受難の源流
第2章 - 退学処分を受けた大学生
2. イエス様より上にいた若い青年
夢は次のような内容であった。
「高い階段を上ると、この世では見ることのできないピカピカ光る玉座がありました。そこは三段階になっていて、いちばん下は空席で、二つ目の段にはイエス様が座っておられ、その上を仰ぎ見ると若いかたが座っていらっしゃいました」
若いかたとは、文鮮明師のことである。
イエス・キリストを神様のように思ってきた黄煥寀氏にとっては、到底受け入れることのできない内容であった。イエス様が下の玉座で、文師がその上にいたということは、イエス様より文師のほうが偉いということを意味していたからである。
「これこそ、統一教会は邪教だ。サタン(悪魔)の集団だ!」このように黄煥寀氏が叫んでも不思議ではなかった。ところが黄煥寀氏はこのとき、
「そういうことも、ありうるかもしれない」という思いが自然とわいてきたという。その日の文師の話は、早朝五時まで続いた。
教会で朝食を済ませた後、黄煥寀氏は教会を出ようとした。すると講義をした劉孝元氏は、講義の続きを聞くように迫った。黄煥寀氏は学校に行かなければならないことを劉孝元氏に説明したが、それでも同氏は講義を聞くように勧めた。
黄煥寀氏が、「学校に行きます」と誘いをきっぱり断ると、劉孝元氏は寂しい表情をした。黄煥寀氏が劉孝元氏の顔を見ると、人間がこれほど寂しい顔つきができるのかと思うほどの表情だった。
劉孝元氏がしょんぼりした理由は、統一教会が創立された一九五四年五月一日から半年あまり、劉氏は毎日のように講義をしてきたが、ほとんど入信する人がいなかったからである。一度、講義を聞いても、再び聞きに来る人がいなかった。
黄煥寀氏が講義の続きを聞かないで学校に行くのを見て、もう二度と教会に来ないと劉孝元氏は思ったのである。
ところが、黄煥寀氏は学校の帰り、再び教会に姿を現した。劉孝元氏は黄煥寀氏を見つけ、素足で走って行き、彼を迎えた。こうして黄煥寀氏は「統一原理」を再び学び始めた。
このころ、統一教会に来た学生たちは知性に富んだ者が多かった。また、信ずるに値する何の基盤もなかったせいか、教会に来て特別な夢や幻を見る人が大半だった。大学生の黄煥寀氏も、その例外ではなかった。講義を聞いた三日目の夜、黄煥寀氏は次のような不思議な夢を見ている。
黄煥寀氏は白いガウン(礼服)を身にまとい、大きなホールに入った。そこは天井も床も壁も真っ白である。そこには、バンケット用の円卓がたくさん並べられ、その上には白いテーブルカバーが掛けられていた。また、そこにいた男女もみな白いガウンを着ていたのである。
黄煥寀氏がホールの中央まで進んで行くと、足がひとりでに止まった。そのとき、「おまえたちは今、再臨のイエス・キリストとともに宴会の場に参席している」と、空中からはっきりした声が聞こえてきた。
一九五四年十一月、黄煥寀氏が統一教会に通い始めたころの礼拝参加者数は、約二十人だった。ソウル以外に礼拝をする拠点は、釜山と大邱の二か所しかない。
ソウル統一教会の礼拝室は狭く、正座しなければならなかった。中央にいる人は、立ち上がったとしても動くこともできない。説教する文師も正座をしていた。説教は三時間ほどで終わったが、文師も参加者も初めから終わりまで泣き続けた。礼拝後、床に落ちた涙を雑巾で拭かなければならなかったほどである。
礼拝が終わると、天国のように喜びの雰囲気に満たされた。昼食はリンゴ箱を二つ並べ、その上にベニヤ板を敷いて、みんなで楽しく食べるのであった。
このような状況の中で、延禧大学校の学生や梨花女子大学校の教授、学生たちが、統一教会に入信した。梨花女子大学校の学生が大挙して、統一教会に来るようになったのは翌年(一九五五年)の春からであるが、一九五四年の秋「統一原理」に触れた梨花女子大学校の学生もいた。
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