世界平和統一家庭連合(世界基督教統一神霊協会「統一教会」)に関する年表
1980年
文鮮明の指示で経済組織が教会組織の上に立つ体制になる。桜井設雄伝道局長が古田元男の部下になる。
1980年代前半に 日本で「国際機動隊」が結成される。マイクロバスに乗って、全国を周り、戸別訪問で、難民のための募金や、珍味、印鑑、靴下、ハンカチなどを戸別訪問で売って回る。
3月 - 「しんぶん赤旗」元特派員でジャーナリストの萩原遼が『淫教のメシア 文鮮明伝』を出版。
10月20日 - 海洋訓練による教育を行うオーシャン・チャーチを開始。
12月 - 布教が認められていないアフリカのタンザニアで笹本正樹宣教師が闇ドル売買のおとり捜査にひっかかり、逃げようとしたところを警官に射殺される。統一教会初の殉教者となる。
1981年
イギリスにおいて、統一教会が全国紙『デイリー・メール』が統一教会は若者を洗脳し家庭を破壊するカルトであると書いた記事を名誉毀損で訴えていた裁判で、6か月に渡る審理の末、高等法院の陪審は「デイリー・メール」の記事は信頼できるとの判断を下す。そして教会を「政治組織」であるとし、政府に対し慈善団体としての免税特権廃止を検討することを要請した。統一教会は160万ドル(約3億円)の裁判費用の支払いを命じられる。英国史上最も長く、費用のかかった裁判となった。
イギリスの内務省が文鮮明の入国申請を却下。
日本の法務省は文鮮明の入国申請を却下。
『原理講論』原文にあり、日本共産党から韓国中心主義として批判された箇所を日本語版にも追加掲載。
5月4日 - 文鮮明がアメリカ人の愛国心を高める目的で製作させた映画「インチョン!」がアメリカで公開されるが、興行成績がふるわず、わずか数週間で打ち切られる。
5月16日 - 文鮮明の長女、誉進(イエジン)と洪珍輝(ホン・チンフィ、洪蘭淑の兄)が祝福(教団の結婚)される。マッチング(ペアを決める)の翌日に結婚式が行われたが、祝福関連の儀式の多くは省略されたという。同時に530双のマッチングが韓国で行われる。久保木哲子会長夫人(当時)が日本人150名の写真を韓国に持っていき、その中で25組の韓日カップルが誕生。
11月8日 - 韓国ソウルで第10回「科学の統一に関する国際会議 (ICUS)」会議で文鮮明は全世界を高速道路で結ぶ「国際ハイウェイ構想」と「日韓トンネル」建設を提唱。
1982年
1月7日 - 文鮮明の長男・文孝進は当時15歳の洪蘭淑とアメリカで結婚。
2月9日 - 世界平和教授アカデミーは日韓トンネル計画に関する委員会を組織し、研究を開始した。
4月 - 日韓トンネルの推進団体として、国際ハイウェイ建設事業団(現・国際ハイウェイ財団)が設立された。会長には久保木修己、理事長には梶栗玄太郎が就任した。
4月 - 自己啓発のためのビデオセンターという体裁での伝道体制が始まる。全国15か所。その後も各地に開設していった。
4月と6月 - EC(欧州共同体)会議が、統一教会の活動に対する対策に関する決議案を文教委員会に付託。
1、メディアによる統一教会の活動に対する摘発。2、免税特権や公益法人としての利益を与えないこと。3、青少年への脅威についての調査報告を求める。などの内容。
5月 - アメリカで新聞『ワシントン・タイムズ』を創刊。文鮮明の側近、朴普煕が初代社長に就任。(前年に、米国で唯一の保守系新聞であった『ワシントン・イブニング・スター』紙が廃刊になったことに危機感を覚えた政府が、保守系日刊紙の創刊を財閥など打診したものの、採算が取れないことを理由に断られていた中で、統一教会系列のメディア会社、「ニューズ・ワールド・コミュニケーションズ」社がそれに応じた)
7月1日 - ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで国際合同祝福結婚式(2075双)が開催。
秋頃 - この頃から教団名を隠した伝道方法を取るようになる。
10月 - 韓国の女性月刊誌『女苑』(ニョウォン)11月号で、「微笑の翼、紫の鶴」と題して文鮮明の夫人、韓鶴子の特集記事が掲載される。
10月 - ビデオセンターの設置について、東京都総務局行政部指導課に相談したところ、ビデオ受講時に受講生から料金を徴収することは収益事業とみなされるので、規則にないことは行ってはいけないとの指導を受け、1983年1月の責任役員会議において、公式にはビデオ受講施設の設置は行わないことを決定した。
10月14日 - 6000双国際合同祝福結婚式がソウルの蚕室体育館で開催される。禰冝田政信(2008年に愛知県碧南市長に就任)が参加し韓国人女性と結婚した。また、新垣安弘(2018年に沖縄県八重瀬町長に就任)も参加した。「天運教」(後の天地正教)の教主川瀬カヨが独身祝福を受ける。
文鮮明は米国で虚偽の連邦所得税申告と陰謀の罪で有罪判決を受けた。文はコネチカット州ダンベリーの連邦刑務所で13ヵ月間服役した。起訴・収監された際には、キリスト教右派団体やバプティスト教会、全米黒人カトリック聖職者会などの牧師が、文鮮明の無罪と釈放を要求するデモを行った。この事件は、モラル・マジョリティー代表のジェリー・ファルエル、南部キリスト教指導者会議代表のジョセフ・ローリー、ハーバード大学神学教授のハーヴィ・コックス、アメリカ合衆国上院議員で元民主党大統領候補のユージン・マッカーシーなどから、選択的起訴であり信仰の自由への脅威であると抗議を受けた。同年、文鮮明はアメリカで脱税の罪で懲役判決を受けた。
