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終末時代に人類とアメリカが進むべき道
「アメリカが文鮮明師の八十歳誕生日を祝賀する」晩餐会における御言
2000年2月22日
米国・ワシントンDC・ヒルトン&タワーズホテル
尊敬する内外の貴賓の皆様
きょう、わたしの八十回目の誕生日を祝賀してくださるために、全世界から参席してくださった各界各層の指導者の皆様に心から感謝いたします。
特に、今日まで常に共にいてくださり守ってくださった神様に、わたしはこのすべての栄光をお返しし、深く感謝申し上げます。
わたしは生涯を通して、ただひたすら神様の創造理想の実現のための諸般の難問題を解決するために心を砕いてきました。
気がつけば、神様は栄光と尊貴の玉座にいらっしゃるかたではなく、堕落して地獄に落ちた子女たちを捜し、救援するために苦労してこられた、悲しみと嘆息と苦痛の神様であられました。
このような神様のみ旨と心情を知ったわたしの生涯は、一言で言えば、夜も昼も季節も環境も超越し、ひたすらみ旨を成し遂げるために全身全霊を傾けてきた日々でした。
過ぎし八十年の星霜を振り返るとき、この間ありとあらゆる迫害と苦難を受けたにもかかわらず、きょうこの場において皆さんとともにすることができたのは、神様が共にいてくださったからです。
この意義深い日に、皆さんとともに、神様の摂理的な観点から歴史と世界を理解するため、「終末時代に人類とアメリカが進むべき道」という題目でお話ししたいと思います。
神様の救援摂理的歴史観の立場から見るとき、歴史の終末はサタン主管圏の悪なる歴史の終末であり、同時に神様の主管の善なる歴史の出発の起点となります。
したがって終末は、天の摂理の全般を完成させなければならない時です。すなわち、個人完成を完結させるべき終わりの日であり、家庭、民族、国家、世界、ひいては天宙完成を完結させなければならない終末であるというのです。
神様は摂理路程で、終末期を迎えるときごとに、神様中心の理念圏へと人類を導いてこられましたが、実に人類は、自ら責任分担を果たすことができず、悪なる歴史を整理して善の立場に立つことができませんでした。
しかし神様は、絶対、唯一、永遠、不変のかたなので、神様のみ旨に対する予定も絶対的です。
それゆえに神様は、堕落によって人類が失ってしまった真の個人、家庭、社会、国家、世界、そして真の主権の復帰を通じて、天上と地上に神様が運行できる、その世界を取り戻し、成し遂げられることでしょう。
神様が求めていらっしゃる本然の世界とは、どのような世界でしょうか?。その世界は、真なる父母を中心とした真なる世界です。ところが人類は堕落によって、歴史の過程においてではなく歴史の初めに、人類の真なる父母と真なる世界を失ってしまいました。
その結果、堕落によって、わたしたちが住んでいるこの地も、人類が所有している理念も、どれ一つとして真の父母と直接因縁を連結してあげることのできるものがありません。ですから人類は、まず「真」を求めなければなりません。
そうして真なる父母、夫婦、子女、民、万物、主権、宇宙が、真なる神様の心情を通じて動じ、静ずることのできるその日が、人間世界において悪なる世界の終わりの日となるのです。
このような理想が成就する時が終末であり、再臨の時期なのです。したがって再臨期は、火の審判がなされたり、地が崩れたり、信じる人が空中に引き上げられるなどの天変地異現象が起こるのではありません。もつれた曲折の悲運の歴史を蕩減し、個人から家庭、社会、国家を経て、世界を取り戻し、正しく立てる時なのです。
縦的に失った個人、家庭、社会、民族、国家、世界を再び取り戻して、横的に連結させ、歴史的な個人、家庭、社会、国家、世界を成す時です。その日を願って生きてきたというのが人類の所望であり、人類歴史が行くべき終着地なのです。
