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何がおかしい(2020 佐藤愛子) 01
前書きのようなもの。
この雑文集は私が六十代の頃に勢に任せて書き散らしたものです。エッセイといってはおこがましいようなシロモノです。
とっくに忘れていたものを、中央公論新社の藤平歩さんがどこで見つけたのか、 新しく出版したいと持って来られた。私はこの秋、九十七歳になります。心身共に老いさらばえつつあるばあさんが、三、四十年も前に書いたものを今になって本にするなんて、老いたりといえども佐藤愛子、ヨボヨボ寸前の老妓が昔の衣裳 引っぱり出して、 皺に白粉叩き込んでお座敷へ出て来るような、そんな情けないことは出来ませぬ--と一応は口走ったりしましたが、ああのこうのと口走っているうちに、藤平さんは勝手に頑張って、いつか校正刷が送られてきました。
仕方なく校正刷を読み返しているうちに、 これを書いた頃の元気イッパイ、怖いもの知らず、向う見ずの佐藤愛子が思い出されて来て、呆れるやら懐かしいやら、気がつくと「昔の喧嘩出入を武勇伝として若い者に語り聞かせる親分」とい うような気分が盛り上ってきたのでした。まあ、堅いことはいわず、前世紀の遺物の折ふしを知ってもらうのも一興かと思うようになったのでした。
従ってこのエッセイ集は読者に何かを与える、 というような上等なものではありません。 コロナ不況の沈滞した世の中、せめて空元気でも出したいと思っている人たちに、「こんなヘンな人間でも九十七年も元気よく生き抜けるのだ」という事実が心に止まり、心丈夫に思ってもらえれば望外の幸です。
二〇二〇年 秋 佐藤愛子
何がおかしい(新裝版) 目次
前書きのようなもの 1
< Ⅰ 夢かと思えば >
01 夢の話 12
02 怒り顔 19
03 泥棒考 27
04 思い出話 35
05 親友の会話 43
06 独り言 51
07 空飛ぶ文字
08 たしなみ考 59
09 自然とのつき合いかた 67
10 もう人の佐藤愛子 82
11 ついについにとここまで来ぬ 90
12 悲劇の世代 97
13 前向き 104
14 親心 111
15 女心 119
16 完全敗北 127
17 久々の美談 136
18 草色の帽子 145
19 ふしぎな話 152
20 さんざんな私 159
21 三文作家のメモ 167
22 現代犯罪考 175
23 お不動様とマヨネーズ 182
< Ⅱ 何がおかしい >
24 人間の自然 190
25 多民族時代 199
26 何がおかしい 213
27 山からの眺め 227
28 ノビノビとは? 240
29 いやな気持 250
< Ⅰ 夢かと思えば > 01 夢の話
若い頃はよく夢を見たものだが、この頃は殆ど見なくなった。いや、見なくなったのではなく、目が醒めるのと同時に忘れるようになったのであろう。
何だか見たような気がするが、はっきり脳裏に浮かんでこないということがよくある。 フロイトにかかると夢はすべて性欲から出ているということになるが、ならば夢を見なくなったということは年老いて性欲も消えたということになるのであろうか。 寂しいことである。
それでも時々は夢を見ること(憶えていること)がある。 その多くはおしっこがしたいのだが、どこの便所も戸を開けると汚れていたり、人が入っていたり、戸がなかったりしてうろうろするという、尿意を抱えて眠っているための夢である。こういう 夢ばかり見るようになったのも侘びしい話だ。
昔はよかった。いろんな夢が楽しめた。怖い夢、ロマンチックな夢、 恋しい夢、死んだ近親者と出会っている夢、追いかけられて、鉄腕アトムのように空へ舞い上っている夢もよく見た。これも性欲が見せる夢だそうだが、先頃、久しぶりに空へ舞い上ろうとして飛び上るがうまく上れず、仕方なく追手を飛ばしているという夢を見た。
子供の頃から二十代にかけてはよく怖い夢を見てうなされた。 得体のしれぬ化物や幽霊や悪者が出てくる。 自分の叫び声に目が醒めるが、胸の動悸はいつまでも治まらない。
六歳頃に見た怖い夢はいまだにまざまざと思い浮かんでくる。それは私が生れてはじめて見た怖い夢だった。私が育った家には風呂場につづいて高窓がひとつあるだけの小暗い小部屋があって、その窓の下に不用になったデスクが置いてあった。
