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み旨成就の場所と群れ
1975年11月2日
ベリータウン修練所にて
み旨は創造理想完成
何ヵ所をまわって、きのうの夜帰ってきました。今朝はその間、ずうっとまわりながら話した内容を選んで、しばらくの時間話してみます。「み旨成就の場所と群れ」という題です。
私達が今住んでいる世界は、本来神が理想とされた世界でない事を、皆さんは良く知っております。神のみ旨と言えば、何でしょうか。数多くの完教は、人間の意志に従うのではなく、神のみ旨を求めて出発しているのを私達はよく知っております。その神のみ旨が何であるかという問題についてみる時、これが確実ではなくては、み旨成就の道を探す事はできません。私達は、み旨が成される場所、み旨でない世界にいるために、み旨でないものとみ旨み旨のものとを明確に区別しなければなりません。
神のみ旨は何であるかと言うと、神の創造理想は何であるか。創造には、万物の創造と人間の創造があるのを、私達は知っています。結局は人間の始祖アダムとエバを中心にして万物を、私達は知っています。結局は私達統一教会はこの基準を四位基台の完成として定議を下しております。結局、神のみ旨は創造理想を完成する事であり、創造理想を完成する事が何であるかを具体的に言うならば、四位基台を完成することです。では、四位基台が何であるかというと、完成したアダムと、完成したエバが神の愛の中で祝福を受け、神の愛の中で祝福を受けてから、神の願う息子、娘となると同時に神の願う夫婦となって、次には神が願われる家庭をつくる為には、子女がいなくてはいけないために、子女を完成させることである。
これを結論的に言うならば、創造理想世界は神の愛を中にして神と息子、娘が一つになり、その次にはアダムとエバが父母になって、神の愛を中心に子女と一つになった、愛の一つの理想的家庭です。
そのために、創造理想世界は何が必要ですか。第一に神です。神がいてその次には、、人間を中心とした真の父母が現われて、真の息子、娘がいなくてはなやません。
エデンの園から追放
それでは、私達が創造理想世界に入るためには、創造理想のその内容を中心とする愛を、全部取り返さなくては入る事ができないのです。このような結論になるんです。そうなるには、神を中心にして神の愛によって、私が生れ変わらなくてはならないし、神の愛によって個性完成をして、神の愛を中心として夫婦となって、神の愛によって息子、娘を持たなけれだならません。
このような基準を中心にして、私達この地上に住んでいる人々を見る時、神の理想の下で生まれた息子、娘がいるでしょうか。皆さん、どこで生まれましたか。神から生まれましたか。何によってですか。神の愛を受けながら育ちましたか。君達。次には神の愛によって、この地上の人間達が結婚するようになったのですしょうか。そして、その夫婦が息子、娘生んだならば、神の愛をもぴって愛し育てるでしょうか。
さて、今、私達この地上に住む人間は、神の創造理想世界から追放された人々です。エデンの園から追放されたという事です。それで追い出されたのだから理想的な園でなくして、理想外の世界に追放されました。それでサタンを中心とする人格がつくられ、サタンを中心として私達が生れ、サタンを中心として育ち、サタンを中心として夫婦が結婚し、サタンを中心として国家と世界をつくりあげて、神の理想的み旨とは関係のない群れとなってしまったのです。
そのためにはこの地上は、サタン的愛を中心として生きているのです。サタンは本来出発する時自己を中心として、神に逆らおうと自己中心となって全てを出発したために、全て、生れたのも自分のために生れたと考え、愛も自分のために、、家庭も自分のために、息子、娘も自分のために、全部がみんなこのような堕落の結果の世界に落ちた事を、私達は知っているのです。
今、そうでしょうか。違うでしょうか。勉強しても自分、自分。全てのどれをみても、全部がみんな自己中心です。だから堕落した結果の世界は自己中心の世界です。サタンがそうであったし、エバがそうであって、自分の目が開かれてくる事を願うと、神に対して全てがそうなりました。だから結局は、人間世界は斗争が起ってくるのです。殺戮戦が起きるのです。自分が一番になりたくて、一番の人がいればこれを打倒してしまって、一番になろうとするのです。
互いにそのような歴史過程にいる個人と家庭と氏族と民族と国家なども、結局はサタン世界にいるのを私達は否定する事ができません。
神の愛により一つに
もし堕落しないで、理想世界ができていたならば、どこででも神の愛を受けられたのです。どこででも神の愛。神を中心として神の愛。自分を次にして、それを主体にして、自分は対象である。自分が一番になるのでなく、神が神が一番になられるのです。神の愛!によって、神の愛を受ける事で全てが解決されるのです。
それで神の愛を中心にして、神の対象となって一つになる事です。一つになる事です。一つに。愛でもって一つになる事です。一つになった後は神のものが私のものであり、神の権利も私のものであり、神のものは私のものとなるのです。全てが皆。さあ、こうしてみると、結局は神を主体にして神と一つになり、一つになるならば自のものです。それは同じことです。サタン世界では、神のものも自分のものにしてしまい、自分のものであると主張しますが、ここでは神を主体にして、その次に神の愛を受けたために自分のものであると言います。
本来の創造というのは、一なる神が主体としておわして、その主体の前に対象をたてるためのものが創造の目的であったのです。原則であったのです。これは互いが高くなるためのものでなく、互いが一つとなるのが創造の理想なのです。たしかにそうです。神のみ旨は、神の理想は一つになるためのものです。知っておくんですよ。神を中心として、愛を中心として一つになる事が創造理想世界のその骨子です。それが堕落してしまった。堕落した世界は幸福なき不幸の、死の世界であるために、この世界を脱け出て私達は再び帰って行こう!という事です。
人間の責任
さて、今までの既成教会は神は救ってくれると、こう言ってきたんです。救いの神が中心となって、神が救ってくれると考えたんです。全てをみんな神の前に持っていったんです。今までの宗教者達はみんなそうでした。ところが知ってみると、それは間違っていたというのです。
落ちたのは誰ですか。神が落ちたんじゃないんですよ。それでは誰ですか。誰が落ちた人であり、誰が昇っていくべきですか。それは堕落した人が昇っていくべきです。そういう立場から統一原理が提示しているのは、救いの道は道であるけれども、その救いは復帰の道です。帰っていく道です。人間が落ちてしまったのだから、人間が帰っていかなくてはなりません。神の救いの網が下されたとしても、自分が掴まなければなりません。自分が上ろうとしなくてはならないのです。上ろうとしない人は、神も与えることができません。神もどうする事もできないのです。
