理想世界の主役となる女性
世界平和女性連合韓国巡回大会における基調演説
1992年5月11~6月2日
韓国二十一か都市にて
尊敬する内外の貴賓の皆様。並びに「世界平和女性連合」会員の皆様。このように各界の女性指導者の皆様がご列席の中、世界平和のために私の所信の一端をお話しできますことを無上の栄光と存じます。今日、私がお話し申し上げる題目は、「理想世界の主役となる女性」です。
今日の時代は今、正にイデオロギーの障壁や言語、文化の違い、また人種の葛藤を越え、一つの世界に突入する重要な転換期を迎えています。全人類は今や、この地上にあらゆる戦争と抑圧と搾取がなくなり、ただ真なる自由と平和と繁栄の未来だけが約束されることを念願しているのです。
今日まで、私の夫である文鮮明総裁が主唱してきた神主義の理念は、これまで力を基本とした男性たちの激しい反対と迫害を克服し、脱冷戦時代の門を開く決定的な役割を果たしました。今後は、和合と協力を指向する今日の歴史的な転換の時代に、私は神主義を基本とした永遠なる平和世界建設のための大原則を提示するに当たって、未来の世界を開拓していくべき女性たちの標題とするために、文総裁が発表した頭翼思想を、いま一度皆様にお伝えしたいと思います。
本来、神様は喜びを分かち合うために、愛する相対をつくられました。彫刻家が作品一つを作るために昼夜の別なく力を消耗させながらも全身全霊を投入するのですが、それは一体どこから来る心でしょうか。それは喜びを味わうために愛の対象を創造された神様に似た心ではないでしょうか。
存在する世界を見ると、鉱物界、植物界、動物界、そして人間世界までもすべてペアシステム(二組)になっていることが分かります。なぜ、すべてがペアで存在しているかお分かりですか。互いに作用するためなのです。鉱物界ではプラスイオンとマイナスイオンが作用します。元素と元素同士でも、互いにどれとでも付けようとしても結合しないのです。相対的要因が合わなければ、神様も命令することはできません。次元は低いのですが、このように鉱物界の作用も愛の創造理想のモデルになるようにつくられたのです。それゆえに、真の愛の本質を中心とする時に、神様の心情と人間の心情とすべての万物、動物界までも互いに通じるようになっているというのです。その心情の中に入るというと、岩であっても通じるというのです。皆様がそのような心情世界に入れないのが問題なのです。深い神秘の境地に入るようになると、森羅万象がすべて友となるのです。喜悦にあふれた愛の境地に入ると、自分が笑えばすべての万物と神様までもが和動するというのです。
皆さん。愛する夫、愛する妻がいらっしゃることでしょう。どれくらい愛していらっしゃいますか。愛する妻を、十億、千億のお金を上げるからと言われて、そのお金と取り替えますか。心から愛する夫を、天地のすべてを上げるからと言われて取り替える妻がいるでしょうか。よくよく知ってみると、男性は女性のゆえに生まれ、女性は男性のゆえに生まれたのです。すべてが為に成そうとする真の愛のゆえなのです。男女が陰陽の調和によって愛の理想を成すために、神様がそのように創造したのです。真なる男女を通してこそ、統一的な真の愛を見いだすことができ、神様と人間も真の愛を中心として統一が成立するというわけです。
結婚というものは、男女の絶対価値である真の愛を横的に連結した後に、神様の縦的絶対価値である真の愛を占領しようというのです。このように絶対者であられる神様は、真の愛を絶対価値の中心として最高に権限のある場に立てられたのです。真の男性と真の女性と神様が真の愛を中心として完全に一つに統一されるところに、我々の人生観、宇宙観、神観など、あらゆる問題の解決の糸口を見いだすことができるのです。
神様の真の愛は投入し、また投入してもさらに与え、また与えて忘れる愛なのです。与えたという記憶が残っている以上、愛は無限に回ることはできません。愛は無限に運動するものであるので、与えたという記憶がとどまっていてはいけないのです。続けて与え、また与えても記憶に残っていないゆえに流れていくものなのです。それでは天地を与えると言われても取り替えることのできない価値のある愛を、誰が皆さんに与えたのでしょうか。皆様の父母が与えたものなのです。
いま一度申し上げますと、根本に返れば神様が与えて下さったというのです。神様はこの無限なる価値ある愛を父の立場で与えて下さりながらも、それを忘れ、その愛を受けた息子、娘たちが天を裏切るようなことがあったとしてもさらに与えようとされるがゆえに、そのような終わることのない神様の愛のゆえに、今日皆様もこの場に参席できるようになったのです。
