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출처 : 국립중앙도서관
《忠州發展史,1933년. 李 英著》
p106 ~ p130에서
※짐작은 했지만 p114 제19장.《황강의 중견단(黃江中の堅團》이 나오는데, 1934년 <조선일보> 신춘문예 당선작인 전 연세대 교수 박영준(朴榮濬)의 《모범경작생》에 비슷한 내용이 나옵니다. 짤막한 단편소설인데 이해를 돕기 위해 인용합니다.
《모범경작생》이 실린 조선일보특판.
소화9년(1934년) 1월10일 수요일.
著者가 박영준(朴映浚)으로 써있다.
<원문>
p106
第十八章 時局漫談
記者が用務を帶び某地へ出張した際、隣室に於ける興味ある怪氣焰を聞いた。そのまゝを竝に摘記して見ると左の通りであるが時節柄肯かれる點もあるので、其の一端を記してみる。
一、時 八月末、暑い夕方
二、場所 道廳所在地の某旅館の一室
三、人物 忠北道內各郡庶務主任
四、光景 今肌ぬぎでビールの滿を引いてゐる
A、時節柄上道する事はお互に愼しまうぜ、今日も地方課で散々カラカワれたよ。
B、何! カマウ事はないよ、別に命をひに來た譯ではないサ、いはんや榮轉運動なる程稚氣もないぢやないか。
A、又例の國家の忠良なる官吏で納つてる譯か。
p107
B、勿論サ。
A、時に貴公の郡は最近檢閱を受けたと云ふが 變つた「ニュース」でもなかつたか
B、斷然變つたネ、言はゞ檢閱が進步したんだね。
課長初め專ら指導的態度だから嬉しいじゃないか。僕は感激したもんサ。
A、而し噂によると貴公は大に激論したと云ふぜ、アッサリ白狀し給へ。
B、いや大したムンデオブソだよ。アレは昔から僕の苦手だからね、貴公も知つてるだらう。
A、ぢや✕君と貴公は感情の衝突で✕でもホジクラレたと云ふ位だね。
B、そうでもないがツマラナイ噂は止して注がうぢやないか。
A、后學のため伺ひ度いもんだね。ソノ激論の模樣をね。
B、農會費を面で徵收せしめるのは違法だと云ふんだよ。本府や道の役人の良く云ふ古い手だよ
だから僕は手も足も縛つて置いて笛を吹いたつて躍れるかそれよりは面で徵收出律る様に道廳で努力する方が早道だらうぜ、と云つたもんだ✕君も未だ若いからムキになつて怒つたね
A、ムキになつて怒つたと云ふのは近來のケッサクだね、本府の兵頭さんの言葉を借りて云へば此のムキになる所から進步が生れるんだ。
p108
B、貴公は冗談にして茶化すが一時はよかつたぜ。
A、ソノ邊の情景は僕にもワカルね。
B、時に最近のアトモスフェアは吾々に相當力強い感じを與へるね。
A、何となくね。
B、此の機會に吾々としては大に希望があるね。貴公は變に氣を廻す様だが。
忠良なる國家の官吏としての希望があつても差支へなかろうぜ。
A、モチよ僕だって大にあるよ、先づ僕の希望は――サテ何から云つて良いか餘りに多いので迷はざるを得ないね。
取不敢「斷行」の二字だね。從來兎角シュンジュン勝ちだつた未決事項を快刀亂麻的に斷行する事だね。
B、たとへば。
A、小作權制定なんか。施政以來二十年間何時も痛切に必要を感じた問題だが一向ハカバカしく行かないね。
B、大きな問題だ。朝鮮農業開發を阻害する癌だと云はれてゐる小作慣行を改善するには現在の
p109
憐れな小作人を保護する所に起點を置かねばなるまい。
A、そんな事を云つたら睨まれるよ。僕は七、八年前に、地主や會音が横暴で小作人や被搾取階級――の生活が死線を彷徨してゐる狀態だから小作人組合の出来るのも無理はないと云つたら眼から火の出る様に叱られたよ。
B、京城に居る役人は中樞院の隱去連中の云ふ事が朝鮮民衆の聲だと思ふ所に大きなヂレニスの生れて來る事はモウ判つて居さそうなもんだがね。
A、そして笛吹けども踊らじと嘆いて居るんだが遲いね。小作爭議が一時は幾何級數的に增したんだがそれでも目下調査硏究中とは結講な身分だね。
B、僕は貴公の小作法制定には大に賛成する近い例が桑を植えたく共土地のない小作人になんぼ矢釜しく云つたつて切角桑を植えても何時土地を取上げられるか不安でタマラない様では蠶業の發達も心細いからね。
A、大に御尤もだ農業獎勵の第一の問題は小作權の安定だ 此れが解決したら朝鮮統治の大半は成功だと僕は斷言するね。
B、恐ろしく大きく出たね。衣食足りて禮節を知るだ。今頃の赤い男乃至ラジースカ程度の連中
p110
に腹の膨れる方法を講じたら思想問題なんて朝鮮では左程恐るべきモンぢやあるまいよ
A、久しぶりだ一寸出掛けるカナ
B、久しぶりだからモット話さふぢやないか。近頃寄る年波で一向いけなくなつた樣だね。
A、お互樣だピーチャイルバニよか
B、官廳の組織改革と云ふ事が行財政整理に附きものゝ様に謂はれて居るが貴公の高見を拜聽したいものだね。
A、ソレは吾々の様な田舍の庶務主任の出る幕ではあるまいよ。
B、高見拜廳の限度なら差支へあるまい貴公が官廳組織改革のメンバーなら責任もあらふが所謂第一線に居る實感なら大に傾廳に値ひするに違ひないからね。
A、馬鹿に探りを入れるね、僕だつて先刻云つた「斷行」を此の問題にも結び付けたい者たね。
と云ふのは局課の廢合と社會事業メイタ人事の整理だね。
內地でも省の廢合をやると云ふが朝鮮でもやる事だらうよ。ダイチ御互ひは僅かの職員で年に四、五千件位の仕事は平氣ぢやないかオヨソ上級官廳になるほご一人當りの件數は少いが局課を廢合し人事が少くなれば仕事は奪ろ必要缺くべからざるもののみにコンデニスされ
p111
るからまつて行けない事はないと思ふね。
それから人のための制度と云はれる樣な隨分アラスモガナの人が置いてあるね。所謂囑託とか各道の○○官の如きだね。
A、僕は產業方面に斷行して貰い度いと思ふね。手近い例は「朝鮮は有畜農業」でなければ駄目だと云ひながら年々牛の數の漸減をとる事因を傍觀してる樣では困るんだね。
B、傍觀しとるとは語弊があるぜ手の足止め檳の屠殺禁止、なご――相當御互に努めてゐる筈ぢやないか。
B、失言なら取消さふ。
だが貴公は朝鮮牛の減少に依つて來たる原因は何だと思ふ、唯單に生産と消耗のバランスが取れないからだと濟まして居られるか。
A、國家の忠良なる官吏たるもの壹傍觀すべけんや。