既成教会で信じているのは救援してくれる神ですが、私達が信じるものは、救いは自分を救うこと。神を中心として自分を救うその道が復帰の道です。これを確実に知っておかなくてはなりません。神がいかに救援摂理をしたとしても、人間が協助しなければなりません。神が全ての事に、手を差し出して引き入れればいいのではないかと、こう信じているんですよ。既成教会は。それはできないんです。
では、私達息子、娘が罪を犯したのを、父母がその責任を負う事ができるでしょうか。できませんん。もし代りに責任を負う事ができるとすると、神の息子、娘達が罪を犯して地獄に行くならば、神も地獄にいっていなければならないという話になってしまうんです。そうする事ができますか。そのような原則、そのような創造原理はないのです。だから、罪を犯した人間が行って、監獄に行って罪を脱ぐにも、それは罪を犯した人が脱ぐべきです。脱がすためには協助してやる事ができるのです。
エデン復帰は神の許しから
世間でもそうじゃありませんか。監獄に座っている人達が、罪に対して深く悔い改めて自ら悟って、昔よりももっと良くなると減刑があるんです。エデンに帰る事ができるのはそれです。そうそこに許しがあるんです。
さて、罪を犯したのだが、それよりももっと悪くなるとするならば、、許す事ができるでしょうか。そういうこを許したならば、それは何にもならないのです。それはサタンです。許しというのは、どのような時にあるかと思いますか。より良くなる事ができるという時にだけあるのです。例えば、子供達がいけない事をした時に、父母が「いけちいことをしてはいけません。」と叱りますね「お母さん、ごめんなさい、もう悪いことはしません。これからは良い事をします」という時に許しますね。こういう事なんです。
今日、数多くの宗教人達が特にキリスト教人達は、神は愛なる方で、無条件の愛の方であると言います。そんなでたらめな、根拠のない話しがどこにありますか。その話はあっていますか。もしそうならば、世界の人々を全部許してあげて、全部をみんな天国に行かせればいいのに、何故いかせないんですか。許しというのは、より良くなり得るところでののみ成立されるのです。これを知らなかったんですね。
だから、より良くなる事のできるところでのみ、天の御国への望みが続けられるのです。こういう結論がでるというんです。そう、より良くなれる時にのみ、個人から家庭に上り、家庭から氏族、国家、世界に行ける、天の御国に行くことができるのです。こういう話しは、今日の社会にも通じるんです。このような事は簡単な問題ですけれども、考えることもしないで、知らないでいるんです。さあ、皆さん、朝早く、夜明けから何をしに来たんですか。来る前より悪くなるために来たんですか。良くなる為に来たんですか。一段一段階段を上る様に、良くなっていくんですよ。
こうして、全て分析的な理論を通して、それが当然な理論形態を経てから、神のみ旨を求めていく事のできる宗教になる事ができるというのです。私達は、理論的な理論を通して、それが当然な理論形態を経てから、神のみ旨を求めていく事のできる宗教になる事ができるというのです。私達は、理論的宗教を言ってきたのです。
さて、それでは自分が世界的に大きく、世界的に大きく、世界を全部良くするという時にはどうなるでしょうか。堕落した時より良くなるとすれば、少々の罪等は、そのまま許されるのです。神に許して下さいと言わなくても、そのままみんな許しを受けることができるというのです。
皆さん、針先ぐらいの罪をもって「ああ神様!私を許して下さい」このようにするだけでいいのかな。私は少しは罪がありますけれども、こういう原則を知るならば、世界のためにより善になる、良い行いをするとするならば、大したことのない罪は許されるんです。このような論理がたつようになります。そんな事ってあるのかな。こういう事を知るようになれば、見てごらん、もう大丈夫だ、しめたものだ。
神の喜びの善の対象
それでは、今この世界で神が一番好まれる事は何でしょうか。考えてごらんなさい。それじゃ、結論を下しましょう。神が好まれるものは何ですか。それはアメリカを一番好きになるのか。喧嘩をして一番に好かれるのか。全体が一つになってこそ一番好かれるのか。聞いてごらんなさい。一番好きになるためには、それ位いに国民が完全にならなくてはならないのであり、大統領と完全に一つになることです。自分が正しい立場に立っていけば好きになられる他ないのです。
それと同じであるというのです。神が何を一番好まれるのでしょうか。それでは神が一番喜ばれるのは何でしょうか何かな。おいしいものを食べることです。か。お金の包みを持っていく事ですか。権力ですか。世の中を牛耳る権力ですか。知識ですか。知識でしょうか。お金も神がいくらでも作るのであり、権力も神が全部持っているのであり、知識も全部持っているのですよ。全てのものを全部もっているのです。神はお一人で喜ばれるのですか。そうすれば、神は狂ったのです。さあ、神は何を一番好まれるでしょうか。何を一番喜ばれるのでしょうか。神が完全であるのと同じく、完全なる対象を求める事です。対象を求めることであるというのです。
喜びとか、幸福とか、愛という言葉ではなく、相対的関係から言うものです。一人で「ハッピー」と言いますか。「ああ、ハッピー」そうですか。喜ぶことができますか。それはできないんです。それはみんな相対者が現われてこそ、これが全部一度に、みんな成就されるのです。一度にです。いくら神といえども相対なくしては駄目であるという結論がでるんです。
それじゃ相対はどこにいるのですか。最近、このアメリカをみてみると、犬でしょうか(爆笑)。この宇宙の中いくら神の相対となれるものを探してみても、人間以外にあり得るでしょうか。人間以外はいないです。
人間です。人間といえば、男と女がいます。私達は神に帰りましょうと言いますが、自分だけが先に行くんだと、こうなったらどうなるでしょうか。そうであるために、知恵の神はそうせずに、お前達二人共に一つになりましょう。こういう結論になるのです。結婚は何故するのでしょうか。神を共に同的に持つために結婚するようになったといえるのです。こういう話しになるのです。一諸に暮す、さあ、こう話すと素適でしょう。
さあ、皆さん神の対象になる事ができますか。私の口がこんなに大きくて、鼻がこんなに大きく、目がこんなになって、醜い容姿であっても、神は私を対象とせざるを得ないというのです。神はそうなんですよ。万が一駄目であったら、私が醜いという事が理由で対象として下さらなかったたら、神に攻撃しなさい。創造原理で、主体があなたであり、私が対象であるのに、原則がそうなっているのに、いやになる訳があるでしょうかと。神がどうする事もできないのです。