それゆえに真の愛が行く道は施しを受けるための道ではなく、為に生きようとする犠牲の道なのです。だから神様ご自身も愛の相対を創造される時は、神様自身が為に生きようとする立場に立たれて、ご自身が所有していらっしゃるすべてを一〇〇パーセント投入し、さらに投入したいというのです。このような心を持ち得る本然の中心存在が、天地を創造された神様なのです。ゆえに真の愛は、為に生きることにおいても一〇〇パーセント、一〇〇〇パーセント、すべてを与え、真空状態になるというのです。空気でいえば、絶対低気圧が生ずれば高気圧は自動的に循環運動が行われるのと同じ位置なのです。そのために絶対的に為になそうとするところには無限なる力が発動するようになっているのです。
親愛なる平和女性連合会員の皆様。「女は弱し、されど母は強し」という言葉があります。女性自体はこの上なく弱いものですが、もし女性が母として愛の主体的立場を取り、また妻、娘として愛の中心的役割を成す時、女性はこの上なく強くなるものです。なぜならば、女性が母、妻、娘として愛の主体的立場を取り、相対して一〇〇パーセント為に生き与えようとする時、その空白を神様の愛が埋め尽くしてくださるからなのです。神様の愛の能力が発動し始めるのです。だからこそ女性であったとしても、神様に似て燃えるような愛の主体的立場を取るようになれば、その愛の能力は家庭を生かし、国を生かし、世界を生かす驚くべき力として現れるのです。柳寛順のような十六歳の幼い少女が、大韓民国全土を独立運動の波に包み込んだということは、正に国を生かそうとする熱き愛国の精神が成した奇跡であったのです。
神様はこのように人間のために与えて下さった愛の主体的な立場にいらっしゃって、与えて下さり、さらにまた与えようとなさる本性がその作用を続けることにより、永存されることができるのです。ゆえに、真の愛の道には永生の論理が成立するのです。神様と真の愛の同伴者としてつくられた人間が、神様の願いどおりに成長し、絶対不変の真の愛を神様から相続していたなら、我々の人間世界には、根本的な統一の歴史が展開され、戦争だとか血を流すような悲惨な歴史はなかったはずでした。
真の愛を中心として心と体が一つになれば、皆様は神様自身の愛の同伴者となり、永遠の対象になるのです。そればかりでなく、神様の永遠なる愛を相続する者となるのです。愛の相続には相続権があり、同居権があり、また同参権があります。愛する夫が大統領であり妻が小学校すら出ていないとしても、愛する夫婦の関係になれば夫のものは妻のものとなり、昼夜の別なくいつでも共に同居していられることはもちろん、同席する権限もあるというのです。
愛にはこのように相続権、同居権、同参権という偉大なる三大属性があるので、神様の絶対的愛、不変の真の愛と一致した立場に立つようになれば、神様がいらっしゃる所に自分自身も加担することができ、いつでも同居同参することのできる権限を持つようになるのです。そうなれば、私自身が目を閉じなくても神様を見れるようになり、涙を流すようになるのです。神様の悲痛なる心情を体恤した者は、道を歩いていても立ち止まり慟哭するような体恤の世界があるのです。堕落したこの世の中ですら母の愛は、もし子供が見知らぬ地で不慮の事故に遭ったとすれば、直感でもって分かるような場合がたくさんあるのです。寝ていても名前を呼び、叫び、目覚めるというのです。
もし、神様の本質的な真の愛、千年万年を為に生き、さらにまた為に生きようという、そのような真の愛を自分自身の心と体に一〇〇パーセント吸収することのできる内容を持つようになる時、心には神様の真の愛の根が芽生え、神様が感じたすべてのことに通じるようになり、体は自動的にそこに共鳴するというのです。心の世界の真の愛を中心として共鳴体になるように創造されたのが体であり、心と体の統一世界を成すためには、神様の本質的な真の愛を回復しなければならないという課題が残っているということを知らなければなりません。
このような真の愛に共鳴する論理を中心として見る時に、我々人間がそこに一体化し、共同一体圏に入れば、神様の愛が自分自身の愛であり、神様の生命が私の生命であり、神様の血統が私自身の血統であり、神様の所有である被造世界が、私の被造世界であるということができるのです。したがって、天下を抱く父母の心を持ち、天国に入籍するようになっているのです。
