受難の源流
第1章 - 梨花女子大学校教授の免職事件
1. 初めて入信した女性大学講師
一九五五年三月二十四日、梨花女子大学校教授たち五人が、同大学当局より免職処分を受けた。
世界基督教統一神霊協会(統一教会)の信仰を持ったことが、罷免の理由だった。五人の名前と職位は次のとおりである。
梁允永(音楽科講師)、韓忠ファ(英語英文学科助教授)、崔元福(英語英文学科教授)、金永雲(社会事業科副教授)、李正浩(国語国文学科教授)。
教授たちが免職になった四十九日後の五月十一日、今度は梨花女子大学校の十四人の学生が同じ理由で退学させられた。その後、同年七月四日、統一教会の教祖、文鮮明師が警察署に連行されたのである。
梨花女子大学校の免職、退学事件(以下、「梨花女子大事件」)は、どのようにして起きたのだろうか。それを説明するために、梨花女子大学校を免職になった教授たちが、どのようにして統一教会に導かれたのかについて初めに紹介する。
梨花女子大学校の教授たちの中で、いちばん初めに統一教会に入信したのは梁允永女史(一九一〇―九八)である。
梁允永女史は、一九一〇年、現在の北朝鮮平安北道の宣川で生まれた。宣川といえば平壌とともに、戦前、キリスト教が栄えた地であった。日本帝国主義時代、宣川の駅頭には「此の地、基督教を以て名高し」という言葉が掲げてあったほどである。
梁允永女史の祖父も伯父も牧師であった。特に伯父の梁甸伯牧師(一八六九―一九二三)は、朝鮮で最初に牧師になった一人で、一九一九年に起きた朝鮮独立運動のとき民族を代表した三十三人の中の一人である。
梁允永女史は当時、梨花女子大学校芸術学部の音楽科(後、音楽学部声楽科)の講師であった。音楽家の道を歩む動機となったのは、宣川にいるとき宣教師の家から聞こえてきた歌声やピアノの音である。七歳の時から宣教師に直接、歌とピアノの指導を受けて育った。
梁允永女史と統一教会との出会いは、一九五四年四月二日である。梁女史の親戚である劉孝元氏(一九一四―七〇)から、
「新しい真理を知らせたいので、一度会いたい」と、誘われたことに始まる。
梁允永女史と劉孝元氏は故郷も近く、学生時代もソウルでよく会っていた親しい間柄だった。梁允永女史は、劉孝元氏が異端の教会に入信したのではないかと案じ、彼を説得して異端から救い出そうという思いで再会している。
劉孝元氏に会った梁允永女史は、開口一番こう切り出した。
「あなたは、まだ聖書もよく知らないのに、何の真理を話そうというの? もしかして、近ごろ耳にする異端の教会に行っているのではないの?」
劉孝元氏は、ほほえみを浮かべながら言った。
「よく話を聞いてください」
こう劉孝元氏は言いながら、その日までのことを梁允永女史に語り始めた。
카페 게시글
受難の源流
受難の源流 - 第1章 - 梨花女子大学校教授の免職事件 - 1. 初めて入信した女性大学講師
다음검색