さあ、私が韓国にいた時のお話をしましょう。韓国におばあさんなんですが、しわくちゃで、見るだけでも気分が悪くなる、そういうおばあさんがいるのです。でもこのおばあさんは、先生をとても好きなのです。朝に食事をする前に、一度先生に会わないことには駄目なんですね。そのおばあさんが、先生がどこへ行っても、夜明けに来てあいさつをして、昼ごはんの時も来てあいさつをするし、夕食の時にも来てあいさつをするし、さあ、こういう事で「えい!少じっとしていなさい。」そういう毎に「先生は私が嫌いでそうしているのではなく、私が好きでそうなさのだ」とそう言うんですね(爆笑)。
しかし、何度かそうしたら、そのおばあさんは、神の前に三日間談判祈祷したのです。「本当に先生は私が嫌いでそう言ったのでしょうか。」と。神にそうなのか談判したんです。そうしたら神は「こうしなさい」と教えて下さったというのです。「これこれ!お前、先生のところへ行って、このような答えをしなさい」と。どんな答えかと言うと、「顔立ちが良くても神の形状、悪くても神の形状であるから、神の形状を愛するのが先生の義務であるために、お前を愛さないはずはありません」と(爆笑)。こういうお話しがあるというのです。
私達の全ては神の像
特に若い女性の一部の人々は、鏡を見ながら「どうして私はこんなに醜いのかしら」と嘆きます。そのような女性が沢山います。しかし、そう考えることは罪です。そのように考えるべきではありません。たとえあなた達が醜かったとしても、それは神からきたものです。あなた達は、神の性相の醜い部分を受け継いでいるのであり、それは神自身の顔の表われに他なりません。故に神はあなた達を愛さなければなりませんん。
あなた達は自然の美を求めておりますが、自然の美を鑑賞する時に、それは決してワシントンの記念碑のように、単に四角い直線的なものを求めているのではありません。自然の美というのは、すべての醜さを含んだすべての形の結合したものであります。
神は、この世界に美しい人々のみが住むことを願ったのではなくいろいろな人々が一緒になって住むことを願ったのであります。光の中を歩めば影ができます。そのように光と影があった時に、全体的な美がつくりだされます。神の美とというのは、高いもの低いもの、巾の広いもの狭いものなど変化に富んだものであります。いいかえれば、美人はすべての徳を兼ね備えることができないということです。美があれば、その反面何か欠けた部分があり、醜さのかげには、また美しい部分もひそんでいるのです。そのようにお互いに補い合うことにより全体を形づくっているのです。
神は私達の主体であり、私達は神の最も尊厳なる対象であります。故にあなた達は、神の像の如くつくられた愛の対象であります。あなた達の手をごらんなさい。それは誰の手だと思われますか。「神はどのようなお方ですか」と聞かれたら「私のような方です」と答えなければなりませんん
では神はいくつの目を持っていますか。二つです。神がもし目をもっているとすれば、ただ一方のみを見つめますか、それとも笑ったりして、目ですべての動作を表わしますか。神がもし口を持っていたとすれば、神は笑うでしょう。あなた達の体のすべての部分は、神の像の如く造られたものです。あなた達はそれを愛さなければなりません。この世のすべての人々な、神に似ているその度合いが異なります。ある人々は七十パーセント似ており、ある人々は五十パーセント、ある人々は三十パーセント似ております。心も体も含めてです。私達は神の如く造られておりますが、兄弟姉妹の中により神に似た人がいるということを知るべきです。
目と口と手を守りなさい
体のどの部分をあなた達は最も愛しますか。女性は顔を最も愛するように思われます。それで化粧をしたりして、顔を美しく見せようとします。女性は目と口を最も愛しているように思われます。それで目と口をたえず手入れします。次に女性は爪を愛するように思われます。爪を非常に念入りに手入れします。何故女性はこの三つを最も貴重なものであると考えているからです。だからサタンは女性を誘惑しようとする時にどこを狙うでしょうか。あなた達が最も貴重と思うものを狙います。サタンはまず始めにに抜き取ろうとしました。それから口を盗もうとしました。目と口を得た後はゆっくりと手をさし出しあなたの手を握ろうとしました。サタンは非常に賢いのです。だからあな達は、目と口と手とこの用い方に注意せねばなりません。この三つはたなた達を信仰的にもし、不信仰にも陥らせることができます。
もしあなたが目の使い方を誤れば、例えばその目を誘惑している男の人に向けるならば、あなたはサタンとなるのです。あなたは口を誤った目的のために用い、男の人を誘惑しようとして不信仰な言葉を語るならば、口もサタンのものとなってしまいます。もしあたた達が、それらの三ふがサタンのためではなく神のために使われるのだという確信をと信仰をもっていれば、アイシャドウをしても、口紅をぬっても、マニキュアをしても一向にかまいません。しかしもし確信がなければ、それをすべきではありりません。
神の愛に力酔う
私達は神の対象であるという結論に達します。私達は神を主体として、神を所有する権利をもっています。神は私を愛し、私に喜びを感じ、私から幸福を得るでしょう。これが神の立場であるとしか考えられません。あなながひとりで神を所有しきったと感じた時、あなたは神の対象となり、愛と幸福と喜びにおいて神を占領することができます。私達は何と幸福なのでしょうか。
では堕落した人間の願いは何でしょうか。それは本来の人間、本来の創造理想の世界に復帰することであります。あなた達は神の愛を体験していますか。神の愛はどんな味ですか。もしも神の愛が体のある部分にくれば、あたなの目も鼻も耳も口も、すべての器官がその方向に向くでしょう。そうすればあたなは完全に神の愛によって酔ってしまうでしょう。あなな達のうち何人かは、酒の味を知っていることと思います。先生は酒の味を知りませんが、あなた達がどんなに酒で酔ったとしても、神の愛に酔うことに比べれば、それは比べものになりません。この世には沢山の麻薬患者がいます。例え彼らがある種の快感をもっているとしても、それは神の愛とは比べものになりません。
この世界での男性と女性における愛は、より程度の低い愛であり、本来の人間の享受すべき愛ではありません。それは天使長級の愛であります。そのような天使長級の愛ですから、私達はその愛のために死にそうだと言います。あたな達が神の真の愛を受けやそれを味わうならば、なおさらそうなるにちがいありません。二十四時間、一瞬一瞬、すべての思いが神に向くにちがいありません。そのようつ愛を感じることができますか。
あたな達が日々神に近づくならば、神はあたな達から遠ざかることはありません。神もあなな達に近づいてくれます。真実、恋人同志が近づきあう時、お互いに相手をしりぞけはしません。お互いに近づきあうでしょう。神の愛も同様です。もし私達が神の愛を知れば、それはどの位幸福か、誰も想像することができません。
