「老い」に負けない ~健康寿命を延ばす新常識~フォロー
高齢者にたくさん薬が出されるのにはワケがあった? 和田秀樹医師が考える、人でなく臓器ばかりを診る医学教育の根深い問題和田秀樹・和田秀樹こころと体のクリニック院長
2024年2月10日
多くの人が信じている医学の進歩であるが、細かい点では確かにいろいろと進歩はしているのだが、全体のシステムとしては、まったく時代遅れのものだと私は考えている。
以前にも触れたが、1970年代から臓器別診療が始まり、各臓器に関しては、ものすごく細かいところまで診てもらえるようになった。これによって一つしか病気を持たない人にとっては専門医に徹底的に診てもらえるし、診断の精度も上がったし、治療の可能性も高まった。
ところが現在は人口の約3割、医者にくる患者さんの約6割が高齢者だ。高齢者の場合、いくつも病気を抱えているために、各々の専門医が薬を出すと多剤併用が当たり前に起こる。医療費の無駄でもあるし、副作用も多くなる。
臓器別診療が50年も続くと、新たに開業する医師たちもほとんどがその形でのトレーニングしか受けていないし、経験もしていない。
往診もするとか、かかりつけ医もやりますとかいって開業するが、開業前は、大学病院や大病院で、呼吸器の専門医とか、循環器の専門医をやっていた人たちだ。
たとえば循環器内科出身の医者は、高血圧とか、ほかの循環器の疾患については最新の知識で治療をしてくれるが、その患者さんが肺気腫のような持病をもち、血糖値もちょっと高いと、マニュアル本をみて薬を出すので、一人のかかりつけ医であっても、各々の専門医が出すのと同じような薬の出し方になる。
「金もうけのため?」
本来は、総合診療といって、患者さんを全体として診て、必要な薬を四つまで選んでくれるとか(5種類以上の薬を飲むと転倒の発生率が4割にもなるという調査研究がある)、生活背景や心理状態までも考慮してくれる医療が必要なのだが、そういうトレーニングを受けている医師はほとんどいない。
医学批判をしたり、高齢者の医療について論じていたりすると、「医者がたくさん薬を出すのは金もうけのためでしょ?」という質問を受ける。
しかしながら、たとえば開業医が薬を出す際に、今は原則的に院外処方だ。
いくら薬を出しても入ってくる処方箋料は一定だし、一定以上の多剤併用だとむしろ保険の点数を減らされることもある。
関連記事
<なぜ人は「見た目」を若く保つことが大事なのか 和田秀樹医師が強調する老化を遅らせる三つの秘策>
<薬で血圧を下げても脳卒中になる人も… エビデンスの「正しい見方」って?>
<高血圧や糖尿病も… 意外と知られていない運転が危なくなる薬>
<なぜ堂々と許される!? 運転の「高齢者差別」>
<名医の探し方>
薬をたくさん出しても金もうけにならない。
やはり悪いのは教育だろう。医学生時代は薬の処方のことは原則習わないが、臓器別診療の病院で研修を受けると、やはり各々の臓器に対して薬を出してしまう。こうしてほかの国では考えられないような多剤併用を当たり前のようにやるようになってしまう。
「副作用を懸命に勉強」する米国の医者
もう一つの医学教育の弊害は検査値至上主義だ。
患者さんの体調や生活実態などを考えず、検査データを正常にすればいいという教育を受けると、やはりすべての検査データ異常に薬を出すようになってしまう。
よく患者さんから、医者が電子カルテばかり見て、自分を診てくれない、話を聞いてくれないという苦情を聞くが、これも検査値至上主義の教育による可能性が大きい。
データが正常でも病気になる人はいるし、とくに高齢者の場合、多少血圧や血糖値が高いほうが元気な人も多い。患者さんの具合より検査値を優先させるような教育には、私の経験上大きな落とし穴があるような気がしてならないし、また検査値が異常な場合、きちんとした生活指導や栄養指導より、つい薬に頼ってしまうから薬の量がだんどん増えてしまう。
要するに、金もうけのために膨大な薬を出すのでなく、医学教育が悪いから薬が増えてしまう。
ついでにいうと、検査値にはこだわるのに、薬の副作用には無頓着だから薬が増えるという側面もある。
