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毎日新聞2024/6/19 07:00(最終更新 6/19 07:00)有料記事1868文字
放射線治療の違い
炭素イオンを腫瘍に照射する、がんの「重粒子線治療」。公的な保険診療の適用が広がってきたが、一部のがんでは再発例があるなど課題も残る。そこで、複数の種類の粒子を組み合わせた「マルチイオン」による、世界初の臨床研究が日本で動き出した。
がんの3大治療法は、手術と放射線、投薬だ。重粒子線は、このうち、放射線治療に分類される。
広く普及するのは、電磁波の一種エックス線をがん細胞に照射し、DNAにダメージを与えて死滅させる方法だが、病巣以外の正常な細胞にも影響が及んでしまう。エックス線に抵抗性を持つがんには効きにくい短所もある。
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これに対し重粒子線は、狙った部分で線量を高くして、効率よくがんを死滅させられる特徴があり、正常な組織を傷めにくい。扱いやすく効果も高い炭素のイオン粒子を、光速の70%程度にまで加速して照射する。
量子科学技術研究開発機構(QST)病院の今井礼子・治療推進課長は「エックス線は、がんを通過し、周囲にまで影響する。重粒子は粒子のため、ターゲットで止まる。大きな粒子ほど攻撃する力は強くなるが、加速やコントロールも難しくなる」と解説する。
国内ではQSTが30年前の1994年6月、炭素イオンで臨床研究を始めた。2016年度には公的な保険診療が始まり、QST病院は国内で最も多くの患者を受け入れてきた。22年度は同病院で919人が重粒子線治療を受け、うち保険適用が81・5%を占めている。
腫瘍が大きいと再発リスク高く
ところが、不思議な再発例があるなど、改善の余地があると指摘されてきた。特に骨や筋肉、脂肪組織などにできるがんの一種の肉腫では、腫瘍が大きいほど再発リスクが高いことが知られている。
今井さんには、苦い経験がある。12年前、骨盤の左側に大きく張り出す「左腸骨」の骨軟部に肉腫を発症した60代女性の症例だ。
重粒子線を上下と左側の3カ所から照射し、一時的には肉腫が制御できた。しかし、2年半後に再発。驚かされたのは、再発部位だった。今井さんは「十分な線量が照射されているはずの中心部から再発した」と振り返る。
重粒子の種類で治療効果に差
詳しく調べると、重粒子線の量だけでなく、イオンの種類も鍵になると分かってきた。重粒子線による治療効果は、放射線の質を表す「線質」という指標が重要になる。この線質が、大きい腫瘍だと、炭素イオン単体では腫瘍の周辺部では高いものの、中心部では低くなってしまう特性があった。線質が低いと中心部のがん細胞を十分に殺傷できないと示唆された。
しかし、炭素イオンだけで腫瘍全体の線質を上げるには限界がある。そこで炭素よりも重い酸素やネオンを組み合わせた「マルチイオン」にすれば、腫瘍全体の線質が高まることがシミュレーションで判明した。QSTは22年に世界で初めてマルチイオンのビームを照射できる機器を開発。それを活用した臨床研究が昨年11月に始まった。
対象は、手術ができない骨軟部肉腫の患者10人で、腫瘍の体積が400立方センチ以上の比較的大きなケースだ。4週間で16回の炭素と酸素のマルチイオン照射を行い、効果や安全性を確認する。
今井さんは「マルチイオンは線質を最適化する武器になるので、他のがん種への利用拡大も期待される」と話す。
レーザー技術で小型化
重粒子線治療に使う主加速器=量子科学技術研究開発機構提供
課題は治療効果だけではない。重い粒子を加速するには、線形加速器(長さ約30メートル)や円形加速器(直径約40メートル)を収める、サッカー場並みの広さの施設が必要だ。このため、国内で治療を受けられる施設は7カ所にとどまる。施設が遠いことなどが理由で、重粒子線治療の対象となる患者でも、治療を受けられていない人も多い。
こうした現状を打開しようと、QSTはサッカー場の20分の1サイズにまで小型化した装置を建設中だ。この装置は、重粒子線などの量子ビームを用い、メスで手術するように腫瘍を取り除くイメージから「量子メス」と呼ばれる。マルチイオンも取り入れる予定で、次世代装置として普及が期待される。
さらに、レーザー加速器と円形加速器を組み合わせた装置(10メートル×20メートル)や、レーザーだけで粒子を加速する、その先の装置の研究も進む。5月にはQST関西光量子科学研究所が、世界で初めて、レーザー加速だけで陽子を光速の50%に到達させたと発表した。
同研究所の西内満美子上席研究員は「レーザーだけで粒子の加速を実現すれば、装置をさらに小型化できる。レーザーの出力を上げることなどが今後の課題だが、40年代の実現を目指す」と話す。【渡辺諒】