|
출처: 석화 시인의 시 카페 원문보기 글쓴이: 천지
石華の詩をテクストに中国朝鮮族文学の諸相を再検討する
―『国語』なき『国民』の文学
南鉄心
目次
修士論文要旨
はじめに
第一章 中国朝鮮族文学と詩人・石華
第一節 中国朝鮮族の詩人・石華と彼の文学
第二節 中国朝鮮族文学の諸相に関する再考
第二章 石華の詩に見られる「自己」と「他者」の関係
第一節 「私」とは「誰」なのか
第二節 「他者」とは「誰」なのか
第三章 石華の詩に見られる「姉さん」のイメージ
第四章 遂に融合の道へ
終わりに
参考文献
Ⅰ、朝鮮語の文献
Ⅱ、日本語の文献
Ⅲ、日本語訳の文献
Ⅳ、石華文学研究関連の評論、記事(朝鮮語)
修士論文要旨
本論文のタイトルは、「『国語』なき『国民』の文学‐石華の詩をテクストに中国朝鮮族文学の諸相を再検討する」である。このタイトルが示唆しているように、本論文は中国朝鮮族と彼らの文学に関するものである。
「『国語』なき『国民』」とは、中国朝鮮族のことである。従って、このタイトルからは二つの問いが予想される。それは、「『国語』なき『国民』」などありうるか、何故中国朝鮮族には「国語」がないのかである。
一つ目の問いは、「国語」と「母語」の混同から生じると考えられる。
「国語」とは、一国の主体をなす民族が、共有し、広く使用している言語、つまりその国の公用語・共通語のことを指している。「母語」とは、人が生まれて最初に習い覚えた言語である。従って、「国語」と「母語」は必ずしも一体化したものではない。これは日本に帰化している外国人のことを思い起せばすぐにわかる。彼らは日本に帰化すると同時に、「日本語」という「国語」を強要されてしまうのである。彼らは、国籍は日本であっても日本語はあまりよく話せない(勿論、中には日本語が上手に話せる人もいるが)。彼らにとって日本語は常に「他者」の言語である。つまり、彼らは「母語」は持っていても「国語」は持っていないのである。
移民にとって、文化的コンプレックス以上に、言語的コンプレックスは大きいと言えるかも知れない。しかしここで忘れてはならないのは、言語的コンプレックスは移民の二世、三世の代にはなくなるかも知れないが、文化的あるいは人種的コンプレックスはその後もずっと後を引き続けるであろうということである。
二つ目の問いは、中国朝鮮族は、中国語、韓国語の二つの言葉が話せるバイリンガルであるから、むしろ羨ましいことではないかという発想から生じるものと思われる。
中国朝鮮族は、中国にいながら朝鮮語(韓国語ではない)を「国語」(しかし、それは決して本当の意味での国語にはなれないだろう。これが中国朝鮮族が抱えている言語問題の矛盾でもある)として勉強し、中国語は生活のための補助言語として学んでいる。従って、彼らの中国語能力は中国の主体民族である漢民族に比べれば遥かに及ばないのである。中国朝鮮族の文学者の殆ども、中国語で文学作品を読むことは出来ても、中国語で文学作品を書くことは出来ないのである。
さらに中国朝鮮族が使用している朝鮮語と韓国で使用されている韓国語は、綴字法(テイジホウ)、分かち書きなどが異なっている。朝鮮語で「리상(lisang)」(理想)と表記し、発音しているものを韓国語では「이상(isang)」と表記し、発音している。朝鮮語では「이름없는것들중의 하나」(名もなきものの中のひとつ)と分かち書きをするものを韓国語では「이름없는 것들 중의 하나」と分かち書きをしている。また中国朝鮮族は、韓国では使用されていない咸境道の方言や昔からの古い言葉、そして中国語から直訳された様々な漢語用語を「標準語」として数多く使用している。これらの言葉は、韓国の辞書には載っていないもので、韓国人には理解不可能、あるいは理解し難い言葉である。
特に、彼らの日常言語は朝鮮語に中国語を取り混ぜた二種混合的なものである。彼らのこのような二種混合的な日常言語(これは決して方言ではない)は、中国人にも韓国人にも分からない。それは彼らにしか分からない彼らだけの言語である。中国語と韓国語のいずれかひとつしか選べなくなると、彼らは直ちに「失語症」に罹ってしまうのである。彼らの日常言語を理解するためには、中国語と韓国語の両方面の言語能力が同時に必要となるのである
本論文は、やや無理をしながらも、標準語ではない彼らの日常言語について語り続けている。それは中国語に韓国語を混ぜた「二種混合的な言語」が彼らの日常言語であり、この「二種混合的な」性質によって、中国朝鮮族としての彼らのアイデンティティが混乱させられているからである。
中国朝鮮族文学について論じる時、まずは彼らの言語問題について論じなければならない。言語を論じることによって、「国民文学/少数民族文学」、「中国文学/朝鮮族文学」、「中心/周縁」といったイデオロギー的構造(この構造が問題となるのは、その中に「上/下」、「優/劣」のような構造が隠されているからである)に揺さ振りをかけることが出来るからである。この構造を崩すことによって、中国朝鮮族文学を中国の少数民族文学というカテゴリーの中から「解放」し、中国朝鮮族文学を国民文学である中国文学と対等の関係に位置づけることが出来るのである。
これは具体的に、中国朝鮮族文学を国民文学である中国文学の中に置いた時から始まる。中国朝鮮族文学を国民文学である中国文学の中に置いた時、一応、それは少数民族文学という一つのカテゴリーの中に入れることができる。少数民族文学を規定する時、国籍は前提条件であり、民族は必然条件であり、言語は補助条件となる。中国の少数民族であれば、自民族言語、あるいは中国語を含むほかの少数民族言語で書いた文学も一応は少数民族文学として認めることができる。つまり、多言語使用が可能である。
しかし、ここには一つの問題が生じている。もし中国朝鮮族が中国の少数民族の中にはない言語(例え、英語、日本語など)だけで書いた文学があるとすれば、この場合はどうなるだろうか。これを単純に中国朝鮮族文学の一部として見なすことはできるだろうか。
もしそれが可能であるとするなら、中国朝鮮族文学は無限の広がりを示し、結局は国民文学の範囲までも超えてしまうのである。これは、中国朝鮮族が世界中の全ての言語で文学活動を行うと仮定(現実的に不可能であっても理論的には可能である)してみればすぐ分かる。この仮定が成立するなら、民族文学と世界文学の境界線がなくなってしまうのである。つまり、それは国民文学を超えて世界文学になってしまうのである。
もしそれが不可能であるとしても、中国朝鮮族文学は簡単に国民文学の一つのカテゴリーとしての「中国少数民族文学」の枠から脱することができる。少数民族文学でなければ、中国文学ではないし、中国文学でなければ、外国文学としてしか存在しようがないからである。これもまた国民文学を超えてしまうのである。
敢えていえば、中国少数民族文学は初めから中国文学の一つのカテゴリーとして存在しているのではない。少数民族文学を中国文学の一つのカテゴリーとして見るのは、中国文学を全体とし、少数民族文学をその一部分と見なしているからである。つまり、少数民族文学を中国文学に従属させようとしているからである。これはまさにヘゲモニー的構造である。そうではなく、少数民族文学は常に国民文学としての中国文学と対等関係にある。対等関係になければならないのである。
本論文が目指しているのもこれである。石華の作品から「自我/他者」、「男/女」のような二項対立的構造を掘り起し、それを突き崩していくこともこうした作業の一環として捉えることができる。つまり、「自己/他者」=「男/女」=「上/下」=「優/劣」といった構造を消し去り、その不在から現れてくるのが「自己」であり、「他者」であり、「男」であり、「女」であるということである。同じように、「国民文学/少数民族文学」=「中国文学/朝鮮族文学」=「上/下」=「優/劣」といった構造が消え去り、その不在によって存在するのが「中国朝鮮族文学」である、ということになる。
中国朝鮮族文学を論じる時、石華の作品を選んだのは、彼が「新時期文学」の体表者の一人であるのみならず、「私の葬礼式」、「私は私です」などの作品を通して初めて個人の「主体性」を訴えた朝鮮族の詩人であり、この「主体性」こそ中国朝鮮族文学の諸相を再検討する際、重要なキーワードになりうると考えたからである。
本論文は中国朝鮮族の詩人・石華のテクストを題材としているが、石華についての先行研究文献として刊行されているのは、幾つかの短い論文と、新聞記事だけである。本論文の執筆にあたり、石華本人から送っていただいた資料の中には、彼に関する殆どの論文や記事が含まれているが、それは全部で三十七篇(石華に関する資料目録については、第一章・第一節を参照)である。そのうち、論文は二十二篇、新聞記事は八篇、インタビュー六篇、対談は一篇である。石華に関する先行研究文献は少ないが、同じ中国朝鮮族の文学者として十余年間、直接彼と接してきた経緯と、この論文の執筆中に、彼とのメールのやり取りで得た情報などを有効に利用し、先行研究文献の不足を補うことが出来た。
これらの先行研究文献を見ると、殆どは彼の個別作品、あるいは詩集に関する評論であって、彼の文学について総体的に論じたものはなかった。本論文も石華個人に関する作者論ではないので、彼の文学について総体的に論じるのではなく、個別的作品を相互関連性の中で論じることにした。
中国朝鮮族文学に関する先行研究文献として重要なのは、日本で出版された大村益夫の『中国朝鮮族文学の歴史と展開』(緑蔭書房-2003年)と韓国で出版された黄松文の『中国朝鮮族詩文学の変化様相研究』(国学資料院-2003年)、そして同じく韓国で出版された吉林大学の尹潤真の『在中朝鮮人文学研究』(ソウル出版社-2006年)である。
『中国朝鮮族文学の歴史と展開』は、「淪陥期東北朝鮮人文学の諸相」、「尹東柱研究」、「朝鮮族文学の現状」、「金学鉄の足跡」、「朝鮮族文学との出会い」の五部構成で、著者が今まで書きためてきた朝鮮族文学関係の論文を一冊にまとめたものである。この本は満州時代から現代に至るまでの中国朝鮮族文学の歴史を辿り、尹東柱、金学鉄などについて作者論を展開しているが、中国朝鮮族文学のあり方を根本的に見直すまでには至っていない。つまり、中国朝鮮族文学を少数民族文学という一つのカテゴリーに包摂することを黙認した論考に過ぎなかった。
『中国朝鮮族詩文学の変化様相研究』は、「在満朝鮮人文学の形成」、「マルクス主義文学理論の再検討」、「文芸思潮の理論的混乱」などについて論じながら、主には文化大革命が中国朝鮮族詩壇に及ぼしたマイナス影響に力点を置いている。この本の著者は、長期間、延辺大学で教えたこともあって、中国朝鮮族文学について比較的詳しく論じている。しかし彼も中国朝鮮族文学の主体性について論じながらも、中国朝鮮族文学のあり方を根本的に見直そうとはしなかった。
それに比べ、尹潤真の『在中朝鮮人文学研究』は、最初から中国朝鮮族文学についての見方を覆そうとしていた。しかし彼は、「中国朝鮮族」という名称に着目し、その名称を変えることで中国朝鮮族文学についての見方を変えようとした。その結果提示されたのが「朝鮮人(韓人)文学」という名称である。彼がこの名称の根拠としているのは、中華人民共和国が成立する以前には「朝鮮族」という名称がなかったということである。ここで明らかになるのは、名称を変えることで「主体」を変えようとするその考え方自体に最初から無理があったということである。
これらの論考とは異なり、本論文(「『国語』なき『国民』の文学」)は言語を中心に、「国民文学/少数民族文学」=「中国文学/朝鮮族文学」=「上/下」=「優/劣」といった構造に揺さ振りをかけることで、中国朝鮮族文学のあり方を根本的に見直し、中国朝鮮族文学を国民文学である中国文学と対等の関係(位置)に置くことが出来た。これが本論文の独創性であり、斬新さである。
しかしながら、本論文は、資料の活用、現代文学理論の適用、論述法などにおいて数々の未熟性を示している。これら問題については、今後の課題としたいと思う。
はじめに
なぜなら意味はあるのではなく、
なるのであるから。
―ジュリア・クリステヴァ
いうまでもなく、この「はじめに」は、本論文の最後に書いたものである。前後が転倒されているが、そうでもない。この「はじめに」というテクストが生まれる時、そのテクストは既に存在している。数え切れないほど広がっているほかのテクスト群との相互関係性の中で存在している。全ての言葉は既に存在している。われわれに出来るのはそれを引用するだけのことである。この「はじめに」もその引用の一つの過程に過ぎない。
中国朝鮮族文学について何かを論ずる時、「周縁」という言葉はとても有効的である。「周縁」と対立して存在している「中心」、この「中心」の中から「周縁的」要素を掘り出して、それによって「中心的」存在に揺さぶりをかけるのが脱構築の一つの仕事である。
本論文の中には、脱構築、精神分析、ジェンダー、フェミニズム、間テクスト性など様々な現代文学理論の用語が散らばっているが、これは決して現代文学理論の実践論ではない。それらは「痕跡」としてテクストの中で存在していても、決して理論化されてはいない。
中国朝鮮族文学について論ずる時、そして石(セキ)華(カ)の具体的な作品を分析する時、必要に応じて幾つかの現代文学理論を援用しながらも、出来るだけその理論を自分の言葉(自分の言葉という言い方自体が適切ではないが)に変えて論じ、複雑で難解な概念や用語の乱用を避けようと努めた。にもかかわらず、理論の誤用、乱用の痕跡があちこちに残っていることは認めなければならない。これらについては、専門家たちのご指摘を願うこととしたい。
本論文は、周縁的存在としての中国朝鮮族文学について、そしてその中の一人の詩人・石華と彼の作品について(作品全体の文学的特色、風格、思想境界などを総体的に論じるのではなく、個別的作品を相互関連性の中で)論じたもので、構成的に、石華と彼の作品を中国朝鮮族文学の一つの現象として捉え、そして彼の作品を通して中国朝鮮族文学の在り方、その諸相を再検討する形になっている。
中国朝鮮族についていうと、彼らは中国人でありながら朝鮮人(韓国人)でもある。一人でありながら二人である。これは言葉としてはありうるが、現実としてはありえない。逆に言えば、彼らは中国人でも韓国人でもない。彼らはただ彼ら自身であるだけである。
中国朝鮮族、彼らには中国語と朝鮮語(韓国語)のふたつの言語が存在する。しかし、中国語と朝鮮語(韓国語)のいずれかひとつしか選べなくなると、彼らは直ちに「失語症」に陥ってしまう。実は、朝鮮語(韓国語)に中国語を混ぜた二種混合的な言語が、彼らの日常言語だったのである。逆にいえば、彼らは、「国語」(中国語)も「母語」(韓国語)も持っていない。
本論文は、やや無理をしながらも、標準語ではない彼らの日常言語について語り続けている。彼らの日常言語は、中国語に韓国語を混ぜた「二種混合的な言語」であり、この「二種混合的な」性質によって、中国朝鮮族としての彼らのアイデンティティに混乱がきたされているからである。
中国朝鮮族、この呼称からも分かるように、彼らは中国と朝鮮(韓国)といったふたつの「中心」に囲まれたひとつの周縁的存在である。このような周縁的存在であるがゆえに、彼らの文学は、「少数民族文学」として、中国文学のひとつのカテゴリーの中に入れられてしまったり、「海外同胞文学」として、韓国文学のひとつのカテゴリーの中に入れられてしまったりするのである。
中国朝鮮族文学のあるべき本当の姿を把握するためには、彼らの文学をこのふたつのカテゴリーの中から「解放」しなければならない。そのためのひとつの試みとして石華という中国朝鮮族の一人の詩人の作品をテクストに、「私」と「他者」の関係から「自己」が形成されるプロセスを基本原理として、「中心/周縁」という二項対立的構造に揺さぶりをかけるのが(しかし、新しい構造を構築しているのではない)、この論文の主旨である。
従って、本論文は以下のように構成されている。
第一章、「中国朝鮮族文学と詩人・石華」では、石華に関する個人的情報と彼に関する先行研究を報告し、そして「言語」と「民族」をキーワードに、「国民文学」対「少数民族文学」のイデオロギー的構造に揺さぶりをかけることで、中国朝鮮族文学だけではなく、それを生み出している中国朝鮮族社会全体を再検討している。
第二章、「石華の詩に見られる『自己』と『他者』の関係」では、幾つかのテクストの分析を通して、「私」と「他者」の関係から「自己」が形成されるそのプロセスを解明しようとしている。
第三章、「石華の詩に見られる『姉さん』のイメージ」では、「女」が「女」であることと、「私」が「私」であることとの関係性を分析し、ジェンダーという視点から彼の作品に見られる、「女らしさ」を美化する現象について論じている。