B、茶化しちゃいけない。傳染病で死ぬ牛も相當居るだらうが一番多い消耗は食用だ次ぎが內地へ移出するのだ。
p112
A、では貴公は牛肉を食ふなと唱ふ頁のか。又內地へ牛を賣るな gets。そんな事を云つた日にはフ一バー以上の恐慌來だ。
B、斷行の前には些々たる事を齒牙に掛け half はいけないのだ。僕は思ふに年に一ヶ月なり或は一ヶ月十日間なり肉無しデーを定めて屠殺を嚴禁するんだね。人間が駱駝の様に食ひ貯めが出來ない事だ牝牛は牛の生産者だから內地へ行かれては困るだけぢやないか。現に腹に子供を孕んだまゝ行くのが少くも二割や三割ある。だからセメテ牝牛の移出位は法令で止めさせなければいけないね。
A、貴公は朝鮮の都合ばかり考へるからいけないね。內地で朝鮮牛を歡迎するのは肉用が主で勞働が從の從だ大きな牝牛は陸軍の罐詰には向くが一般民衆の食膳には上り得ないよ。貴公はクライマックスに達すると脫線を通り越して無軌道で走るから聞いて居られないね。
B、アワテルナ 結論迄聞けソユデ支那牛の様に朝鮮內の牝牛は全部去勢して了ふんだ 種牡牛の補助なんて面倒はいらない優良な牛だけ殘して牝牛を去勢して內地へは去勢牛を移出するんだ去勢牛の肉は牝牛より落ちるかも知れないが由來日本人は柔い肉イクオール上肉として
p113
喜んでゐる人種だから此の方法は必ず成功するね。
A、だが去勢されると牛が弱くなると云ふぢやないか。
B、そこは僕にも判らないが軍馬なればキンタマのあるものより持久力があると云ふから牛が弱くなると云ふのは臆測だね先づ斷行が必要だ貴公は僕の説を支持するよね。
A、貴公の熱心に對しては支持することにしよう。
B、一人でも共鳴者のある事は大に力強い、此れで行かねば「有畜農業よ何處へ行く!かたね。
A、モウ一時だ。オヤスミとしよう
B、蚊帳にハイッテ亦話すとしようか。
日燒けのした禿げ頭に胡摩鹽頭と仲よく枕を並べて飲み過ぎた淺ましいボースで深い靈りに陷ちて行く
│(幕)│
p114
第十九章 黃江中の堅團
堤川郡黃江公立普通學校訓導崔遠善君は記者と共に異域の空にゐて螢雪の功を積んだ人である永らく邂逅の機を得なかつたので共にあリし昔の舊懷を語る事が出來なかつた。記者は過夏炎暑の折銷夏かねて一掬の清涼を追ふべく忠北大北部三郡中に於ける靈山、月樂山の林間にてキャンプ生活を試みた。其の時記者の腦裡に浮んで來たものは何であつたらふ、それは云ふ迄もなく友を呼ぶ心持ちでいっぱひであつたのだ。遙に高山を下りて黃江なる地に赴いたのである、友を訪ねて行つた所、友がゐないので、一つの孤獨を感じたと云ふ事はよく古人も言つてゐる通りであるが、君は記者が訪ねて行つた其の前日京城方面に向けて旅行したと云ふではない乎、仍つて同校、岡田校長を宅に訪ねて久懷を謝すれば岡田校長は一つの規約書見た樣なものを出して崔君の努力を激賞してゐる、其の論中に曰く『崔訓導は眞細目な文學靑年です、そして地方靑年の指導方面には骨身を惜みません、目下其の鄕にゐて中堅團と云ふ地方靑年の敎化團體を組織して朝夕渾身の努力と犧牲を拂つてゐる次第です、何時も財政に困難を受けてゐたが此の度道より百圓餘りの補助を得て今では隨分樂になつてやつて行く樣です云云』
p115
仍つて記者は一分詳細を拜聽の上、正に之れ時代に生きる者の理想開拓ではあるまいかと思ひ、其の一端を君が誌せるまゝに茲に轉載して弘く江湖に紹介せんとしたのである、讀者、幸にして之れを諒とせられよ。
(一九三二、八月、黃江にて) 李 英 生
中堅團
一、所在地 堤川郡 寒水面 咸岩里 浦灘里
二、設立年月日 昭和五年十一月三日
三、團員 黃江公立普通學校卒業生十一名(里內に於ける卒業生全部)
四、役員 團長 黃江公立普通學校訓導 崔 遠 善
顧問 黃江公立普通學校長 岡 田 信 重
幹事 浦灘里卒業生 曺 世 承
五、目的 卒業生トシテ價值アル者トナリ勤儉力行自立自營ノ人トナリ部落ノ中堅トナリテ卒先
p116
農事改良生活改善ニ努メ一致協力鄕土開發ニ志シ剛健純良ナル國民タラントス
六、事業計劃(昭和六年度)
一、修養方面
1、國家的祝祭日ニハ必ズ國旗ヲ揭揚ス
2、大祭日儀式ニハ必ズ參列ス
3、月中會 每月陰十五日ニハ夜間會ヲ開キ左記ヲ勵行ス
1、官公署職員及地方有志ノ講話ヲ聽ク
2、生活上必須ナル常識ノ補習ヲナス
3、農事改良ニ關スル講話及ビ研究發表ヲナス
4、本團事業ノ打合セ
4、書籍雜誌ノ共同購讀
1、泉の花(希望社) 二册
2、乃木式 二册
3、朝鮮産業(裡里、朝鮮産業社) 一册
p117
自四月一日至四月末日 共同作業(肥料收集)四十日間
二、農事改良方面
1、共同實習作業 郡ノ獎勵方針ニ從ヒ團員共同ノ實習ヲナス
イ、畓 面積百五十坪
品種 錦九〇號
插秧 六寸角正條植一株二本ノ割平均八寸分藥苗(多收穫本位)
肥料 綠肥堆肥各百貫、過燐酸石灰四貫、大豆粕七貫
ロ、田 面積三百坪
栽培 春麥(百坪) 蕃麥(百坪) 麥ノ後作トシテ秋粟栽培
肥料 堆肥草木灰
ハ、肥料製造
共同實習地ニ施スベキ肥料ハ總ベテ朝起會ニ收集シタルモノト其ノ他共同作業
三、生活改善方面
1、朝起會 毎朝打鐘(夏期四時半、冬期六時)ニヨリ早起ヲナシ左記ヲ實行ス
p118
自五月一日至八月末日 家庭作業 同
自九月一日至十一月末日 共同作業(肥料收集)同
自十二月一日至三月末日 草鞋使用
2、生活費節約
**イ、**冠婚喪祭ニ於ケル濫費濫用ノ舊弊打破虛禮廢止
**ロ、**ゴム靴廢止草鞋使用
**ハ、**黑衣着用
**ニ、**時間勵行
**ホ、**日記(月事行事表利用)
**ヘ、**家計簿記入
**ト、**貯金獎勵 義務貯金一個月一八十錢ヅヽ
**3、**公課稅金期間內納入
四、部落改善方面
**1、**道路修繕ハ春秋二回部落民總動員ニテ道路ノ改善ヲ行フ
p119
2、特定日ノ利用
**イ、**時ノ記念日 時間尊重ト定時勵行ノ趣旨ヲ明カニシ戶一人ヅヽ出デ、部落內ニ橋梁ヲ架設ス
3、團員個人試作地 一人平均畓百坪田百坪
イ、畓 錦九〇號苗代改良正條植肥料增施
ロ、田 麥作改良八人粟作改良三人ヘヤリベッチ採種三人
4、月中行事表 團員各自ノ家庭ニ適合セル行事表ヲ二通作成シ計劃的ニ遂行スルト共ニ一通ハ學校ニ提出シテ其ノ指導ヲ受ク