ところが、個人も家庭も国家も行く道を失ってしまいました。世界では、各種の公害問題、食糧問題、さらに宗教間の葛藤、人種間の対立などが至る所で起こっており、それが各種の紛争の主要な原因となっています。
だれがこの世界に責任を持ちますか?。深刻な問題です。過去の共産主義国家群も、自分の民族主義を超えることができませんでした。今日、強大国であるアメリカも、汎アメリカ主義の理想を超えることができずにいます。
自国の利益のみを先立てるときは、世界を指導することができません。自らを犠牲にしてでも世界、人類を抱き、より次元の高い理想的な国へ前進しようという理念で団結した、ある民族や宗教が必要な時です。
このような側面から、わたしは神様の命を受け、ここアメリカに来て青年たちを教育しながら、没落していくアメリカの道徳的危機に強力な警告をするとともに、地に落ちたキリスト教の再復興のために全力を尽くしてきました。
皆さんは、レバレンド・ムーンの教えの核心とは何なのか、気になることでしょう。その答えは簡単です。
第一は、「より大きなことのために犠牲になって生きよ」ということです。個人は家庭のために、家庭は氏族のために、氏族は民族のために、民族は国家のために、国家は世界のために、世界は神様のために生きよというのです。そのようにすれば、その神様は結局、「わたし」を訪ねてこられるのです。
家庭においても、父母は子女のために生き、子女は父母のために生き、夫は妻のために生き、妻は夫のために生きなければなりません。よりために生きる者が、善の中心者になるのです。
第二は、「怨讐を愛せよ」ということです。神様は堕落して悪魔サタンの子になってしまった人類を救うために、ひとり子イエスを送り、犠牲の道を行かせました。本当の子供よりも怨讐をさらに愛するところには、サタンも自然屈伏するのです。
いつも、サタンの戦略は打って奪われるのであり、天の戦略は打たれて奪ってくるのです。それが公式的です。
わたしが全生涯を通じて、多くの迫害と苦難を受けてきたにもかかわらず今日、全世界百八十五か国に宣教基盤を築いたのは、このような天理に従って生きてきたからです。
キリスト教の宣教の歴史を見ても、イエス様を信じるキリスト教徒たちが行く道は追われる道であり、迫害の道であり、殉教の道でした。そのように二千年の歴史を経て、殉教の血の痕が土壌となり、民主世界という巨大な体系を発展させてきましたが、今日、その原動力となったキリスト教は危機に瀕しています。
キリスト教の理念を中心とした国家群が神様を否定し、イエス様を否定し、さらには神様の摂理を否定しています。甚だしくは「神様はいない」「神は死んだ」という神学までも主唱しているのを見るとき、真なる子女を捜してあらゆる犠牲の道を歩んでこられた神様の心情は、いかばかりでしょうか?
内外の貴賓の皆様
神様が今まで投入して犠牲になったすべてのものは、だれのためのものでしょうか?。それは、アメリカのためのものでもなく、キリスト教自体のためのものでもありません。結局は、堕落によって失ってしまった「わたし」一人を救うためであったということを知らなければなりません。
堕落が一人の個人から始まったので、救いも一人の個人から始めなければならないのです。
したがって、代表的な一人が出てきて、「この時代の責任を果たそう。人間が神様から負ったすべての借りを清算して、堂々と善なるものをお返しできるわたしになろう」と自覚せずしては、復帰する道がないのです。漠然とした立場では、絶対に蕩減復帰をすることができません。観念的であってはいけないのです。
神様に代わって、悲惨なことがあれば悲惨な目に遭う当事者以上の心情を持たなければ、神様の心情に到達することはできません。
皆さんは、皆さんの息子が死んでいくという、そのような深刻な心情で、六十億の世界の人類のために祈祷されたことがありますか?。皆さん個人を犠牲にして家庭を救い、氏族、民族、国家、世界を救うために、どれほど精誠を尽くされましたか?
