やさしくて柔らかい。けれども心のひだに深く入り込む。紡がれた言葉が、どれだけ多くの人生に寄り添ってきたことだろう。
戦後の現代詩を代表する詩人、谷川俊太郎さんが92歳で亡くなった。詩を通して言葉の可能性を広げるとともに、絵本や随筆などで世代を超える共感を得てきた。
熱心な読者ならずとも、教科書やCMで谷川さんの世界に触れた人は少なくないだろう。ネット上に哀悼や感謝のメッセージがあふれる。詩人が残したものの大きさを改めて思い知らされる。
親しみやすく、ユーモアもある半面、地球や人類を宇宙の高みから俯瞰(ふかん)するような作品は、読み手の時空も押し広げていく。
デビュー作の「二十億光年の孤独」は、「人類は小さな球の上で/眠り起きそして働き」で始まる。「朝のリレー」は、「カムチャツカの若者が/きりんの夢を見ているとき/メキシコの娘は/朝もやの中でバスを待っている」と読み手をいざなう。語感で遊びながら、やんわりと差しはさむ文明批判も痛烈だ。
一方で、身体感覚に直接訴えかける「ののはな」などのひらがな詩は、日本語の音の面白さや豊かさを味わわせてくれる。
東日本大震災後には、1971年刊行の詩集に収められた「生きる」が再び広く読まれ、喪失感を抱えた人々の支えになった。詩が持つ力であろう。
「生きているということ/いま生きているということ」というフレーズが繰り返される詩は、日常のかけがえのなさを思い起こさせる。同時に、「かくされた悪を注意深くこばむこと」という言葉には、人間や社会の暗部と対峙(たいじ)する覚悟がにじむ。
2019年に出版されたイラストレーターのNoritakeさんとの絵本「へいわとせんそう」は、暴力がエスカレートし、分断が進むいまの世界への問いかけでもあろう。
「みんながいろいろな言葉で平和を追求したりしているけれども、戦争は全然なくならない」「詩の言葉が何かの役に立たないか」
信じていたのは、世界を対立させるのではなく、包み込む詩の力だ。どんな言葉を生み出していくのか。私たちに託された宿題だ。