5、改良農具ハ共同購入 深耕犁 一臺
6、堆肥製造 耕地面積一段步當三百貫施用ノ計劃トシテ肥料舍建造牛舍地盤掘下便所コンクリート改築夏期草刈等ニヨリ堆肥ヲ製造シ十月上旬品評會ヲ開ク
7、副業
1、養蠶 荒地開拓植桑六百本養蠶枚數十二枚一人平均一枚
2、叺織 團員ハ各自臥織機ヲ持シ一年ノ生産高一人平均百枚トス
p120
3、養豚 年度初メニ郡農會ヨリ純バークシヤ種五頭ノ配付ヲ受ケ改良種ノ普及ヲ計ル
ロ、勤農デノ趣旨ヲ明カニシ各戶一人ヅヽ出デ、部落內道路ノ幅ヲ廣メ砂利ヲ敷ク
3、勤勞時間勵行
イ、本團朝起ノ打鐘ニヨリ共ニ勤勞ヲ始メルコト
ロ、從來間食二回ノ習慣ヲ廢止ス
ハ、雨天其他ノ閑日ヲ利用シ草靴ノ製造ヲ獎勵ス
4、部落ノ清潔整頓 特設日ヲ利用シ部落ノ清潔整頓ヲナス
5、夜學會ノ設立 自十一月五日、至二月末日、四ヶ月間農閑期ヲ利用シ就學出來ザル兒童ヲ集メ簡易ナル國語算術朝鮮語ヲ授ク敎師ハ團員ヨリ選定ス
五、基本財產 團員ノ義務貯金ヲ以テ之ニ充ツ
團員一人每月貯金額一個月貯金高毎年末貯金高昭和五年度基本財產累加合計1110円110円1,320円200円1,520円
六、豫算
p121
1、收入豫定
(イ) 麥六斗三、〇〇
(ロ) 蕃椒七斗六、三〇
(ハ) 粟五斗三、〇〇
(ニ) 籾三石一八、〇〇
2、支出豫定
(イ) 地稅三、二〇
(ロ) 金肥二、三〇
(ハ) 深耕犁二〇、〇〇
(ニ) 雜誌四、八〇
偶感
南山城の寒月は時に我が家の陋をも顧みず尋ねて來て吳れる、四六時中醜き市塵に埋もれて咆哮轉々としてゐた、記者の心境は此の時、始めて淨化の域へ入らんとする。 (舊稿の中より)
p122
第二十一章 忠北北部三郡の製紙業
忠清北道の特産物であり且又堤川郡の特産物である製紙業の起原は之れを徴すべき何者もなく漠然として詳でないが支那後漢の時蔡倫なる者製紙の術、ーー特發明し後高句麗、百濟、新羅の順に傳はつたのが朝鮮製紙の嚆矢であり漸次此れが各地に傳播して忠清北道堤川郡內へも普及された物の如く爾來最も堤川を中心として殊に忠州丹陽の山間部落民に副業として行はれ其製品は産地の中部を貫流する漢江の水運を利用し京城並びに平壤大邱斧山方面へは勿論遠くは支那へも輸出せられた外韓國時代には、所謂科擧の所要紙として賞用せられたに徴するも其技能精巧にして一時斯業の隆盛を推測するに難くない李朝末葉政治の弛緩は漸くその隆盛を妨げ一時悲境に陷つたのを新政以來當局は專門技術者の配屬並に製紙の傳習改良器具の普及等斯業の助長圖りたる結果漸く光明を認むるに至つたが營業者は概ね山間僻阪の部落細民にして比較的時勢の刺戟を受くる事少く容易に舊習を脫せざる爲めに大に指導誘掖の鞭を加へねばならぬ事を認め大正四年には堤川に紙業組合を組織せしめ一層斯業の助長發展を期すべく事業資金の貸付圖つたが大正九年財界の不況は營業者を極度に疲弊せしめ所期の目的を達するに困難の状態にあつたのを更に之れが復興圖るべく大正十一年
p123
度には忠州郡一圓を始め堤川丹陽郡一圓を區域として忠北紙物同業組合を組織し産額の増殖製品の改良統一、改良器具の普及、原料楮の増載。生産品の共同販賣、原料購入資金の立替、共同作業場の設置等銳意斯業の刷新に努め漸次進展しつゝあつた故に之れが現況は今や之れを栽培するもの七千五百餘戶なり。製紙業者は之れを原料として山間溪谷に簡易なる製紙場を設けて九年頃より翌年五月頃迄の農閑期を利用し清澄なる谷水に依り製紙を營む戶數九百四十九戶あり其製品は莊紙紙厚紙白紙の六類にして京城方面を如め西鮮及道內各地に移出せられ窓戶張用、濕突用、葬式用、大版印刷用、包裝用其他雜用として賞用せられるゝ外近來共同作業場新設と共に塵紙、卷紙、封筒の如き、和紙製産、を見るに至り其の聲價は一般需要者の認むる所となりつゝある現狀である。
* * * *
尙ほ忠清北道當局に於いては製紙擔任産業技手として最もその技術の譽れ高き金東均君を慶尙北道より招聘して之れを堤川郡に配置し而して製紙業指導獎勵の任に當らしめてゐると共に紙物組合事業の助長圖らしめつゝあるのみならず、抑も製紙業改良の指導誘拔は漸く同業者の自覺に相俟つて共同生産、或ひは分業生産の途を講じねばならないので堤川郡當局に於いては大正十一年提川丹陽郡一圓及忠州郡東良面、山尺面を區域として朝鮮重要物産同業組合令に依る忠北紙物同業組合
p124
合を組織し組合員共同の利益を增進せしめつゝあるのである。
今製紙の原料たる楮の増殖方について忠北紙物同業組合主任技手金東均氏の意見を叩いて見ると昭和元年よりは特に管內各地の山麓畦畔等の普通農と接觸せざる土地を利用せしめて楮の増殖を圖り而して同組合より補助金を下附して原料の増載に努めつゝあると云ふ昭和元年以來の植栽狀況を一瞥すれば昭和元年には其の總本數が二萬三十三本、昭和二年には十四萬五千二百三十二本、昭和三年には一躍五十二萬本の殖栽を爲し、昭和四年には十萬七千三百二本、昭和五年には十二萬四千五百九十本、昭和六年には六萬一千四百十本の殖栽を試みたが何れも其の生育狀況は良好にして今後十年間を進過すれば年産十四五萬圓以上の水揚高を贏ち得られるであらふと云はれてゐる。
其の他從來の製紙業者が使用しつゝある製紙用器具は作業能率及製造工費節約の關係上遺憾の點少からざるのみならず、品質の向上計る上に於ても改良の急を要するものが多々あつたので大正十四年よりは、道地方費の補助を以て改良器具の普及圖り而して斯業を漸次有利ならしめつつある。そればかりではなく製紙業者は概ね細民にして資力乏しく原料購入費としては多く高利資金を使用し致々として勞したる其の利益の大部分を資本主に提供しなければならないと云ふ悲境にあるので同組合にては斯業獎勵上一大痛寒事たるを知り原料購入費及生産品販賣代金を極低利にて立替
p125
へて當業者の利益増進に銳意注目しつつある等、至極親切丁寧にか萬般の事務を執行してゐるから、今後忠北に於ける此の紙業こそ金東均氏の努力に依つて益々向上發展して行くべき事は疑ひを容れざる所である。
(以上)
p126
第二十一章 忠州繁榮會