第四章、「遂に融合の道へ」では、「林檎」と「葡萄」のエロチック(官能的)な作品の分析を通して、エロスの中に隠されている「融合の力」を表出させようとしている。
この論文で扱っている詩の訳文は、全て論者によるものである。原文のハングルは、中国朝鮮族自治州で現在使用されているハングルの表記法に従っている。韓国で出版、発表された一部の作品(付録を含む)については、韓国語表記のままにしている。
第一章 中国朝鮮族文学と詩人・石華
私は一つの言語しか持っていない、
ところがそれは私の言語ではない。
―ジャック・デリダ
第一節 中国朝鮮族の詩人・石華と彼の文学
「私たちも皆、各自の分野で一流になりたいのです。他の事をやりましたら中国でも一流になれる道筋はあります。歌のうまい人は、中国のCCTV に出演することができますし、舞踊、或いはスポーツをやっても同じです。しかし、文学だけはそうはいかないのです。ですから、私達は仕方がないのです。三流作家として一生を終えるしかないのです。」(対談、「延辺文学の交流と民族語文学の意味」、韓国『詩眼』社)
一人の詩人がささやかな声で世界に向かってこのように告げている。自分たちは「三流作家」であり、そして「三流作家」として一生を終えるしかないんだと。彼は中国の朝鮮族の詩人・石(セキ)華(カ)である。
一九五八年七月四日、中国吉林省の延辺朝鮮族自治州(旧満州の間島(カントウ)地域)の龍(リュウ)井(イ)市(当時は龍井県)で生まれた石氏は、少年時代を文化大革命 のさなかで過ごし、青春時代を改革開放 という前代未聞の激動の時代に過ごした世代である。彼らの世代は新中国の中で、波乱万丈の政治風波を経験した最後の世代であり、改革開放につれて入ってきた西洋文明と出合った最初の世代でもある。彼らの世代は、新中国(中華人民共和国)の中で最後の不運児であり、また最初の幸運児でもある。
石華の幼年時代と少年時代は、新中国の中で最も不幸な時代であった。六十年代前半の「三年自然災害時期」と「三年経済困難時期」に飢餓で亡くなった人は千五百万人を超えていた。そして一九六六年から始まった十年間の文化大革命。家では食物の欠乏で飢えの毎日が続き、学校では学ぶことの出来ない大混乱の状況が続いた。その時の中国は、家族関係を含む社会全体が階級闘争を唱える政治体制下に置かれていた。所謂、「全体主義」の時代であった。
しかしその最中でも石華は、厳しい親のもとで学問に励んでいた。彼自身の話によれば、当時の朝鮮語で読むことの出来る書物はほぼすべて読んでいたそうである。その習慣は今も続いている。彼に言わせれば、朝鮮語で読める本があまりにも少ないので選ぶ余地がなかったということである。中国朝鮮族の一世の小説家・金学(キムハク)鉄(チェル) が朝鮮語の辞書を小説の代わりに読んでいたぐらいであるから、当時の朝鮮族作家たちが置かれていた文学的状況の厳しさは想像するに難くない。
石氏は、金(キム)文会(ムンエ) (詩人)、崔三(チェサム)龍(ヨン) (文学評論家)などの文学先輩達から文学について学び、そして彼らから深い影響も受けていた。創作初期、金文会先生と同じ和龍(ワリュウ)に住んでいた石華は、吹雪く冬の夜中でも書き上がったばかりの詩作品をもっては、金文会先生のお宅へ走ったそうである。
高校を卒業後、石氏は和龍のゴム製造工場で一般労働者として勤めていたが、一九七七年、大学受験制度(文化大革命の時期は、推薦制度)の復活にともない、延辺大学 に入学することになった。中学時代から文学に憧れ、詩を書き始めていた石氏は、延辺大学の作家養成クラスで学ぶことになった。当時の同じクラスには、詩人の金学(キムハク)松(ソン) 、小説家の崔(チェ)紅(ホン)日(イル) などもいた。彼らは石華よりはやや年上であったが、文化大革命以後の第一期大学生として延辺大学で一緒に学ぶことになったのである。
文化大革命以後の第一期大学生として大学で学んだこと、そして大学のキャンパスで当時の若手作家たちと出会ったことが詩人・石華の文学的成長に欠かせない滋養分となったに違いない。こうした面からすれば、石華はやはり文学的幸運児でもある。
大学卒業後、石氏は和龍県ラジオ放送所に勤めていたが、一九八四年には延辺人民放送局の音楽部に転勤し、主に歌詞編集の仕事に従事した。その後、文学部長を歴任し、一九九八年からは『延辺文学』誌 の編集長を勤めた。
二〇〇二年には、韓国の培才大学に留学し、満州時代の詩人・金朝奎(戦後は北朝鮮に帰属)の詩を扱った論文、「金朝奎詩研究」で文学修士号を授与された。
今や延辺朝鮮族自治州では、石華の名前を知らない人はいないほど有名であるが、彼が本当に有名になったのは、一九八二年に書いた「私の葬礼式」、特に、一九八五年に書いた「私は私です」からである。彼は中国朝鮮族文壇の中で、初めて「我ら」という立場から「私」を書いた詩人であり、彼の詩は中国朝鮮族文壇にひとつの革命を起こしたのである。
中国では、この時期の文学を「新時期文学」と呼んでいる。北京では、早くも一九七八年から詩人の北島(ペイトウ) によって地下雑誌『今天(チンテン)』が創刊されるが、これが「新時期文学」の始まりである。北島は初期の作品、「回答」、「全て」などを通して中国の三十年の体制を否定し、それに抵抗するが、その否定と抵抗は「詩の宣言」でもあった。
卑劣は卑劣たる者の通行証
高尚は高尚たる者の墓誌銘
見てこらん、あの鍍金の天空の中
漂った死者の湾曲された倒影
(中略)
私は天が蒼であることを信じない
私は雷のこだまを信じない
私は夢が虚しいことを信じない
私は死んだら無用であるそれさえ信じない
(北島の詩、「回答」から)
集団精神を重視する全体主義から離れて、個々の個人的体験を重視するというこうした思想の転回は、石華の詩、「私は私です」のなかでも続いている。だが、そのため北京から延辺に到り着くのに七年もの歳月が過ぎてしまったのである。それは中国朝鮮族文学という周辺文学の悲哀でもある。中国文学と少数民族文学の間には、常にこうした地域差や時間差が生じてしまうのである。
作品、「私は私です」が、中国朝鮮族詩壇の中で重要な位置を占めているのは、詩自体が優れているというよりは寧ろ、詩人・石華が「私は私です」と叫んだ最初の人間だからである。
文学評論家・崔三龍は、「我が詩壇の希望と未来」(詳細は付録に)の中で、全体主義時代の詩と詩人について次のように述べている。
長い間わが国では、詩は、詩ではないほかのものとして、詩人は、詩人ではないほかの者として存在していた。動乱の十年間、このような現象は悪疫的に発生し、詩は、階級闘争の道具、政治の付属物となり、詩人は、現代の神 を賛美する宣教師、階級的独裁を実施する道具として充当されていた。これは、詩に対する「取り消し」であり、詩人に対する死刑宣告であった。
社会主義国における政治と文学の関係は、絶えず話題となる問題の一つであるが、それはひとつのイデオロギーとして独裁政権を正当化し、それを維持するための道具として今後も利用され続けるだろう。しかし、圧迫のあるところには必ず反抗が芽生える。抑圧すればするほど、自由に対する人間の願望は強まるのだ。独裁と統制に対する反抗はやがて「思想解放運動」を引き起こし、前世紀の七十年代末から中国大陸を覆い始めた。その結果として生まれたのが、「新時期文学」である。崔氏は、先の論文の中で、「新時期文学」について引き続き、次のように述べている。
我々の数多くの詩人たちは、受動的自我から主動的自我に変化し、大きな自我から小さな自我に変化し、単純、単一であった自我から複雑な矛盾を内包した自我に変化し始めた。それによって我々の詩人たちは、長い間喪失していた自我を
探しはじめ、現代の神を放棄し、人間に関心を注ぎ始め、人間の喜怒哀楽を包 括する複雑な内面世界を表現し始めた。
石華は、「新時期文学」の代表作家の一人であるのみならず、その運動に加担し、その運動を中国朝鮮族文壇に広めた先駆者でもある。彼の詩、「私は私です」がその代表作であり、それは「新詩」の「宣言」でもあった。
崔三龍は別の論文、「新時期が生んだ青年文人・石華」(詳細は付録に)の中で詩、「私は私です」について次のように述べている。
石華というと、私は頭の中で抒情詩「私は私です」を一番最初に思い浮かべる。この詩にあまりにも魅了されて、筆者は十余年の間、数編の文章の中で四、五回もこの詩について言及した。この詩が最初に『松花江』誌 に発表されたのは一九八六年一月(この詩が書かれたのは、一九九五年七月一日である-論者注)であるが、その時、「私は私です」という詩句は、あまりにも新鮮で、魅力的であり、また画期的であった。
我が文壇の覚醒を表現することの出来る言葉を選ぶ時、「私は私です」というこの一言以外に何が考えられるだろうか。勿論、中国文壇全般では、八〇年代初期から主体意識の覚醒を反映する作品が数多く出てきたが、我が文壇の覚醒は体質的に遅れていて、一九八六年、石華のこの詩を通してようやく提起された。
私は、今もこの詩句を最初に読んだ時の、その感激と興奮を忘れられない。これほど新鮮な詩句が石華によって作られたということが、どれほど誇らかであったか知らない。
中国朝鮮族文壇の評論界の第一人者とも言われている崔三龍氏が、これほど魅了され、感動するくらいであるから、「私は私です」が、中国朝鮮族文壇に投げかけた波紋がどれ程であったかは想像するに難くない。
中国朝鮮族文学は、中国の周辺的、辺境的地域である延辺朝鮮族自治州を中心に活動を展開しているため、中国の社会主義体制が提唱する政治、経済、文化の路線に従わなければならないのみならず、何時、何をするにも中央の指示を待たなければならない「周縁文学」という立場を負わされている。つまり、社会主義文学綱領が強要する「枠」の中で朝鮮民族特有の民族情緒を配合し、辺境的異民族としての弱点を克服するため数多くの負担を抱えなければならなかったのである。従って、中国朝鮮族文壇の新人たちがどれだけ革新的な活動を展開しても、それには限界があった。しかし、八〇年代の中頃に結成され始めた朝鮮族詩人の新人集団には、「自我意識」、「民族意識」、「現代意識」といった三つの新しい意識が明らかに表れてきた。
それは人間固体を、機械の部品的のように見なしてきたそれまでの思考方式、全体主義的思惟方式に対する否定であり、自我の存在を回復、確認しようとする動きの現れであり、自らを移民としての朝鮮族ではなく、主権国民としての朝鮮族と考える意識改革であった。それは朝鮮民族固有の文化と情緒を伝承、発展させようとする民族的感情の表現であり、中国共産党に対する奉仕を目的とする英雄的、概念的な社会主義文学から離れて、芸術的、表現的なモダニズムや現代思想を受容しようとする新しい文学思潮の決起であった。
石華は、詩だけではなく、ほかに歌詞、散文など、様々なジャンルで優れた作品を残しているが、作品数はそれほど多くない。詩篇が八百、歌詞が三百、ほかに若干の散文があると推測されている(発表された作品数はもっと少ない)。彼の主な詩作品は、『私の告白』(一九八九年)、『花の意味』(一九九三年)、『歳月の耳』(一九九八年)という三冊の詩集に収められている。
一九八九年、中国の延辺人民出版社 から刊行された第一詩集、『私の告白』には、「告白」、「友よ、僕らの名は青春」などの初期作品をはじめとして、「私の葬礼式」、「私は私です」など、彼の創作成熟期の作品を含む九三篇の作品が収められている。
一九九三年、韓国の生と共社によって出版された第二詩集、『花の意味』は、第一詩集、『私の告白』の縮小版とも言える。この詩集は、第一詩集から初期作品を削り、代わりに「分かれ道」、「唐きび畑で」など、若干の新しい作品を加え、五二篇の作品で構成されている。
一九九八年、中国の黒竜江朝鮮民族出版社から刊行された第三詩集、『歳月の耳』は、韓国の詩人・鄭芝溶(チョンジヨン) に因だ「芝溶文学賞」を受賞した詩集である。この詩集には、「考える人」、「作品36-加減乗除と方程式」など、パロディ、解体といったポスト・モダニズム的技法を駆使した作品を中心に、石華の創作全盛期の作品、七五篇が収録されている。
石華は詩人だけではなく、散文作家、歌詞作家としても有名である。特に、一般大衆には、歌詞作家として広く知られている。彼の「姉さんへの思い出の歌」(누나 생각)、「母への思い出の歌」(어머니 생각)、「石橋」(돌다리)、「ドンドン打鈴」(동동타령)などは中国朝鮮族の人なら誰でも口ずさむことが出来るほど有名な歌である。
しかしながら、石華は中国朝鮮族社会以外の世界ではあまり知られていない。彼はどれだけ有名であっても、所詮は中国朝鮮族という「石垣」の中の名人に過ぎないのである。韓国の大学への留学が彼の名を外の世界に知らせるひとつの契機となったが、それも効果的であったとは言い難い。彼の作品を専門的に研究する学者もいなければ、「石華論」もまだ出版されていない。勿論、本論文も「石華論」ではない。本論文はただ、中国朝鮮族文壇の一つの現象として石華を論ずるものであり、またそれを通して、中国朝鮮族文壇の現況を浮き彫りにすることを目的としている。
中国朝鮮族文壇のこのような「石垣現象」は、ひとり石華個人の問題だけではなく、中国朝鮮族の文学界、評論界の問題であり、延辺文壇を含む中国朝鮮族社会全体の問題である。それらは、多民族国家である中国の政治・経済体制、文化形態、民族政策などが複雑に絡み合う極めて厄介な問題なのである。
中国朝鮮族文壇が、閉鎖的な「石垣文学」(울타리문학) から脱却するためには、同時に二つの道を歩まなければならない。一つは、中国朝鮮族文学の輸出、つまり中国朝鮮族文学を外の世界に知らせることである。もう一つは、外来文学の輸入、つまり外から様々な最新情報を内に取り入れることである。
中国朝鮮族文学は、朝鮮族文学の特色を生かしながら、直接、あるいは翻訳を通して、中国文学と交流しなければならない。自民族主義に固執するあまり、最も身近な存在である中国文学を無視する傾向が今も中国朝鮮族文壇には残っている。中国朝鮮族文学が中国文学を無視して、世界文学と手を繋ぐことはまず不可能であろう。中国文学もまた世界文学の一つだからである。
中国朝鮮族文学は、隣国である韓国や日本の文学とも広く交流する必要がある。特に、韓国とは、文化・言語上の障害が少ないので、直接的な交流が可能である。従ってこの交流のルートを有効に生かさなければならない。
日本は、地理的、文化的に近いだけではなく、日本で学んでいる数多くの朝鮮族留学生たちがいる。彼らの持っている言語的ソフトパワーを効果的に利用すれば、言語的障害もある程度は克服されるので、幅広い交流が可能となるだろう。
特に、韓国や日本との交流が重要であるのは、中国朝鮮族社会が長い間実施してきた英語教育の放棄 から生ずる様々な不便を、これら二国との交流によって補うことが出来るからである。現在、中国朝鮮族文学と欧米文学との交流は殆ど存在しないが、これを克服するための長期目標として、英語教育を重視し、人材の輸出、輸入事業を促進させる必要がある。そして目前の目標としては、中国、韓国、日本、この三つのルートを有効に利用し、欧米文学との間接的な接続を試みることである。
中国朝鮮族文壇の様々な問題については、第二章、「中国朝鮮族文学の諸相に関する再考」で、引き続き述べることにする。
石華を論ずる時、先行研究文献として存在するのは、幾つかの短編的な論文と、新聞記事だけである。この論文の執筆にあたり、石華本人から送っていただいた資料の中には、彼に関する殆どの論文と記事が含まれているが、それは全部で三十七篇であった。そのうち、論文は二十二篇、新聞記事は八篇、インタビュー六篇、対談は一篇である。彼に関する論文の中で、最も長いものは延辺大学教授・南熙風(ナムヒプン)の論文、「歌詞花園の自由な星光-石華の歌詞の叙情世界」(<<가사화원의 자유로운 별빛 - 석화가사의 서정세계>>)であるが、それはA4用紙八枚、文字数八千五百字程度の分量である。それも詩ではなく、歌詞に関する論文であった。
石華に関する先行研究文献は少ないが、同じ中国朝鮮族の文学者として十余年間、直接彼と接してきた経緯と、この論文の執筆中に、彼とのメールのやり取りで得た情報などを有効に利用し、先行研究文献の不足を補うことが出来た。
以下は、石華本人が作成してくれた彼に関する論文、記事(手記)、インタビューの全目録である。
석화문학연구관련 평론、인터뷰、기사목록
石華文学研究関連の評論、インタビュー、記事目録
1. 평론 『우리 시단의 희망과 미래 -「청년시회」의 시를 읽고(최삼룡글)』 《아리랑》 4기(총제26기). 1986년 9월.
