このように、彼らはその当時においては皆、悲惨に死んでいきましたが、歴史の時代を経ながら、少しずつ上がっていくのです。損害賠償を請求するのに、十年、二十年で終わらせてくださいとは言いません。期間が延びれば延びるほど、世界を完全に占めるようになるのです。
数千年の間、耐えに耐えて損害賠償のすべてを計算してみると、銀行に預金したお金に利子が付き、また付いて、後にはその銀行まで買っても余りあるお金になるのです。神様は待ちながら訪ねてこられる方なのです。打たれて奪ってくる戦略戦術を取られる方なのです。悪なるこの世が全面的に迫害し破壊するとすれば、天運が開け、すべてを越えていきながら跳躍させてくださるというのです。
神様は私と夫にもそのような多くの体験をさせてくださったのです。迫害を受けるということは、怨讐の所有権を相続する、また一つの秘法なのです。このようにして、神様が愛される人は常に天運の保護を受けるのです。殺してしまいたいような怨讐がいても、神様はなぜ罰を与えないのかというと、それでもその者を愛する彼の父母や妻、息子、娘がいることをご存じだからなのです。神様も涙の谷間を越えてこられたお方であるがゆえに、その怨讐を、誰よりも愛する父母や妻、そして子供たちの心情を体恤される時、鞭打つことができないというのです。
そのような神様の心情を真に感じるようになれば、怨讐を打つことができるでしょうか。それを思うと、逆に人を送り怨讐を助けてあげなければならないのです。そうしてこそ天理の大道であり、愛を中心として一つに抱こうとするその大道の前に自分自身が近付くようになり、そこに天地が感動し、神様も涙を流すようになるのです。(神様も)ご自身に似たと喜ばれるというのです。このような立場で見詰められる神様でいらっしゃるがゆえに、怨讐を愛しなさいという言葉が理解できるのです。そのような力が出てくるところといえば、知識でもなくお金でもありません。真の愛の中にのみあるものなのです。
それゆえに、皆様は愛する息子・娘、父母のために、南北がにらみ合っている峠を越えて、為に生き、犠牲の愛でもって統一を願わなければなりません。我々がこい願う南北統一は、あくまでも怨讐さえも愛するという、為に生きる犠牲の真の愛の精神においてのみ可能なのです。父母が子供の面倒を見るように、兄弟が兄弟を大切にするように、北の同胞の痛みを本当に自分の痛みとして分かち合い、変わることのない神様の真の愛の中で共に会うことができるようにしなければなりません。
真の愛を中心として、神様とアダムとエバが互いに会い定着することができる交差点は、九十度を成すのです。なぜならば、神様と人間を縦的に連結する真の愛の道は最短距離である垂直以外になく、完成したアダム、エバを夫婦として連結する真の愛の道は横的な水平であり、正にこの垂直と水平が出合う点は、自動的に九十度の角度になるのです。そして、この点は絶対的な価値を取る位置としてはただ一つ以外にない真の愛を結ぶ中心点であり、モデルとなる点であるのです。しかし、アダムとエバが成熟する以前に天使長のゆえにこの角度が間違ってしまったので、これが正に堕落であるのです。
大工が家を建てる時、水平を先に見ますか、垂直を先に見ますか。水平を先に見るとするならば、それはもう既に垂直を認定しているということになるのです。同じように、女性という言葉も、男性がまずあってこそ出てくる言葉なのです。また男性という言葉も、女性をまず優先条件として出てくる言葉です。「上」という言葉は「下」を考え、「右」という言葉は「左」を先に認定している言葉なのです。したがって横的という言葉は、縦的という言葉が前提とならなければならないのです。このように優先存在圏を認定するというのは、為に存在する相対圏を立証するものであり、ここに真の愛は相手のために生きようという目的を持って成立するものなのです。
だとすれば、神様と本然のアダム・エバはどこで出会うのでしょうか。神様の愛と真の父母の愛、神様の生命と真の父母の生命、神様の血統と真の父母の血統が結合する所は、垂直と水平を連結した九十度の角度以外にありません。この点は真の愛を成立させる公式な点であるのです。神様は縦的な真の愛の父母であられ、アダムとエバは横的な真の愛を中心とした父母であり、このような二つの父母の愛と生命と血統を受け継いで生まれた自分の心は縦的な私となり、体は横的な私となり、この縦的な「私」と横的な「私」が統一体となる時、人間は永遠な神様の「真の愛の同伴者」となるというのです。
神様は真の愛と真の生命と真の血統を持っていらっしゃり、我々もそこから出たので、我々の中にも真の愛があり、真の生命があり、真の血統がなければならないのです。人間は神様の真の愛を中心として父子一体の関係を持って生まれたがゆえに、神様の心と体が真の愛によって自然に統一されているように、我々人間の心と体も真の愛によって自然に統一されなければならなかったのです。ところがサタンの愛と生命と血統を受け継いだ堕落人間は、体はサタン側の、心は神様の側の一線で絶えず闘っているのです。
このように今日、「私」を中心とした愛は、心ではなく体と関係があるのです。この体が悪魔の舞踏場になってしまったのです。悪魔の錨綱で結ばれた柱のようになってしまったのです。心は天を代身するプラスの位置にあるのに、体がまた別のプラスになり、心を拝んでいるのです。これを是正しなければならない道が、我々の生涯の義務であるのです。そうであるがゆえに、宗教は断食や犠牲、奉仕というように、体を打ち、体を心に克服させる教育をするのです。体の欲望を弱化させ、心が成そうとするままに順応できるように、三年ないし五年以上かけて、習慣性を伝授するためのものが信仰生活なのです。また休まず祈祷することを強調するのです。