忠州郡に新政布かれて以來、忠州面には面長が七代も續いたのである。短縮して乍らも其の間に於ける面政一船の狀況を聯想してみると從來に於ける官民の距離が一步一步と短縮し、今では共に國運を憂ひ、苦樂を俱にせんと相抱き相泣樣になつて來た事を記者は半意識する。就中、其の機關團體として第六代面長田中勳氏の提唱に依つて成れる繁榮會の如きは、其の粹を拔いたものと云つてもよい。仍つて記者は茲に忠州繁榮會の規約其のまゝを上梓して我が忠州邑民の一粲に供す
一九三二、十一月忠州南山城下草廬にて 李 英 生
忠州繁榮會規約
第一條 本會は忠州繁榮會と稱し忠州邑に設置す。 第二條 本會は忠州地方の繁榮を計り各種事業の改善を促進し會員相互の親睦を計るを以て目的とす。
第二十一章 忠州繁榮會
忠州郡に新政布かれて以來、忠州面には面長が七代も續いたのである。短縮して乍らも其の間に於ける面政一船の狀況を聯想してみると從來に於ける官民の距離が一步一步と短縮し、今では共に國運を憂ひ、苦樂を俱にせんと相抱き相泣樣になつて來た事を記者は半意識する。就中、其の機關團體として第六代面長田中勳氏の提唱に依つて成れる繁榮會の如きは、其の粹を拔いたものと云つてもよい。仍つて記者は茲に忠州繁榮會の規約其のまゝを上梓して我が忠州邑民の一粲に供す
一九三二、十一月忠州南山城下草廬にて
李 英 生
忠州繁榮會規約
第一條 本會は忠州繁榮會と稱し忠州邑に設置す。 第二條 本會は忠州地方の繁榮を計り各種事業の改善を促進し會員相互の親睦を計るを以て目的とす。
p127
第三條 本會は忠州邑の内本町、榮町、錦町、大手町、校峴洞、龍山里、達川里、鳳方里、漆琴里に在住する者を以て組織す。 第四條 本會の會員を左の三種とす。
一、名譽會員(本會に功勞ある者に會長之を推薦す)
二、通常會員(第三條の區域に居住會費を負擔する者)
第五條 本會に左の役員を置く
一、會長 一名
二、副會長 一名
三、幹事 五十名內外
四、常任幹事 四名
五、相談役 若干名
正副會長は總會に於て選舉す。 幹事は會長之を囑託す。 常任幹事は幹事會に於て互選す。
p128
相談役は役員會に於て推薦す
第六條 役員の任期は四年とす
補缺に依る任期は前任者の任期とす
役員は在勤期間公職者たる
役員は再選する事を得
役員は名譽職とす
第七條 會長は本會を代表し一切の事務を處理す
副會長は會長を補佐し會長事故ある時は其の事務を代理す
幹事の本會目的に關し意見を開陳し議事を審議す
常任幹事は會長の相談に應ず
相談役は重要事項に付會長の相談に應ず
第八條 本會の集會は左の三種とす
一、定期總會
二、臨時總會
p129
三、役員會
第九條 定期總會は每年五月に開催し會務及會計報告並に諸般の協議を爲すものとす 第十條 臨時總會は役員會に於て必要と認めたる時或は會員三分の一以上の請求に依り會長之を召集す
但し緊急を要する時は役員會に於て之を決し次の總會に於て之を報告する事
第十一條 役員會は本會の目的に關する諸般の事項を討議す
但し議事は役員の過半を以て決議す 緊急を要する際は常任幹事會を以て代ふる事を得
第十二條 本會の經費は會員及寄附金で之に充つ但し會費は役員會に於て定めたるものに依り之を徵收す 第十三條 本會の會計年度は每年四月一日より翌年三月三十一日迄とす收支決算は總會に於て報告をなすものとす
右規約は昭和六年六月五日より之を施行す昭和四年四月十七日決裁の規約は本規約施行の日より之を廢止す
p130
人生を見つめた時
一度死ねばそれだけなのに私はさうして噞きを上げてゐるのだらう。それは限られた人生の中にも無限に華やかな晝局の花園があることを朧氣ながらも自ら認識するからだ。 (舊稿の中より)
<번역문>
p106 ~ p130에서
p106
제18장 시국 잡담(時局 漫談)
<기자가 업무차 모 지역으로 출장을 갔을 때, 옆방에서 들려오는 흥미로운 대화(怪氣焰)를 들었다. 그 내용을 있는 그대로 요약 정리하면 다음과 같다. 시국이 시국인 만큼 납득이 가는 점도 있기에 그 일단을 적어본다.
일시: 8월 말, 무더운 저녁
장소: 도청 소재지의 모 여관 방
인물: 충북 도내 각 군의 서무주임
광경: 웃옷을 벗은 채 맥주잔을 기울이고 있다
A: 시국이 시국인 만큼 상도(上道, 도청 방문)하는 건 서로 자제하자고. 오늘도 지방과에서 엄청 놀림당했어.
B: 뭐야! 신경 쓸 것 없어. 딱히 목숨이라도 구걸하러 온 게 아니잖아. 하물며 영전 운동을 할 만큼 어린애도 아니고 말이야.
A: 또 예의 그 '국가의 충량(忠良)한 관리' 행세를 하는 건가.
p107
B: 당연하지.
A: 그런데 자네 군은 최근 검열(檢閱)을 받았다고 하던데, 무슨 색다른 뉴스라도 없었나?
B: 확실히 달라졌지. 말하자면 검열이 진보했다고나 할까. 과장을 비롯해 다들 지도적인 태도라 반갑지 않은가. 나는 감격했다네.
A: 하지만 소문에 의하면 자네가 대단히 격론을 벌였다고 하던데, 화끈하게 자백해 보게.
B: 아니, 별거 아닌 문제야. 그건 옛날부터 내 쥐약(취약점)이라 자네도 알고 있잖아.
A: 그럼 ✕군과 자네 사이에 감정 충돌이 생겨서 ✕이라도 꼬투리를 잡혔다는 말인가.
B: 그런 것도 아니지만, 쓸데없는 소문은 그만두고 술이나 치우세.
A: 후학을 위해 꼭 듣고 싶군. 그 격론의 양상을 말이야.
B: 농회비를 면에서 징수하게 하는 건 위법이라는 거야. 본부나 도의 관리들이 잘 써먹는 고리타분한 수법이지. 그래서 내가 "손발을 묶어두고 피리를 분들 춤을 출 수 있겠나. 그보다는 면에서 징수할 수 있도록 도청에서 노력하는 게 지름길일 걸세"라고 한마디 해줬지. ✕군도 아직 젊다 보니 욱해서 화를 내더군.
A: 욱해서 화를 냈다는 건 근래 보기 드문 걸작이군. 본부의 히요도(兵頭) 씨 말을 빌리자면, 그 욱하는 데서 진보가 생겨나는 법이라네.
p108
B: 자네는 농담으로 버무리지만, 한때는 꽤 아슬아슬했단 말이지.
A: 그쪽 정황은 나도 이해하네.
B: 그런데 최근의 분위기(Atmosphere)는 우리에게 상당한 힘을 실어주는 느낌이 드는군.
A: 왠지 그렇단 말이지.
