15. ソウルで法門を開く
ソウルでの無比大和尚の講義が活発に復活した。無比大和尚は2007年1月からソウルの弥陀寺で、僧臘の15年以上の僧侶たちの勉強会である「経典硏究会」の会員たちに毎月一回ずつ『臨済録』を講義した。この時勉強した70人余りの比丘、比丘尼の中で気の合う方々が釜山でも経典硏究会を結成し勉強を続けようとして「文殊経典硏究会」を創った。
文殊経典硏究会は2008年1月から毎月一回ずつ文殊禅院に集まって『法華経』を勉強し、2009年5月からは『臨済錄』を勉強した。そして2010年3月からは『華厳経』を勉強するようにした。その一方で、ソウルでは引き続き無比大和尚の法会が開かれた日付だけ見ても強行軍の強行軍である法会が開かれた。その度に聴衆が溢れかえっていた。皆がその法会に来て涙を流しながらも、蓮の花のような笑みを浮かべた。
このように強行軍をするには2009年4月から11月まで仏教放送・無相寺で開かれた『法華経』の法会が大きな支えになった。
毎週法会が始まる前から終わった後まで、無相寺には「大僧にもっと身近に会いたい」という信徒が集まってきた。無比大和尚の法会の控室はいつも人でいっぱいだった。
無比大和尚は依然として不自由な体を抱えて釜山からソウル市瑞草洞に週に一度法門のために上京した。無比大和尚も、聴衆も、その年の34週間、大して痛くもなく、挫折もせず、『法華経』の法文をみんなで「幸せに」終えた。皆にとって驚くべきの経験であった。
瑞草洞の無相寺だけではなかった。2年後の2011年、奉恩寺で「あなたは仏陀」という主題で毎月『法華経』の法会が2年間開かれた。
禅敎律の法会において「教」に関するする法会を無比大和尚が引き受けたのである。「禅と敎は一つである」という無比大和尚の信念が法会を隆盛させた。
無比大和尚の病苦の後に縁のある人々が毎月その法会を訪れてきた。無比大和尚の法会の控室として使われた「茶來軒」から法会の会場である「法王楼」まで無比大和尚は一様に端正な姿で杖をついてまっすぐ歩いていった。多くの人々がその後を追って歩いていく。そのために24ヶ月間「華厳経」の経板を保管している奉恩寺の「板殿」の前に雪が積もり、春の花が咲き、日差しがキラキラ光り、落ち葉が散る風景を皆で見守った。『法華経』の中にすでに『華厳経』の花が咲いていた。
ソウルを中心とした無比の長期講座
仏教経典硏究会 弥陀寺臨済録/ 2007. 01. 26-2007. 08. 23(月一回) 韓国仏教歴史文化記念館 書狀特講/ 2007. 06. 20.-2008. 03. 20(月一回) 仏教人才院 臨済録講座/ 2009. 04. 01-2009. 08. 19(月一回) BTN仏教放送 無相寺 法華経講座/ 2009. 04. 08-2009. 11. 25(週一回) 仏教專門講堂 法華経講座/ 2009.08. 25-2009. 09. 23(週一回) 布教院 金剛経講座/ 2009. 10. 13-2009. 10. 15(毎日) 全国比丘尼会館 維摩経/ 2009. 10. 28- 10.31(毎日) 禅教律大法会 奉恩寺 法華経/ 2011. 11. 20-2013. 11. 10(月一回)
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첫댓글 15강 참고
무비(無比)스님
미타사(彌陀寺)
승랍(僧臘)
경전연구회(經典硏究會)
임제록(臨濟錄)
비구(比丘)
비구니(比丘尼)스님
부산(釜山)
문수경전연구회(文殊經典硏究會)
문수선원(文殊禪院)
『법화경(法華經)』
『화엄경(華嚴經)』
무비(無比)스님의 법회(法會)
청중(聽衆)
불교방송(佛敎放送) 무상사(無相寺)
서울 서초동(瑞草洞)
봉은사(奉恩寺)
선교율(禪敎律) 법회(法會(에서 ‘교(敎)’
‘선(禪)과 교(敎)가 하나다’
융성(隆盛)
무비(無比)스님
병고(病苦)
봉은사(奉恩寺) 다래헌(茶來軒)
법왕루(法王樓)
『화엄경(華嚴經)』경판(經板)
봉은사(奉恩寺) <판전(板殿)>
서울을 중심으로 한 무비(無比)스님 외부(外部) 장기강좌(長期講座)
■불교경전연구회(佛敎經典硏究會)
미타사((彌陀寺)임제록(臨濟錄)
■한국불교역사문화기념관(韓國佛敎歷史文化記念館)
서장특강(書狀 特講)
■ 불교인재원(佛敎人才院)
임제록(臨濟錄) 강좌(講座)
■ BTN 불교방송(佛敎放送) 무상사(無相寺)
법화경(法華經) 강좌(講座)
■불교전문강당(佛敎專門講堂)
■ 포교원(布敎院)
금강경(金剛經) 강좌(講座)
■ 전국비구니회관(全國比丘尼會館