○ 評論、「我が詩壇の希望と未来-『青年詩会』の詩を読んで」(崔三龍)、
『アリラン』四期(総二十六期)、一九八六年9月。
2. 평론 『읽는 재미와 이미지씹기(김경훈글)』 《문학과 예술》 6기(제38호). 1986년 12월.
○ 評論、「読む面白さとイメージの味」(金京勲)、『文学と芸術』六期(第三十八号)、一九八六年十二月。
3. 평론 『예술적가설의 상징력(산천글)』 《흑룡강신문》. 1987년 6월 30일.
○ 評論、「芸術的仮説の創造力」(山川)、『黒竜江新聞』一九八七年六月三十日。
4. 평론 『공간의 미학(광천글)』 《흑룡강신문》. 1987년 8월 25일.
○ 評論、「空間の美学」(光川)、『黒竜江新聞』一九八七年八月二十五日。
5. 인터뷰 『가사문학의 새 지평을 향하여(리임원글)』 《연변일보》. 1989년 1월 14일.
○ インタビュー、「歌詞文学の新たな地平に向かって」(李任元)、『延辺日報』一九八九年1月十四日。
6. 평론 『「나」의 세계와 세계속의 「나」(김문학글)』 《료녕신문》 1990년 1월 13일.
○ 評論、「『私』の世界と世界の中の『私』」(金文学)、『遼寧新聞』一九九〇年一月十三日。
7. 평론 『당대청년들의 생명체험과 석화의 시 -시집「나의 고백」을 놓고(최삼룡글)』 《연변일보》. 1990년 2월 13일.
○ 評論、「当代青年たちの生命体験と石華の詩-詩集『私の告白』について」(崔三龍)、『延辺日報』一九九〇年2月十三日。
8. 수기 『회억과 축하 -청년시인 석화의 첫 시집「나의 고백」을 받고(김인선글)』 《길림신문》. 1990년 5월 3일.
○ 手記、「追憶と祝賀-青年詩人・石華の第一詩集『私の告白』を頂いて」(金任善)、『吉林新聞』一九九〇年五月三日。
9. 평론 『靈魂開始了新的旅程-讀石華「短詩一束」(遠山글)』 《天池(한)》5기. 1990년 5월.
○ 評論、「霊魂は新たな旅程を始める-石華の『短詩一束』を読んで」(遠山)、『天池』(漢文)五期、一九九〇年五月。
10. 평론 『최근년간의 석화 가사에 대하여(리광재글)』 《예술세계》 1기. 1992년 1월.
○ 評論、「最近の石華の歌詞について」(李光才)、『芸術世界』一期、一九九二年一月。
11. 평론 『「연길시청년시회」 신인작가들의 시세계(허세욱글)』 《대륙문학 다시 읽는다》. 한국 대륙연구소 출판부. 1992년 8월.
○ 評論、「『延吉市青年詩会』新人作家たちの詩の世界」(許世旭)、『再び、大陸の文学を読む』大陸研究所出版部、一九九二年八月。
12. 평론 『우리 시단에 서광이 비껴 -석화시 인상(전국권글)』 《연변라지오텔레비죤신문》. 1995년 8월.
○ 評論、「我が詩壇の曙光-石華の詩の印象」(全国権)、『延辺ラジオ・テレビ新聞』一九九五年八月。
13. 인터뷰 『시와 맥주로 끓는 인생 -시인 석화의 인상기(신현철글)』 《조선족중학생보(여름방학특간)》. 1995년 7월.
○ インタビュー、「詩とビールで沸く人生-詩人・石華の印象記」(申賢哲)、『中国朝鮮族中学生新聞』(夏休み特刊)、一九九五年七月。
14. 평론 『시단의 새로운 발상(리금복글)』 《연변일보》. 1995년 12월.
○ 評論、「詩壇の新しい発想」(李今福)、『延辺日報』一九九五年十二月。
15. 기사 『저 하늘에 자유로운 별 하나 -청년문인 석화작품연구회 연길서(본사소식)』 《길림신문》. 1996년 8월 24일.
○ 記事、「あの空に自由の星一つ-青年文人・石華の作品研究会延吉市で」(本社ニュース)、『吉林新聞』一九九六年八月二十四日。
16. 기사 『생명체로 남을터(김혁글)』 《연변일보》. 1996년 8월 27일.
○ 記事、「生命体として残ろう」(金革)、『延辺日報』一九九六年八月二十七日。
17. 인터뷰 『나방이 탈 벗고 나비 되듯이(김혁글)』 《연변일보》. 1996년 9월 5일.
○ インタビュー、「蛾が脱皮して蝶になるように」(金革)、『延辺日報』一九九六年九月五日。
18. 평론 『도시감각과 자연감오 그리고 비우는 마음 -시집 「세월의 귀」를 평함(최삼룡글)』 《흑룡강신문》. 1996년 10월 24일.
○ 評論、「都市感覚と自然感悟、そして空ける心-詩集、『歳月の耳』を論ずる」(崔三龍)、『黒竜江新聞』一九九六年十月二十四日。
19. 인터뷰 『항상 거듭나기를 꿈꾸며(전춘봉글)』 《길림신문》. 1996년 12월 12일.
○ インタビュー、「常に生まれ変わることを夢見ながら」(全俊峰)、『吉林新聞』一九九六年十二月十二日。
20. 평론 『연변시인 석화의 시세계(송재학글)』 《시와 반시》 겨울호(18). 한국 시와반시사. 1996년 12월.
○ 評論、「延辺詩人・石華の詩の世界」(孫哉学)、『詩と反詩』冬号(十八)、韓国詩と反詩社、一九九六年十二月。
21. 인터뷰 『시에 취한 사나이(박초란글)』 《스포츠신문》. 1997년 3월 17일.
○ インタビュー、「詩に酔った男」(朴草蘭)、『スポーツ新聞』一九九七年三月十七日。
22. 평론 『곡선, 변용, 발돋움 -석화의 시「곡선의 이미지」(최룡관글)』 《연변일보》. 1997년 12월 6일.
○ 評論、「曲線、変容、背伸び-石華の詩、『曲線のイメージ』」(崔龍冠)、『延辺日報』一九九七年十二月六日。
23. 평론 『자기부정으로 안받침된 탐구정신 -석화의 근작시에 관하여(리복글)』 《장백산》 2기. 1998년 4월.
○ 評論、「自己否定で支えられる探求精神-石華の近作詩について」(李福)、『長白山』二期、一九九八年四月。
[기획조명]문학예술연구소、연변인민방송국 공동주최: 청년문인석화작품연구회 론문집성
「企画、照明」文学芸術研究所、延辺人民放送局共同主催: 青年文人・石華の作品研究論文集成
24. 평론 『새시기가 낳은 청년문인 석화(최삼룡글)』 《문학과 예술》 11-12기. 연변문학예술연구소. 1997년 11월.
評論、「新時期が生んだ青年文人・石華」(崔三龍)、『文学と芸術』十一-十二期、延辺文学芸術研究所、一九九七年十一月。
25. 평론 『가사화원의 자유로운 별빛(남희풍글)』 同上.
○ 評論、「歌詞花園の自由な星光」(南熙風)、同上。
26. 평론 『누나의 실존적 의미(김몽글)』 同上.
○ 評論、「姉さんの実存的意味」(金夢)、同上。
27. 평론 『의의있게 살며 깊이있게 생각하며(금성글)』 同上.
○ 評論、「意義ある生、深みある思惟」(金星)、同上。
28. 평론 『인생탐구의 풍만한 열매(김병활글)』 同上.
○ 評論、「人生探求の豊かな実」(金丙活)、同上。
29. 수기 『술과 시인(리임원글)』 同上.
○ 手記、「酒と詩人」(李任遠)、同上。
30. 평론 『석화시에서 보여지는 패러디수법(허련화글)』 《장백산》 1기. 1999년 1월.
○ 評論、「石華の詩で見られるパロディー手法」(許蓮花)、『長白山』一期、一九九九年一月。
30. 평론 『석화시인의 시세계(리상각글)』 同上.
○ 評論、「石華詩人の詩の世界」(李相珏)、同上。
31. 인터뷰 『어리고 작은 꿈들이 다리를 놓아(김은주글)』 《작은 것이 아름답다》 5기. 한국 도서출판 작은 것이 아름답다. 2000년 5월.
○ インタビュー、「幼く、小さな夢たちが橋を架けて」(金銀珠)、『小さなものが美しい』五期、韓国図書出版、小さなものが美しい、二〇〇〇年五月。
32. 기사 『거듭나기를 꿈꾸는 조선족시인-석화』 《삶과 꿈》 9기. 한국 도서출판 삶과 꿈. 2000년 9월.
○ 記事、「生まれ変わることを夢見る朝鮮族詩人-石華」、『生と夢』九期、韓国図書出版、生と夢、二〇〇〇年九月。
33. 기사 『톡톡인터넷 문학사이트(권해진글)』 한국 《동아일보》. 2000년 11월 20일.
○ 記事、「ポンポンインタネット文学サイト」(権海振)、韓国『東亜日報』二〇〇〇年十一月二十日。
34. 기사 『뒤늦게 문학공부에 빠졌어요 -연변에서 온 시인 석화(심재률글)』 한국 《조선일보》. 2001년 9월 12일.
○ 記事、「遅れて文学の勉強に惹かれました-延辺から来た詩人・石華」(申在律)、韓国『朝鮮日報』二〇〇一年九月十二日。
35. 기사 『북한시인 김조규 관심 높아져(심재률)』 한국 《조선일보》. 2003년 11월 13일.
○ 記事、「北朝鮮の詩人・金朝奎に関心が高まる」(申在律)、韓国『朝鮮日報』二〇〇三年十一月十三日。
36. 평론 『조용히 흐르는 사색의 무늬 -석화의 「사모곡」일별(김룡운글)』 《연변일보》.2004년6월22일.
○ 評論、「静かに流れる思考の模様-石華の『思慕曲』一別」(金龍雲)、『延辺日報』二〇〇四年六月二十二日。
37. 대담 『연변문학의 교류와 민족어 문학의 의미(임광호)』 한국 《시안》사.
○ 対談、「延辺文学の交流と民族語文学の意味」(李光浩)、韓国、『詩眼』社。
第二節 中国朝鮮族文学の諸相に関する再考
中国で、中国にとっては「他者」の言語である朝鮮語で文学活動を行うことはいったい何を意味するのであろうか。石華が言ったように、彼ら(中国朝鮮族の作家たち)は永遠に「三流作家」になることを自覚しながら文学活動を続けている。
彼らは、中国で中国国民として生活しながら中国語で文学活動を行うことが出来ない。と言うより、彼らは朝鮮語で文学活動をしなければならないのだ。なぜなら、それが彼らの「言語」だからである。しかし、これは自民族中心主義を主張するものではない。中国朝鮮族が中国語で文学活動を行うことを拒んでいるのでもない。それが出来れば、彼らにもう一つの道が開かれるかもしれない。しかし、それはそう簡単なことだろうか。
中国朝鮮族作家の殆どは、二言語以上の言語を使用することが可能である。しかし、それらの言語で文学活動を行うことは別の次元の話である。多言語使用による文学は、極少ない部類の人間だけに限られているのだ。
中国朝鮮族は、中国にいながら朝鮮語を「国語」(しかし、それは絶対に真の意味での国語にはなれないだろう。これが中国朝鮮族が抱えている言語問題の矛盾でもある)として勉強し、中国語は生活のための補助言語として学んでいる。従って、彼らの中国語能力は漢民族に遥かに及ばない。中国朝鮮族作家の殆どは、中国語で文学作品を読むことは出来ても、中国語で文学作品を書くことは出来ないのだ。
中国朝鮮族文学が中国文学と接しようとすると、翻訳という装置を通さなければならない。この言語的装置・一方的コミュニケーションのプロセス(なぜなら、中国文学は翻訳という装置をあまり必要としないから)によって中国朝鮮族文学は、中国文学と対等な関係を保つことが出来なくなる。これによって、中国朝鮮族文学は、少数民族文学として中国文学に従属させられてしまうのである。
このような状況は、中国朝鮮族社会が形成された歴史的な過程や多民族国家 である中国の社会構造、民族政策などと深く関係している。
旧満州時代 の朝鮮人社会が、現在の中国朝鮮族社会の前身である。一九四五年、満州地域の朝鮮人の人口は二百十六万人(現在の中国朝鮮族の人口は二百万であるといわれている)にも及んでいた。当時の満州は、日本の統制下に置かれていたが、言語に対する統制が植民地支配下の朝鮮半島と比べて緩んでいたので朝鮮語の使用はもちろん、朝鮮語の新聞 も発行され、朝鮮語の本 も出版されていた。従って、朝鮮半島では不可能であった朝鮮語による文学が、満州地域では可能とされていた。
満州時代の朝鮮人による文学を「在満朝鮮人文学」と呼んでいるが、これが中国朝鮮族文学の前身である。従って、中国朝鮮族文学は、その形成初期から朝鮮語を媒介として展開されていたのである。勿論中には、今村 栄治(本名は、張喚基(チャンハンキ)) 、張赫(チャンヘク)宙(ジュ)(帰化名は、野口 稔) などのように日本語で文学作品を書いた人もいたが、戦後、彼らの殆どは日本に渡っていた。この部類の人たちは、「親日派」として分類化され、粛清の対象となったからである。「親日派」については、様々な説があるが、一方的にそれを否定したり、あるいは肯定したりするのは、どちらも間違いである。「親日派」の作家と作品については、時代と作家、作家と作品を有機的に結びつけながら再検討してみる必要がある。
一九四九年十月一日、中華人民共和国の成立以後も中国朝鮮族は、中国の少数民族政策によって自治権利 を得たので、自民族語で行政を行い、文化活動を続けることが出来た。数々の曲折を経て、様々な問題を抱えながらも民族自治というスローガンは今も揚げ続けている。これが中国朝鮮族文学の存在を維持し続けているのである。
それでは、同じ移民文学圏に属している「在日朝鮮人文学」は、どのような様相を見せているのだろうか。中国朝鮮族文学と「在日朝鮮人文学」を比較、考察しようとする時、同じ民族でありながら彼らが選んだ二つの異なる言語(つまり「朝鮮語」と「日本語」)について、その選択の経緯を探る必要性が生じる。それを簡略化して説明すると以下のようになる。
「在日朝鮮人文学」は、初めから日本を意識し、主体民族である日本人に向かって「発話」する文学であった。従って、「在日朝鮮人文学」は、運命的に「日本語」という「他者」の言語を選ぶしかなかった。しかし、彼らが「日本語」を選んだ時、それはもう「他者」の言語ではなかった。それは彼らの「言語」として「発話」され、彼らの生の肉声として拡散された。彼らはそれを通して、自分たちも「血と骨」で出来た同じ人間であることをアピールしようとしていたのではないだろうか(勿論、全てがそうではないとしても)。
一方、中国朝鮮族文学は、初めから自民族を意識し、中国の少数民族である朝鮮族に向かって「発話」する文学であった。従って、中国朝鮮族文学は、必然的に自分の言語である朝鮮語を選んだのである。彼らはそれを通して、主体民族である漢民族とは異なる朝鮮民族の特色をアピールしようとしていたのではないだろうか。
以上で述べたように、中国朝鮮族が置かれている社会状況と言語的条件から見ると、中国朝鮮族文学は、朝鮮語で文学活動をしなければならないのではなくて、朝鮮語でしかすることが出来なかったのである。
とするなら、中国朝鮮族の朝鮮語による文学が、同じ言語を媒体としている韓国文学の中に簡単に入っていくことは出来るだろうか。
スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュール に言わせれば、言語は、人間に特有の言語能力あるいはシンボル化能力(ランガージュlangage)、それぞれの共同体で用いられている国語体(ラングlangue)、それぞれの話者が実際に発話する音声の連続(パロールparole)の三つのレベルで区分されている。「ランガージュ」が社会制度としてあらわれたものが「ラング」であり、さらに「ラング」が個人の発話としてあらわれたものが「パロール」である 。
「ラング」が「国語体」を意味するならば、中国朝鮮族はある意味では「ラング」をもっていない。なぜならば、彼らにとっての「ラング」は、中国語でなければならないからである。しかし、中国語は彼らにとっては「他者」の言語である。
もし中国朝鮮族が現に使用している朝鮮語を彼らの「ラング」(ここでは母語を意味している)として見るならば、この「ラング」を韓国で使用されている韓国語と同一視することは出来るだろうか。
同じハングルでも、中国朝鮮族が使用している朝鮮語と韓国で使用されている韓国語は、綴字法(テイジホウ)、分かち書きなどが異なっている。朝鮮語で「리상(lisang)」(理想)と表記し、発音しているものを韓国語では「이상(isang)」と表記し、発音している。朝鮮語では「이름없는것들중의 하나」(名もなきものの中のひとつ)と分かち書きをするものを韓国語では「이름없는 것들 중의 하나」と分かち書きをしている。また中国朝鮮族は、韓国では使用されていない咸境道 の方言や昔からの古い言葉、そして中国語から直訳された様々な漢語用語を「標準語」として数多く使用している。韓国で出版された石華の第二詩集、『花の意味』から、朝鮮語に韓国語の注がつけられている言葉を引いてみよう。それらは以下の通りである。「 」内は朝鮮語原文、( )内は韓国語の注である。
「마가을」/(늦가을)
「드팀」/(자리가 옮겨져 틈이 생기는 것)
「늘찬」/(늘씬한)
「초모자」/(밀짚모자)
「언녕부터」/(진작부터)
「밀방」/(비법)
「물깡치」/(물밑에 가라앉은 침전물)
「쪼박쪼박」/(조각조각)
「무어오던」/(엮어오던)
「꿍져온」/(고이 간직해온)
「자래워온」/(키워온)
「석쉼한」/(걸걸한 목소리)
「무져놓은」/(쌓아놓은)
「빨각빨각하는」/(빳빳한)
たった五十二篇の短い詩集の中にさえこれだけの「変な言葉」が入っている。日常会話がたくさん詰まった小説の場合はいったいどうなるのだろうか。これらの言葉は、韓国の辞書には載っていないもので、韓国人には理解不可能、あるいは理解し難い言葉である。
勿論、このような同じ言語内での表記の違い、文法の違いは簡単に超えることができる。本当に超え難いのは制度の違いであり、文化の違いであり、思想、理念の違いである。満州国 の崩壊以後、中国朝鮮族の文学が韓国で読まれなくなったのもこの理由からである。しかし、面白いことに韓国の文学は中国朝鮮族の中で広く読まれている。このことが示唆しているように、「開かれた文学」は常に「閉じ込められた文学」に向かって浸透しつつあるのである。
中国朝鮮族の文学は「閉じ込められた文学」である。地理的に中国と朝鮮半島の間の国境地帯に閉じ込められているように、文化的にも中国文化と半島文化の間に囲まれている。彼らが使用している言語もそうである。
いい意味で言えば、彼らは二種言語使用が可能なバイリンガルである。しかし、悪い意味で言うと、彼らは「国語」を持っていない。彼らは小学校から中国語を勉強している。しかしそれは「他者」の言語であり、外国語みたいなものである。彼らは外国語のように中国語を勉強しているのである。
彼らは「母語」も持っていない。「私の言語」である朝鮮語で彼らは物を差し示すことが出来ない。周りのほぼ全てのものが中国語で表記され、中国語で呼ばれている。彼らにとっての日常言語とは、実は朝鮮語に中国語を混ぜた二種混合的なものである。
「テレビを見る」ということを彼らは「電視(dianshi)를 본다」という。ここで「電視」は中国語の「テレビ」のことであり、「본다」は朝鮮語の「見る」ということである。勿論、これはあくまでも一般民衆の日常言語の習慣に過ぎない。しかし、それもひとつの社会現象であり、文学もこのような社会現象と無関係なわけではない。ほぼ全ての言語は、書き言葉と話し言葉が異なっている。しかし、中国朝鮮族にとっての書き言葉と話し言葉は、あまりにも離れすぎている感じがする。