だからいったん神の愛と一つになれば、例えあなた自身が神の愛を断ち切ろうとしても、それをする力がありません。神も人間の愛から自分自身を断ち切ろることができません。故にそれは永遠に続きます。。何ものもそれを断ち切ることができません。神でさえそうすることができないのか、とあなた達は疑うかもしれません。親の愛というものを考えてごらんなさい。生まれたばかりの子供をもつ、若い夫婦がいたとします。子供は不幸にも生まれてすぐ死んだものとします。しかしその両親でさえ、子供が一度も親の愛に反応を示さなかったとしても、多くの悲しみを味わい、涙を流し、それも一日だけでなく、何年も何年も忘れることができません。
そのような種類の愛は一体どこからくるのでしょう。それらすべては根源からくるのです。神はその根源であまます。神は御自身を人間との愛から切り離すことができません。故に神がいかに全能であったとしても、愛から切り離すことができません。故にいかに神が全能であったとしても、愛の前には屈伏せざるを得ません。神よりも強いものがありますか。そうです。一つだけあります。それは真実の愛です。
復帰は真の愛により
あなた達は、何を一番大切にしますか。それは愛です。生命以上に愛を大切にします。それは神にとっても同様です。神も自分の生命以上に愛を大切にします。故に神を占領する秘訣はただ一つあります。それは神の愛を用いることです。今日の主題は前にも語ったように「み旨成就の場所と群れ」ですが、神の意志のあるところには真の愛がある。これがポイントです。
真愛を与えるためには、神の真の人間を見い出さなければなりません。故に神の真の人間と神の愛を授受することのできる成就の日をみることでした。故に原理が私達が四位基台をなす時に、神のみ旨が成就きると教えていることは、歴史的な発見であります。四位基台中には、男と女、親と子等のすべての愛の人間関係を見い出すことができます。神は父母の愛や夫婦の愛、子女の愛とこの三つの愛を感知しようとされました。人間社会においてこの三つの愛があり、私達は神の愛を中心とする愛の世界に生きているのです。
一つの円は理想世界を代表し、もう一つの円は堕落世界を代表しています。(図を説明しながら)愛はどちらの世界にも存在しています。しかし一方の愛はねたみ、自己中心、貧欲などの堕落世界の愛であり、他方は対象に対する与える愛であります。神は愛の完成を願い、その対象から愛を受けることを願ったのであります。だからあなな達はまず第一に対象を愛し、尊敬しなければ神の理想は実現されません。理想世界では対象者が重要となり、堕落世界では自己が重要となるのです。それ故に堕落世界から理想の世界に戻るためには、まず第一にあなたの対象者、又は主体者を愛し、尊敬していかなければなりません。
前にも語ったように、もし復帰の過程が再創造の過程であるとするならば、再創造の過程も創造原理にそって行わなければなやません。故に復帰路程において自分を神の立場において対象を復帰し、対象を無条件に愛し仕えていなければなりません。そうすることによってあなたは主体の位置にたつことができ、対象者はあなたの伴侶となるでしょう。そうすることによって最高の偽りのない愛を与えることができます。そうすればそうするほど二人は一つとなります。これが私達が日常なしていることであり、伝道の目的であります。
創造理想と復帰摂理
神のみ旨について語る時、それには二つの意味があります。一つは創造の本来のみ旨、即ち創造理想であり、他の一つは、堕落世界が本来の世界に復帰しなければならないという復帰のみ旨であります。故に後者は人間が堕落した後生じたものであり、それが復帰摂理であります。復帰摂理は再創造摂理でありますが、それは人間の堕落以前には必要ではありませんでした。人間が堕落した後始めて復帰路程が必要となったのです。
キリスト教の今までの教えでは、それら全てを一つの神のみ旨であると考えています。人間が堕落するのも、人間を救う神のみ旨であるを考えています。人間が堕落するのも、人間を救うのも神のみ旨であると。しかしそれは真実ではありません。それは本来の神の意図ではありません。又キリスト教の今までの教えは、救い主としてのイエス・キリストは創造以前から存在したと教えていますが、それは真理ではありません。そのこと、人間の堕落すら神の意図であったという結論に達することを意味します。言いかえれば、神は始めから人間の堕落を意図したということになります。救いとか救い主ということは、初めの神のみ心ではありませんでした。神が最初に予定したのは、はじめから理想世界を実現することでありました。人間が堕落したことによってのみ、救い主が必要なり、地獄というものが現実となったのです。
中心的宗教は神のみ旨を明示
故にこの復帰を中心として、すべての努力が東西南北四つの異った方向からなさなければなりません。すべてのエネルギーが復帰というその使命を中心として費されなければなりません。どのような手段によってかといえば、それを宗教を通じて実現されるでしょう。今まで宗教はその教えを盲目的に信じなさいと教えてきました。そして又より高度な教えを中心として、人間は堕落性を取り除かなければならないと教えてきました。人間の堕落は、人間が神に対する絶対的な従順と忠実さを失った時に生じたのです。故に本来の世界に復帰するために、私達が示さなければならないものは、絶対的忠誠、奉仕であります。だから従順は宗教の世界においては、大きな美徳であります。
沢山の宗教がありますが、その中には中心的な役割を果す一つの宗教と、他の間接的な役割を果す宗教とがあります。全ての宗教は異った使命をもっていますが、その宗教がある段階まできた時は、最終的には中心的な宗教と一つになることができるように方向を正さねばなりません。偉大な歴史学者、アーノルド・トインビー博士によると、最初は二十一の文化圏がありましたが、それらが段々と隔合しあって、四つの大きな宗教を中心とする文化圏を移行してきました。高度な宗教は、より低い次元の宗教を吸収する力をもっています。
では神はそのような多くの宗教を最後の時に、彼らがお互いに対立するために作ったのでしょうか。それとも彼らが一つの大きな目標にむかって、お互いに一つになるように作ったのでしょうか。究極的には、統一ということが、神にとって最も大切な言葉となってきます。そのために統一協会というものがあり、それが私達が今ここに集っている理由です。
それでは私達は、異ったイデオロギーを中心として統一されるべきでしょうか、それとも、神のみ旨を中心として統一されるべきでしょうか、どちらでしょうか(神のみ旨!)神のみ旨を中心として一つになるためにには、私達はまず神のみ旨が何であるかを、はっきりと知らねばなりません。いいかえれば、他の宗教を統一することのできる究極的な宗教は、神のみ旨をはっきりと人類に示すことのできる、究極的な真理、絶対的な真理をもった宗教でなければなりません。