B: 이 기회에 우리로서도 큰 희망이 있지 않은가. 자네는 괜한 지레짐작을 하는 모양이다만, 충량한 국가의 관리로서 희망을 품는 건 문제될 게 없잖아.
A: 당연하지, 나도 엄청 많네. 우선 내 희망은... 글쎄, 뭐부터 말해야 할지 너무 많아 망설여지는군. 단적으로 말해 '단행(斷行)' 두 글자라네. 지금까지 차일피일 미루기만 했던 미결 사항들을 과감하게 단칼에 끊어 단행하는 것이지.
B: 예를 들면?
A: 소작권 제정 같은 것 말일세. 시정(施政) 이래 20년간 언제나 절실히 필요성을 느낀 문제였지만 통 진척이 안 되었지.
B: 큰 문제지. 조선 농업 개발을 저해하는 암 덩어리라 불리는 소작 관행을 개선하려면 현재의
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가련한 소작인을 보호하는 데서 출발점을 두어야 하지 않겠나.
A: 그런 소리를 했다간 밉보이게 돼. 나는 7~8년 전에 "지주나 회사가 횡포를 부려 소작인이나 피착취 계급의 생활이 사선(死線)을 헤매는 상태이니 소작인 조합이 생기는 것도 무리가 아니다"라고 했다가 눈에서 불이 나게 혼났다네.
B: 경성에 있는 관리들(役人)이 중추원의 은퇴자 패거리들이 하는 말이 조선 민중의 소리라고 착각하는 데서 커다란 딜레마가 생겨난다는 걸 이제는 알 법도 한데 말이야.
A: 그러고는 "피리를 불어도 춤추지 않는다"며 탄식하고 있으니 한심하지. 소작쟁의(小作爭議)가 한때 기하급수적으로 늘었는데도 "현재 조사 연구 중"이라니 참 기막힌 팔자들이야.
B: 나는 자네의 소작법 제정에 적극 찬성하네. 가까운 예로 뽕나무를 심고 싶어도 땅이 없는 소작인에게 아무리 잔소리를 해봤자, 애써 심은 뽕나무를 언제 빼앗길지 몰라 불안해하는 판국에 잠업 발달이 될 리가 없지.
A: 대단히 맞는 말이네. 농업 장려의 첫째 과제는 소작권의 안정이야. 이것만 해결되면 조선 통치의 대반(大半)은 성공이라고 나는 단언하네.
B: 엄청 크게 나가는군. "의식이 족해야 예절을 안다"고 했지. 요즘의 붉은 사상가나 급진파 정도의 녀석들에게
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배를 불릴 방도를 마련해 준다면, 사상 문제 따위는 조선에서 그리 두려워할 거리가 못 될 걸세.
A: 오랜만인데 잠깐 나갈까?
B: 오랜만이니 이야기를 더 나누세나. 요즘은 나이가 들어서인지 통 힘을 못 쓰겠더군.
A: 서로 마찬가지지. 피차일반이라니까.
B: 관청의 조직 개혁이라는 것이 행재정 정리(行財政整理)에 바늘과 실처럼 따라붙는 모양인데, 자네의 고견(高見)을 들려주지 않겠나?
A: 그건 우리 같은 시골 서무주임이 나설 무대가 아니지.
B: 고견을 듣는 정도라면 문제없지 않나. 자네가 관청 조직 개혁 멤버라면 책임이라도 있겠지만, 이른바 최전선에 있는 실감(實感)이라면 충분히 귀 기울일 가치가 있으니까.
A: 엄청 떠보는군. 나 역시 아까 말한 '단행'을 이 문제에도 연결 짓고 싶은 사람이라네. 말하자면 국·과의 통폐합과 사회사업 냄새가 나는 인사 정리라네. 내지(內地, 일본)에서도 성(省)을 통폐합한다는데 조선에서도 할 일이지. 우선 서로 얼마 안 되는 직원으로 연간 4,500건 정도의 일은 아무렇지도 않게 처리하지 않나? 대체로 상급 관청으로 갈수록 1인당 건수는 적어지는데, 국·과를 통폐합하고 인원을 줄이면 일은 정말 없어서는 안 될 핵심적인 내용으로 압축(Condensed)될 테니
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돌아가지 않을 리가 없다고 보네.
그리고 '사람을 위한 제도'라고 불릴 만한, 참으로 없어도 그만인 인원들이 배치되어 있지. 이른바 촉탁(囑託)이라든가 각 도의 ○○관 같은 자들 말일세.
A: 나는 산업 분야에 단행이 이뤄졌으면 좋겠네. 쉬운 예로 "조선은 유축(有畜) 농업이어야 한다"고 외치면서도 해마다 소의 수가 줄어드는 원인을 방관하고만 있어서는 곤란하지.
B: 방관한다는 건 어폐가 있네. 이동 제한이나 암소 도살 금지 등 나름대로 서로 노력하고 있지 않나.
A: 실언이라면 취소하지. 하지만 자네는 조선 소의 감소 원인이 뭐라고 생각하나? 단지 생산과 소비의 균형이 안 맞아서라고 시치미를 뗄 건가?
A: 국가의 충량한 관리로서 어찌 방관할 수 있겠나.
B: 얼렁뚱땅 넘어가지 말게. 전염병으로 죽는 소도 상당하겠지만, 가장 큰 소비 원인은 식용(食用)이고 그 다음이 내지(일본)로의 수출(移出)이라네.
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A: 그럼 자네는 쇠고기를 먹지 말라고 주장할 셈인가? 아니면 내지(內地)로 소를 팔지 말라고? 그런 말을 했다간 공황(恐慌) 이상으로 큰일이 날 걸세.
B: 단행(斷行) 앞에서는 자잘한 일을 꺼려서는 안 되네. 내 생각엔 일 년에 한 달이든 10일이든 '고기 없는 날(
肉無しデー. 니쿠나시데이, Meat free day, Meatless day)'을 정해 도살을 엄금하는 거지. 사람이 낙타처럼 음식을 저장해 둘 수도 없는 법이고. 암소는 소의 생산자인데 내지로 빠져나가면 곤란하지 않겠나. 실제로 배 속에 새끼를 밴 채 나가는 소가 적어도 2~3할은 된다네. 그러니 적어도 암소 수출만큼은 법령으로 막아야 해.
A: 자네는 조선의 사정만 생각하니 안 되지. 내지에서 조선 소를 환영하는 건 고기용이 주이고 노동은 부차적인 것이라네. 커다란 암소는 육군 통조림용에는 맞지만 일반 민중의 식탁에는 올리기 힘들어. 자네는 절정에 달하면 탈선을 넘어 무궤도로 달리니 듣고 있기가 힘들군.
B: 서두르지 말고 결론까지 듣게나. 그래서 중국 소처럼 조선 내의 암소를 전부 거세해 버리는 거지. 씨수소 보조금 같은 번거로운 건 필요 없어. 우수한 소만 남겨두고 암소를 거세하여 내지로는 거세우를 수출하는 거야. 거세우의 고기는 일반 암소보다 떨어질지 몰라도 원래 일본인은 부드러운 고기를 고급 고기로 치고
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좋아하는 인종이니 이 방법은 반드시 성공할 걸세.
A: 하지만 거세를 하면 소가 약해진다고 하지 않나?