訴訟社会のアメリカでは、医者が薬の副作用を一生懸命勉強する。そして、なるべく薬を出さないようにする。私のアメリカ留学中もレジデント(研修医)が製薬会社のMR(医療情報担当者)を捕まえては薬の副作用を根掘り葉掘り聞いていた。日本で、このような風景をほとんど見た記憶はない。
いびつな総合医、専門医の割合
いずれにせよ、臓器別診療から総合診療へ医学教育をシフトすべきだし、実際、総合診療が盛んな長野県は老人医療費が安いのに平均寿命が長い。
しかし、医学部教授たちの既得権益や専門分化型の医師たちのポストの確保のために50年も専門分化型医療と、専門分化型教育が続いている。
もちろん、高齢者が増えたからといって専門分化型の医者が必要なくなったというつもりはない。ただ、総合診療医と専門医の割合がいびつだといいたいのだ。日本よりずっと高齢化率が低いイギリスでもその比率は1対1くらいと言われている。私もそのくらいが適正だと思うが、大学医学部も厚生労働省も総合診療医を増やすつもりはなさそうだ。
カウンセリングが学べない?医学部
もう一つ、大学医学部の医学教育のひどさは心の医療の軽視だ。
現在、日本には82も大学医学部があるが、精神科の主任教授の専門分野がカウンセリングとか精神療法の学校は一つもない。教授のプロフィルの専門分野の一つに精神療法とか書いている教室はあるが、教授になってから勉強したという程度で、教授になるまでに精神療法を学んできていないというのが実態だろう。
これというのも、精神科の教授を医学部の教授会における選挙で決めるからだ。
多くの大学医学部の教授たちは、動物実験で書いた論文の数で教授になった人たちだから精神科の教授にもそれを求める。
結果的に生物学的な脳などの研究をしていた人のほうが論文の数が多いなどという理由で教授会の多数決で勝つ。82大学すべてで、これが起こっているということだ。
ところが、これによって大きな問題が起こる。
ストレス社会と言われたり、地震や性犯罪などのトラウマを抱える人が増えてくると、精神科の患者さんのかなりの部分が、薬では治らなかったり、カウンセリングが必要になったりする。それを大学医学部では教えないのだ。
教育上も大きな問題がある。
現在、ほとんどの大学医学部では、心理学やカウンセリング法などは学べない。
大学6年間の講義の中で、心の問題を学べるのは、精神科の講義だけということは珍しくない。
その時に精神科の教授が生物学的精神医学の人だと、講義で脳内の神経伝達物質の話や精神障害の診断基準の話ばかりを聞くことになって、患者さんとの接し方や患者さんの心の問題などを学ぶことができない。
そういう学生たちが、この20~30年医者になっている。
変な医者が多いということで、すべての大学医学部の入試では面接が行われるのだが、教育が悪いという発想はなく、選挙で、心の治療なんかいらないというような判断をするような大学医学部の教授に面接をされて、20分やそこらの面接で「お前は医者には向かない」ということで試験の点数が足りているのに落とされる受験生が気の毒でならない。
メタボよりフレイル対策を
高齢者が増える中、もう一つ、大学医学部の教育でおかしいと思うのは栄養学が学べないことだ。
栄養学の大切さは、近々、このコラムで詳しく書くつもりだが、高齢化が進む中、日本の栄養学も時代遅れになっている感が否めない。
病院や医院で、管理栄養士という一般の栄養士より上の国家資格をもった人から栄養指導を受けることがあるが、多くの場合、糖尿病などのカロリー制限など、病気に対応したものになる。
要するに栄養指導を受けると、食べたいものをがまんさせられるようなことが多くなる。
しかしながら、高齢者の場合、栄養が余る害より、足りない害のほうが大きくなることが多い。
実際、東京都医師会も日本老年医学会も高齢期にはメタボ対策よりフレイル(虚弱)対策と言って、体格指数(BMI)の目標値を高齢者では高めに設定している(これでもまだ低いと私は考えるが)。また各種調査でもやや太めの人が長生きすることが明らかになっている。
