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「どうしてイライラしてしまうのか?」 人事担当者が気づいた、発達障害への「ゆがんだ思い」野澤和弘・植草学園大学教授/毎日新聞客員編集委員
2024年2月22日
今日の科学文明の進化は発達障害なしにはあり得ない。そうした主張をまじめにする研究者は意外に多い。
発明王のエジソン、相対性理論のアインシュタインなどには発達障害を思わせるエピソードがたくさんある。「E.T.」「ジュラシックパーク」などを世に出した映画監督のスティーブン・スピルバーグは自ら発達障害があることを認めている。
障害というと「何かができない」「劣っている」というイメージを持つ人は多いだろうが、傑出した才能を発揮する人の中には発達障害を思わせる特性がよく見られるのは事実だ。
最近は「ニューロダイバーシティ」という言葉が注目されている。脳や神経による機能が違うだけで、「できない」「劣っている」という多数派による一方的な見方を否定する概念だ。経済産業省は脳や神経の機能の違いはイノベーションを起こす要因であり、企業活動にニューロダイバーシティを積極的に取り入れることを提唱している。
過度な期待には危うさもあるが、従来の価値観を根底から覆す可能性を秘めているのは間違いない。多様性の本質を理解するためにニューロダイバーシティを知る必要がある。
日本初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹と語るアルベルト・アインシュタイン博士=米国・プリンストン高等学術研究所で優劣ではなく「違い」を重視
ニューロダイバーシティ(Neurodiversity)とは、Neuro(脳・神経)とDiversity(多様性)という二つの言葉を組み合わせた造語だ。脳や神経を原因とする個人レベルの違いを優劣ではなく多様性と捉えようという考えで、自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠陥多動性障害(ADHD)など発達障害の分野で1990年代から議論されてきた。
最近になって、日本でも経済産業省が一部の発達障害の人の特異な才能や個性が企業活動や研究においてイノベーションを起こす可能性があることに着目し、彼らの才能を活用することを呼び掛けるようになった。
「イノベーション創出や生産性向上を促すダイバーシティ経営は、少子高齢化が進む我が国における就労人口の維持のみならず、企業の競争力強化の観点からも不可欠であり、さらなる推進が求められています。この観点から、一定の配慮や支援を提供することで『発達障害のある方に、その特性を活かして自社の戦力となっていただく』ことを目的としたニューロダイバーシティへの取組みは、大いに注目すべき成長戦略として近年関心が高まっております。この概念をさらに発信し、発達障害のある人が持つ特性(発達特性)を活かし活躍いただける社会を目指します」(同省HPより)
IT界のカリスマたち
発達障害をほうふつさせる特性のある人がIT業界をリードしてきたことはよく知られている。マイクロソフトの創設者であるビル・ゲイツ氏、フェイスブック(現メタ)のマイケル・ザッカーバーグ氏、アップルのスティーブ・ジョブズ氏などはしばしば発達障害によく見られる特性を示すことが指摘されてきた。彼らをモデルにした映画でもそうした特性を強調するような場面が随所に出てくる。
日本での音楽配信について説明するスティーブ・ジョブズ米アップル社CEO(当時)=東京都千代田区の東京国際フォーラムで2005年8月4日、石井諭撮影
一部の傑出した才能のある人だけでなく、大手企業が発達障害と診断される人を積極的に採用するようにもなった。デンマークのスペシャリステルネ社は自閉症と診断される人の中にソフトウェア開発に寄与できる能力があることに着目し、自閉症の人を積極的に雇用している。ヒューレット・パッカード・エンタープライズ、マイクロソフトなどの他のIT企業や金融業、製造業にも流れは波及している。
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生成AIの進歩と急速なビジネス展開の中で、IT関連の人材不足は世界的に課題となっており、発達障害の人の潜在能力が注目されているのだ。
発達障害をポジティブに評価する
自閉スペクトラム症(ASD)という発達障害は、言葉や視線、表情、身ぶりなどでやりとり、自分の気持ちを伝える、相手の気持ちを読み取ることが苦手、特定のことに強い関心を持つ、こだわりが強い--といったネガティブな面から語られることが多い。
日本自閉症協会は次のように説明する。
「主に社会的なコミュニケーションの困難さや空間・人・特定の行動に対する強いこだわりがある等、多種多様な障害特性のみられる発達障害のひとつです。この障害特性により、日常生活や社会生活において困難さを感じることがあります」「生まれつき、脳の中枢神経系という情報を整理するメカニズムに特性があるため、できることとできないことにばらつきがあり、日常生活でさまざまな困難が生まれてしまいます」(同協会HPより)
ところが、IT企業を中心とした世界的な人材獲得の流れは、発達障害のポジティブな特性に光を当てる。
IT分野では先進諸国に後れを取ってきたのが日本であり、経済産業省は新たな人材確保の潮流に乗り遅れないよう躍起になっている。「イノベーション創出加速のためのデジタル分野における『ニューロダイバーシティ』の取組可能性に関する調査」(令和3年度産業経済研究委託事業)は述べる。
「発達障害のある人が持つ特性(発達特性)は、パターン認識、記憶、数学といった分野の特殊な能力と表裏一体である可能性が、最近の研究で示されています。特にデータアナリティクスやITサービス開発といったデジタル分野の業務は、ニューロダイバースな人材の特性とうまく適合する可能性が指摘されています」
