の引用はクレジット表記のみでOKだ。雑誌を全てCC-BYで行なっているところもある。Natureと並んで有名なサイエンス誌も、アメリカの科学コミュ二ティー(AAAS)が発行しているお陰か、説明イラストを含めて「無料」という形で許可が降りる。商業雑誌が問題なのだ。
無法な出版社の論文は引用するべからず
論文どうしの引用は、日本やスウェーデンの法律で無料利用が認められている正当な範囲だが、Springer-Nature社の本拠オランダでの法律がどうなっているのかわからないうえ、この手の寡占出版社は白を黒と言いくるめることのできる弁護士団を持っている。そんなことで頭を煩わせるぐらいなら、図を使用しない形に論文を書き改めるほうが早い。それが我々の採った解決策だ。こうして論文を「改悪」することがどれだけ科学にマイナスになるか? そもそも引用されるのは論文にとって名誉なことで、その件数を減らすような対応をする出版社は愚かというしかない。
寡占出版社のこの手の横暴は何処かで止めなければならない。これは日本学術会議で議論すべき問題だろう。学術会議が動かないと文科省は動かないし、著作権を扱う文化庁(文化庁だけが著作権問題を扱っている現状の問題点はともかく)も認識しないだろう。日本としての対応が変わるだけでも、出版社は無視できまい。
取りあえず、対策の叩き台として、以下を提唱したい。
対策1:学会連合や国内雑誌の名前で公開質問状を出して真意を問い合わせる。
私が個人で雑誌のサイトからたどれる関連メールアドレス複数に問い合わせたものの、返事はSpringer-Nature社からの「copyright centerを通せ」のみで、雑誌の方針かどうなのかすら分からなかった。後ろめたいから答えないのではないのかと勘ぐるほどで、個人ではなく学会レベルでの問い合わせが必要だ。
対策2:1と平行して、日本の法律で「日本の税金が少しでも関与した科学論文の図、表」に著作権が現在も過去も存在しないこと(あるいは最低でもCC-BYであること)を明記する。
米国政府の公式文書には著作権が存在しないから、日本も同じようにできるはずだ。できれば、論文原稿にも著作権が存在しないことを明記してもらえるともっと有り難い。ここでいう「関与」とは、研究費用だけでなく、研究時間すなわち給料や研究施設も含む。したがって、大学や公的機関での研究はもとより、産学協同の要素が少しでも入っている研究も網羅されるはずだ。
対策3(対策2が使えない場合):税金を少しでも関与させる際に「論文の図の再利用が無償で出来る」という条件を加える。
たとえば外部資金(大学・研究所の内部資金は雀の涙なので、第一線の研究者は日本学術振興会などの外部資金で研究を行うことが多い)の支給の条件にするのが簡単だ。欧米で論文のオープンアクセス化にこの手法を使った際、出版社側もそれに対応せざるを得なくなった。実現する可能性は高いが、「過去論文だったら料金を要求できる」と逆解釈される恐れもあるので、その対策も同時に必要となろう。
対策4:論文の図の再使用に課金する出版社のブラックリストを作り、投稿・編集・査読・引用の拒否や回避を呼びかける。
この種のボイコットは極めて有効だ。例えば地球・宇宙科学の大手出版社にElsevierがあるが、数年前に査読・投稿ボイコット運動が起きたせいか、今回は極めて丁寧な対応で、引用も無料だった。ボイコットされて始めて出版社は非を悟るのである。
対策5:使用料を要求する雑誌の論文を業績に認めないような「科学者」ルールを作る。
そのためには、業績一覧の所に「著作権保持者」を入れる面倒があるが、それは最近普及してきた科学者登録(ORCID)システムなら簡単にできる。