彼らのこのような二種混合的な日常言語(これは決して方言ではない)は、中国人にも韓国人にも分からない。それは彼らにしか分からない彼らだけの言語である。中国語と韓国語のいずれかひとつしか選べなくなると、彼らは直ちに「失語症」に罹ってしまうのである。
しかしこのような二種混合的な言語現象は何処の国の何処の言語の中でも起きている。外来語、方言、地方の固有名詞(その地方にしかないものを指し示す言葉)、昔の古い言葉などがそれである。しかしそれらは標準語としての国語を持っている。外来語もこの標準語の中に取り入れられ、標準化されているのである。それらは内から同一化され、外とコミュニケーションを取ることができる開かれた言語となる。中国朝鮮族の朝鮮語に中国語を混ぜた二種混合的な言語は、内から同一化されても外とコミュニケーションを取ることのできない閉鎖的な言語である(一つの例えとして、現代人と五百年前の人の対話を想像してみればよい)。彼らの言語を理解するためには、中国語と韓国語の双方の言語能力が同時に必要となるのである(先の例えで言えば、現代語と古代語の言語能力が同時に必要となる)。
「延辺TV」は、朝鮮語で放送している延辺朝鮮族自治州の地方テレビ局である。「延辺TV」で次のような番組を放送したことがある。二人のコメディアンが罰ゲームをやっている。それは二人が朝鮮語で喋りながら、その中に中国語を混ぜた人に罰を与えるというものである。言うまでもなく、二人は互いに過ちを犯し、繰り返し罰を受けてしまうのである。彼らは中国語なしには朝鮮語を話すことが出来なくなっているのである。
中国語なしに朝鮮語が話せない。このような不思議な現象が実に彼らの中で起きている。つまり、彼らには単一言語使用が不可能になっているのである。「他者」による「他者」の単一言語使用という道がここでは閉ざされているのである。ここでいう「他者」とは、中国から見た朝鮮族であり、韓国から見た「中国同胞」 である。言い方を換えれば、中国朝鮮族にとっては、中国も韓国も「他者」であり、中国語も韓国語も「他者」の言語である。しかし、中国的なものも韓国的なものも常に彼らの中に潜んでいる。中国語も韓国語も常に彼らの言語の中に含まれている。「自己」の中に「他者」があり、「他者」の中に「自己」があるのである。
アイデンティティは、同一化の過程によって形成される。同一化とは、他者が提供するモデルに従って、主体が他者の一面を全体的または部分的に同化し、自らも変身してゆく心理的プロセスであると精神分析学は教えている(ジョナサン・カラー、『文学理論』、p170)。
このように、「他者」なしに「自己」を考えることはできない。「自己」と言うものは常に「他者」によって形成されているのである。「自己同一性」の外には何時までも「他者」が存在しているのである。
私たちはたいてい、まず私(自己)がいて、そして相手(他者)がいると考えている。しかし私という存在は、私だけで、今ここにいる人間を〔私〕であると証明できない。いくら〔私は私だ!〕と叫んでみたところで、それを聞いてくれる相手がいなければ、私は〔私〕として認められない。言い換えれば、私は最初から私自身として存在しているのではなく、私を〔私〕として認めてくれる相手が存在してはじめて存在する。つまり私にとっての〔自己〕のイメージは、私と異なる〔他者〕のイメージとのコントラストからつくられる。(『現代思想のパフォーマンス』、p.276)
中国朝鮮族の文学も、中国と韓国といったふたつの「他者」を意識しながら形成されている。中国朝鮮族にとっての「自己同一性」とは、実は中国的なものと韓国的なものが混ざった二種混合的なものである。彼らの言語も文学もそうである。
言うまでもなく、言語を抜きにして文学を論ずることはできない。最初に言語があって、次に文学がやってくるのである。中国朝鮮族の文学を論ずる時にもまずは、彼らの言語について語らなければならない。しかし彼らの言語は外に向かって発話することができない。彼らは「国語」も「母語」も持っていないのである。彼らは彼らにしか分からない、彼らだけの言語しかもっていない。このような閉ざされた言語が中国朝鮮族の文学を制約しているのである。彼らの文学も運命的に、彼らの言語のように「閉じ込められた文学」である。
中国朝鮮族が抱えているこのような言語問題は、彼らが属している社会の中から自然発生的に生じたかのように思われるかもしれない。しかし、実はそうではない。その裏には様々な要素が潜んでいる。社会、文化、経済的な要素はいうまでもなく、中国が誇っている少数民族政策だけを見てもそうである。少数民族を「優待」すると言う言葉自体が、マイノリティである少数民族がマジョリティ、つまりはホスト民族である漢民族と平等ではないことを示唆している。このような力関係、従属関係が中国朝鮮族の言語を混乱させているのである。彼らの言語は、養鶏場の「雛」のように人工的に孵化されたものである。
병아리가 엄마를 찾고 있다
삐아- 삐아-
아무리 고쳐들어봐도 그 발음이 틀린다
구개음동화 아니 자음탈락이다
그럴수밖에
찬찬히 볼수록 양계장 부화기에서 나온것
알루미늄 냄새가 난다
병원의 소독수냄새도 나는같다
무정란-체외수정-인공배태-실험관아기
엊저녁TV화면에서 펼쳐지던 새 아침이
로보트의 손가락에 베일처럼 벗겨지고
어마-어마-
자음이 탈락된 발음이
어데선가 들려오는것같아
섬뜩 몸서리쳐진다
雛がお母さんを探している
ビヨビヨ
いくら聴いてもその発音が可笑しい
口蓋音同化 いや、子音脱落だ
そうなるしかないのだ
よく見ると養鶏場から孵化して来たもの
アルミの匂いがする
病院の消毒水の匂いもするようだ
無精卵-体外受精-人口胚胎-実験管児
昨晩TV画面から開かれた新しい朝が
ロボットの指でベールのように脱がされ
アマ-アマ-
子音が脱落された発音が
何処かで聞こえてくるようで
ひやっと鳥肌が立つ
引用した作品は、石華の詩、「作品25-発音問題」である。
「養鶏場から孵化して来た」「雛」は、「アルミの匂いがする」、「病院の消毒水の匂いもする」のである。この「雛」の鳴き声はもう「ピヨピヨ」(삐악삐악)ではない。それは「ビヨ-ビヨ-」(삐아- 삐아-)と鳴いている。「삐악」の「악」から子音、「ㄱ」(g)が脱落して「삐아」となったのである。「ママ」(엄마)も「アマ-アマ-」(어마-어마-)と呼ばれている。「엄마」の「엄」から子音、「ㅁ」(m)が脱落して「어마」となったのである。子音が脱落したこのような発音はどうしても可笑しい。「ひやっと鳥肌が立つ」のである。ここで「標準語」 の「標準」は、もう「標準」ではない。それは既に変化の中にあるのである。
勿論この作品は、このような言語自体を問題視しているのではない。そうではなく、その裏にある社会問題をも暴露しようとしているのである。ロボットの時代、つまりは機械のように組織化された社会の制度を問題視しているのである。そしてこの作品が示唆しているように、彼らは既に「自己」と「私の言語」について自覚を持っているのである。「実験管児」、ガラスの容器から生まれてきた子供には自分を生んでくれた「母」がいないのである。これが正に中国朝鮮族である。彼らには母なる何かが欠けているのである。彼らは「孤児」のように世間から忘却されているのである。
ところで、「標準語」としての「国語」は本当に存在するだろうか。
ある地域で広く使われている言語をその地域の方言というなら、全ての言語は方言である。もしこの言い方が成立するなら、現在、国語として使われている言語も実はひとつの方言であったに違いない。言い方を換えれば、全ての方言は理論的には国語として使われる可能性を持っている。つまり、標準語としての国語の「標準」という言葉は疑わしいものになってしまうのである。実は、「標準」と言うものは何処にも存在していないのである。
にもかかわらず、国語というものは確かに存在している。いや、存在しているかのように思われている。そしてそれはひとつのヘゲモニー的装置として君臨し、われわれを支配しつつあるのである。われわれはそこから逃れることのできない従属的なものになってしまうのである。
国民文学というものもそうである。国語が疑わしいものなら、国民文学という概念も信ずるに値しない。しかし近代から現代に至るまでの長い間、国民文学という考え方に疑問が投げかけられたことは殆どなかった。
もし国民文学があると仮定するならば、それは民族、言語、国籍の三つの要素から成り立たなければならない。この三つの要素が同時に織り合わされて、初めて国民文学は形成されるのである。三つの要素の一つでも欠けると、国民文学はすぐにも崩れてしまう危うい存在と化してしまうのである。
例えば、日本国籍の黒人(異なる民族・人種)が日本語で書いた文学、日本国籍の日本人が英語(異なる言語)で書いた文学、アメリカ国籍(異なる国籍)の日本人が日本語で書いた文学などを簡単に日本文学として認めることができるだろうか。
単一民族国家(実はそうでもないが)である日本だけではなく、多民族国家である中国やアメリカの場合でもこのような決定不能な現象は起こっている。
中国朝鮮族文学を、国民文学である中国文学の中に置いた時、それはどの様な様相を呈して現われてくるだろうか。一応、それは少数民族文学という一つのカテゴリーの中に入れることができる。少数民族文学を規定する時、国籍は前提条件であり、民族は必然条件であり、言語は補助条件となる。中国の少数民族であれば、自民族言語、あるいは中国語を含むほかの少数民族言語で書いた文学も一応は少数民族文学として認めることができる。つまり、多言語使用が可能である。
しかし、ここでは一つの問題が生じている。もし中国朝鮮族が中国の少数民族の中にはない言語(例え、英語、日本語など)だけで書いた文学があるとすれば、この場合はどうなるだろうか。これを簡単に中国朝鮮族文学の一部分として見なすことはできるだろうか。
もしそれが可能であるとするなら、中国朝鮮族文学は無限の広がりを示し、結局は国民文学の範囲までも超えてしまうのである。これは、中国朝鮮族が世界中の全ての言語で文学活動を行うと仮定(現実的に不可能であっても理論的には可能である)してみればすぐ分かる。この仮定が成立するなら、民族文学と世界文学の境界線がなくなってしまうのである。つまり、それは国民文学を超えて世界文学になってしまうのである。
もしそれが不可能であるとしても、中国朝鮮族文学は簡単に国民文学の一つのカテゴリーとしての「中国少数民族文学」の枠から脱することができる。少数民族文学でなければ、中国文学ではないし、中国文学でなければ、外国文学としてしか存在しようがないからである。これもまた国民文学を超えてしまうのである。
敢えていえば、中国少数民族文学は初めから中国文学の一つのカテゴリーとして存在しているのではない。少数民族文学を中国文学の一つのカテゴリーとして見るのは、中国文学を全体とし、少数民族文学をその一部分と見なしているからである。つまり、少数民族文学を中国文学に従属させようとしているからである。これはまさにヘゲモニー的構造である。そうではなく、少数民族文学は常に国民文学としての中国文学と対等関係にある。対等関係になければならないのである。
にもかかわらず、中国朝鮮族文学は中国文学から逃れることができない。中国朝鮮族文学は生まれつき中国の政治、経済、文化の制約を受け、多かれ少なかれ中国文学の影響を受けているからである。
しかし、この影響は相互的なものである。「他者」によって「自己」が形成されるという事実は全てのものに当てはまる。一方的な影響はありえない。異なる文学も織物のように相互の糸から紡ぎ出される。そこには上下関係もなければ、優劣の関係も存在しない。あるのは網のような相互依存の関係だけである。
ここで詩人・石華の本棚をそっと覗いてみることにしよう。
《론어》 공씨네 둘째의 코가
야마구찌 모모에의
봉긋한 앞가슴에 밀착되여있고
포스트모더니즘학설우에 포개져 있는
《조선어문법》과 《성지식》, 《료리만들기》
《세계명인전》의 주인들과 나란히
그랑데와 고리오와 아Q가 버티고 서있어도
목소리와 이빨과 칼날따위 모든것은
자기네들 뚜껑안에서 잠자고 있을뿐
《우리는 개인가 개가 아닌가》라고 지껄이는
얼빤한 잠꼬대 한마디가
다 쓴 전지약의 진물처럼
어느 구석에선가 흘러나오고 …
(시 「작품 58 – 책장」)
『論語』孔氏の次男の鼻が
山口百恵の
円やかな胸に密着され
ポスト・モダニズム学説の上に重なっている
『朝鮮語文法』と『性知識』『料理作法』
『世界名人典』の主人公達と並んで
グランデとゴリオと阿Qが踏ん張り立っていても
声や歯や刃物など全てのものは
自分たちの箱の中で眠っているだけ
「僕らは犬なのか犬でないのか」などと口を叩く
寝惚けの一声が
使い切った電池の残液のように
何処かの隅から流れてくる…
(詩、「作品58-本棚」)
石氏の本棚には、『論語』 の「孔子」 や魯迅 の「阿Q」 もいれば、バルザック の「グランデ」や「ゴリオ」 もいる。「山口百恵」のような日本人もいる。『朝鮮語文法』、『性知識』、『料理作法』、『世界名人典』もあれば、『ポスト・モダニズム学説』もある。この全てのものの中に挟まれて「僕らは犬なのか犬でないのか」 と寝惚けみたいに口を叩いているのが彼(彼ら)の文学である。そしてこの文学は、何ひとつ変えることはできない。どんなに騒いでも、「声や歯や刃物など全てのものは/自分たちの箱の中で眠っているだけ」である。
何も変えることができないということは、何かを変えようとしていたことを意味している。中国朝鮮族文学は、何を変えようと、いや、何をしようとしているのだろうか。
彼らは自分が何者であるかを知りたがっているだろう。「他人」によって強制された「自己」ではなく、「他者」との関係から形成されてくる「自己」について知りたがっているだろう。まるで石氏(このテクスト)が「僕らは犬なのか犬でないのか」と叫んでいるように。
抵抗の可能性のない権力は、定義上存在しないとフーコー は執拗に言っている。しかし彼らが望んでいるのは、抵抗でもなければ、分裂でもない。無論、独立を夢見ているのでもない。彼らが望んでいるのは、異なるものが異なるままで生きられる平等な秩序、「異種混交」の世界である。これは絶対に誤解されてはならない要点である。そうでなければ、そこから生じるのは民族の対立であり、その結果は流血で終わってしまうからである。
そのため、彼らの文学は教養文学的な役割も果たさなければならないのである。この点について彼らの文学を軽々しく非難することは決してできないだろう。なぜなら、民族同化政策に対して最も有効なのが民族意識の養成であり、民族意識の養成に最も有効なのが自民族の言語や文字の存在を主張することだからである(しかし、これは保護であって、抵抗ではない)。これを可能にさせてくれるのが文学である。しかし、ここで中国の民族政策についてあれこれと言うことは差し控えよう。それはあくまでも中国自身の問題である。
勿論、これは「周縁」に追い遣られたものが、自らを強調することによって新たに「中心」をつくり出すということではない。「中心」対「周縁」といった議論は、旧態依然の構造を布衍しているに過ぎない。そうして構造に依存していては何の新しいものも生まれてこない。「中心」と「周縁」は相対的なものに過ぎない。それは何時でも逆転が可能な恣意的なものである。敢えて言えば、「中心」も「周縁」も存在しないに等しいのだ。
そうであるとしたら、「私」の生まれる前から存在していたこの世界を、「私」は何処まで信じることができるだろうか。この世界には絶対的な真理などありうるだろうか。「決定不可能性」、「私」はこれだけは絶対に信じている。と言うと、「私」は何も信じていないことになる。これが正に「決定不可能性」である。
必然的真理だけで成り立っているように見える数学体系も数多くの矛盾を抱えている。この矛盾を取り除くためには、恣意的な規則を導入するしかない。
12×0=0
13×0=0
したがって、12×0=13×0
両辺を0で割ってみると、12=13となる。
この矛盾を取り除くためには、恣意的な規則を導入するしかない。両辺に0を掛けてもよいが、両辺を0で割ってはならない。そういう勝手なルールを組み込むしかない。これはバークリー(17世紀のアイルランド生まれの経験主義の哲学者)の「証明」である(ポール・ストラザーン、『90分で分かるデリダ』、p.44-45)。
全ての定義は条件付でしか存在しない。絶対的な定義など存在しないのだ。
中国朝鮮族文学とは何か。それを定義しようとすることは愚かなことである。中国朝鮮族文学、それは雲のようではっきりした形を持っていない。しかし、雲を雲として認識することができるように、中国朝鮮族文学もそれを認識するための道筋はまだひとつ残されている。それは輪郭を描くことである。これはあくまでも輪郭であって、決して定義ではない。それを定義することは誰にもできない。
中国朝鮮族文学は、民族、言語、そして書かれた対象の三つのレベルで考えることができる。書いた人が朝鮮族であるか或いは他民族であるか、用いられた言語が朝鮮語であるか或いは他民族言語であるか、書かれたものが朝鮮族に関するものであるか或いは他民族に関するものであるかなど。
しかし、ここで民族とは何か、言語とは何か、文学とは何かと質問を続けてみてもそれには終わりがない。それらについては、とりあえずの定義はできても、絶対的な定義は不可能なのである。
しかし、全てのものが決定不可能であるとしても、全てのものは理解不可能なのだろうか。決してそうではない。伝説の中の龍はだれも見たことがない。しかし龍を描くことはできる。だれも見たことがないから逆に描きやすいとも言える。絵を描く人は家を描く時、ほとんどは屋根から描くという。しかし家を建てる人には、家を屋根から建てることは絶対にできない。ある意味で、これが理論と実践の違いを語ってくれるのではないだろうか。
決定不可能であるから逆に入りやすく、触れやすくなるのではないだろうか。民族とは何かを知らなくても、われわれには自分と肌が違う生の人間と触れ合うことができる。そして彼らが自分とどこかが違っていることもわれわれは知っている。文学とは何かをわからなくてもそれを享受し、それに陶酔することはできる。それらを定義しようがしまいが、それらはそれらとして最初からそこにあるのである。しかしそれらを定義してしまうと、それらはもうそれらとしてではなく、われわれの見方として現われてくるのである。
1,2,3,4,5,6,7,8,9,10이 차례로 나와서
"너는 수자다"라고 한다
나는 "아니다"라고 했다
"22401580704061이 네가 아니냐"라고 한다
"0433-256-2191이 네가 아니냐"라고 한다
"78.2와 173이 네가 아니냐"라고 한다
계속 아니라고 한다면
78.2에서 한 10쯤 덜어내겠다고 한다
그래도 괜찮다고 한다면
173에서 한 10쯤 낮추겠다고 한다
그렇다면 문제가 완전히 달라지는데 허참
10,9,8,7,6,5,4,3,2,1이 꺼꾸로 나와서
"너는 수자다"라고 한다
이제는 "아니다"라고 못하겠다
그러면 영영 지워버리겠다고 했기때문이다
0.0....