しかしながら、今までの全世界の宗教の歴史を通じて、統一協会のように数学的な方式で、神のみ旨が何であるか、神の創造理想が何であるか、人間の堕落とは何であったかを、正確に示すことのできる宗教は他にありませんでした。私にとってだ統一協会は真理を持っており、全ての宗教を統一する力をもっています。それを信じますか(はい)。統一することを願いますか(はい)。本当にそうしたいと願いますか(はい)。
イエス様ですから、そうすることができませんでした。神ですら六千年間、そうすることができませんでした。しかしあなた達は、それができますか(はい)。何によってできますか。それは真理によってです。私達が知っている原理によってです。故に聖書は「真理はあなた方に自由を得させるであろう」と教えています。
神の真の息子
今まで私達は、まだこの段階で戦ってきました。(図を説明しながら)私達はまだ理想の世界に到達していません。ではいつ到達することができるでしょうか。神の創造理想が実現された時、私達はすでに天国の入口に来ているのです。神の世界、理想の世界に住む人々は神の息子、娘でなければなりません。だからサタン世界に住んでいる人々は、神の息子、神の娘として自分自身を移行させなければなりません。
サタン世界の人々は、どういう人々でしょうか。それは堕落した人々であります。彼らは神の人でしょうか。サタンの人でしょうか。(サタンの人です)サタンの人は、自らを神の世界に移行させる力がありません。
私達が毎日やっていることは、神の人に移行できる候補者を集めているのです。宗教にくる人々というのは、神の息子、娘になるための候補者の群のようなものです。私達が理想世界に行くためには、私達はまだこの段階を越えねばなりません。(図を説明しながら)。そしてこれは、養子の領域であります。養子のとは究極的には父の養子となること、即ち息子となるための候補者であることを意味します。しかし養子は、まだ父の血統を受け継いだ立場ではありません。神にとって、千万人の養子と、一人の血統を受けついだ真の息子とどちらが尊いですか。その答えは御存知のことと思います。
本来の理想世界において、神は万物に対する相続権を、自分の息子に与えようとされました。神はそれを、養子に与えるふ九に創造されたのではありませんでした。だからあなな達が、養子としての資格を与えられる宗教の領域にいたとしても、あななた達は真の息子を必要としています。真の息子が来なければなりらせん。神は養子から息子へと、人々を移行させることのできる一人の真の息子を送らねばなりません。では、その人はいつ来るのでしょうか。その人は誰なのでしょうか。それがメシヤであります。
とりなしをなすメシヤ
では何故メシヤは来るのでしょうか。メシヤの使命とは何でしょうか。メシヤは人々を復帰するため、言いかえれば人々に絶対的な忠誠を尽させ、メシヤと一つにならせるために来られのです。それからメシヤは神に「これらの人々は私と完全に一つになっています。あなたたが、私を中心として復帰したこれらの人々に私と同じ資格を与えてくれませんか」と言うでしょう。メシヤは又「お父様、これらの人々はメシヤの為の真の家庭基台、メシヤの為の真の社会的な基台、メシヤの為の真の国家的基台、メシヤの為の世界的基台をつくりました。彼らはとても貴重な存在です。だから、あななが私のために意図した全ての愛を、彼らに与えて下さい。この日のために、多くの人が犠牲になってきました。この日のために、多くの人々が血と汗と涙を流し、真剣に働いてきました。ですから、どうぞこれらの人々を承認して下さい」と言うでしょう。これがメシヤの口実です。そして天の父は「息子よ、もしあなたがそれを本当に願うなら、私はそれをこれらの人々に与えましょう」と答えるでしょう。
それが宗教の役割であり、究極的な宗教の目的であります。言いかえれば、宗教の役割とは、メシヤが神に嘆願することができるよう、メシヤが働くことのできる基台を準備することであります。ですから宗教および教会は、メシヤのための家庭的基台、メシヤのための民族的基台、メシヤのための国家的基台、メシヤのための世界的基台を準備しなければなりません。それが宗教の役割です。
私達は救いの摂理というものを、はっきりと知りました。では救いの摂理は、どの段階まで救うことを目的とするでしょうか。それは部分的や救いではなく、全世界を救うことです。言いかえれば、全ての人類は、本来神の子供であることを願われているのです。神は彼らを、永遠の地獄に投げ込むことはできませんん。神は全ての人を救おうとされています。だから神のみ旨は、全ての人類が完全に救われることです。それが神の究極的な目的です。
では結論を急ぎましょう。それでは真の宗教とは、どのようなものでしょうか。真の宗教は、全人類を救うという資格と目標をもたねばなりません。それは誰のためですか。神のためです。それからメシヤのために、全世界を一つにするためです。真の宗教は神とメシヤのために、全世界を救うという目標をもたねばなりません。神のみ旨は、全世界を復帰することであります。メシヤはその目的を完成するために、地上に神の代理として来られます。
私達は宗教の目的を知っています。宗教は世界のために存在しています。世界は舞台であり、宗教はそれをメシヤのために整えなくてはなりません。メシヤはこの世界を受け入れ、人々に神の息子、娘となる資格を与えられます。それはメシヤの役割であり、養子の役割ではありません。何故なら天国は神の息子、娘が住むところでありわ養子の住むところではありません。故にこの堕落した人間を救い、彼らに神の息子、娘となる資格を与えるために、メシヤは必然的に来なければなりません。
神の御計画
神の復帰摂理を成就させるためにこの百二十年間日本は神から繁栄の力を与えられてきたのです。そのために日本はアジア全体に勢力を持つようになりました。それはこよ百二十年間に成就されたのです。神はあらゆる角度から復帰させようとされておられるのです。あなた達はついて来ますか。(はい)。韓半島は、イタリア半島に相当します。韓国の問題は中東の問題であり、ヨーロッパの問題でもあるのです。ですから韓国の問題は、いわば世界的現象の中心点なのです。キリスト教はアジアに興って、西へと広がったのですから、一循して再びアジアに戻ります。従って霊的に言えば、究極的にはイエスの霊肉完成はアジアで成就されるのです。それが韓国で成就されるというわけです。このようにして、神の統一世界は必ず実現されるのです。統一教会はあななた達のの国アメリカと、そして世界を解放するのです。それが神の遠大な御計画なのです。。わかりました。(はい)。
アメリカに対する神の願い
世界的摂理において、自由世界と共産世界の挾間で、二ちに分裂した国があります。一つは韓国であり、もう一つはドイツです。もしアメリカが先頭に立って摂理を実行しようとすれば、共産主義世界の分裂は可能です。一九五三年、その年、もしもアメリカがダグラス=マッカーサー将軍の政策に従ったならば、世界は変わっていたでしょう。しかし彼は四月に解任されてしまいました。もし彼が解任されていなかったら、九月までには、その重大な問題は解決されていたでしょう。アメリカはここで失敗してしまったのです。この点が理解できますか(はい)。
