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70歳の主婦、里子さん(仮名)は庭の草取りをしている最中に尻もちをつき、激痛で立ち上がれなくなった。救急車で近所の病院へ搬送され、圧迫骨折で尾てい骨に近い腰椎(ようつい)と呼ばれる背骨の一部がつぶれていると診断された。
「尻もちで、くしゃみで 寿命を縮める圧迫骨折、40歳以上の5人に1人」で説明したように、圧迫骨折に対しては、まずは、コルセット(体幹装具)などで骨折部位を固定する保存療法で治療する。
「ただ、里子さんのように背骨の一部が激しい痛みがあったりつぶれ方がひどかったりするときには手術を検討します。特に、つぶれた骨の破片で脊髄(せきずい)神経が圧迫され、脚がしびれたりまひして動かなくなっていたり、尿が出なくなるなどの症状が生じているときには、すぐに手術をして症状を改善させることが重要です」
そう解説するのは、秋田大学医学部付属病院整形外科教授の宮腰尚久さんだ。
里子さんは鎮痛薬でも抑えられないくらい耐え難い痛みがあったので、「椎体(ついたい)形成術」という手術を受けることになった。椎体形成術は、背骨の半円形の部分である椎体に背中側から針のように細い特殊なチューブ(管)を刺して骨セメントを注入し、つぶれた背骨を補強し修復する方法だ。バルーン状の器具を使ってつぶれた骨を持ち上げ、元の形に近い状態に戻してから骨セメントを充塡(じゅうてん)して椎体を修復する手術なので、「バルーン・カイフォプラスティ(Balloon Kyphoplasty:BKP)術」、あるいは、「骨セメント療法」とも呼ばれる。
「骨セメントは、人工関節の接着剤や歯科治療にも使われている医療用のセメントです。充塡する際にはセメントは軟らかい状態ですが、10分くらいで固まり骨を補強します。BKP術は皮膚を5㎜程度切開するだけで実施できるので、比較的体への負担が少ない手術法です」と宮腰さん。
BKP術は、全身麻酔で手術時間は30分程度、入院期間は2~3日間が一般的だ。 手術後1~2カ月はコルセットを着用して患部を固定する。長期間入院する必要がないため比較的早く日常生活に戻れ、高齢者でも筋力の低下や寝たきりになるリスクを最小限にできるのが利点とされる。
里子さんの場合、手術後は圧迫骨折による激痛から解放され3日間入院しただけで家へ帰れた。以前よりは歩くスピードが落ちたものの、退院後すぐに歩行や家事も再開している。
さらに症状が重い時には…
「ただし、椎体がかなりひどくつぶれていたり、背骨の変形が進んで背中や腰が曲がってしまったりしているときにはBKP術だけでは対処できません。『脊椎固定術』などで背骨の形をできるだけ元に近い状態に修復します」と宮腰さんは話す。
脊椎固定術は、スクリューと呼ばれる医療用のネジに、ロッドという棒を通して複数の椎骨を固定し、圧迫骨折により変形した背骨を修復する手術法だ。BKP術に比べると大がかりな方法であり、手術にかかる時間は1~2時間程度で、2週間くらい入院する必要がある。手術後は翌日からリハビリを始め、骨が完全に固定されて安定するまで半年間くらいはコルセットを着用する。
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また、圧迫骨折による骨の破片で脊髄神経が圧迫されて、脚のしびれやまひ、歩行障害、排尿障害が生じている場合には、できるだけ早く「脊椎除圧固定術(脊椎再建術)」などの手術を受ければほとんどのケースで症状が軽減する。この手術は、神経を圧迫している骨の破片や椎体の一部を取り除いて神経への圧迫を解除し、必要に応じてゲージと呼ばれる金属製のインプラントか人工骨を入れて背骨を再建する方法だ。全身麻酔で2~3時間以上かかり、2~3週間の入院が必要になる。脊椎固定術と同じように、手術後は背骨が安定するまで半年間程度コルセットを着用する。
再発防止のため取り組むべきこと
宮腰さんは「手術で圧迫骨折が起きた部分を修復したり補強したりしても、骨粗しょう症で骨がもろくなっているので、周囲の骨がつぶれてしまうことがあります。手術後は、骨粗しょう症の治療薬や背筋運動などのリハビリによって背骨が折れにくい状態にし、骨折の連鎖を防ぐことが大切です」と指摘する。
骨粗しょう症の治療薬には内服薬と注射薬があるが、背骨の圧迫骨折や脚のつけ根の大腿(だいたい)骨近位部骨折などをした人などは、注射薬で治療することが多い。背筋運動は、「腰が曲がってからでは遅い 圧迫骨折を遠ざける三つのポイント」で紹介した運動法で、圧迫骨折の予防効果も期待できる。ただし、手術後すぐは骨が安定しないので、リハビリ体操を始める時期は担当医に相談しよう。
里子さんは50代のときに転んで手をついたときに手首を骨折し、骨粗しょう症と診断されたが、その後は特につらい症状もなかったため、骨粗しょう症の治療薬の服用を中断してしまっていた。
「まさか70代になってから、背骨がつぶれてこんなに痛い思いをすることになるとは考えてもみませんでした。手術後痛みはなくなりましたが、前ほどたくさん歩けず行動範囲が狭くなってしまいました。骨粗しょう症の治療薬をきちんと飲み続けていればよかったと後悔しています」と語る。
骨粗しょう症の人は全国に1590万人(女性1180万人、男性410万人)いると推計されている。しかし、骨がもろくなったとしても特に自覚症状がないため、骨折するまで気づかない人は少なくない。また、骨粗しょう症と診断され治療を始めても、里子さんのように薬の服用を自己判断で中断してしまう人が多いことが世界的にも問題になっている。骨粗しょう症の治療継続率は1年間で62.1%、2年間で45.3%というデータもあるくらいだ。つまり、骨粗しょう症の薬を飲み始めて2年以内に、5割以上が服薬をやめてしまっていることになる。
英国では、骨粗しょう症のケアを行うリエゾンナースという専門看護師がおり、病院で入院治療を受けた患者の治療計画を作成している。地域の家庭医とも連携して骨折予防に整形外科医や看護師、理学療法士、栄養士など多職種が連携して、骨粗しょう症治療の継続と骨折予防で成果を上げているという。日本でも、整形外科医と看護師、リハビリ職種などの多職種が連携して骨粗しょう症による骨折予防に取り組む病院があるが、まだそういった医療機関は少数派だ。
一方で、近年、加齢と共に筋肉量や筋力が低下するサルコペニア(筋肉・筋力減少症)が、要介護や寝たきりの原因になり、高齢者の生活の質を大きく低下させることが分かってきた。宮腰さんの研究グループが、40~88歳の女性2400人を対象に調査した結果では、骨粗しょう症の人の約3割がサルコペニアを合併していたという。特に、40代で骨粗しょう症の人は約6割、50代は約8割が、サルコペニアを併発していたことが判明しており、働き盛りの世代にとっても、骨粗しょう症やサルコペニアは人ごとではない。
宮腰尚久医師=本人提供
「骨がもろくなれば筋肉も弱くなり、筋肉が弱くなれば骨がもろくなるという悪循環が生じます。筋肉量や筋力が低下すれば転倒しやすく、骨折にもつながりやすくなります。骨を強くするだけではなく、たんぱく質をしっかり取って背筋体操やスクワットなどの筋トレも実施し、筋力の低下も防ぐことが大切です」と宮腰さんは強調する。
特記のない写真はゲッティ