神様は縦的な立場のみにいらっしゃるので、心が通じなければ活動することができないお方なのです。サタンはあらゆる所で活動しています。三六〇度いつでも活動することができるので、サタンの活動の前には負けるようになっているのです。
心は垂直の位置にあるので一つです。垂直は横的基盤ではないので、横的基盤に出ていくことはできません。そのため、環境に強い体の方に引っ張られやすいので、垂直の場において精誠を尽くし、祈祷し、三、四倍の力を心に受けて体に対して自由に処理し、三年ないし五年かけて、(心のままになせる)習慣性を身に付けなければならないというのです。この二つの方法以外に修理する道は絶対にないのです。それを修養する宗教の門を通過せずには、本郷の人間の道を見いだすことはできないのです。哲学の道、知識の道、良心の道だけではできないのです。縦的な心と横的な体が一つにならなければなりません。ところで、人間の心と体が神様の理想の前に一つにならないようにした、その堕落の起源は何ですか。聖書には善悪の実を取って食べたからだとあります。それでは善悪の実を取って食べ、どこを隠しましたか。口を隠しましたか、手を隠しましたか。違います。下半身を隠したのです。そしてサタンを中心として結婚をしたのです。これが悪の血統を繁殖する起源となったのです。
しかし考えてみると、人間において真の愛と真の生命と真の血統の根源地は正に愛の器官なのです。堕落によって、この聖なるものでなければならない愛の器官が、天理を破壊した凶悪な宮殿になってしまったのです。悪の本拠地になってしまったのです。ここに偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統が植えられてしまったのです。そのようにして悪を植え付けたので、歴史的に人間社会に悪の血統がそこから広がっていったのです。したがって終末の収穫期になれば、全世界的に青少年たちが、アダム、エバのように愛の倫理を破壊させ、退廃的風潮に流れているのです。このような現象を見て、サタンの全権時代がこの地上に到来したということを知らなければなりません。そしてこの時こそ、神様が鉄槌の命を下し、審判の日になるのです。歴史的に神様の前に淫乱の都市、淫乱の国は滅んできたのです。
ソドムとゴモラが火の中に焼かれたのも、ローマが滅んだのも、他の理由で滅んだのではありません。節度を守れずに淫乱に落ち、滅んでいったのです。
今日、米国、ヨーロッパ、日本など世界の先進国を見てください。東西四方に広がる「フリーセックス」と淫乱の波を誰が防ぐことができますか。末梢神経を刺激する享楽主義、ただ乱れた愛には物足らず、麻薬や覚醒剤を求める、人類史上、世紀末の世界になっているのです。それはすべて、肉体が滅びの道へ行くことなのです。決して心が願う道ではありません。心は手を挙げて慟哭しているのです。天理大道において人間本然の始発地である神様の懐に導いていかなければならない良心の使命と召命は、すべて失敗してしまったのです。誰かが現れて、世界人類をこのような堕落の環境から救いの道に導かなければなりません。
堕落してサタン側に立った人類は、渋柿に例えることができます。その中でも神様が分立させて探し立てた人類が宗教圏の渋柿なのですが、(それが)神様の所有権の中にある渋柿なのです。したがって神様が自由に主管することができるのです。再臨の主が来られれば、いっぺんに切ってつなぎやすいように準備してきたのです。ゆえに渋柿が甘柿になり、本然の状態に返っていくのです。それゆえに、宗教を信じる者も本来の真の父を探さなければなりません。なぜなら、彼らもまた、本来の真の父の生命の種を受けずに生まれたからなのです。本来の真の愛を中心として神様の血筋と連結された真の息子、娘として一体となり、理想をなし得ないのです。それゆえにメシヤが来なければならないのです。
皆さん、メシヤとは何かご存じですか。メシヤは、真の父母として来られ、偽りの父母から生まれ偽りの根を植えたものを取り除き、本然の形態を復帰し、サタンを追放し、すべてが歓迎することのできる自由解放の天国世界を創建しなければならない重大なる責任を持って来られるおかたなのです。
皆様。皆様は神様の愛、神様の生命、神様の血統を、そして真の父母の愛と真の父母の生命と真の父母の血統を受け継いだ息子、娘になれば、神様のように、皆様にも心と体が闘うことのない真の統一の起源が生まれるのです。そして、自分の心と体が統一されたところから、永遠なる平和の世界は出発するのです。
尊敬する「世界平和女性連合」会員の皆様。我々すべては父母の心情を抱き、僕の道理を果たしましょう。我々の汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流しながら、天地創造の大いなる主人でいらっしゃる父母の恨みを解放し、一つの平和世界を建設する十字架を負い、救世の道に前進いたしましょう。
我々が最後に行く所はあの世ですが、我々の出発点は正に私の心と体が真の愛を中心として一つになるところから始まらなければならないという事実を忘れないでください。そして、自らの家庭が永遠なる幸福と真の愛の定着地になる時に初めて、我々が願う理想の国、理想の世界が結実することを肝に銘じなければなりません。
我々の「世界平和女性連合」運動は、遠からず世界万民が参加する「世界平和家庭連合」運動に昇華発展し、五色の人種が永生を謳歌し、子々孫々為に生き、さらに為に生きんとする真の愛の世界を建設するのです。
この歴史的な聖業に我々すべてが決起し、先頭に立つことを決意いたしましょう。皆様と皆様の家庭に神様の祝福が共にあられますことを祈願しながら、私の話を終わります。
ありがとうございました。
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