(석화 <<작품 39 - 협박>> 1996.11.10)
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10が順番に出て来て
「君は数字だ」という
私は「そうではない」といった
「2240158070461が君ではないか」という
「0433-256-2191が君ではないか」という
「78.2と173が君ではないか」という
続けてそうではないというなら
78.2から10ぐらい減らしてしまうという
それでも構わないというなら
173から10ぐらい縮めてしまうという
それなら問題は完全に変わるな、やだ!
10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、が逆順に出て来て
「君は数字だ」という
もう「そうではない」とはいえない
そうすると永遠に消してしまうと言ったからだ
〇(エン)、〇(エン)…
(朝鮮語の「ゼロ」〔영〕の発音は、「永遠」〔영영〕の発音と同じである)
(石華、「作品39-脅迫」1996.11.10)
このテクストの中の「2240158070461」は、中国の身分証明書の番号である。「22」は、吉林省を、「4」は、延辺朝鮮族自治州を、「01」は、延吉市を、「580704」は、生年月日を、「6」は、街(日本の区に当たる)を、「1」は、男性を表している。つまり男性は全て「奇数」で終わり、女性は全て「偶数」で終わるのである。また、「0433-256-2191」は電話番号、「78.2」は体重、「173」は身長である。
このように、ここでの「私」はもはや「私」ではなく、幾つかの数字に変えられてしまっている。「私」は本質ではなく、非本質的な要素に取って代わられてしまったのである。そして、非本質的とはいえ、これら全ての要素を消してしまうと、「私」も消えてしまうのである。永遠に消されてしまうのである。
とは言っても、「本質」というものは、本当に存在するだろうか。今ここで、中国朝鮮族とは何かについて定義をしようとする。すると、今のこの時点、この場所ではそれは中国朝鮮族の本質であるかもしれない。しかし、他の時点、他の場所ではそれは非本質的なものになるかもしれないのだ。
例えば、中国朝鮮族を、中国の国籍を所持している朝鮮民族であると定義することができる。勿論、その中に「歴史的に」、「伝統的に」、「文化的に」などの言葉もいれることができる。これらは中国朝鮮族についての本質である。しかし、その中には中国を離れて韓国や日本などのほかの国で長期間滞在している人もいる。その中には永遠に中国へ帰らない人もいる。とするなら彼らは何時までも中国朝鮮族としていられるだろうか。また彼らの子孫も中国朝鮮族と呼ぶことができるだろうか。
これとはまったく逆のケースもある。今中国では、中国朝鮮族以外にもいわゆる「新鮮族」(新しい朝鮮族という意味)と呼ばれている朝鮮籍、韓国籍の人達が三十万人も暮らしている。二〇〇八年の北京オリンピックの時には、その数が百万人を超えると予想されている。百万人、これは現在の中国朝鮮族総人口の半分を上回る数字である。勿論彼らの国籍は中国ではなく、朝鮮籍、韓国籍であるから、先の定義からすれば彼らは決して中国朝鮮族とはいえない。しかし、これから百万人を超える数の人々を無視することができるだろうか。彼らが存在していないかのような「振り」をすることができるだろうか。
敢えて言うなら、彼らを朝鮮族と呼ぼうが、他の呼称で呼ぼうが余り意味はない。最も大事なのは名称ではなく、そこで暮らしているひとり一人の人間である。つまりは、現在中国の朝鮮族と呼ばれている人々だけではなく、中国で暮らしている朝鮮籍、韓国籍の人々も含む社会全体を対象に研究しなければならないのである。文学もそうである。中国朝鮮族だけではなく、その全てを含む社会全体を文学の対象として研究しなければならないのである。
先に述べたように、中国朝鮮族文学を民族、言語、そして書かれた対象の三つのレベルで考えると、以下の八種類のパターンにまとめることができる。
① 朝鮮族の朝鮮語による朝鮮族に関する文学
② 朝鮮族の朝鮮語による他民族に関する文学
③ 朝鮮族の他民族語による朝鮮族に関する文学
④ 朝鮮族の他民族語による他民族に関する文学
⑤ 他民族の朝鮮語による朝鮮族に関する文学
⑥ 他民族の朝鮮語による他民族に関する文学
⑦ 他民族の他民族語による朝鮮族に関する文学
⑧ 朝鮮族と他民族の混血児による文学
以上の八種類のパターンの何処から何処までを中国朝鮮族文学として認めるかについては、人それぞれの立場や認識などによって異なってくるだろう。しかし、それは殆どどうでもよい問題である。言うまでもなく、その中に中国で暮らしている朝鮮籍、韓国籍の人々を入れるとこうした八種類のパターンは直ちに崩れてしまうからである。それはもはや、「中国朝鮮族文学」ではない。中国朝鮮族だけの「文学」ではないのである。
第二章 石華の詩に見られる「自己」と「他者」の関係
もし自分がスパルタ人でしかない、
あるいは資本家、プロレタリアート、
仏教徒でしかないというのだったら、
その人間はほとんど無に等しい、
つまり存在すらしていないに等しい。
―ジョルジュ・ドゥヴルー
第一節 「私」とは「誰」なのか
아버지는 심심해서 담배를 피운다고 하셨다
(내 아이적 들은 말이다)
저 화장터도 심심해서 길다란 담배대를 하늘에 겨누었을까
(오늘 아버지를 화장한다)
그런데 나도 지금 심심해서 담배를 꼬나무나
(높다란 굴뚝에서 흰 연기 한가닥 피여오르는것이 보인다)
(석화 <<담배>> 1986.7.21)
親父は退屈で煙草を吸うと言った
(私が子供の時、聞いた話だ)
あの火葬場も退屈で長々しい煙管を空に向けているのか
(今日、親父を火葬する)
ところで私も今、退屈で煙草をくわえているのか
(高い煙突で白い煙が一筋立ち上るのが見える)
(石華、「煙草」1986.7.21)
石華が書いた何百首もある詩の中で、この「煙草」ほど「淡白」な詩はない。ここで「淡白」と言う言葉を使ったが、それは正しい表現ではない。「淡白」という言葉は、この詩が極端にまで感情を抑えているという意味で使っただけである。
この作品は、形式上、各二行の三つの詩節からなっている。各詩節は各々、一行の正文詩句と一行の説明詩句からなっているが、その殆どは平叙文で書かれている。この詩の中で、最も詩らしい詩句といえば、擬人法で書かれた第二節の正文詩句、「あの火葬場も退屈で長々しい煙管を空に向けているのか」である。
三つの詩節からなっているこの作品を、ひとつの詩節ずつ分離して読むと、そこからは感動というものがあまり湧いてこない。
最初の詩節、「親父は退屈で煙草を吸うといった」、(私が子供の時、聞いた話だ)は、極普通の会話の中でも耳にする世間話のようなものに過ぎない。二番目の詩節は、今日親父を火葬するといった出来事について語っているだけである。この詩節の正文詩句、「あの火葬場も退屈で長々しい煙管を空に向けているのか」からはある感動が湧いてくるが、それは最初の詩節との繋がりで読むからである。この作品の中心部分とも思われる三番目の詩節も、前の二つの詩節からの繋がりがなければあまり意味を持たない。
やや無理をしながらもこのように述べてしまったが、それはこの作品の詩的意味、あるいは詩的感情というものが、或る特定の詩節、あるいは或る特定の詩句からではなく、この作品の全体的構造によって生成されているということを言いたかったからである。というのも、「今は他人の土地-奪われた野にも春はくるのか」 のように、たっだひとつの詩句からその詩の意味、あるいは感情というものが一気に噴出する作品も、数多く存在するからである。
この作品の詩的意味、あるいは詩的感情は、書かれている部分からではなく、書かれていない部分、つまり、この詩の詩節と詩節の間の余白部分(この作品から省略された部分)から生じているように思える。先に、この作品は「淡白」であるといったが、その「淡白さ」というものも、このような省略から生じたものかも知れない。しかし、この「淡白さ」が却って、或る重みを持ってわれわれに迫ってくるのである。
作品、「煙草」には、三つの「退屈」という言葉がある。この三つの「退屈」は、全て「煙草を吸う」という出来事と関連している。そして「煙草を吸う」という出来事は、それぞれの主語をもっている。それはそれぞれ、「親父」であり、「火葬場」であり、「私」である。
「親父」の「煙草を吸う」という出来事は、過去形で、肯定文になっている(親父は退屈で煙草を吸うと言った)。これとは対照的に、「火葬場」と「私」の場合は、現在形で、疑問文になっている(あの火葬場も退屈で長々しい煙管を空に向けているのか/ところで私も今、退屈で煙草をくわえているのか)。
この疑問文は、「退屈」に対する疑問を表しており、実際には、「煙草を吸う」という出来事が「退屈」ではないことを仄めかしてくれるのである。
火葬場の煙突で煙が立ち上っているのが「退屈」でないのは、「親父」を火葬しているからである。言うまでもなく、「親父」を火葬している火葬場で、「私」が「煙草をくわえている」のも「退屈」だからではない。実は、「親父」の「死」が「私」に煙草をくわえさせているのである。
しかし、この「煙草を吸う」という出来事が何を意味しているかについては、テクストは何も語ってくれない。にもかかわらず、このテクストの省略された部分から何かが読まれてしまうのである。それは「親父」の「死」に対する何かである。
この二つの疑問文は、「親父は退屈で煙草を吸う」という肯定文にも疑問を投げかけている。「親父」は本当に「退屈」で煙草を吸ったのか。「親父」も実は何かの出来事によって煙草をくわえさせられたのではないだろうか。「親父は退屈で煙草を吸う」という出来事は、省略された「親父」の過去について何かを想像させてくれるのである。
ところで、「私」にとっての「親父」とはどの様な存在であり、「親父」の過去や「親父」の「死」とは何を意味しているのだろうか。これらの問題について少し議論を進めてみることにしよう。
ジグムント・フロイト に言わせれば、性的なアイデンティティの基礎になるのは、親との同一化、一体化であって、「私」は親が願望するのと同じように願望し、親の欲望を真似し、愛される対象をめぐって一種のライバル関係に陥るという。エディプス・コンプレックスにおいては、「私」は自分と「親父」を同一化し、母親を欲望するのである 。
しかし、「親父」を火葬している火葬場で煙草をくわえている「私」は、もはや「母親を欲望する」存在ではない。「親父」と愛される対象をめぐってライバル関係にあるのではない。エディプス・コンプレックスとは異なり、それは永遠に続くものではないのだ。
最初の欲望は生まれたばかりの子供が母親の乳首を咬む時から始まるが(既に子宮の中にいる時から始まっているかも知れない)、それは性的な欲望であるとは限らない。性は自分の性器から(勿論、ほぼ同時に他者を意識しながら)始まるものであって、決して「他者」の性器から始まるものではない。性とは自分から始まって他者に向かい、そして結局は自分に戻ってくる往復のプロセスである。
最初の欲望は生まれたばかりの子供が母親の乳首を咬む時から始まるといったが、これは自分と他者を一体化する過程と見ることができる。乳首(或いは母親)を自分と一体化(或いは独占)しようとする欲望である。しかし、子供が母親の乳首を咬む行為は殆ど二歳頃には終わるのである。勿論、子供が母親の乳首を咬む行為は殆ど強制的に終えられてしまうが、それは父親の「力」によるものではない。こうした行為の終わりとともに子供は自分の身体のほかの感覚に興味を移すことになる。自分の性器を弄ぶなどがそれである。そして、それが性器の発育につれ、段々と性欲に変わっていくのである。この過程は自分から始まって、まずは身の周りの親や兄弟から(必ずしも母親とは限らない)次第に遠い外へ向かっていくのである。そして結局は自分に戻ってくるのである。
性欲はあくまでも「利己的」なものであって、決して「利他的」なものではない。これを「利他的」或いは「利己」、「利他」の両面から見るのは、道徳的、倫理的ではあっても決して生理学的ではない。勿論、性が社会的、倫理的、道徳的、心理的など、諸方面での制約を受けているのは事実である。しかし、それは「作られた」性であって、自然の性ではない。
作品、「煙草」には、徹底的にジェンダーが抜け落ちている。サブジェクト(主体)としての「親父」と「私」、オブジェクト(客体)としての「煙草」、「キセル」、「煙突」、「煙」、そしてサブジェクトとオブジェクト双方の役割を果たしている「火葬場」が(いる)ある。しかし、そこには女性はいない。物体としての「煙草」、「キセル」、「煙突」さえも男性的である。男性の性器のイメージである。
「私」は男性とは言っていないが、この「私」も男性としてしかイメージできない。それはこの作品を書いた作者が男性であるからではない。テクストの中の「私」が煙草をくわえているからでもない。不思議な感覚である。見えない所にまで男性が隠れているのである。
ここには女性がいない。この「世界」には女性がいない。この「世界」は男性の世界である。この「世界」は男性的な力によって支配されているのである。「親父」の「死」が「力」をもって「私」に煙草をくわえさせるのである。そして「過去」という「力」が「親父」に煙草を吸わせているのである。
「親父」を一種の「鏡」として見るならば、そこに映し出されるものが「私」という「自己」である。もちろん、「親父」だけではなく、社会関係における「他者」すべてを「鏡」とみることもできる。
「親父」と「私」の関係は「鏡」の向こう側とこちら側のような関係である。「私」の現在は、「親父」の「過去」の延長線上にある。そして「親父」の「死」の延長線上に今、「私」が立っている。
この詩が書かれたのは、正確には一九八六年七月二十一日のことである。作者の父親は二〇〇四年に亡くなっているから、この時点ではまだ存命中である。しかし、作者はここで父親を「殺して」いる。父親の死を見ている。父親を火葬しているのである。と言うのも、ここで作者が火葬しているのは父親でありながら実は父親ではないからである。彼は父親みたいな何かを火葬している。その何かを火葬しなければならないのである。
現代文学理論はテクストの外には何もないと主張している。しかし、話題を少しテクストの外に向けるとテクストにはないほかの何かを読み取ることができる。だが、その全てが既にテキストの中に隠れていることに気づかされてしまうのだ。
「私」は「私」である前に「親父」の息子である。「私」が今の「私」でいられるのは、父親の息子だったからである。「私」がもし、他の人の息子で、或いは他の国で、他の人種として生まれていたら、今の「私」はまた違った「私」になっているかも知れない。これは、「親父」が中国朝鮮族であるから「私」も中国朝鮮族である。そして「親父」が死んだ後も、「私」は今なお中国朝鮮族である、という風に読む(「誤読」する)こともできる。