B: 그 부분은 나도 잘 모르겠지만, 군마(軍馬)의 경우 수컷 자지가 있는 것보다 지속력이 있다고 하니 소가 약해진다는 건 억측일 뿐이야. 우선 단행이 필요하네. 자네도 내 설을 지지하겠지?
A: 자네의 열정에 대해서는 지지해 주지.
B: 한 사람이라도 공감해 주는 이가 있으니 든든하군. 이렇게 가지 않으면 "유축 농업이여, 어디로 가는가!"라네.
A: 벌써 1시야. 자자고.
B: 모기장에 들어가서 또 이야기하세나.
햇볕에 탄 대머리와 희끗희끗한 머리가 사이좋게 베개를 베고, 술이 과했던 처량한 모습으로 깊은 잠에 빠져든다.
| (막(幕)) | --- 연극 대본 희곡의 형식을 빌어 대화가 끝났음을 표시한 것이다.
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제19장 황강의 중견단(黃黃江中の堅團
--- 黃江里는 제천시 한수면 소재지였으나 충주댐 건설(1985년 완공)로 수몰되었다. 이해를 돕기 위해 황강리 일대 일제시대 지도를 싣는다.
1915년 측도, 1916년 제판한 《1: 50,000 황강리 도엽 지형도》.3차지도.
출처: 국립중앙박물관.
황강리 소재지와 함암리, 포탄리가 보인다. 당시는 수하면(水下面)에 속했다. 1929년 14일 한수면으로 편입되었다.
제천군 황강공립보통학교 훈도(訓導) 최원선(崔遠善) 군은 기자와 함께 타향에서 형설의 공을 쌓았던 사람이다. 오랫동안 만날 기회가 없어 옛정을 나누지 못했다. 기자는 피서 겸 청량(淸凉)함을 찾아 충북 북부 3군 중의 영산(靈山)인 월악산의 숲속에서 캠핑 생활을 했다.
그때 기자의 뇌리에 떠오른 것은 친구를 그리워하는 마음뿐이었다. 높은 산을 내려와 황강(黃江)이라는 곳으로 찾아갔으나 친구가 없어 외로움을 느꼈다. 옛사람의 말처럼 친구가 없어 아쉬웠는데, 내가 찾아가기 전날 경성 방향으로 여행을 떠났다는 것이다. 이에 동교 오카다(崗田) 교장을 찾아가 안부를 전하니 오카다 교장은 규약서(規約書) 같은 것을 꺼내어 최군의 노력을 극찬했다.
"최 훈도는 참으로 진실한 문학 청년입니다. 지방 청년 지도에는 몸을 사리지 않습니다. 현재 고향에서 '중견단(中堅團)'이라는 청년 교화 단체를 조직하여 온 힘을 다해 봉사하고 있습니다. 늘 재정이 어려웠는데 이번에 도에서 100여 원(百圓餘, 엔(円))의 보조금을 받아 지금은 한결 수월해진 모양입니다."
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이에 기자는 자세한 내용을 전해 듣고, 이것이야말로 시대를 살아가는 자의 이상 개척(理想開拓)이 아닌가 생각하여, 그가 기록한 내용을 여기에 전재하여 넓히 알리고자 한다. 독자 여러분의 양해를 바란다.
(1932년 8월, 황강에서) 李 英 生
중견단(中堅團)
1. 소재지: 제천군 한수면 함암리 포탄리
2. 설립연월일: 소화 5년(1930년) 11월 3일
3. 단원: 황강공립보통학교 졸업생 11명 (마을 내 졸업생 전부)
4. 임원
단장: 황강공립보통학교 훈도 최원선
고문: 황강공립보통학교장 오카다 신조(岡田信重)
간사: 포탄리 졸업생 조세승(曺世承)
5. 목적: 졸업생으로서 가치 있는 자가 되고, 근검역행(勤儉力行)하고 자립자영(自立自營)하는 사람이 되어 마을의 중견으로서 앞장서서
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농사 개량과 생활 개선에 힘쓰며, 일치협력하여 향토 개발에 뜻을 두고 강건하고 순량(剛健純良)한 국민이 되고자 함.
6. 사업 계획 (소화 6년도 / 1931년)
一, 수양 분야
1)국경일 및 축제일에는 반드시 국기를 게양함.
2)대제일(大祭日) 의식(儀式)에는 반드시 참석함.
3)월중회: 매월 음력 15일 야간회를 열어 다음을 실천함.
① 관공서 직원 및 지방 유지의 강연을 들음.
②생활상 필수적인 상식을 보습(補習)함.
③농사 개량에 관한 강화 및 연구 발표를 함.
④본 단 사업 협의.
4)서적 및 잡지 공동 구독:
○『샘의 꽃(泉の花)』 (희망사) 2권
*대중적인 교육자이자 사회운동가인 고토 시즈카(後藤靜香)가 이끈 일본의 출판사 희망사(希望社)에서 발행했던 <인격 수양 및 삶의 지침 잡지(서적)>라고 한다.
○『노기식(乃木式)』 2권
*일제강점기때 <농업 기술 보급과 일상생활 개선>을 목표로 발간되었던 《실용 농업·생활 지침서 시리즈》 중 하나라고 한다.
○『조선산업』 (이리, 조선산업사) 1권
*일제강점기 전라북도 이리(지금의 익산)에 위치했던 조선산업사(朝鮮産業社)라는 출판사에서 발행한 <지역 상공업·농업 정보 잡지>라고 한다.
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4월 1일부터 4월 말일까지: 공동 작업 (비료 수집(收集)) 40일간
二, 농사 개량 분야
1)공동 실습 작업: 군의 장려 방침에 따라 단원 공동 실습을 실시함.
①논: 면적 150평
품종: 금90호(錦九〇號, 긴큐주호, 벼품종에 번호를 부여한 것으로 보면 된다. 벼품종 신동진은 익산438호 였다고 한다.)
이앙(모내기): 6촌 각 정조식(줄모내기), 포기당 2본 비율, 평균 8촌 분얼묘(分蘖苗, 분얼묘란 새순이 자란 모를말한다. 다수확 위주)
비료: 녹비(綠肥) 및 퇴비(堆肥) 각 100관(375kg), 과린산석회 4관(15kg), 대두박(콩깻묵) 7관(26.25kg)
②밭: 면적 300평
재배: 봄보리(100평), 고추(100평), 보리 후작으로 가을조 재배
비료: 퇴비, 재(草木灰)
③비료 제조:
공동 실습지에 시비(施肥)할 비료는 모두 아침 모임(朝起會)에서 수집한 것과 기타 공동 작업으로 조달함.
三, 생활 개선 분야
1)조기회(朝起會): 매일 아침 종을 쳐서(여름 4시 반, 겨울 6시) 일찍 일어나 다음을 실천함.
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5월 1일부터 8월 말일까지: 가정 작업 (동일)
9월 1일부터 11월 말일까지: 공동 작업 (비료 수집, 동일)
12월 1일부터 3월 말일까지: 짚신 사용
2) 생활비 절약
①관혼상제 시 낭비 및 남용의 구습을 타파하고 허례허식을 폐지함.
②고무신 폐지 및 짚신 착용.
③검은 옷(黑衣) 착용.
④시간 엄수.
⑤일기 쓰기 (월간 행사표 활용).
⑥가계부 작성.
⑦저축 장려: 의무 저축 1개월에 80전씩.
3) 공과금 및 세금 기한 내 납부.
四, 부락(마을) 개선 분야
1) 도로 수선은 봄·가을 2회 마을 주민 총동원으로 도로 개선을 실시함.