夢の中で私はその上に上ってから外を見ようとしている。するとその大きなデスクの下の暗がりに、白い着物を着て髪を長く垂らした女の幽霊が潜んでいて、下から私の片足を掴んだ・・・・・・そういう夢である。
それに頼した夢はその後も数えきれぬほど見たが、考えてみるとこの数年は自分のうなされる声で目がめるというような怖い夢を見たことがないのに気づくのである。
おばけ、悪漢のたぐいが出てこないというのではない。 出てくることはくる。だが いつもそれと戦ってやっつけているというのが最近の夢の特徴だ。
いつか見たのは、場所はどこかわからないが、幽霊が髪ぶり乱して立ちはだかるのを掴まえ、原爆投げ を試み、逃げようとするその長く引いた着物の裾をパッと踏んで引き戻し、「塩持ってきて!」と叫んでいる。私は塩でもって魔性の穢れを祓おうとしているのだ。 「塩、塩を」 と叫ぶが、 誰も塩を持ってこない。
娘や家事手伝いの人がいる筈なのにシーンとし ている。私は苛立ち、腹を立て、 「塩っ!!」怒号するその大声で目が醒めた。同じ目が醒めるにしても、昔は恐怖の叫びで目がめたものだが、 今は怒号の声で醒める。
「さすがですねえ」と家の者は感心したが、波瀾と戦って数十年、もはや悪魔に怯えるということもなくなったらしい。
十九世紀に於ては、脳というものは半分は完全で、残る半分は不完全なものであるとし、眠っている時は不完全の脳が働いているので不合理な夢が起るのだという見解があったそうだが、前記の夢など私には少しも不合理に思えないのである。
この春、女学校時代のクラスメイトの集りがあったが、その時、友人の一人がこんな夢を見たと話した。
彼女は夢の中で、一人の男性と濃厚なラブシーンをくりひろげているのだそうである。しかし彼女にはその男の顔はわからない。 顔が見えないほどに熱烈に抱擁してい る。それから漸く抱が解けて彼女が男を見たら、男はいかりや長介だった。
丁度その頃、NHKの独眼竜政宗にいかりや長介が出ていて、毎週、熱心に見ていたのだと彼女はいった。「いかりや長介やとわかって、夢の中でゼンとしてるのやわ。 でもすぐ思い 返して「男は顔やない、顔やない」と自分にいい聞かせてるの.....」
出来れば私も今一度、そんな夢を見たいものだ。幽霊の裾を踏みしめて、「塩ッ!」 と呼んでいるような、そんな夢、一生にいっぺんでいいから見たいものやわ、とその友達はいったけれど。
-うたたねに恋しき人を見てしより
夢ふものを頼みそめてき-
なんていう歌でも作りたいものだ。 うたた寝といえば、この頃テレビを見ているうちに必ずうたた寝をするようになった(これも年老いたしるし)。しかし私がうたた寝で見たのは、次のような夢である。
私は雑誌の座談会に出ている。テーブルを挟んで向うに二人の男性がいて、私は長椅子に横になっている。とにかく眠くて眠くてたまらないのである。 座談会は始って いるらしいが起きることは出来ない。
向い側の二人の男性は礼儀上、寝ている私に気がつかないふりをしているのか、それとも全く黙殺しているのか、寛大に目が醒めるのを待っているのか、よくわからないが、とにかく私を起こそうとはしないで、 二人で何か論じ合っている声がボソボソと聞えている。
それが気持のいい子守歌のようで、私はますます眠気の中に沈んで行く。 すると、若い女性編集者が私のそばへ来て、寝ている私の耳もとに口を寄せて小声でいった。 先生、あの、イビキ...」
寝るのはかまわないが、せめてイビキだけはかかないでほしいといいたいのであろう。 しかし私は起きなければとは思わない。 とにかく眠いのである。編集者は困り果てたようにくり返す。「先生、あのイビキ・・・・・」
そういえばどこからか重々しいイビキが聞えてくる。 ハハーン、これが私のイビキだな。そう思いながらまだ眠っている。 女性編集者はどこかへ去って行ったが、間もなく二人の男がやって来た。
一人は寝ている私の脇を、もう一人は両足を抱えて部屋から運び出そうとする。そこで目が醒めた。 テレビはさっきの西部劇をまだやっている。むっくり起きてボㅡッとしている私に、娘がいった 「ものすごいイビキだったよう。 そのすごさったら…」
わかってる。何しろ座談会の邪魔だとて、 二人の男が私を運び出しにきたくらいだもの。それにしてもこういう夢をフロイトはどう解釈するのだろう?