高齢者のことを十分に調査、研究して、どのような栄養指導が適切なのかを考えるのは、もちろん栄養学の仕事なのだろうが、医学部でも、きちんと栄養についての研究をしていき、学生にも栄養学の講義を行えば、医師や管理栄養士がもう少し高齢者にあった栄養指導ができるだろう。
免疫力を上げる発想がない
もう一つは、栄養学だけでなく免疫学の軽視もあいまって、いろいろと好きなものをがまんさせる弊害が論じられないことだ。
塩分やお酒を控え、血圧を下げることで防げると考えられている(これにしても、どのくらい防げるのかの大規模比較調査は日本にはない)。脳卒中や、コレステロールや甘いものを控えることで防げると考えられている心筋梗塞(こうそく)と比べて、がまんして免疫力が落ちることで増えると考えられるがん死者数の方がはるかに多い。
がんで亡くなる方は約40万人いるのに、脳卒中で亡くなる人は11万人弱。心筋梗塞は3万人ちょっとである。
ところが日本の栄養学では、免疫力を上げるための発想がない。
がんの多くは、自然にできた出来損ないの細胞(これは歳をとるほど多くなる)を免疫が殺し切れなかった際に、それが増殖して起こると考えられている。そのため免疫力が強いほどがんになりにくいと考えられている。
死因の断トツはがんなのに、がんを防ぐための免疫学が軽視され、脳卒中や心筋梗塞を防ぐためのがまんがまんの栄養学が横行している。
ついでにいうと、心の健康状態が悪い時にも免疫力が落ちることも明らかになっている。
しかし、前述のように薬で患者を治そうという精神科医の養成機関に大学医学部がなっているので、心の健康状態をよくするような医者も養成されない。
医学部への天下りこそ禁止すべきだ
要するに臓器別診療が始まり、集団検診が始まった70年代から、医学教育の基本構造がまったく変わっていないので、前時代的と言われても仕方ないようになっているのだ。
その間に高齢者は人口の7%から29%に増え、患者のマジョリティーが高齢者になっている。
文部科学省は患者を診ていないので、いまだに論文重視の医学教育を容認している。
だったら、医療を監督する厚労省が、大学医学部にてこ入れすればいいのに、逆に審議会の委員の多くは、私のような臨床医でなく、研究ばかりしてきた大学教授たちだ。
文科省も厚労省も大学医学部改革をやろうとしないことには別の理由があると私はにらんでいる。
文科省や厚労省の役人にとって大学医学部教授は重要な天下り先で、論文が一本もなくても教授になれる。天下りが原則禁止になっているのに、医学部教授への天下りはフリーパスだ。
これを禁止しない限り、日本の医学教育は高齢者に適したものに変わるのは見込み薄だということは伝えておきたい。
写真はゲッティ
<医療プレミア・トップページはこちら>
関連記事
わだ・ひでき 1960年大阪府大阪市生まれ。1985年東京大学医学部卒。同大学医学部付属病院精神神経科、老人科、神経内科で研修したと、国立水戸病院神経内科および救命救急センターレジデントを経て、当時、日本に三つしかなかった高齢者専門の総合病院「浴風会病院」で精神科医として勤務した。東京大学医学部付属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェロー、国際医療福祉大学大学院臨床心理学専攻教授を経て現職。一橋大学・東京医科歯科大学で20年以上にわたって医療経済学の非常勤講師も務めている。また、東日本大震災以降、原発の廃炉作業を行う職員のメンタルヘルスのボランティアと産業医を現在も続けている。主な著書に「70歳が老化の分かれ道」(詩想社新書)、「80歳の壁」「70歳の正解」(いずれも幻冬舎新書)、「『がまん』するから老化する」「老いの品格」(いずれもPHP新書)、「70代で死ぬ人、80代でも元気な人」(マガジンハウス新書)などがある。和田秀樹こころと体のクリニックウェブサイト、有料メルマガ<和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」>