そのような点で、だれも簡単に自信を持つことはできないはずです。そのような絶対的な基準の代表者として来られるかたが、再臨主です。
人間始祖が堕落した後、救いの摂理を展開してこられた神様は、アダム以後二千年目にアブラハムを捜し立てられ、その後孫を選民とされ、新しい家庭、氏族、民族を編成されましたが、それが正にイスラエル民族なのです。
メシヤを迎えるための勝利的な基台の上に召命された選民がユダヤ民族であったので、その後、メシヤを実体として迎えるための主流民族になったのです。
その主流のかなめを尋ね求めていくと、本来、人間始祖アダム、エバができなかった使命を再現するための基準と理念が必要ですが、それが正にメシヤ思想であり、クリスチャンの立場から見れば、新婦思想であるというのです。
主を新郎として迎えるための新婦としての資格を準備することが、最も重要なキリスト教の使命なのです。
このような極めて重い使命を持っていたのに、ユダヤ民族がイエス様を十字架で処刑することによって、第一イスラエルとして召命されたユダヤ民族は流れ去ってしまい、第二イスラエルであるキリスト教がその使命を継承してきたのです。この一つの目的を中心として神様は六千年の摂理をしてこられましたが、その摂理の終盤が、今のこの時代なのです。
それではメシヤ思想の核心とは何でしょうか?。それは世界を救い、統一するための思想であり、本然の理想家庭を建設することのできる教えであり、人間始祖が堕落によって失ってしまった位置である真の父母の立場を取り戻すことです。
新約、旧約聖書の教えを見ても、メシヤは父の権勢をもって来られ、聖霊の実体である女性神に出会い、真の父母の立場を回復されるのです。ヨハネの黙示録に預言されている小羊の婚宴後の新郎新婦は、真の夫婦の段階を経て、真の父母になるのです。
このような使命を持って来られたかたが、イエス様でした。イエス様は、イスラエルの不信によって民族と国を失ってしまわれましたが、神様が願われた世界と天国のために生命をささげられたのです。
十字架にかかられたイエス様の苦難の行路は、神様とともに歩まれた苦難の道でした。イエス様は死の場でも「彼らの罪を赦し給え」と切に祈られたのです。死にゆく場でも未来の勝利を期して、ローマと反対する群れを祝福したのです。
したがって、イエス様の生涯は一代三十三年で終わったのではなく、神様が助けられて歴史とともに残り、その精神を継承したキリスト教は世界的な宗教にならざるをえなかったのです。
内外の貴賓の皆様
アメリカは今、世界で一番の強大国であると言いますが、神様の摂理線上に正しく立たない限り、いつまでも栄え続けることはできません。
人類文化史を見れば、古代文明の発祥は主に熱帯圏から始まりました。マヤ文明、インカ文明、エジプト文明、インド文明、中国の黄河文明など、古代文明の発祥地は亜熱帯圏ないしは熱帯圏でした。
人間が堕落しなかったならば、春の季節の温帯文明から始まるべきであったのですが、熱帯文明から始まって、その次は秋の季節の涼帯文明圏に属するようになりました。次が自由世界を中心とした温帯文明圏で、西洋文明がその中心です。
赤道を中心として見るとき、大体、北緯二十三度圏で連結されていますが、アメリカ、イギリス、ドイツなど、西側の先進諸国がこれに該当します。
秋の季節の涼帯文明が終わると、冬の季節の寒帯文明がしばらく押し寄せるようになります。これが共産主義の出現です。
多くの知性人たちは、ソビエト連邦が解体したのち、戦後の冷戦体制は終わったと思っていますが、いまだに唯物論と無神論は、無力化された民主と共産の両大思想の代替理念として世界の至る所に蔓延しているのです。
本来、神様の創造理想は春の季節の温帯文明から始まるべきであったのですが、堕落によって熱帯文明から、原始的な状態から出発したのです。
今こそ涼帯文明の危機と寒帯文明の脅威を貫いて、古代から人類が追求してきた本当の春の文明である温帯文明が現れることでしょう。
だれが、冬の季節の寒帯文明を溶かすことができますか?。権力や経済や科学の知識をもってしては不可能なのです。