ですから私達がやり直さなければならないのです。私達が復帰しなければならないのです。アメリカは必ずなし遂げなければならないからです。もし、また失敗するようなことになれば大変です。東洋文化の代表であり、アジアの究極の目的地である韓国に関わってきます。そうしたらもうチャンスはありません。もう二度とチャンスはないのです。わかりますか。(はい)。ここは重大ですよ。
すでにヨーロッパは台無しになってしまいます。共産化されてしまうのです。アジアの諸国も同様です。わかりますか(はい)。その他の地域も共産化されてしまって、共産国家が全世界を襲覇ってしまうのです。そうすればアメリカは生き残れますか(いいえ)。キッシンジャー国務長官が、如何に東奔西走したところで無為に帰してしまうでしょう。アメリカが自らの使命を果せずに、摂理が失敗してしまったら、何も残らなくなってしまいます。
現在でも、キッシンジャー長官が駆け巡れば巡る程、アメリカの傷は大きくなるばかりというようになっています。パリ平和会議、南北ベトナム和平会議などでキッシンジャー長官は非常に忙しかった。しかし結果はどうだったでしょう。ベトナム陥落、中国やソ連を中心とする地域で、もっと陥落が続いています。増々ダメージが大きくなっています。この点が理解できますか。(はい)共産主義から免がれ、生き残る道は唯一つ、メシヤの基台をうち立てることです。
キッシンジャー長官は言うでしょう。「私はイデオロギーにはとらわれません。実利的な話をしようではありませんか。友人になりましょう」こんなことを言うかもしれません。イデオロギーにはとらわれません。ということは共産主義がアメリカに入ってきても、歓迎しますということに他ならないのです。この国で君達は何をしてもいいよ、ということなのです。そんなことはアメリカにとって良いことでしょうか。(いいえ)。これこそ共産主義にとぴて、絶好の機会ではありませんん問題は重大です。病気に例えれば重態です。
自由世界と共産世界の対決
自由世界と共産世界での究極的な衝突は、ドイツでは起らないでしょう。ドイツが他の衛生国と結びついているからです。そうしますと、サタンが最も野望を抱く所は、アメリカがアジアと結びついている、接点であるところの韓国ということになります。従って、サタンは韓国に全勢力を集中させようとします。ここが韓半島ですね(黒板に地図を書かれて)。そしてここがソビエト・ロシア、ここが共産中国、そして海を越えてここが日本、そしてここにアメリカの力が加って、支える格好になっています。四列強が一つの小さな国を囲んでいます。ドイツはそうではあまらせんんまさに自由世界と共産世界の対決が韓国に持ち込まれようとしているのです。もし共産中国が韓半島全体を支配するようになれば、日本にも勢力を及ぼし、全アジアを掌握するようになるのです。ですから韓半島を誰が治めるかということは、アジア統治の鍵なのです。これは真実ですか(はい)。
神の子への奉仕
しかし、アメリカはどうかというと、第二次大戦後、日本に勢力を及ぼす立場を退き、日本に統治をまかせました。韓国でも同じです。何故アメリカは、全アジアに影響を及ぼせなかったのでしょう。そうです。ある意味ではそれだけの政治力がなかったのです。アメリカは愚かな道を選んでしまった。とさえいえます。アメリカにとって、アジアを失うことは自分自身を失うことなのです。神はアメリカにそんなことを望んでいるでしょうか。
実際、第二次世界大戦後、アメリカは韓国、日本、中国、マレーシア、東南アジアそしてインドも支配するチャンスがあったのです。しかし現在その多くは、共産中国の手中にあります。アメリカは、アジアから退却しなければならないでしょうか。神は全世界を、復帰しようとされておられるのです。アメリカは他の地域から徹退して、このアメリカ大陸でサタン勢力と対決しなければならないのでしょうか。アメリカが生き残る道は唯一つです。それは、アメリカがメシヤにつかえ、神の子への奉仕をすることです。それが将来、アメリカが生き残る唯一の方法です。
アメリカは、かつ韓国を防衛ラインに入れておりませんでした。アメリカの防衛ラインは、日本、台湾、フィリピン、オーストラリアを結ぶものでした。そのため、中国と北韓は、そのアメリカの政策を感じとり、韓国へ武力侵入してきて、六・二五動乱が起ったのでした。当時のトルーマン大統領は韓国の解放のために、国連軍としてアメリカ軍を送ったのでした。これは、正しい判断だした。多くのアメリカの勇士の血が、韓半島で流されました。
ですから、フォード大統領も韓国の解放のために、韓国の勇士と共に血を流すことは、神の御意にかなった条件となるのです。たとえ、アメリカがかつて失敗したとしても、勇気ある行動をとれば、それが行動となって蕩減することができるのです。そこで、韓国の自由のために語り、韓国と相対しようとしたすべての人は、韓国で亡くなった勇士と相対するこのができるのです。神中心に考えると、全て自由圏の人々は、血で結ばれた兄弟なのです。それこそ尊い結びつきなのです。
韓国は神の最前線でもあり、サタンの最前線でもあるのです。それは世界の運命を握っているのです。ですから非常に重要な一点なのです。わかりますか(はい)。また韓国から退却しようとしているのです。そして、以前のように、アラスカ、日本、台湾、フィリピン、オーストラリアという防衛ラインを引こうとしているのです。その防衛ラインには韓国が入っていないのです。
しかし、神はそのようなことを決して許されるはずではありませんんたとえ、ベトナムやカンボジアが、天的に見て犠牲になったとしても、韓国は、神が決して手離すわけにはゆかない一点なのです。たとえ、ベトナムやカンボジアが陥落したために、防衛ラインを変更せざるを得なかったとしても、許されざることなのです。ベトナムやカンボジアが陥落したことを心苦しく思っているとしても、韓国を失う苦しみには及びません。そんなことになれば、アメリカは世界からの信頼を完全に失ってしまいます。それは真実ですか(はい)。韓国のその重要性を、アメリカはまだほんのわずかしか理解していないのです。
霊的イスラエルの復帰
それでは、世界がこのような方向に動いているならば、統一教会は何をしたらよいでしょうか。もし国家が体を体を失い、霊的にのみ救われているとしたら、再臨主は国を霊肉共に救わなければならないのです。さもなければ、完全な復帰にはならなかのです。従って韓国はイエスの体の位置にあるのです。もし韓国が重態になれば、アメリカも同様にならざるを得ないのです。
統一原理によれば、天使長がエバとアダムを堕落させたのです。良い天使長つまり、アメリカは摂理上、エバ国とアダム国を復帰させなければならないのです。良いアダムとエバと天使長が一体となれば、世界の希望は絶対に崩壊することはありませんんわかりますか(はい)。