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2)특정일의 활용
①시간의 기념일: 시간 존중과 정시 이행의 취지를 명확히 하고, 가구당 1명씩 나와 마을 내 교량을 가설함.
3) 단원 개인 시작지(試作地, 시험 재배지): 1인 평균 논 100평, 밭 100평
①논: 금90호(錦九○號, 긴큐주호, 벼품종에 번호를 부여한 것으로 보면 된다. 벼품종 신동진은 익산438호 였다고 한다), 못자리 개량, 줄모내기(正條植, 못줄을 띄어서 모를 심는걸 말한다. 일제시대때 도입된 것이다), 비료 증시(增施).
②밭: 보리 농사 개량 8명, 조 농사 개량 3명, 헤어리베치(털갈퀴덩굴로 녹비나 사료작물로 쓰인다.) 채종 3명.
4) 월중 행사표: 단원 각자의 가정에 적합한 행사표 2통을 작성하여 계획적으로 수행하고, 1통은 학교에 제출하여 지도를 받음.
5) 개량 농구 공동 구입: 심경쟁기(깊이갈이 쟁기) 1대.
6) 퇴비 제조: 경지 면적 1단보당 300관(1단보는 300평이고 300貫은 1,125kg이다. 무게가 많은데 퇴비는 젖은 상태이고 권장량이라 봐야 한다.) 시용 계획으로 비료사 건조, 외양간 바닥 파내기, 변소 콘크리트 개축, 여름철 풀베기 등으로 퇴비를 제조하여 10월 초순 품평회를 엶.
7) 부업(副業)
(1) 양잠: 황무지 개간 및 뽕나무 600그루(本) 식재, 양잠 매수 12매(1인 평균 1枚, 여기서 養蠶枚數는 蠶種枚數를 말한다 한다. 蠶種1枚는 누에알 약 2만개라 한다. 그럼 한 가구당 50그루의 뽕나무가 필요하다는 얘기다. 누에알 2만개는 많은 양인데 성체가 되기전 죽는 숫자도 생각해야 한다.).
(2) 가마니 짜기(叺織, 가마스오리): 단원은 각자 가마니 틀을 소지하고 1년 생산량 1인 평균 100장(百枚)으로 함.
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(3) 양돈:
①연초에 군농회로부터 순종 버크셔종 5두를 배부받아 개량종 보급을 도모함.
②근농의 취지를 명확히 하여 가구당 1명씩 나와 마을 도로 폭을 넓히고 자갈을 깔함.
3.근로 시간 엄수
①본 단의 아침 기상 종소리에 맞춰 함께 근로를 시작할 것.
②종래 새참(間食, 간식)을 2회 먹던 습관을 폐지함.
③우천(雨天) 등 한가한 날을 이용해 짚신 제조를 장려함.
④마을 청결 정돈(淸潔整頓, 원문엔 情潔이나 誤字다): 특설일(特設日)을 이용해 마을의 청결 정돈(淸潔整頓)을 실시함.
⑤야학회 설립: 11월 5일부터 2월 말일까지 4개월간 농한기를 이용해 취학하지 못한 아동을 모아 간이 국어(일본어), 산술, 조선어를 가르침. 교사는 단원 중에서 선정함.
五, 기본 재산: 단원(團員)의 의무 저축(貯金)으로 충당함.
단원 11名.
일본화폐 엔(円) 아래 단위는 센(錢)으로 1/100円이다. 따라서 위 표 累加合計(累計)는 15円 20센(錢)이란 뜻이다.
六, 예산
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1. 수입 예정
(가) 보리 6두 ( 3.00엔, 한 말(斗)는 18리터.)
(나) 고추 7두 (6.30엔)
(다) 조 5두 (3.00엔)
(라) 벼(籾, 나락벼) 3석 (18.00엔, 한 섬(石)은 180리터. 무게로 140kg이라 한다.)
2. 지출 예정
(가) 지세 (3.20엔)
(나) 화학비료 (2.30엔)
(다) 심경쟁기 (20.00엔)
(라) 잡지 (4.80엔)
우감(偶感) --- 漢詩 偶吟처럼 자신의 짤막한 감상을 적은 글이다. 이 책에는 몇 토막 나온다.
남산성의 차가운 달은 때로 내 누추한 집을 마다하지 않고 찾아와 준다. 24시간 내내 추악한 도시의 먼지에 묻혀 표류하던 기자의 심경은 이때 비로소 정화의 영역으로 들어서려 한다.
(구고 중에서(舊稿の中より))
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제20장 충북 북부 3군의 제지업(製紙業)
충청북도의 특산물이자 제천군의 특산물인 제지업의 기원은 고증할 만한 것이 없어 막연하고 확실하지 않다. 후한 때 채륜이라는 자가 제지술을 발명하고 고구려, 백제, 신라의 순으로 전파된 것이 조선 제지의 시초이며, 점차 각지로 전파되어 충청북도 제천군 내에도 보급된 것으로 보인다.
이래 제천을 중심으로 특히 충주·단양의 산간 주민들에게 부업(副業)으로 행해졌다. 그 제품은 산지 중앙을 관류하는 한강의 수운을 이용해 경성, 평양, 대구, 부산 등지는 물론 멀리 중국으로도 수출되었다.
그 밖에 구한말 시대에는 과거(科擧)에 필요한 종이로 상용된 점으로 미루어 기술이 정교하여 한때 성행(隆盛)했음을 추측하기 어렵지 않다.
이조 말엽 정치의 이완으로 점차 흥왕(隆盛, 興旺)이 막혀 한때 비경(悲境)에 빠졌으나, 신정(新政) 이래 당국은 전문 기술자 배치 및 제지 전습(傳習), 개량 기구 보급 등을 통해 산업을 진흥시킨 결과 광명을 보게 되었다.
그러나 영업자들은 대개 산간 벽지의 빈민이라 시대의 자극을 적게 받아 구습을 탈피하기 어려웠으므로 지도와 장려를 더해야 함을 인식하여, 대정 4년(1915년)에는 제천에 지업조합(紙業組合)을 조직하게 하고 사업 자금을 대출해 주는 등 발전을 기했다.
그러나 대정 9년(1920년) 재정 불황으로 영업자들이 극도로 피폐해져 목적 달성이 곤란해지자, 이를 복흥(復興)하고자 대정 11년(1922년)
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도에는 충주군 일원을 비롯해 제천·단양군 일원을 구역으로 《충북지물동업조합》을 조직하였다.
생산량 증대, 제품의 개량 통일, 개량 기구 보급, 원료 닥나무(楮) 증식, 생산품 공동 판매, 원료 구입 자금 대출, 공동 작업장 설치 등 사업 쇄신(刷新)에 노력한 결과 진전이 이루어져, 현재 닥나무를 재배하는 가구가 7,500여 호에 달한다.
제지 업자들은 이를 원료로 산간 계곡에 간이 제지장을 설치하여 9월경부터 이듬해 5월경까지의 농한기를 이용해 맑은 계곡물로 종이를 제조하고 있으며, 그 수가 949호에 이른다.
제품은 장지(莊紙), 후지(厚紙), 백지(白紙)의 6종으로 경성 및 서선(西北), 도내 각지로 반출되며 창호용, 장판용, 장례용, 대판(大版) 인쇄용, 포장용, 기타 잡용으로 상용되고 있다. 근래에는 공동 작업장 신설과 함께 창지(塵紙), 롤지(卷紙), 봉투(封筒) 같은 화지(和紙, 일식 한지) 생산도 이루어져 그 가치를 인정받고 있다.