河川と海岸を中心とした文明の循環を見てみても、文明は巡礼します。ナイル川、チグリス川、ユーフラテス川を中心として発達した文明は、ギリシャ、ローマ、スペイン、ポルトガルを中心とした地中海文明に移り、この地中海文明はさらにイギリス、アメリカを中心とした大西洋文明を経て、最後にはアメリカ、日本、韓国をつなぐ太平洋文明で結実するようになるのです。
このような文化史的観点から見て、韓半島の位置はとても重要です。韓国は、北の方はロシアと中国を結ぶ寒帯文明圏の極地点であり、南の方はアメリカと日本を結ぶ涼帯文明の極地点です。したがって、ここで涼帯文明を消化することのできる世界史的な春の季節の温帯文明圏が誕生するということは摂理観的です。
このような側面から、涼帯文明の結実地として人類の課題として残された南北問題と東西問題を解決するために、生涯をささげてきたレバレンド・ムーンが韓国から出てきたということは、神様の摂理的な帰結であると言わざるをえないのです。
実際にわたしが、生涯を通じて人種と理念と国境を超えて「神様の下の一つの世界」運動を展開してきたのは、このような神様の摂理による道であったのです。
これは摂理史的な原則であって、わたしが作り上げた特別な理論ではありません。
天のみ旨を悟ったわたしは、理論だけではなく、このような神様の構想を現実化するために、外的には五大洋六大州に及ばない所がありません。
アラスカ、南極、南米三十三か国、旧ソビエト連邦各国とアジア、アフリカ大陸の各国などに、全方位的な宣教と事業基盤を通じて、到来した新千年時代に人類が当面した公害、食糧問題などを解決することができるように準備をしてきたのです。近年では、ブラジルのパンタナールとアマゾンを中心に、地球環境保存に対する実際的な基盤を築いてきました。
一方、内的にはその間、国際合同結婚式および「真の家庭の価値誓約運動」を通じ、そこにこれまで約四億三千万双が参与することによって、神様が長い間、待ち望んでこられた理想家庭を土台にした地上天国建設に拍車をかけてきたのです。
内外の貴賓の皆様
これまで世界は、政治、軍事、経済において優越した力を持った国々が支配してきました。しかし、神様の摂理と一直線上に立たなければ、「永遠の国」はありません。さんらんたるギリシャ・ローマ文明の滅亡は、そのよい例です。
今日、超強大国として抜きんでたアメリカは、過去のローマのような立場です。ローマの滅亡は、外からの侵犯よりは内部から崩れ始めた道徳的堕落に起因して、天の運勢が離れたことによるものです。
一時期、労働者、農民を主体視した唯物論と唯物史観に立脚した政治勢力が、旧ソ連と中国を中心に世界人口の三分の一、地球面積の三分の二を占領したこともありました。しかし、それも永遠ではありえませんでした。
これからは、神様のみ旨を代弁する宗教人たちが勢力を得る時が来ることでしょう。宗教指導者は、神様のみ旨を地上に宣布し、人類にその進むべき方向を提示してあげなければならない預言者なのです。
しかし、今のように四分五裂して続けられてきた教派間の葛藤と宗教間の争いは、神様の摂理にとって障害物となるだけです。
それでわたしは、ずっと以前から教会全体の予算の半分以上を超教派、超宗派運動に投入し、宗教間の葛藤を解決しようと努力してきました。さらに「世界平和宗教連合」を創設し、宗教間の和解と一致によって、人類平和増進の先頭に立ってきたのです。
近年では「世界平和超宗教超国家連合」を創設し、これまでに、ここワシントンで七回にわたって「国際訓読セミナー」を行ってきました。
すべての人類は、人種と宗派を超越して、創造理想世界の実現のための神様の摂理を理解し、究極的には神様の心情と一致点を持たなければなりません。
堕落によって失ってしまった神様との心情的関係を回復し、本然の父母と子女の位置を取り戻さなければならないのです。したがって、神様が約束された終末とは、真の父母が顕現される時です。言い換えれば、堕落によって父母を失ってしまった人類が、本然の父母を再び迎えることのできる希望の時です。ですから真の父母は、人類歴史の希望の結実体であり、願いの結実体であり、勝利の結実体なのです。