1983年
5月24日 - 日韓トンネル研究会が東京で設立された。
10月1日 - 『世界日報』事件。教会色を抑え一般紙を志向した副島嘉和編集局長らの路線を乗っ取りと考えた「国際勝共連合」理事長、梶栗玄太郎ら信者達約100人が世界日報社に押しかけ、副島らを暴力的に追い出す。記者達が殴られ、多数の負傷者が出た。警官80人が出動。以後、『世界日報』は教会色を強める。副島は同月5日に辞任に追い込まれ、7日には統一教会を除名される。
家庭を持つ基準についての不公平の是正を求めて教会本部に提出された「しあわせの手紙」が1610双の間で出回り、内部で大きな問題となる。
1984年
1月3日 - 「愛勝日」宣布。文鮮明は、自動車事故が元で前日に死去した次男の文興進(ムン・フンジン)が霊界で全権大使になったと宣言。イエス・キリストより高い位置にあるとされる。文興進の死は「信者達が責任を果たせなかったことの身代わり」とされた。
1月12日 - 青森地方裁判所弘前支部における刑事裁判で、教団の信者らが、主婦に対し、ホテルの部屋で約9時間にわたって、「中絶した子供や死去した夫を成仏させないと、今の子供や夫に大変な不幸が起こる」などと脅かして、1,200万円を献金させた行為が恐喝罪に当たるとして信者3人に有罪判決が下る。信者の一人は、未亡人の女性に御主人の霊が乗り移ったと称して殴りかかった。
2月20日 - 文鮮明は事故死した次男・興進と側近の朴普煕の娘、朴薫淑(パク・フンスク、当時21歳)を霊界結婚させた。それと共に、文鮮明は朴薫淑を養女にした。
4月18日、自民党・民社党の議員と保守系財界人らが「スパイ防止法のための法律制定促進議員・有識者懇談会」を設立。岸信介が会長に就任し、国際勝共連合と関係の深い参議院議員の堀江正夫が事務局長に就任した。また、当時世界日報社社長を務めていた梶栗玄太郎が常任幹事に就いた。
5月31日 - 松下正寿が伝記『文鮮明 人と思想』を出版。
6月 - この月発行の『原理講論』から「聖書索引」がなくなる。
6月2日 - 統一教会の告発記事の掲載を取りやめるようにという教会側からの要請を拒否していた元『世界日報』編集局長副島嘉和(37歳 777双)が、“韓国の空手を使った”男からメッタ刺しに遭う(同年8月1日 自ら発行する『インフォメーション』で「犯人は勝共連合の空手使いだと思う」と述べた)。『読売新聞』、『朝日新聞』、『毎日新聞』の各紙が報じたが、『世界日報』は記者が病院にかけつけていたが、この事件を報道せず。他紙もその後、続報はなかった。この事件は犯人を特定できないまま、時効を迎えた。
6月10日 - 「世界日報」社を追放された副島嘉和と井上博明(元「世界日報社」の営業局長、元四国ブロック長)が連名で書いた告発手記(「これが統一教会の秘部だ」)を掲載した『文藝春秋』1984年7月号が発売される。教団が韓国中心主義である事、霊感商法のマニュアルや資金の流れなど、教団の内幕を暴露。
勝共連合を反共主義運動の同志と考えていた民族派や右翼が、副島手記にある、久保木修己会長が、天皇の身代わりで、文鮮明に拝礼しているという内容に激怒し、久保木会長に質問状を出す。3ヶ月後に久保木は、副島手記の内容を否定する回答をした。
久保木の講演会、「平和と安全を守る七大都市大会」が行われる。大阪大会では、右翼や民族派が「勝共運動は、文鮮明の手先」「世界を股にかけるペテン師の金集め」などの批判ビラを会場周辺に張り、「大会粉砕」を訴えた。
7月20日 - アメリカで文鮮明が脱税の罪で懲役1年6ヶ月と2万5000ドルの有罪判決を受け、コネチカット州ダンベリー刑務所に入獄。弟子の神山威も(偽証罪)で共に入獄。
9月14日 - この日から7回にわたり『朝日ジャーナル』が「原理運動追及」のタイトルで統一教会批判キャンペーンを掲載。教団の抗議に対して、ジャーナル側は訂正記事を出すことを拒否したが、統一教会広報部長(当時)坂詰博の反論のために4ページ誌面を提供する。
11月 - 「世界原理研究会」が文鮮明の長男、文孝進(当時22歳)を会長として発足した。
11月20日 - 文鮮明主催の第7回「世界言論人会議」が東京のホテルニューオータニで開催(22日まで)。岸信介が名誉議長としてスピーチした。元駐日大使のダグラス・マッカーサー2世、ジャック・スーステル元フランス副首相が挨拶した。日本生産性本部会長の郷司浩平、評論家の細川隆元も祝辞を述べた。最終日の晩餐会には米駐日大使のマイケル・マンスフィールド、福田赳夫が出席。文鮮明からのメッセージを朴普煕が代読した。
11月26日 - 岸信介は、脱税被疑により投獄された文鮮明の釈放を求める意見書をロナルド・レーガン大統領に連名で送った。
ニューヨーク州マンハッタンに日本食レストラン「黄花(きいろいはな)」を設立する。