それでは愛が先ですか、生命が先ですか。それは愛が先であるというのです。人間の生命の本質は正に愛なのです。それゆえに、愛を本質として生まれた生命は「為に生きる」のが天理であり、また人間は生まれた時から他のために生まれたといえるのです。自分は自分自身だけのために生まれたとか、すべてが自分だけのためになければならないとするなら、決して愛の概念は成立することができません。相手のためにしてあげ、他のために犠牲になろうとするところから、愛は誘発し始めるのです。家庭のために犠牲になる人は家庭の愛を誘発させることができ、同志のために犠牲になる人は同志の愛を誘発することができるのです。
他のために犠牲になれば、すべてを失うようですが、それは全く反対です。むしろ、愛の主体となり、すべての主人になるだけでなく、さらに高い次元に飛躍するようになるのです。クラスのために犠牲、奉仕する人はそのクラスの班長になるのであり、村のために犠牲になる人はその村の指導者になるのです。ひいては国のために犠牲になり奉仕する人は、その国の主人になるというのです。
愛というのは、より大きなもののために犠牲になればなるほど、その愛の等級が高まっていくのが原理です。より大きなもののために犠牲になればそれに吸収されていくのではなく、その大きなものの中心の場に立って新しい次元を迎えるようになるのです。キリスト教が復活の宗教になったのも、他のために犠牲になりなさいと教えているからなのです。イエス様は罪なく死んでいく十字架上でさえも、「お父様、私の願いではなく、お父様のみ意のままにしてください」と祈祷しながら、自分を槍で刺すローマ兵に対してさえも、彼らが無知によって成す罪をお許しくださいと、むしろ神様に切願したのです。これが正に神様のように為に生き、犠牲になって生きる生涯の標本であり、復活の歴史をつくり出す起源になり、キリスト教の核心的伝統思想になったのであります。他のために生命までも捧げ犠牲になる時に、さらに高い次元の生命を得るようになっているのです。
親愛なる女性連合会員の皆様。私は昨年十一月三十日、私の夫と共に北朝鮮を訪問し、金日成主席や他の多くの指導者たちと会ったことも、考えてみれば命懸けの冒険でありました。皆様もよくご存じのように、文鮮明総裁は彼ら北朝鮮の指導者たちが最も怨讐としてきた宗教指導者であり、勝共指導者であったので、彼らは私の夫を取り除こうと国内外においてあらゆる工作をしてきたわけなのです。そのようなところに、ただ神様のみを信じて行き、「主体思想では統一できない。神主義においてのみ、統一は可能である」と主張したことは、ただただ真に、彼らを生かし為に生きたいという愛の心と、祖国統一の門を開くためならばどのような犠牲も甘受していくという、殉教の精神によるものなのです。「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きる」というみ言を実践されたのです。
真の愛こそ、地獄までも占領することのできる柱となるのです。皆さんが真の愛を所有するようになれば、すべての悲しみや苦痛もその真の愛の中では喜びに昇華されるのです。もう一度お話しすると、この宇宙の個人的な権力、知識、金力等をもって主張するその理想の絶対的権限で残していきたいものが、人間の本性の要求である真の愛であるのです。
このような観点から見る時、歴史を通じて、人間を救われようとされる神様の戦略戦術と、これに反対しようとする悪魔の戦略戦術は正反対に行われてきました。神様の戦略戦術は打たれて奪ってくる作戦であるのに対して、サタンはまず打って滅んでいくのです。第一次、二次世界大戦を考えてみてください。まず打った方が滅んでいきました。しかし神様は、盗難に遭ったからといってその者を殺して奪ってくるのではありません。
神様は宇宙の主人として堂々と現れ、打って奪ってくることの能力を持ちながらも、打たれながらも与えていくのです。
父母は犠牲になることにより、不孝者を悔い改めさせるという道を行くのです。神様は、天理の公道を立てられるために自らサタンを探され、主人が来たらこうしなさい、ああしなさいと教えてくださるのです。しかし歴史的に見ると、教えようとして行った主人がむしろ打たれてきたのです。しかし、打たれた後はどうなるかご存じですか。損害賠償までも受けてくるというのです。孔子も多くの迫害を受けました。イエス様は、ローマ帝国の前に反乱罪として追われ、殺されたのです。すべては歴史が過ぎて後に、聖人という名が付けられたものなのです。その当時に聖人となった人がどこにいるでしょうか?
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