統一教会は、このような伝統を国際合同結婚式を通じて世界化してきました。民族と人種、皮膚の色を超えて、黒人と白人、黄色人が一つの兄弟姉妹としてまみえ、夫婦となることは、地球村を一つにしようとされる神様のみ旨成就において、最も重要なことの一つです。
今日、このように人類は、失ってしまった本然の兄弟姉妹、夫婦、父子の因縁を回復して、究極的には、子供を失い、嘆いてこられた神様を解放してさしあげなければなりません。そうしてこそ、真正なる幸福の道が開かれるのです。
これまで民主主義は、「人間の自由」と「人間の解放」を主張してきました。これに対してわたしたちは、「神様の自由」と「神様の解放」を主張しなければなりません。この問題を解決するならば、人間解放はもちろん、人間の自由回復は自然に成し遂げられるのです。
内外の貴賓の皆様
きょう、特別にアメリカの首都ワシントンで、神様の摂理について語っていることには深い意味があります。
アメリカは、さまざまな面において神様の祝福によって準備された国です。アメリカを建国した先祖たちは、信仰の自由のために命を懸けて自由の国を求めてきたピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)です。
彼らは真の信仰の自由を求めて、愛する父母、兄弟、故郷と離別し、さらには国まで捨てるという覚悟で、命を懸けて大西洋を渡ってきました。
メイフラワー号がニューイングランドに到着したのは一六二〇年十一月、晩秋でした。その年、初めての冬を越えながら、共に到着した百二人の中で、寒さと飢えによって半分以上の人々が死亡しました。彼らが素晴らしかった点は、後孫たちのために翌年に蒔く種を残しておいて、自分たちは飢えて死んでいったという事実です。
清教徒たちは、何をするにしても「神様のみ旨のために生きている」という信仰が徹底していました。彼らは、初めの年の収穫をもって神様に感謝をささげ、教会と学校を先に造ってから、彼らが住む家を造りました。
清教徒たちが開拓する路程で、農業をするときも、戦争をするときも、常にまず祈祷をしました。独立戦争当時、あの有名な最後の激戦地フォージ渓谷(Valley Forge)で、ジョージ・ワシントン将軍は、戦闘において決戦に臨む瞬間、命を懸けた祈祷をしたはずです。神様のみ旨を先立てた戦闘において、神様はアメリカの手を挙げてくださいました。
当時、世界的な強大国であったイギリスは、国王と国民が一つになって戦いましたが、アメリカは、神様と神様が愛する息子、娘たちが共に戦ったのです。それで、アメリカという自由信仰の国家が成立するようになったのではないでしょうか。
今でもアメリカは、国会が開会されるときは祈祷から始めます。そして大統領が就任宣誓をするとき、聖書の上に手を置いて神様の前に誓い、聖職者の祝祷を受ける国です。
さらには、貨幣にも「我々は神を信ずる(In God We Trust)」という言葉が書かれている唯一の国です。このようにしてアメリカは、地球上で唯一、プロテスタントを信奉した、世界的な形態を備えた国家となったのです。
ところが、今のアメリカはどうでしょうか?。公立学校では、公式的に祈祷を禁じています。「創造論」よりは「進化論」を教育しています。さらには、五〇パーセントに至る離婚率は、家庭の神聖さをことごとく破壊してしまっているのです。
このような現実を心配されている神様の声を聞いたわたしは、すでに一九七一年に祖国と家族をあとにして、アメリカにやってきました。何度も全国を巡回しながら、わたしは「火事になった家に消防士として来た。病気になっているアメリカを治療するために医者として来た」と叫びました。
そのときわたしは、すでにアメリカを離れていらっしゃる神様を発見しました。アメリカのいかなる所にも神様がいらっしゃらなければならないはずなのに、反対に、至る所で神様が離れ始めておられたのです。人々の心から、家庭から、学校から神様が離れようとされていました。