「私」という「自我」が、生前から決められてしまっているこうした状況から逸脱するためには、父親を「殺す」しかなかったのである。親との一体化によって親を「殺す」のである。したがって、ここで火葬されているのは父親だけではない。火葬されているのは自分の一部分でもある。ここには一種の喪失感がある。本当の「私」になるためには、「私」であった何かを喪失しなければならなかったのである。このことが「私」に煙草をくわえさせているのである。
「私」が今の「私」でいられるのは、生まれる前から予想されていたものを持っているからである。それは父親を中心とする家族関係と関連している。そしてこの家族関係を支えているさらに大きな社会関係とも関連している。このような関連性によって、「私」は「私」として生まれ、そして「私」として「作られて」いるのである。本質の「私」、「私」という「自我」は、自分がなるはずのものになることはないのである。自分がなるはずのものになるために、今ここで親を「殺し」、火葬しても結果は同じなのである。
「親父」は「退屈」で煙草を吸うといった。そして「親父」を火葬する火葬場で「私」も今、煙草を吸っている。これは退屈だろうか。「親父」の「死」によって、「親父」と同じような運命が「私」を待ちうけていることを「私」はここで予想しているのである。だが、「私」は、それに甘じているわけではない。しかし、「私」に何ができるだろうか。ひたすら火葬場の煙突から立ち上がる白い煙を眺めているほかに……
地上の存在としての「親父」と「私」。天から授けられたようなこの運命から人は逃れることができるだろうか。あの火葬場は怒っているように長々しい煙管を空に向けている(あの火葬場も退屈で長々しい煙管を空に向けているのか)。これは反発だろうか。そうではない。「親父」は「死」によって「天」に向かっているのである。
人は悲しい存在である。「私」が「私」であることも悲しいことである。それは「私」は「私」でありながら、「私」ではないからである。この悲しみが人に「煙草」をくわえさせているのである。
「私」は「父親」との一体化によって親を「殺」した(火葬する)。「父親」の「死」によって「私」ははじめて「私」になる。しかし、それは「私」ではない。それは作られた「私」に過ぎない。「私」の中では常に「親父」が生きている。彼から「遺伝」された諸要素、その時間性の中から「私」は逃れることができない。例えば、自分が中国朝鮮族であることなどがそうである。それは自分が選んだものではなく、生まれる前から予め用意されていたものである。その「遺伝子」から逸脱するためには自分を「殺す」しかなかったのである。そして「私」は、「私」の「墓」を掘るのである。
나는 나를 위해 구슬픈 장송곡 목메게 부르며
나는 나의 무덤을 판다
나는 나의 흙 묻은 괭이를 던지고
나는 나의 안식처 나의 무덤에 드러눕는다
시커먼 구덩이는 구슬픈 기도 읊조리고
서리찬 기운은 나를 쓰다듬어 안아준다
그러면 내가 무져놓은 흙더미 내 몸을 묻어주고
그러면 무덤은 둥그런 언덕이 된다
그러면 파묻힌 내 몸에서 심장만이 살아
아, 그러면 심장만이 살아서 싹터오른다
심장은 한 그루의 나무가 되여 하늘 찌르며 자란다
그 나무에선 주렁주렁 새 심장들이 가득 열린다
(석화 <<나의 장례식>> 1982.4.20)
私は私のための物悲しい葬送曲を歌いながら
私は私の墓を掘る
私は私の泥がついたくわを投げ
私は私の安息所、私の墓に横たわる
真っ黒い穴は物悲しい祈祷を吟じ
冷たい気運は私を撫でて抱いてやる
そしたら私が積んだ土砂は私の体を埋めてくれる
そしたら墓は丸やかな丘になる
そしたら埋められた私の体では心臓だけが生きて
ああ、そしたら心臓だけが生きて芽が生えてくる
心臓は一本の木となり、空を突きながら育ち
その木ではふさふさと新しい心臓がいっぱいになる
(石華、「私の葬礼式」1982.4.20)
作品、「私の葬礼式」での「私」は、個人レベルでの「自己」と或る集団のメンバーとしての「自我」の両面として読むことができる。
個人レベルでの「自己」として読む時には、現状に不満を感じた個人が自らを変えることで新たに自己を築き上げる過程として捉えることができる。これは自分を変えることで周囲の環境に適応し、それによって周囲の環境を少しずつ変えてゆく遣り方を取っている。これは蛹が脱皮して蝶になる過程と似ている。
集団としての「自我」として読む時には、歴史的に抑圧され、周縁に追い遣られたりしてきた集団のメンバーがその集団との一体化を促進し、メンバーに彼らが誰であり、どんな人間であるかを示すことによって、その集団をひとつの集団とするよう働きかける過程として捉えることができる。これは自分が属している集団全体をアピールすることによって自己を主張する遣り方を取っている。良い方向へいけばこれはポスト・コロニアル的な意味を持っているが、悪い方向へ行くとナショナリズムと繋がる危険性をもっている。
作品、「私の葬礼式」は、単節、十二行の短い詩の中で自称代名詞(第一人称)、「私」を繰り返し十三回も反復させている。これはそれぞれ副助詞「は」と接続して「私は」の形で四回、格助詞「の」と接続して「私の」の形で七回、格助詞「が」と接続して「私が」の形で一回、格助詞「を」と接続して「私を」の形で一回出現している。
特に最初の四行で、「私は私の」という表現を連続的に反復し、「私」の「主体性」を強調している。私は私のための葬送曲を歌い、私は私の墓を掘り、私は私の鍬を投げ、私は私の墓に横たわる。これによって時には「私」がふたつに分かれていることが分かる。葬送曲を歌っている「私」と葬送の対象となっている「私」、このふたつの「私」は、本人と影のようにひとつに重なったりもする。墓を掘る「私」と墓に横たわる「私」はひとつのようにも見える。この「私」はふたつでありながらひとつでもあるような曖昧さの中にいるのである。
第五行からは詩語が自動化されている。自動装置のように出来事が次々と現われてくるのである。
真っ黒い穴は物悲しい祈祷を吟じ
冷たい気運は私を撫でて抱いてやる
そしたら私が積んだ土砂は私の体を埋めてくれる
そしたら墓は丸やかな丘になる
そしたら埋められた私の体では心臓だけが生きて
ああ、そしたら心臓だけが生きて芽が生えてくる
心臓は一本の木となり、空を突きながら育ち
その木ではふさふさと新しい心臓がいっぱいになる
この一連の出来事はスピードをもって次々と現われてくるのである。まるで時間差撮影した花が咲く場面がスクリーンで再生されているような感じである。
「私」は「私」のための葬送曲を歌いながら「私」の墓を掘っている。「私」は「私」の「死」を準備しているのである。そして死んだ「私」からは心臓だけが生きて、その心臓からは芽が生え、そして一本の木となり、そこからは新しい心臓がふさふさとなってくるのである。一人の「私」の死によって無数の「私」が生まれてくるのである。
一九八二年に書かれたこの詩篇は、中国の「文化大革命」(一九六五年―一九七六年)以後、中国朝鮮族の詩壇では初めて「私」を書いた作品である。その前の全体主義時代には、「私」を書くことができなかったのである。「私」という個人の代わりに集団としての「我ら」が氾濫していた時代であった。中国朝鮮族の文芸評論家である崔三龍が言ったように、その時代で「詩は、詩ではないほかのものとして、詩人は、詩人ではないほかの者として存在していた」のである。私的な感情、私的なもの全てが禁じられた時代、「私」という「自我」は失われてしまったのである。「私」が「私」の墓を掘っている過程は、この失われた「自我」を探る過程でもある。
作品「煙草」が「親父」の過去と「死」の延長線、予め用意された通時的な歴史の中で作られた「自己」からの逸脱を狙っているとするならば、作品「私の葬礼式」は、個人としての自分の過去をも含むその全てからの逸脱を企図しているのである。とは言っても、自分の過去という物語の表面には「自我」というようなものは存在しなかったのであるが。
「私の葬礼式」というテクストの中で、「私」は「私」の「死」によって無数の「私」として現われてくるが、それがどの様な「私」であるかははっきりと見えてこない。テクストは「新しい心臓」といっているが、それは「古い心臓」を基礎としている。「私」は「私」の過去から完璧に逸脱することはできないのである。新しい心臓の中には、まだ古い心臓から受け継いてきた何かが残っているはずである。
このような遺伝的な諸要素を克服するためには、それらを無視するのではなく、それらが自分の一部分であることを認め、それら全てで形成されている「自己」を主張しなければならないのである。そして次にやってくるのが「私は私です」ということでなければならないのだ。誰が何と言っても、「私は私です」と。
나는 나입니다
나는 봄의 들판에서 어여쁨을 뽐내는 장미꽃도 길섶에
소문없이 피여난 민들레꽃도 아닙니다 나는 아득한
벼랑가에 솟아나서 흘러가는 구름을 비웃는 소나무도
강가에 흐드러져 산들바람에도 춤을 추는 버드나무도 아닙니다
나는 나입니다
나는 여기저기에서 아무렇게나 뒹구는 이름없는 조약돌도 아니고
뭇사람들이 쳐다보는 하늘가에서 도고(道高)한
빛을 뿌리는 그 어느 성좌의 이름있는 별도 아닙니다
나는 나입니다
내가 어찌 그저 한송이 꽃이나 한그루 나무나 또 돌이나
별이겠습니까 나는 그것들과 그리고 그보다 더 많은
것들이 어우러진 통일체이며 세계이며 우주입니다
나는 나입니다
자꾸만 그저 꽃이나 나무나 돌이나 별이 되라고 하지
마십시오 그것들은 나의 머리카락 한올이나 귀나 코나
눈밖에 또 무엇이겠습니까
나는 나입니다
그리고 당신도 당신이기를 바랍니다
(석화 <<나는 나입니다>> 1985.7.1)
私は私です
私は春の野原で綺麗さを威張る薔薇でも 道端に
こっそりと咲いているタンポポの花でもないです 私は遥かな
崖から育って雲をあざ笑う松でも
川端に垂れてそよ風に踊る楊柳でもないです
私は私です
私はあちこちで自由に寝転ぶ名もなきさざれ石でもなく
多くの人々が眺める夜空で傲慢な
光を振り撤く或る星座の有名な星でもないです
私は私です
私はどうしてただ一輪の花や一本の木やまた石や
星ですか 私はそれらとそしてそれよりずっと多い
ものなどが一団となった統一体であり世界であり宇宙であります
私は私です
しきりにただの花や木や石や星になりなさいと言わないで
ください それらは私の髪の毛や耳や鼻や
目にすぎないのです
私は私です
そしてあなたもあなたであるように願います
(石華、「私は私です」1985.7.1)
遂に「私」は「私」である。そして「あなたもあなたであるように」願っている。「私」と「あなた」、二項対立的なこの二つの概念を提示しながらこの作品は終わっている。
「私は私です」は、「私は中国朝鮮族です」とか、「私は女です」とか、他にも色々な言葉で入れ替えることができる。しかし、それを「あなたは中国朝鮮族です」とか、「あなたは女です」という風にすると、その意味合いは違ってくる。これは「私は猫です」と「あなたは猫です」の意味合いが違うのと同じである。同じ「猫」でも、言い方によってそれがもっている意味が違ってくるのである。
「私」は「私」である。「私」は春の野原の薔薇でも、道端のタンポポでも、崖の上の松でも、川端の楊柳でもないのである。そして「私」は石でも星でもないのである。それらは「私」の髪の毛や耳や鼻や目にすぎないのである。「私」は、それら全てが一団となった「統一体」であり、「世界」であり、「宇宙」である。髪の毛や耳や鼻や目のように、本質ではない部分的なもので「私」を決めることはできないのである。
言い方を換えれば、「私」は中国朝鮮族であり、男であり、親の息子であり、子供の親である。「私」は他にも色々なものでありうるのである。その中の何か一つだけで「私」を決めることはできないのである。
例えば、「あなたは中国朝鮮族である」と民族だけを強調することになると、「私」は「中国人」と何処か違っているような存在となってしまうのである。それによって、「私」は本質的には「中国人」でないことになってしまうのである。
「私」は、花や木や石や星ではない。「私」が「何者」でもないと叫んでいるのは、「誰」かが「私」を「何者」かであると決め付けているからである(「しきりにただの花や木や石や星になりなさいと言わないでください」)。
同じような作品は他にもある。石氏が自分の名前をパロディ化した作品、「私は石ではありません」はこのように書かれている。
나는 돌이 아니외다
내 앞에서 그리고 내 뒤에서
"자넨 돌이야"하는 이들이 두루 있어도
나는 정말 돌이 아니외다
(중략)
돌이 아닌 것을 자꾸 돌이라 해서
돌이 되겠수마는
그래서인지 나도
돌이 되고 싶을 때가 정말 있수다
그러나 나는 돌이 아니외다
풀이나 귀뚜라미나 바람일지는 몰라도
진정 돌만은 아니외다
(석화 <<나는 돌이 아니외다>> 1987.12.15)
私は石ではありません
私の前で、そして私の後ろで
「君は石だ」と言う人もたまにはいるけど
私は本当に石ではありません
(中略)
石でないのにしきりに石だといって
石になるまいが
そのせいか私も
石になりたい時が本当にあります
しかし私は石ではありません
草とか蟋蟀とか風であるかは知れないが
本当に石ではありません
(石華、「私は石ではありません」1987.12.15)
「私は石ではありません」と叫んでいるのは、「誰か」が「君は石だ」と言っているからである。これは自分の本質ではない或る特定の名前、一つの記号に過ぎない或る名称によって自分というものが決め付けられることに対する反発でもある。
さらに自分の年齢をパロディ化した作品、「僕らは犬なのか-私と私の同年代に」では、自分だけではなく、同年代の人々にも「僕らは犬なのか」と疑問を投げている。これはある時代によって、自分たちにある特定の人間像が与えられてしまうという時代的不条理に対する不満の表明でもある。このように「私」という「自我」は、通時的歴史の中から逃れることが出来なくなるのである。
우리는 개인가
자,축,인,묘,지,사,오,미에 신,유,술,해라
뱅글뱅글 돌아가는 열두고리
중에서도 산중대왕 호랑이나 동해바다 룡왕님이 되지 못하고
우리는 왜
꼭 개가 되어 걸려나와야 하는가?
두귀가 발쭉하고 등허리 늘씬해서
승냥이 비슷하나 흉악하지 못하고
여우와 비슷하나 요사하지 못하고
염소와 비슷하나 두뿔이 돋지 못해
두루두루 축에 빠지는 것이 많은
우리는 왜 개여야 하는가?