統一教会が韓国に興った時、すべての既成教会は統一教会を押しつぶそうとしました。それは、ユダヤ人がイエスを抹殺しようとしたのと同じことなのです。しかし、そのような環境の中で、統一教会は生き残り、成長を逐げたのです。そして、条件を立てたのですでした。国家基準で勝利したのです。それが一九七二年のことです。そして、その先生はアメリカに渡りました。それは、韓国での勝利をアメリカにもたらすためでした。アメリカをその勝利圏に接がせるためだったのです。
ですから、これは、霊的イスラエルを復帰する位置に当たるのです。二千年前には霊的に、イスラエル人を復活させることができなかったのです。先生は、霊的な祝福が与えられた、アメリカのキリスト教会に統一や調和がもたらされるまで、三年間耐え忍びました。実際、あなた達も見たり聞いたりして知っているように、三年間でアメリカ中でレバレント・ムーンを大歓迎するようになったのです。多くの牛師達が歓迎しました。それでアメリカの教会を霊的に接ぐことに成功したのです。
蕩減復帰
今度は、この勝利の基準に立って、物的勝利を西洋や東洋の他の諸国に結びつけなければなりません。それがIOWCの摂理なのです。アメリカの物的な勝利圏を韓国と日本に結びつけるのです。アメリカでの物的勝利をアジアにもたらすということです。わかりますか(はい)。アメリカがアジアから徹退して条件を立てるよう、象徴的にIOWCをアメリカから韓国や日本に送っているのです。
そうすることによって、霊的世界に革命が起こったのです。西洋の精神が東洋に、東洋の精神が西洋に入り込んで、二つの精神世界で混乱が起こりました。しかし、レバレント・ムーンは東洋から西洋に霊的祝福をもたらし、西洋から東洋に、キリスト教の肉の糧をもたらすことによって条件を立てたのです。即ち、その二つの世界が、精神的にも肉的にも一体となり対峙していたものが調和したのです。
その基台が成就されるや否や、如何なる迫害にあっても、統一教会の運動はもはや、その基台の上にあって、確固たる発展をするのみなんです。それは開かれた道であり、東奔西走融通のきく道なのです。韓国政府や、韓国の人々は統一教会がどんな組織なのかを知って、既成教会の反対意見を取り上げなかったのです。
これはイエスが二千年前に、イスラエルで直面したのとは反対の状況なのです。二千年前には、統治者は、ユダヤ人達と一緒になって、イエスを十字架にかけてしまいました。しかし、現在、韓国の政府と国民が統一教会に賛同し、一緒になって既成教会に反対に反対する立場に立っているのです。
その勝利した基台の上で、国家的路程が統一教会によって実行されなければなりません。韓国の解放のための世界大会(六十ヵ国からの代表が参加し、百二十万人をヨイド島に集めた)によって、壮大な運動が今や開始されたのです。これによって、統一が崩されない外的条件が立てられました。
今度は私達は韓国での勝利圏を、全世界に拡大しなければなりません。私達は同一の宗教の場に、百二十万人を集めるという、歴史上前例のない記録をうち立てたのです。宗教の集会としても新記録です。これは、統一世界の宣言です。そうなれば、これらの勝利を一体とすることは可能です。アメリカ、日本、韓国が一体となれば良いのです。即ち、アメリカの国民、日本の国民、韓国の国民が一体となれば、全世界にまで勝利圏を拡げることができるのです。
交差の時
ですから、私達は霊的に勝利したのです。霊的基台は造成されたのです。これから私達がしなければならないことは、その勝利圏を物質世界に拡大させるのとなのです。韓国とアメリカで、霊的勝利が成就されたので、これから三年間は今度は、肉的勝利を目指さなければなりません。これから三年間アメリカでなさなければならないのです。アメリカが一体となれば、その三年路程は、勝利されます。そうすれば、全世界は必ずやすばらしい希望の日を迎えることができるのです。
現在共産主義が、どんなに大きな勢力をもっているように見えても、私達が勝利すげれば、それは衰えてゆかざるを得ないのです。(黒板に書かれながら)一九四五年、アメリカは聖なる神の国の兵士として、世界を征服する位置にあったのです。しかしアメリカが摂理に失敗したために、三十年が過ぎたのです。
一九七五年から一九七八年までの三年間は、イエスの公生涯に相当するのです。彼は三十三才まで生きました。一九七八年はイエス三十三歳の時に相当します。これは世界的路程です。わかりますね(はい)。数理的にそういうことなのです。アメリカは建国二百年を迎えます。この時が交差なのです。
一九七七年には共産主義国は六十周年を祝います。(黒板に書かれながら)。共産主義はこの六十年間に拡大を続け、地球の半分程を占めるのに至りました。しかし、この時からそれは衰えてゆくのです。私達が責任分担を果せば、共産主義は自動的に衰えてゆくのです。六はサタン数です。ですから、サタンは六数で頂点に達するのです。もし私達の側で責任分担を果せばサタンを引きずりおろしてしまうのです。あなた達もそう考えますか(はい)。
北韓の首相、金日成はまもなく六十歳になります。彼はその時祝福されるでしょう。そして衰えてゆくのです。何故からば彼はサタン的蘇生、サタン的長成、サタン的完成をきちんと通ってきているからです。サタンにとって「優等生」なのです。(笑い)。彼はサタン的イエスの位置にいるのです。彼は三十三歳の時に権力を握りました。イエス・キリストが十字架にかけられたと同じ年齢の時にです。金日成は今年六十三歳です。ですからこれから三年は本当に対決の時なのです。それは最後の勝利に導く闘いなのです。これがこの三年の意味なのです。わかりましたか(はい)。金日成はサタン的イエスであり、彼は「アボジ」(お父様)と呼ばれているのです。
もし私達が神の国を成就すれば、神の側が栄え、私達が神の国を成就することに失敗すれば、サタン側が勝利するのです。間違っていますか。そんなことはありませんね。これは決定的なことなのです。不可避的な結論なのです。韓国の意味がわかったと思います。
韓国には「パンムンジョン」という独得の言葉があります。神の側とサタン側で互いに訴え合うのです。それは霊的な場で行われ、そして、その結果が物理的にも現象化するのです。霊的に神とサタンが衝突しているのが、物質界として現実として現出するのです。それをパンムンジョンと呼びます。非常に神秘的ですけれども、意味深長な言葉ですね。その地に神が臨輸し給うことがわかりますね(はい)。
神の三つの悩み
統一教会が勝利すれば、北韓も東ドイツも解放することができるのです。そうすれば全世界を合性一体化された神の国とすることができるのです。その時までには、優秀な人間をも統一しなければならないので、統一科学者会議が備えられているのです。今月もそれが開かれるのです。わかぱていますね(はい)。成就させるつもりがありますか(はい)。どんなに犠牲があってもやりますか(はい)