振り返ってみると、ニューヨークのマンハッタンの五番街を歩きながら、アメリカを離れていかれる神様にすがりついて限りなく涙を流したことが、きのうのことのようです。不幸にもアメリカは、わたしが預言したとおり、道徳的に衰亡の一途をたどっています。
皆さん レバレンド・ムーンが、なぜアメリカで反対されながらも苦労して、このように叫んでいるのでしょうか?。わたしは、神様が今日、アメリカを訪ねてこられるまでに流された血と汗と涙の苦労をだれよりもよく知っているので、去る三十年間、アメリカにいながら一日たりとも気楽に過ごしたことがないのです。
アメリカの主人はだれですか?。ホワイト・アメリカンやブラック・アメリカンではありません。「神様がアメリカを愛されるようにアメリカを愛する人」が、本当のアメリカの主人です。
アメリカは、地上に神の国を立てるために選ばれた長男のような長子権代表国家なので、今もイエス様は霊的に主にアメリカの地にいらっしゃりながら、そのみ旨を果たしてくれることを切に祈っていらっしゃるのです。
一方、わたしは神様のみ旨に従って一九八二年にワシントン・タイムズ社を設立し、アメリカが行くべき正しい方向を提示する保守正論紙として、アメリカの世論を主導してきました。そして真の家庭の価値運動と青少年たちのための純潔運動を通じて、強力な救国救世運動を展開してきました。このすべてのものは、アメリカが神様の摂理の前に正しく立つことを願う心から投資してきたのです。
わたしが一九六五年にワシントンを訪問し、指定したホワイトハウスの近くの聖地には、今も夜を明かしてアメリカのために祈祷する群れがたくさんいます。皆さんはすべて、心の門を開き、あのピルグリム・ファーザーズから歴代の愛国の烈士たちまでの切なる願いを聞くことができなければなりません。
内外の貴賓の皆様
今、始まった新千年は、六千年の間、追い求めてきた神様の救援摂理歴史がみな終わり、エデンの園で失ってしまった創造理想が天宙的に実現される時です。
人間の堕落によって主人を失った万物の嘆きも解放される時であり、長い間、別れていた父母と子女が再び出会い、これ以上涙のない新しい天と新しい地が成し遂げられる時であり、霊界と地上が一つに通じ、地上と天上に神様の国が成就する時代です。
生きていらっしゃる神様の直接主管が、全般、全能の権勢として現れる時代です。さらに東西両洋全体が、天地父母を中心に「一なる神様の下の一つの宇宙」として地球星大家族主義の世界が実現される時です。
これは、聖書に預言された「旧約」の約束と「新約」の約束が成就される、成約時代の完成を意味します。
今、時が来ました
アメリカが再び目覚めるべき時が来ました。
第二の建国運動を挙国的に展開し、神様を中心とした真の父母、真の家庭、真の国家、真の世界を取り戻すべき時です。
そうして、離れようとされる神様を再びお迎えしなければなりません。六千年間も準備して訪ねてこられた神様が、アメリカを離れられたとしたら、どこに行かれますか?
神様さえ正しくお迎えすれば、家庭問題、倫理問題、青少年問題、人種問題は自動的に解決されます。五色人種が一つに相まみえて生きていくアメリカは、地上天国のモデルなのです。
このとき、わたしたち皆が一致団結して、人類が進むべき道を開かなければなりません。長子の国であるアメリカが先頭に立って、天の父母様に侍り、世界各国を神様の前に導く先導者的な使命を完成すべき時です。
この歴史的な課業を完遂するために、共に同参してくださるようお願いいたします。
もう一度、この場を訪ねてくださった皆様に深甚なる感謝をささげ、天と地に平和と自由と正義があふれる新たな千年王国が始まることを願いつつ、私の話を終えようと思います。
皆様の家庭と国に、神様の祝福が共にあらんことを願います。ありがとうございました。
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