(중략)
아득한 하늘가에서 들리여오는 석쉼한 저 부름소리에
저절로 두 귀가 쭝긋해지고
저절로 허리가 꼿꼿이 펴지고
저절로 두 다리에 불끈 힘줄이 솟아
두 발로 땅을 딛고 우쭐 일어서려는
우리는 틀림없이 개란 말인가?
우리는 개인가
(석화 <<우리는 개인가 - 나와 나의 동갑들에게>> 1987.12.19)
僕らは犬なのか
子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未に 申、酉、戌、亥であるから
ぐるぐる廻る十二支
中でも 山中大王、虎とか東海竜王にはなれなく
僕らは何故
てっきり 犬として釣られなければならないのか?
両耳が立ち 腰が細長いから
狼に似ているが凶悪でないし
狐に似ているがずるくないし
羊に似ているは角がないから
あまねく数に入れないことが多い
僕らは何故 犬でなければならないのか?
(中略)
遠い天のはてで聞こえてくる 嗄れたあの呼び声に
自然に両耳が立ち
自然に両足に力が入って
両足で地を踏んで どさっと立ち上がろうとしている
僕らは間違いなく犬なのか?
僕らは犬なのか
(石華、「僕らは犬なのかー私と私の同年代に」1987.12.19)
言葉は力を持っている。中国が「China」と呼ばれているのは、ヨーロッパ人がそのように呼んでいるからである。「China」は陶磁器を意味している。中国人は何故陶磁器と呼ばれなければならなかったのか。言葉が力を持っているのは、言葉が力によって作られているからである。
「君は犬だ」というと、「私」は本当に「犬」というあだ名で呼ばれてしまう。そして「犬」というあだ名によって「私」のある特徴が「犬」のイメージと重なり滑稽化されるのである。
中国朝鮮族は「朝鮮族」と呼ばれているが、その呼び方自体に何か問題があるのではない。その呼び方によって、有形無形の負のイメージが生じてくることが問題なのである。在日朝鮮人・韓国人の「在日」という言葉が「いじめ」、「差別」などのイメージを想起させるのと同じことである。
作品、「私は私です」の中で「花」や「木」や「石」は、自然界を意味している。そこに天体界の星を入れると宇宙になる。「花」や「木」や「石」や「星」は、「私」の「髪の毛」や「耳」や「鼻」や「目」のようなものである。それによって「私」は「世界」となり、「宇宙」となるのである。
「花」や「木」や「石」はその一つだけでは自然界になれない。「星」一つだけでは「宇宙」になれない。同じように「髪の毛」や「耳」や「鼻」や「目」はその一つだけでは「私」になれないのである。しかし、「誰か」が「しきりにただの花や木や石や星になりなさい」と言っている。この「誰か」とは、「私」以外の「他者」である。
「他者」によって「自己」が形成されるが、「自己」は「他者」の意のままに作られる受身的なものではない。「私」は今、落ち着きをみせている。それは「他者」を意識しているからである。「他者」に自分の内面の不安を見せたくないからである。これを見ると「私」は受身的に見えるが、実は「私」の内面の不安が「私」に落ち着くような仕草をさせてくれるのである。しかし、その内面の不安も「他者」によって生じたものかも知れない。
「自己」は「他者」を意識しながら「私」の中で形成されるものである。従って、「自己」は、常に揺らぐものであって、固定不変のものではない。それは、「他者」が固定不変のものでないからである。
すべての存在は常に運動の中にある。そして、全ての変化は内因と外因によって生じている。内因は変化の根拠であり、外因は変化の条件である。外因は必ず内因を通して機能する。これが内因と外因に関するマルクス主義の弁証法である。しかし内因と外因は、どちらが先であるか判断がつかない。
「自己」の形成も、「私」を意識させている「他者」と「他者」を意識している「私」が同時にいなければ成り立たないのである。そのために、この作品の最後の部分では「私」と「あなた」とを対置させているのである。実は、この「あなた」も「あなた」にとっては「私」なのである。
私は「私」です。この文章の述部の「私」は、ありとあらゆる言葉で入れ替えることが出来る。「私はライオンです」、「私はリンゴです」、「私は水滴の思想です」のように。しかし、そこに主語とまったく同じものが入ってくると不思議に思われてしまう。「AはAです」のように。
「私は私です」は、「AはAです」と同じ言い方をしている。「AはAです」という言い方は、正確には成立しない。それは「A」で「A」を説明することができないからである。「リンゴはリンゴです」も同じである。書かれている字面だけを見るとそうである。しかし、ここには他の読み方もあるのではないか。「リンゴはリンゴです」は、それが「リンゴ」であって、「梨」ではない、という風にも読める。「私は私です」も同じように読むことが出来る。「私は私です」は、「私」は他の「誰」とも異なる存在であるという風にも読める。
しかし、ここで注意しなければならないひとつの問題がある。「私は私です」という言葉は、「私」がこの言葉を発する前に、「私は私でなかった」という意味合いを持っているということである。しかし、これとまったく同じ形式(文の組み立て)、「(名詞)は(名詞)です」の構造を有している「リンゴはリンゴです」は、このような意味合いを生じさせることが出来ない。といっても、これは不思議でも何でもない。これは「私」という主語がもっている主体性(一人称)によって生ずるものだからである。
したがって、「私は私です」という言葉は、私は私ではない、そして私は誰とも異なる存在であるという二つの意味合いを持っている。
「私」が他の「誰」とも異なるということは、「私」が「誰か」を意識していることを示している。「私」の中から遂に「誰か」が、つまり、「他者」が出現したのである。この「他者」、つまり「誰か」とはいったい「誰」なのか。
第二節 「他者」とは「誰」なのか
홀로 걷다가
갈림길 길목에 멈춰섰다
이젠 누구와 갈라져야 하겠는데
갈라질 누구가 없다
길은 언녕부터 놓여져 있어
작별의 멋진 몽타쥬 펼쳐져야겠는데
지금 텅빈 화면 속에
갈라질 누구가 없다
누구였을까
벌써 멀리 앞서간 이는
또 누구일까
아직 훨씬 뒤에 오는 이는
길은 이미 갈라져 있어
이젠 누구와 갈라져야 하겠는데
갈라질 누구가 없어
여기에 이른 나조차 없어졌다
(석화 <<갈림길 길목에서>>)
独りで歩いて
別れ道で立ち止った
今は誰かと別れなければならないのに
別れる誰かがいない
道は予め置かれているから
別れの美しきモンタージュが開かなければならないのに
今 がらんどうの画面の中
別れる誰かがいない
誰だったのか
すでに遠い先へ行った人は
また誰なのか
まだずっと後から来る人は
道はすでに分かれているから
今は誰かと別れなければならないのに
別れる誰かがいないので
ここに辿り着いた私さえいなくなった
(石華、「別れ道で」)
はじめに「道」があった。この「道」は何時でもそこにある。何処から始まり、何処で終わるかは分からない。「道」は予め置かれている。そして分かれている。そこに一人の男(?)が立ち止っている。
「道」はすでに分かれているから、今は「誰か」と別れなければならないのに、別れる「誰か」がいない。「私」はここにいるのに、「他者」(誰か)はここにいない。ここを通り過ぎたか、或いはまだここに辿り着いていない。ここにいるのは「私」だけである。
これは交通施設である、人が通るための道だけを意味するものではない。この「別れ道」は、一方通行のようである。この道に入る人はいるが、この道から出てくる人はいない。これは一回限りの「人生の道」にも似ている。
黄色い森の中で道が二つに分かれていた
残念だが両方の道を進むわけにはいかない
一人で旅する私は、長い間そこにたたずみ
一方の道の先を見透かそうとした
その先は折れ、草むらの中に消えている
(中略)
いま深いためいきとともに私はこれを告げる
ずっとずっと昔
森の中で道が二つに分かれていた。そして私は・・・
そして私は人があまり通っていない道を選んだ
そのためにどんなに大きな違いができたことか
(ロバート・フロスト の詩、「道が二本森の中に続いていた」から)
「私」が「別れ道」で躊躇しているのは、フロストの「道が二本森の中に続いていた」のように、どちらの道を選ぶかという選択の難しさからではない。どちらの道を選んでも「私」が「私」であることには変わりがない。その選択によって、「そのためにどんなに大きな違いができたことか」と嘆きながらも、「私」は「私」である。「話者」がここで躊躇しているのは、「分かれ道」で分かれる「誰か」がいないからである。いったい、「誰か」とは「誰」のことなのか。なぜ「誰か」と分かれなければならないのか。
「分かれ道」で「私」は「誰か」と分かれなければならない。しかし、分かれる「誰か」がいない。ここにいるのは「私」だけである。「他者」はここを通り過ぎたか、或いはまだここに辿り着いていない。「私」は今、「他者不在」の空間(場所‐分かれ道)と「他者不在」の時間帯(現在‐今)の中にいる。
フロストの「躊躇」は、その空間(場所‐全ての存在は、同時に二つの場所にいることは出来ない)と時間帯(現在-全ての存在は、現在にしか現存しない。過去と未来に現存することは不可能である)の問題から生ずるが、「私」の「躊躇」は、その時間と空間の中で、「他者不在」の結果として現れるのである。
この「道」を一つの時間の軸として見ると、ここを通り過ぎた人は過去の人間であり、まだここに辿り着いていない人は未来の人間である。現在ここにいるのは「私」だけである。つまり、「私」は現代という時代の中で孤立し、疎外されているのである。
数学をパロディ化した作品、「作品36-加減乗除と方程式」で石氏は現代というこの時代とその中の人間像を次のように書いている。
철근 + 세멘트 + 타일 + …+ 땅 = 벽체
벽체 X 유리 X 페인트 X … X 하늘 = 빌딩
√빌딩 • ³√빈병 •⁴√소음 • … •ⁿ√ 물 = 도시
도시 ÷문패 ÷ 전화번호 ÷…÷ 공기 = 사람
사람 - 사랑 - 진정 - …- 달나라 = X
(석화 <<작품 36 - 가감승제와 방정식>>)
鉄筋+セメント+タイル+…+土地=壁
壁×ガラス×ペイント×…×天空=ビルディング
√ビルディング・³√空き瓶・⁴√騒音・…・ⁿ√水=都会
都会÷門札÷電話番号÷…÷空気=人間
人間-愛-真情-…-月=X
(石華、「作品36-加減乗除と方程式」)
ここは数学のライブラリーなのか、それとも宇宙の廃棄庫なのか。大雑把な物体と不思議な数学公式、これは一体何なのか。
この詩の第一行は、「鉄筋」、「セメント」、「タイル」、「土地」などの物体を登場させ、それら全てを加えたものが「壁」であるということを加法算式で現している。
第二行は、その「壁」に色々な「ガラス」を入れ、様々な「ペイント」を塗り、そしてそれらが「天空」まで至るのが「ビルディング」であることを乗法算式で示している。
第三行は、数学の根式(√)を借用して、「都会」の風景を飾っている「ビルディング」(粗大物体)、「空き瓶」(ゴミ)、「騒音」(公害)、「水」(排水)などの根源を探っている。
第四行は、その「都会」を、まるで名前のように与えられた門札、電話番号など、息苦しいほど雑多なもので割ると人間になる、ということを風刺的に指摘している。
第五行は、その「人間」から「愛」を引き、「真情」を引き、何かの象徴である「月」を引くと何(X)になるのか、という深刻な問題を提出している。
これらの五つの方程式の右側は、各々、「壁」、「ビルディング」、「都会」、「人間」、「X」である。これらをひとつに繋いで見ると、「壁」が「ビルディング」を作り出し、「ビルディング」が「都会」を作り出しているのが分かる。そして、「都会」、「人間」、「X」は、その都会の人間とは何者かというひとつの質問をわれわれに投げ掛けてくるのである
この詩が発している重要なメッセージは最終行で現れてくる。延辺大学の許蓮花は、評論、「石華の詩に見られるパロディ手法」のなかで、それについて次ように解釈している。
それは、疎外され、具体的な人間の個性を喪失した「人間」から愛を引き、暖かい人情を引き、さらに月によって象徴されている希望、夢、未来などについての憧れ、或いは芸術を引くと人間の社会は不毛の地となり、人間は想像するのも恐ろしい怪物のような存在、「X」になりかねないということである。
ロダンの彫刻、「考える人」をパロディ化した作品、「考える人」は、このような時代の中で生きている人間としての「私」の像を次のように描いている。
《생각하는 사람》이 된다
매일 아침 화장실에 들어가
쭈크리고 앉으면
틀림없는 로댕의 그 자세다
어제 하루 들이켰던 온갖 잡동사니와
온밤 꿈자리를 어수선하게 만들었던 끄나불
끙끙 아래로 힘을 줄 때마다
눈앞에서 불이 반짝반짝 켜지고
한줄기 도통한 기가 숫구멍으로 뻗친다
《생각하는 사람》
매일 아침마다 그 자세를 하고나면
시원하다
후련하다
오늘 또 그 비어낸것만큼
무엇이 가득 차겠지만
《인생은 살기 어렵다는데
시가 이렇게 쉽게 씌여지는것은
부끄러운 일이다》
(석화 《생각하는 사람》)
「考える人」になる
毎朝 化粧室に入って
しゃがむと
間違いなくロダンのそのポーズ
昨日 一日中呑んだあらゆるガラクタと
夜通し 夢のあとをごちゃごちゃしていた手先
うんうん 下の方へ力を入れるたび
目の前で星がキラキラと煌き
一筋の痛快な気運がひよめきまで伸びる
「考える人」
毎朝 そのポーズを取ると
すっきり
さっぱり
今日もまた排泄したほどの
何かで一杯になるけど
「人生は生きがたいものなのに
詩がこう たやすくかけるのは
恥ずかしいことだ」
(石華「考える人」)
ブルガリア出身の文学理論家・ジュリア・クリステヴァ は、『記号の解体学』の中で、「間テクスト性」(テクスト相互連関性)についてこう述べている。「あらゆるテクストは引用のモザイクとして構築されている。テクストはすべて、もうひとつの別なテクストを吸収、変形したものである」。彼女はこうして、完全なオリジナルという神話を砕いたのである。石華のこの作品もロダンの「考える人」を吸収、変形したに違いない。そしてロダンのそれはダンテ の『神曲』地獄篇に登場する『地獄の門』から来ている。
ロダン の彫刻、「考える人」は、誰もが知っている有名な作品である。我らの目の前には、頭を下げて考え込んでいる男性の姿がありありと浮かんでくる。しかし彼は何を考えているのだろうか。「考える人」は、もともとロダンの『地獄の門』という大作の一部だったそうである。「地獄の門」の上部中央に座り、地獄に落ちていく罪人達を見下ろしながら「彼」が考えているのは、誰を地獄に落とすかということなのだろうか。そもそも、「考える人」というタイトルもロダンがつけたものではなくて、リュディエという人がつけたようであるから、「彼」が本当に何かを考えているという見方自体が間違っているかも知れない。しかしそうであっても、石華の「考える人」は、ロダンのそれを「考える人」として認知し、それをパロディ化しているのであるからその真偽について責任を負う必要はない。
考えること、それは人間特有の能力であり、真理(そもそも、真理というものは存在しないとしても)を追求する審美過程でもある。このような「崇高」な作品を石華は自分の詩の中で、化粧室にしゃがんでいる時のポーズとして借用し、原作を滑稽にしている。しかし石華の「考える人」は、ただそれに戯れているだけではない。
ロダンのポーズで、化粧室にしゃがんで排泄している内容物は、「昨日一日中呑んだあらゆるガラクタと/夜通し夢のあとをごちゃごちゃしていた手先」である。つまり、その排泄物は「ガラクタ」と「手先」である。「ガラクタ」とは、その人にとっては価値のない雑多な道具、品物を意味する言葉である。「手先」は、力のある人の言いなりに動く者を指している。これで分かるように、その排泄物は単純な生理的排泄物ではない。「ガラクタ」と「手先」、この二つの単語が仄めかしているように、その排泄物は単純な生理的排泄物以上の、必ず捨てなければならない精神的な何かでもあるのだ。このような精神的な汚物は、われわれが身を置いているこの社会がわれわれに付加したものであり、また、われわれ自身が自ら作り出したものでもある。しかし、「今日もまた排泄したほどの/何かで一杯になるけど」が示唆しているように、この社会的誤謬は人間の生理がそうであるように何時までも反復循環を続けているのである。詩人はパロディ技法を利用して、軽やかな雰囲気の中でこのような深刻な内容を扱っているのである。
この詩の最後の部分では、尹東柱 の詩、「たやすく書かれた詩」から三行の詩句を引用し、人生と詩と自己について考えている。「人生は生きがたいものなのに/詩がこうたやすくかけるのは/恥ずかしいことだ」。社会的誤謬には関わりたくないが、知らず知らずのうちに関わってしまった自己を切なく、恥ずかしく感じているのである。