神には頭痛の種が三つあります。衰えつつある教会を誰が救えるだろうか。誰がイデオロギーの問題を解決できるだろうか。誰が共産主処を克服できるだろうか。この三つの悩みなのです。神はそういう人を捜しておられたのです。そしてレバレント・ムーンを選び給うたのです。統一原理は、キリスト教の全ての疑問を解決し、統一できるものです。それに、統一原理は共産主義を克服できるのです。私達が勝共理論を提示すれば、共産主義を克服できます。私達はそういうパワーなのです。私達は新しい哲学を持っています。それは新しい哲学思潮なのです。それは世界の全てのイデオロギーを超越した哲学的パワーなのです。
そうしてみると、神はレバレント・ムーンがグランドチャンピオンであると考えざるを得なかったのです。あなた達もそう思いますか(はい)。あなた達はそう認めているけれども、そのグランド・チャンピオンについてゆきたいと思いますか。そのチャンピオンと一緒に闘う宗教、イデオロギーなど全ての分野において、あなた達もチャンピオンになれるのです。あなた達もチャンピオンになりたいと思いますか。
結局、もしアメリカが摂理に失敗したなら、誰が神の恩恵や使命を引き継いで成就させるのでしょう。それは、アジアから来た新しい宗教理念によって継承されるのです。そして新しい血統の者達が世界の救いを志すのですぐ
一つの世界
私達は国家の連帯を切望しています。国家の分裂は願っていません。今日、世界に連帯がありますか。私達の王国はどこですか。私達の故郷はどこですか。世界が私達の故郷なのです。私達はどういう者達なのでしょうか。私達は独立の民なのです。どの一つの国にも属さない、独立の民なのです。
私達は、ジョージ・ワシントンの下で闘った植民地の兵士と同じ立場なのです。彼らは自分達がイギリスに比べたら、全く力がない兵士と考えていました。でも、彼らは勝利をおさめたのです。全く同じように、私達は強大なイギリスのようなサタン勢力と闘う兵士なのです。神が私達とともにいまし給う時、私達は普遍的に(全ての民族、全ての国民、すべての良心的な人々において)勝利することができるのです。そう思いますか。白人においてもですか。黄色人種においてもですか。インディアンにおいてもですか。全ての人間においてですか。
そでは私達は何を復帰するのでしょう。世界を復帰したらどうするのですか。私達自身の勝利を喜ぶのですか。私達は神の世界的勝利をも喜ぶのですね。私達は金銭のことなど考えません。それでは神はどうなさるでしょう。神はこう言われるでしょう。「さあ来なさいこちらへ来なさい」それからまたこうもおっしゃるでしょう「私は全てを、お前にあげよう。お前も私に全てを捧げるだろう。そうすれば、私はお前と共にいる」と。
以後一切宗教は必要ないのです。一般の宗教は神の頭痛の種なのです。それらは必要ないからです。それから国境についても同じです。日本でもビザが必要ですし、アメリカでもビザが必要、他の国でもそうです。神はこうおっしゃるでしょう「国境など必要ない。ビザもいらない」。その時には、神は孤独の神だと思いますか。それともそうではなくて幸福だと思いますか。(幸福の神だと思います)。
神が日本に行くのに、ビザが必要だとしたらどうでしょう。神がどんなに多くの人を愛しても、ビザがなければ会うこともできなければ、そこへ行くこともできません。神はビザの制度を望まれると思いますか(いいえ)。神は「よその国」へ移住するなどということを好まれません。私も好きではありません。渡り鳥が国境を越える時に「はいビザです」などと言いますか。蝶がビザを見せたり、持ち運んだりしますか(笑い)。昆虫はどうですか。それなのに、何故人間だけがビザを見せなければはらないのでしょう。誰がビザの制度があった方が良いと思う人がいますか(良いとは思いません)。そういうのが理想世界なのです。それが私達の世界なのです。
み旨をなす我々
そこで一つの公式が成り立ちます。レバレント・ムーンに反対する人の上からは、神の祝福が去っていき、レバレント・ムーンに帰されてしまうのです。ですからレバレント・ムーンに反対する既成教会や共産主義の世界からは、神の祝福が去ってしまいます。もしアメリカが、レバレント・ムーンに反対すれば、神の祝福は去ってしまいます。
レバレント・ムーンは、どうしなければならないでしょう。どんなイデオロギーを持った人でも、祝福を分かち与えなければならないのです。そして、一つの神の国での喜びを、共に享受するようにしなければならやないのです。レバレント・ムーンの仕事は、本当に忙しいものです。というのは、既成教会にも、アメリカにも、共産主義世界にも神の恵みを与えるのに、みんな無駄になることが多いからです。ですから神もレバレント・ムーンも、何も持っていないのです。でもそれで結構なのです。神の子達に会うために、世界中を渡り歩いて、日々楽しく過すのに、荷物を持ち歩く必要がなくて済むからです。夢のような話でしょう(笑い)。
レバレント・ムーンは、これからずっとアメリカに滞ると思いますか。(いいえ)。百二十ヵ国の伝道のことを、考えてごらんなさい。どの国からも「何故レバレント・ムーンは、アメリカばかりにいらっしゃるのですか。私の国に三ヵ月間いらして下さい」というように言ってくるでしでょう。そうすれば「いいでしょう。三ヵ月間あななの国へ行って生活しましょう」と答あるでしょう。百二十ヵ国に三ヵ月づつ滞在しますと、三六十ヵ月ですね。そうすると、全部の国をひとまわりするのに、三十年かかることになります。レバレント・ムーンがアメリカを去る時は、若くてたくましい姿なのに、帰ってくる時には老人になってしまうわけです。(年をとったまねをされる)(笑い)。ですから、レバレント・ムーンは神と共に世界をまわり歩くことしかできないのです。それでも良いですか(はい)。レバレント・ムーンが行く所には国があり、人々がいて、家庭らあり、子供達がいるのです。そうですか(はい)。神におかれても同じです。神の行かれる所には家庭があり、子供達がいるのです。神の国のことは、念願には入れておりませんんなぜなら、神の国一つしかないからです。本当ですか(はい)。
もし神がいまして、御意を成就したいと願われるとするならば、神はチャンピオンを見つけたいと願われるでしょう。一体誰が、その摂理を成し遂げることげできるでしでう。それは統一教会だけなのです。それが神が見出された答えなのです。そうですか(はい)。あなた達は、その恩恵を受ける準備がしてありますか(はい)。あなた達の心の準備によって、それが成就されるのです。使命を果たすために、例え統一世界全体が、神のために犠牲になっても、それでも成し遂げましょう(はい)。先生に賛成してくれますね(はい)。ありがとう。ではお祈りしましょう。
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