自閉スペクトラム症(ASD)については「細部への注意力が高く、情報処理と視覚に優れ、仕事で高い精度と技術的能力を発揮する」「論理的思考に長けており、データに基づきボトムアップで考えることに長けている」「集中力が高く、正確さを長時間持続できる」「時間に正確で、献身的で、忠実なことが多い」と優れているところを強調する。
注意欠陥・多動症(ADHD)は落ち着きがない、待てない、注意が持続しにくい、作業にミスが多いと指摘されることが多いが、同調査では「リスクを取り、新たな領域へ挑戦することを好む」「洞察力、創造的思考力、問題解決力が高い」となる。「マルチタスクをこなし、環境や仕事上の要求の変化に対応する能力が高い」「精神的な刺激を求め続け、プレッシャーのかかる状況でも極めて冷静に行動できる」「刺激的な仕事に極度に高い集中力を発揮する」
注意が散漫で落ち着きがないと責められてきた人が、「マルチタスクをこなし」「高い集中力を発揮する」と評価される。多数派の都合に合わせた制度や慣習に合わないというだけで不当に過小評価されてきた発達障害の人から見れば、ニューロダイバーシティは歓迎されるべき概念と言える。
過度な期待と落とし穴
日本の国内総生産(GDP)がドイツに抜かれて世界4位に後退したことで、政府や経済界はイノベーションを起こせる人材の確保や発掘に焦ることは容易に想像できる。一方、現実からかけ離れた過度な期待は失望を生むことも懸念される。
発達障害の人がみんな特殊な才能を発揮できるわけではない。保育所や学校で集団活動を強いられて適応障害を起こしたり、ネガティブな視線にさらされて自信を失ったりしている人も多い。
最近、障害者向けの就職説明会では発達障害や精神障害の人の姿が目立つ。身体障害や知的障害で企業就労を望んでいる人はほとんどが雇用され、これまで企業就労になじみのなかった精神障害や発達障害の人が主流となっているという。それだけ一般就労から疎外されてきたからでもある。
発達障害を持つ大人らに特化した就労支援事業所「ディーキャリア松江オフィス」で、キャリアプランニングについて学ぶ利用者ら=松江市東朝日町で2022年9月29日午前10時37分、目野創撮影
多数の障害者を雇用している関西の企業を訪れた際、人事担当者からこんな話を聞いた。
「さまざまな障害の人を雇用しているので、どんな障害にも対応できるようになった。ところが、発達障害の若い男性社員だけはどうにも難しい。時々なのだが上から目線で偉そうな言い方をしてくるので、彼と話しているとイライラしてしまう。ほかの職員も彼のことを苦手で一緒に働きたくないという人が多い」
コミュニケーションに独特の偏りがあり、感情面で周囲と行き違いが生じやすい特性のある発達障害の人は定着率も低く、企業も採用に二の足を踏んできた。たとえ特異な才能があったとしても、安心して働ける職場環境や同僚の理解がなければ才能を発揮することも働き続けることも難しいだろう。
多様性に必要なこと
どうすれば発達障害の人を企業文化と融合させることができるのだろうか。この人事担当者の話には続きがある。そこには発達障害の人の就労を進め、定着を図っていくための重要なヒントがある。
「どうして彼は偉そうな物言いをするのだろう。そして、ちょっとした言い方なのにどうして私はこんなにイライラするのだろうと思うようになった。発達障害にばかり着目していたが、よくよく考えてみると、私自身の中に『障害があっても雇ってもらっているのに……』というゆがんだ思いがあることに気づいた。それを自覚した上でいらだちを抑えることに努めるようにしたら、いつの間にか彼も偉そうな言い方をしなくなった。こちら側の見下した思いが無意識のうちに彼自身の警戒心をかき立て、偉そうな態度や言葉で自分を守ろうとしているのかもしれないと思った」
段差など目に見えるバリアー(障壁)をなくすことは意外にたやすい。障壁がなくなったこともわかりやすい。しかし、心の中のバリアーをなくすことは難しい。周囲から気づかれず、自分自身も気づくことが難しいからだ。
目覚ましい商品やサービスを生み出すイノベーションは多様性から生まれると言われる。似たような価値観ばかりの集団からは新しい考えは出てこない。しかし、多様性だけではむしろパフォーマンスが落ちることの方が多い。
そこに必要なのは、多数派の側にある無意識の偏見をなくし、異なる価値観や特性を理解することだ。少数派の人々が安心して自分の意見を述べたり行動したりできる寛容さや許容力だ。
それぞれの違いを優劣で測るのではなく、ただ「違い」として認めようというのがニューロダイバーシティの概念の根底にあることを忘れてはならない。
特記のない写真はゲッティ
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のざわ・かずひろ 1983年早稲田大学法学部卒業、毎日新聞社入社。東京本社社会部で、いじめ、ひきこもり、児童虐待、障害者虐待などに取り組む。夕刊編集部長、論説委員などを歴任。現在は一般社団法人スローコミュニケーション代表として「わかりやすい文章 分かち合う文化」をめざし、障害者や外国人にやさしい日本語の研究と普及に努める。東京大学「障害者のリアルに迫るゼミ」顧問(非常勤講師)、上智大学非常勤講師、社会保障審議会障害者部会委員なども。著書に「弱さを愛せる社会へ~分断の時代を超える『令和の幸福論』」「あの夜、君が泣いたわけ」(中央法規)、「スローコミュニケーション」(スローコミュニケーション出版)、「障害者のリアル×東大生のリアル」「なんとなくは、生きられない。」「条例のある街」(ぶどう社)、「わかりやすさの本質」(NHK出版)など。