* * * *
충청북도 당국에서는 제지 담당 산업기수로 기술적 명성이 높은 김동균(金東均) 군을 경상북도에서 초빙하여 제천군에 배치하고, 제지업 지도 장려와 지물조합 사업 진흥을 도모하고 있다.
제지업 개량 지도는 동업자들의 자각과 함께 공동 생산 혹은 분업 생산 방식을 강구해야 하므로, 제천군 당국에서는 대정 11년 제천·단양군 일원 및 충주군 동량면, 산척면을 구역으로 하는 《조선중요물산동업조합령》에 따른 《충북지물동업조합》을
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조직하여 조합원 공동의 이익을 증진시키고 있다.
제지 원료인 닥나무 증식 방안에 대해 충북지물동업조합 주임기수 김동균 씨의 의견을 물으니, 소화 원년(1926년)부터 관내 산기슭이나 밭두렁 등 일반 농사와 저촉되지 않는 토지를 활용하여 닥나무 증식을 도모하고 조합에서 보조금을 지급하여 원료 증식에 힘쓰고 있다고 한다.
소화 원년 이래 식재 현황을 보면 소화 원년(1926년) 20,033본, 소화 2년(1927년) 145,232본, 소화 3년(1928년)에는 520,000본으로 급증했고, 소화 4년(1929년) 107,302본, 소화 5년(1930년) 124,590본, 소화 6년(1931년) 61,410본을 식재했는데 모두 생육 상태가 양호하여 향후 10년이 지나면 연간 14~15만 원 이상의 수입을 올려 얻을 수 있을 것이라고 한다.
기타 기존 제지 업자들이 사용하는 제지 기구는 작업 효율 및 제조비 절감 측면에서 아쉬운 점이 많을 뿐 아니라 품질 향상을 위해서도 개량이 시급했으므로 대정 14년(1925년)부터 도 지방비 보조를 통해 개량 기구를 보급하여 사업을 유익하게 만들고 있다.
뿐만 아니라 제지 업자들은 대부분 영세하여 자금이 부족한 탓에 원료 구입비로 고리대를 이용하다 보니 애써 일한 이익의 대부분을 자본가에게 바쳐야 하는 비경에 있었다. 이에 조합에서는 이를 절감하고 원료 구입비 및 생산품 판매 대금을 극저리로 융자해
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주는 등 업자의 이익 증진에 주력하고 있으며, 매우 친절하고 정성스럽게 제반 사무를 집행하고 있다.
향후 충북의 종이 산업은 김동균 씨의 노력에 힘입어 더욱 향상 발전할 것임에 의심의 여지가 없다.
(이상)
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제21장 충주번영회
충주군에 신정(新政)이 펼쳐진 이래, 충주면에는 면장이 7대나 이어졌다. 짧게나마 그간의 면정 전반의 상황을 회상해 보면, 종래의 관과 민 사이의 거리가 한 걸음 한 걸음 줄어들어, 지금은 함께 국운을 걱정하고 고락을 같이하고자 서로 껴안고 함께 우는 모양새가 되었음을 기자는 어렴풋이 느낀다.
특히 그 기관 단체로서 제6대 면장 타나카 이사오(田中勳) 씨의 제창으로 성립된 번영회 같은 것은 그 정수를 뽑아낸 것이라 해도 좋다. 이에 기자는 충주번영회 규약 그대로를 출판하여 우리 충주 읍민의 참고 자료에 제공하고자 한다.
1932년 11월 충주 남산성 아래 초려(草廬, 草家)에서 이 영 생(李 英 生)
충주번영회 규약
제1조 본 회는 충주번영회라 칭하고 충주읍에 둔다.
제2조 본 회는 충주 지방의 번영을 도모하고 각종 사업의 개선을 촉진하며 회원 상호 간의 친목을 도모함을 목적으로 한다.
p127
제3조 본 회는 충주읍 내의 본정(本町), 영정(榮町), 금정(錦町), 대수정(大手町), 교현동(校峴洞), 용산리(龍山里), 달천리(達川里), 봉방리(鳳方里), 칠금리(漆琴里)에 거주하는 자로 조직한다.
제4조 본 회의 회원은 다음 3종으로 한다.
1. 명예회원 (본 회에 공로가 있는 자에게 회장이 이를 추천함)
2. 통상회원 (제3조의 구역에 거주하며 회비를 부담하는 자)
제5조 본 회에 다음의 임원을 둔다.
1. 회장: 1명
2. 부회장: 1명
3. 간사: 50명 안팎
4. 상임간사: 4명
5. 상담역: 약간 명
정부회장은 총회에서 선거한다. 간사는 회장이 이를 위촉한다. 상임간사는 간사회에서 호선(互選)한다.
p128
상담역은 임원회에서 추천한다.
제6조 임원의 임기는 4년으로 한다.
보궐에 의한 임기는 전임자의 잔여 임기로 한다.
임원은 재임 기간 재직하는 자로 한다.
임원은 재선될 수 있다.
임원은 명예직으로 한다.
제7조 회장은 본 회를 대표하고 일체의 사무를 처리한다.
부회장은 회장을 보좌하고 회장 신상에 사고가 있을 때는 그 사무를 대리한다.
간사는 본 회의 목적에 관하여 의견을 개진하고 의안을 심의한다.
상임간사는 회장의 자문에 응한다.
상담역은 중요 사항에 대해 회장의 자문에 응한다.
제8조 본 회의 집회는 다음 3종으로 한다.
1. 정기총회
2. 임시총회
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3. 임원회
제9조 정기총회는 매년 5월에 개최하여 회무 및 회계 보고와 제반 협의를 진행한다.
제10조 임시총회는 임원회에서 필요하다고 인정한 때 또는 회원 3분의 1 이상의 청구에 의해 회장이 이를 소집한다.
단, 긴급을 요할 때는 임원회에서 이를 결정하고 다음 총회에서 이를 보고할 것.
제11조 임원회는 본 회의 목적에 관한 제반 사항을 토의한다.
단, 의사는 임원의 과반수로 의결한다. 긴급을 요할 때는 상임간사회를 가름할 수 있다.
제12조 본 회의 경비는 회원 회비 및 기부금으로 이에 충당한다. 단, 회비는 임원회에서 정한 바에 따라 이를 징수한다.
제13조 본 회의 회계연도는 매년 4월 1일부터 이듬해 3월 31일까지로 한다. 수입·지출 결산은 총회에서 보고하여야 한다.
이 규약은 소화 6년(1931년) 6월 5일부터 시행한다. 소화 4년(1929년) 4월 17일 결재된 규약은 본 규약 시행일부터 폐지한다.
p130
《인생을 바라보았을 때》
한 번 죽으면 그뿐인데 나는 왜 이리 신음 소리를 내고 있는 것일까. 그것은 제한된 인생 속에서도 무한히 화려한 한낮의 화원이 있음을 어렴풋하게나마 스스로 인식하기 때문이다.
구고 중에서
(《人生を見つめた時》
一度死ねばそれだけなのに私はさうして噞きを上げてゐるのだらう。それは限られた人生の中にも無限に華やかな晝局の花園があることを朧氣ながらも自ら認識するからだ。 (舊稿の中より)
