苦労するところ大きいものがわかる
そう、今日聞いてみると・・・。何の‘クィ(귀)’の字か?朴氏はわかったが‘귀’の字か?「‘クィハル(귀할) クィ(귀:貴)’の字です。」自分を見て尋ねた?こちらに尋ねてみるのに。‘オク(옥)’の字は何の‘オク(옥)’の字か?「‘クスル(구슬) オク(옥:玉)’の字です。」朴貴玉、クィオギ!一度聞いておけば・・・。先生が考えるには、脾臓と胃がもともとよく場が大きく生じたがおじいさんだとカスム環境において小ぎれいですっきりと作った。統一教会に入って来て多く広くなったし、どこに行こうとすべて話すようになれば感動を受けることができる歴史と背景があるので、それは戻してでも話を聞くようにしてあげなければならない。
ここに統一教会を信じない人もいる?「今日は出て来ませんでした。」カープ(GARP)!「すべて食口です。」食口というのは口食(クシク:旧食)であり、反対にすれば。(笑い)旧食がよければ・・・。新食にならなければ、旧食反対。多くの人は食口をつくりなさいと言うのだ。わかるか?「はい。」
皆さんもそのような歴史を知って、全部これが皆さんがやられなければならないのだ。先生も私がやられうるそのような全ての記録を持つためにそれを伝授してあげたくて苦労もさせるのだ。苦労する所で大きいのだ。わかるか?「はい。」
私が昨日おとといの世界日報の調査委員が1,650人が集まったが、ぞろぞろと輩たちだ。調査委員たち。世界日報の調査委員に対して話す時簡単なのだ。それを話そうとすれば先生がみ言葉もできないので・・・。その核心は何かと言えば、調査して難しくすべてこうであっても結局は耐えるものが、耐えて為に挙げればすべて終わるのだ。「核地域の有志達です。」
今日は私がこのようにうんざりすることが。‘12時が近くなる!’(笑い)誰が一人だけくわえれば、通いながら精誠を尽くして考えたそれがバラバラにならず継続できれば一人もッとさせればよい!朝を食べず昼食を食べられなくてもそれが精誠だ。そのような人千人の言葉を聞くようになれば霊界の人たちがじーっとしているのか?そこが真空状態になるので風が吹いて来なければならないし、流れた水はここを埋めてあげて行かなければならない。それが自然理致なのだ。おかしい言でもないのだ。自分がする通り実を結ぶのであり、自分が遊ぶ通り環境が美化されるのか、悪くなるのかそのようなのだ。
既成教会がいくら統一教会が悪いとしてもそれを誰が、統一教会の教徒たちが信じるのか?統一教会の女たちが多く私を思慕する人が多いが先生を思い通り会えないと見る。どれほど先生が厳格な先生であるかもわからない。ドイツに行けばドイツにもそのようなことが繰り広げられ、イタリアに行けばイタリアにもそうだし、フランスに行けばフランス、イギリスに行けばイギリス、全部すべてそのようなことが繰り広げられる。韓国とぴたりと同様だ。
み言葉を聞き始めれば覆ってしまったすべての取るに足りない恒久のそれがずーっと穴が開けられる。本心と通じるようになればその周辺がそうして男とか女とか誰よりも見たいし、誰よりも、お父さんお母さん、愛する愛人よりも、それを願って原理のみ言葉を聞けば先生について来ようとそうだと言うのだ。
女たちが泣くのは常識だが、男たちも見たくて泣く。あんた、先生を見たくて泣いて見たか?「はい。」昔の人は泣くだけする?家に行けず先生が住む家の壁をつかまえて泣きながら守って、朝に挨拶してその次に先生が難しければ私がこの前にうどん屋でも連れて行って準備して・・・。そのように生きた人が多いのだ。そのような歴史を残した人は天が捨てない。また先生が捨てられない。
そのような地域に行けばすぐにそのような事件があった人が思い出される。それではその人をすべて考えるために十年、数十年がなったとしてもその歴史を知らなければどこに行っているのか探して見て、数十年間に発展したとすれば発展した所に対する贈り物も補ってあげると考えるのだ。このように授受する因縁を忘れない所は天がいつも訪ねて来ていらっしゃることができる基盤になるのだ。一生涯そのまま生きないのだ。そのまま一生が流れないのだ。
皆さんがそうだ。訓読会のようなものをすれば先生がどれほど忙しい?皆さん、先生がいるのかよいのか、いないのがよいのか?「いらっしゃるのがよいです。」神様が見る時、先生が座っているのを見る時、神様が申し訳なく思うのではないのか?霊界の先祖たちが申し訳なくなるのではないのか?そう、先生が座ったとすればあの後ろ側から遠く座った人たちまでも全部すべて管理してあげるのだ。
だから統一教会は日がたてばたつほど落ちない。先生が皆さんに負債を負うようになれば統一教会は門を閉め始めなければならない。負債を負わない。皆さんがいくら熱心にしても先生に負債を返すことができない。今までも負債を負ったが今後も先生がいなければ収拾する道理がない。