● 佐藤愛子の近況 (2023年2月)
-本名:佐藤愛子 生年月日:1923年11月5日
-出身地:大阪府大阪市、兵庫県武庫郡鳴尾村(現在の西宮市)
-最終学歴:甲南高等女学校(現在の甲南女子高等学校)
-自宅: 東京世田谷、別荘は北海道で心霊体験
-小説『戦いすんで日が暮れて』で直木賞を受賞し、90歳を過ぎても現役の小説家として活動してきた佐藤愛子(さとう あいこ)さん。
-2016年に発表した『九十歳。何がめでたい』はベストセラーになりました。
-佐藤さんは2023年に100歳を迎えますが今も元気に過ごしています。
-2021年には文藝春秋から「文春ムック オール讀物創刊90周年記念編集 佐藤愛子の世界」が出版されました。ムックは雑誌と書籍の中間のような出版物で、佐藤さん自ら責任編集を担当。「これが最後」と宣言したうえで書いた、直筆ラストメッセージ『みんないなくなってしまった』が掲載されました。また1969年上半期の直木賞を受賞した代表作『戦いすんで日が暮れて』の全文も掲載されます。加えて自選傑作小説とその解説、田辺聖子さんや又吉直樹さんとの対談、エッセイなど充実した内容でした。佐藤さんの業績と人柄の魅力が詰まった、 ファン必読の1冊ですね。
☆ 100歳を目前にして「何もかもが面倒臭い。なるようになればよろしい」という気持ちで編集に携わりました。これ以上の仕事はしないつもりのようですが、家族と仲良く暮らしているため、生活は充実しているに違いありません。70年以上もの歳月の中で、小説を書き続けた佐藤さん。今後は自分を労いながら、 ゆったりと休息する予定なのでしょう。
<佐藤愛子は病気ではなく昏倒して病院へ>
佐藤さんが病気になったという噂の真相を確認します。-->佐藤さんはある日、原稿を依頼してきた雑誌社の担当記者と電話で話している最中に昏倒してしまいました。電話中に原稿を取りに書斎へ向かう途中、倒れて身体の左側面をすべて強打します。手の中の受話器と耳に掛けていた眼鏡は、どこかに吹っ飛んでしまいました。
病気を患っていたわけではないものの、おそらく加齢によって身体が疲れ、突然昏倒したのでしょう。すでに夜9時を過ぎており、家族は2階でテレビを見ながらくつろいでいました。必死に助けを呼ぼうとしますが、思うように声が出ず、最初に佐藤さんを見つけてくれたのは黒猫のクロベエでした。やっと2階にいた娘さんが異常に気が付き、お孫さんと一緒に佐藤さんを運んでくれました。
あいにく金曜日の夜半で、翌日からは土日が続くため、病院はお休み。佐藤さん自身、わざわざ病院で検査入院して、病院食を食べるのは嫌でした。そこで整体院に相談したところ、治療を受けられることになります。昏倒した翌日には左目を中心に、顔が紫色に膨れ上がっていました。
その後は整体操法を受け、十分に睡眠をとったところ、3日目には打撲の痛みがなくなりました。幸運にも骨に異常はなかったため、すぐに回復したのです。家族と良き整体院に恵まれたおかげで、大事に至らなかったのは本当に幸運でしたね。くれぐれも体調には気を付けて過ごして欲しいです。
佐藤さんの自宅は東京都世田谷区にあります。病院やクリニックも多い都心のため、 昏倒したときもすぐに治療を受けられる場所まで行けたわけですね。1階で佐藤さん 2階で娘さんの家族が暮らしています。
掃除と買い物以外の作業、つまり食事や洗濯はすべて自分で行うそうです。真っ直ぐに伸びた背筋としっかりした足取りを見ると、とても90歳を過ぎているとは思えません。料理については、家族がまとめて買ってくれたものを簡単に料理するだけのため、負担は少ないといいます。
掃除も1階だけ行えば良いですし、毎日行う必要はありません。大きな負担がない程度の家事は、きちんと自分で行うのが佐藤さんの健康法なのでしょうね。
<佐藤愛子は別荘のある北海道浦河町で心霊体験>
東京都の自宅のほかに、佐藤さんは北海道に別荘を所有しています。1975年、浦河町の丘の上に、避暑用の山荘を建てたのです。しかし10年以上経った頃から、別荘で心霊体験をするようになります。
誰もいないはずの屋根の上を歩く音が聞こえたり、段ボール箱が忽然と消えたりしたといいます。さらに心霊現象はエスカレートし、東京に帰ってからも不可思議な現象が起こるようになりました。後で、実は別荘がある土地で、アイヌの人々が虐殺されたことがあったと知ります。
霊感がなかったはずの佐藤さんは心霊現象に悩み、霊感の強い美輪明宏さんに相談しました。美輪さんを通して、日本有数の霊能者たちを紹介してもらい、「自分の使命」を知ることになります。
わざわざ北海道の不便な山に別荘を建てたのは、佐藤さんに「アイヌの人々の霊を鎮める使命があったため」と言われたのです。最終的には神道家の相曽誠治さんに霊を鎮めてもらえたため、心霊現象はなくなりました。
霊感がなかった佐藤さんは、この経験をしてから、きっと死後の世界について思いを巡らせる機会が増えたはず。心霊体験をするのは不運にも思えますが、佐藤さんは 「人生で起こるすべての出来事に意味がある」と思えるようになったのでしょう。
「幸運も不運も、すべてが必要な巡り合わせ」と考えながら生き続けてきたに違いありません。