「作品36-加減乗除と方程式」の中の恐ろしい怪物のような存在、「X」としての「人間」、ロダンのポーズで化粧室にしゃがんでいる「考える人」、そして今、「分かれ道」で立ち止っている「私」、彼らは「孤立」や「疎外」を共有しながら現代という同じ時間帯の上で重なり合っている。
この三つの作品を関連させながら「分かれ道」を再読して見ると、この作品からははっきり見えてこなかった「私」のある部分が次第に明らかとなってくる。今、「分かれ道」に辿り着いている「私」も、疎外され、個性を失い、社会的誤謬に関わってしまった人間ではないだろうか。「私」が孤立し、疎外されているように「私」も「誰か」を孤立させ、疎外していたのではないだろうか。そして「私」は、このような「私」と分かれようとしているのではないだろうか。つまり、今ここで分かれなければならない「誰か」とは、「私」自身ではないだろうか。
この一連の疑問を解いてくれるものが作品の最後の部分に隠されている。
道はすでに分かれているから
今は誰かと別れなければならないのに
分かれる誰かがいないので
ここに辿り着いた私さえいなくなった
分かれる「誰か」がいないので、ここに辿り着いた「私」さえいなくなった。「誰か」がいないというのは自然な表現に見えるが、「私(自分)」がいないというのは不思議である。「私(自分)」は今ここに「現存」していない。一体「私(自分)」は何処へ消えたのか。今現在、「私(自分)」の不在を考えているのははたして何者なのか。
あのフランス古典主義時代の哲学者デカルト は、「我思う、ゆえに我あり」といっているが、しかしここでは「我思う、しかし我なし」である。果たして自分の不在を考えることがわれわれに出来るだろうか。ここで唯一の思いつかれるのは、二つの「自我」を想像してみることだけである。ここには二つの「私」がいる。そして「私」はその「私」と別れている。つまり、「私」は「他者」である。
「他者」はすでに「私」の中に存在している。「私」と「他者」は一体化されている。「私」が「他者」であり、「他者」が「私」である。「他者」がいないと「私」も存在しない。「分かれる誰かがいないので/ここに辿り着いた私さえいなくなった」。「他者」(誰か)と分かれることは、実は「私」と分かれることだったのである。
「他者」とは「誰」なのか。「他者」とは「私」である。
第三章 石華の詩に見られる「姉さん」のイメージ
人は女に生まれない、女になるのだ。
―シモーヌ・ド・ボーヴォワール
「私」が「私」であることと「女」が「女」であることは何処か似ている。「私」が「私」として生まれるのではなく、「私」として「作られる」ように、「女」も「女」に生まれるのではなく、「女」にならされるのではないか。
「男」と「女」は、はじめからそれとしてそこにいる。対立ではなく、差異を有した存在として。この「差異」は、「異質さ」とは違う。この「差異」は、多くの面を共有し、相互に作用する中での「差異」である。しかしこの「差異」を強調することによって「異質さ」という「幻」が生まれるのである。同じ人類でも皮膚の差異だけを強調すると「人種」という「幻」が生まれ、「白人」に対して「黒人」、「黄色人」という「異質」なものが生まれるのである。実は、「男」に対する「女」も自然の性、生殖器の差異を強調することで生じさせられた「異質さ」に他ならない。このように差異の強調がエスカレートしていくと、全ての人類は色々な部類(異質なもの)に分けられてしまうのである。結婚する人と結婚しない人、背が高い人と背が低い人、パンを主食とする人と米を主食とする人、ゴルフが出来る人とゴルフが出来ない人…このような対立関係は最終的には、「私」と「あなた」、つまり、「自己」と「他者」の関係に集約されるのである。
しかし、前章で既に立証したように、「私」と「あなた」、「自己」と「他者」の関係は、対立関係ではない。「私」が「他者」であり、「他者」が「私」である。
「私」という主体から考えてみると、全ての存在は「私」と発話される「主語」によって始まる。「私」も「あなた」にとっては「あなた」であり、「あなた」も「あなた」にとっては「私」である。「男」も「女」も同じ主体である。「女」も「女」にとっては「私」であり、「女」も主語になれる。「発話」が可能である。
「女」は、「男」でないから(ペニスがないから)「女」であるのではない。「女」は、はじめから「女」であり、「女」であり続けている。「男らしさ」、この言葉の中にも実は「女」が存在している。その内面から「女」を追い出してしまうと「男らしさ」の観念は無効になる。「女」がいないと「男」という言葉は存在すらしないかもしれない。「男」と「女」は相互依存の関係にある。「男」がいるから「女」が存在し、「女」がいるから「男」が存在するのである。「男」でないから「女」であるということではない。そうなってはならないのだ。
同じように、「女らしさ」の中にも「男」は存在している。しかしながら、「男」は「女らしさ」の外にいるかのようにも思われる。「男」は「女らしさ」の中から逃げようとしている。「男」の中から「女らしさ」を追い出し、その反対側に立たせることによってはじめて「男らしさ」が出来上がるのである。逆に言えば、「女らしさ」を強いることによって「男らしさ」が強調されるのである。つまり、「男らしさ」の反対側に「女らしさ」を対置させようとしているのである。
しかし、「男」という「私」と「女」という「私」の間には対立が存在しない。それは「差異」であっても、「対立」ではない。「俺は…」と発話するのは「男」である。「女」には、「俺は…」と発話することができない。いや、「俺は…」と発話することができないようにされているのである。ただ、それだけのことである。
ジェンダーとは、生物学的性別ではなく社会・文化的性別である。ジェンダーが問題視されるのは、従来の社会・文化構造が無性の中性的なあり方をしているかのように見せながら、その中に「男根中心主義」を密かに隠し、それを自然化しているからである。自然の性を強調することによって生まれたのが「身体=自然」、「女=母(産む性)」であり、「母なる大地」のようなレトリックによって美化されてきたのが「家庭の天使」としての「良妻賢母」であり、それによって強制されてきたのが「女らしさ」なのである。
누나,
지금 꽃은 피여있지 않습니다
부드러운 살결처럼
내 눈을 간지럽히던 얄포름한 꽃잎
…… (략)
이쁜 꽃송이는 어데도 없습니다
누나,
그 파란 잎사귀도 지금 없습니다
…… (략)
천잎만잎 푸른 잎사귀들이
지금은 한잎도 보이지 않습니다
누나,
어쩌면 그 고운 두뺨에
발그스레 피여나던 예쁜 홍조인양
알알이 빨갛게 물들어가던 능금
…… (략)
두볼이 빨간 능금알들이 지금 없습니다
색채와 향기
계절과 함께 모두 떠나가버려
그림이 지워진 빈 액틀속같은
겨울과수원
겨울과수원 한가운데로 깊숙히 뻗어간
이 오솔길 한가닥 따라
발걸음 조용히 옮겨딛는 지금
누나,
그래도 나의 가슴엔 한가득
누나의 향기
누나의 촉감
누나의 체온이
그래도 가슴에 한가득 넘쳐남은
무엇때문일가요
누나,
지금 이 겨울과수원 한가운데서...
(석화 <<겨울과수원에서 – 누나에게>>)
姉さん、
今 花は咲いていません
柔らかい皮膚のように
僕の目を奪っていた薄い花びら
……(略)
綺麗な花束は何処にもありません
姉さん、
その青い葉っぱも今はありません
……(略)
千片万片の青い葉っぱたちが
今は一片も見えないのです
姉さん、
どうしてかその綺麗な頬に
赤らむ紅潮のように
赤く染められていた林檎、
……(略)
両頬が赤い林檎たちが今はないのです
色彩と香り
季節と共にみんな離れていって
絵が消された額縁みたいな
冬の果樹園
冬の果樹園の真ん中へ遠く延びてゆく
この寂しい小道に沿って
静かに歩いている 今
姉さん、
それでも私の胸には溢れるほど
姉さんの香り
姉さんの触感
姉さんの体温
それでもこの胸いっぱいに溢れているのは
何故なのですか
姉さん、
今 この冬の果樹園の真ん中で…
(石華、「冬の果樹園で-姉さんに」)
石華の「冬の果樹園で-姉さんに」は、「姉さん」という「相手」に向かって何かを「発信」している。この「姉さん」と呼ばれている「相手」は、たぶん「女性」であるだろう。それでなぜここに「たぶん」という副詞をわざとつけたのか。それは、なぜ「女」だけが「姉さん」と呼ばれるのかその理由がよく分からないからである。というのも、子供の時には「姉さん」と「兄さん」をよく間違って呼んでいたからである。子供には性差はあっても性別差は明確ではない。派手な服が好きな男の子もよくいるし、男の子のような遊び方をしている女の子もよくいる。しかし、ここでこの作品の「姉さん」が「兄さん」の間違いではないかと疑っているわけではない。ただ、この作品を最後まで読んでも、そして何度読んでみてもこのテクストからは「姉さん」と呼ばれている「女性」のイメージ、具体的な像が見えてこないからである。
これは一方的な「発信」である。「姉さん」と呼ばれている「相手」からは一度も返信がこない。「姉さん」は、ただ「受信」するだけで、一度も「発信」はしない。「姉さん」は、最後まで受身的である。「私」は、冬の果樹園の真ん中で「姉さん」に話しかけている。というより、「姉さん」に向かって一方的に「通信」している。「姉さん」は、一度も発話できず、最後まで聞き手として残る。
これは宛て先のない「通信」である。天空に向かって「通信」するように、無数の電波が空中で散乱するだけである。そこに「姉さん」はいない。「冬の果樹園」の真ん中にも、その外にもいない。「姉さん」は何処にもいない。しかし「私」は、確かに「姉さん」に向かって「通信」している。「姉さん、今花は咲いていません」と。
「果樹園」、この言葉から想起されるのは「綺麗な花」と「青い葉っぱ」と「赤い林檎」である。しかし今は「冬」の真ん中、それらは一つも残っていない。あるはずのものが今はない。ある時季まではそこにあったのに、今は一つも残っていない。
「冬の果樹園」の真ん中に「姉さん」はいない。「綺麗な花」も「青い葉っぱ」も「赤い林檎」も残っていないから、そこに「姉さん」はいない。いや、「姉さん」がいないから、「綺麗な花」も「青い葉っぱ」も「赤い林檎」もないのである。このことが「私」に、「姉さん」に向かって「通信」することを促しているのである。しかし、この「通信」は、「姉さん」には届かない。いくら「通信」してもそれは「姉さん」には届かない。「姉さん」はそれを「受信」することができない。それを「受信」しているのは「姉さん」ではなく、「私」である。
姉さん、
それでも私の胸には溢れるほど
姉さんの香り
姉さんの触感
姉さんの体温
それでもこの胸いっぱいに溢れているのは
何故なのですか
姉さん、
今 この冬の果樹園の真ん中で…
「姉さん」は「発信」していないのに、「私」はそれを「受信」している。「姉さんの香り」、「姉さんの触感」、「姉さんの体温」を「私」は「胸」で「受信」しているのである。言って見れば、これは「私」が「発信」したものではない。とはいっても、これは「姉さん」が「発信」したものでもない。これは、「何故なのですか」。
石華の「秋の夜に書く手紙」というタイトルのエッセイの中に、この「姉さん」についての話が出ている。
こんな晩秋の深い夜には手紙を書きたいです。秋のように立ち去った誰かを偲ぶ手紙を書きたいです。都市(姉さんが住んでいる場所-論者注)の名前も郵便番号も街と路地の番地番号も分からないが、やたらに書き続けるこの手紙。この秋の手紙が届く所は果てもなく遠い私の想像がそっと羽を折るその場所、姉さんが住んでいる故郷です。その場所には私の情が届く姉さんだけのポストが掛かっています。
確かにこのエッセイでも、「私」は「姉さん」に向かって通信している。そしてそれは宛てのない通信である。私には通信の相手である「姉さん」について何一つ分かっていない。都市の名前も郵便番号も街と路地の番地番号も分からない。しかし「私」はしきりに一方的な通信を続けている。「私」の通信(情)が届く場所は、「私」の想像の故郷(姉さんが住んでいる故郷)であり、そこには「私」の通信(情)が届く姉さんだけのポストが掛かっているのである。ここで分かるように、「姉さん」のイメージは実体ではなく、「私」の想像の故郷として象徴化されている。
「私」は「冬の果樹園」、「冬」の真ん中にいる。絵が消されたがらんどうの額縁みたいな「冬の果樹園」に、あるはずのものがない。「綺麗な花」も「青い葉っぱ」も「赤い林檎」もそこにはない。「私」が身を置いているこの生の現場は、索漠として、寂しく、冷たい。しかし、「私」はこの冬の果樹園の真ん中で、「姉さんの香り」、「姉さんの触感」、「姉さんの体温」を感じている。「春」の到来を感じている。
「姉さん」は、「花」であり、「葉っぱ」であり、「林檎」であり、その全ての象徴としての「春」なのである(「姉さん」は、「私」の想像の故郷であるから)。「私」が「冬の果樹園」の真ん中で「姉さん」を待っているのは、冬の真ん中で「春」の到来を確信しているからである。
しかし、なぜ「姉さん」(女)は、「花」であり、「葉っぱ」であり、「林檎」であり、「春」でなければならないのか。「女らしさ」を美化し、「女らしさ」を強いるためなのか。
正にそうである。この詩は一方では、「綺麗な花」、「青い葉っぱ」、「赤い林檎」、そして「姉さんの香り」、「姉さんの触感」、「姉さんの体温」などの表現を動員し、「姉さん」(女)を全ての美しいもの、善良なもの、純粋なもの、正直なもの、高潔なものの象徴として描きながら、他方ではそれによって「女らしさ」を強調し、「姉さん」(女)を「私」(男)の安らぎの安息所と見なしているのである。
このような現象は、「冬の果樹園で-姉さんに」だけではなく、「姉さんに」と副題がつけられているほかの作品の中でも見られる。
「冬の果樹園で-姉さんに」が、あるはずのものの不在を偲んでいるとすれば、詩、「都会の月-姉さんに」は、「姉さん」を人情と真実と純潔の対象として扱いながら、汚れている都会の「コンクリート文化」を非難し、田舎の純潔を懐かしんでいるのである。
누나!
우리의 달은 마을뒤 재너머 할아버지산소로 가는
휘우듬한 언덕마루에서 고무뽈처럼 튕겨올랐는데
여기 도시에서는 높은 아빠트와 커다란 빌딩 사이를 비집고
간신히 떠오르고있습니다
(석화 <<도시의 달-누나에게>> 첫련)
姉さん!
僕らの月は村の裏 小山を越えてお祖父さんの墓へ行く
円やかな峠からゴムボールのように飛び上がっていたのに
ここ都会では高いアパートと巨大なビルディングの間を掻き分けて
辛うじて昇っているのです
(石華、「都会の月-姉さんに」第1節)
光と光明の象徴である月が都会の「コンクリート文化」の被害を受け、「高いアパートと巨大なビルディングの間を掻き分けて/辛うじて昇っている」のである。
詩、「秋桜よ-姉さんに」は、「秋桜」を素朴で、人情に溢れる田舎の姉さんのイメージとして描きながら、人間は素朴で、正直で、他人(男)のために犠牲的に生きなければならないと吟じている。
누구와의 약속이었기에
모두가 떠나가는 계절뒤끝에
오히려 긴 목을 하고 피어있는것인가
코스모스여
(중략)
어느 통속잡지 뒤표지에도 오른적 없는
내 시골누이 같은
코스모스여
하나의 약속을
한송이 꽃으로 피울줄 아는
안스러움이여
(석화 <<코스모스여-누나에게>>)
誰との約束だったので
皆が離れていった季節の終わりに
反って首を長く伸ばして咲いているのか
秋桜よ
(中略)
ある大衆雑誌の裏表紙にも載ったことのない
僕の田舎の姉さんみたいな
秋桜よ
ひとつの約束を
一輪の花として咲かせることの分かる
痛ましさよ
(石華、「秋桜よ-姉さんに」)
「秋桜」は、季節との約束を守るために、誰もいない道端で恨みも、後悔もなく笑顔で咲いている。これは「ひとつの約束を/一輪の花として咲かせることの分かる」、素朴で人情に溢れる田舎の姉さんのイメージである。
勿論、「男」が「女」を美しく、清潔で、素朴な存在であると考えることが間違っているわけではない。そうではなく、それを美化することによって「女らしさ」が強いられ、「女」が「女」にならされている現実を無視してはいけない、ということである。
実は、石華本人にはお姉さんがいない。
何時もこのように、「姉さん-」とこっそり呼んで見ると遥かな懐かしさと一緒に一筋の得体の知れない郷愁が胸いっぱいに染みこみます。私に取っての姉さんは、このように成立不可能な果てしない希望であり、神秘的な憧憬の対象でした。七歳年上の兄さんだけである私には隣のお姉さんと姉さんがいる同じ年齢の友達がすごく羨ましかった時期がありました。(エッセイ、「「秋の夜に書く手紙」から」)
姉さんがいないからこそ逆に、それほど姉さんに憧れるのである。したがって、この「姉さん」は実体ではなく、「私」の全ての想像の故郷であり、果てしない希望であり、神秘的な憧憬の対象である。そしてこのような「姉さん」のイメージは、「私」の全ての思い出と美しい感覚(懐かしさ、優しさ、柔らかさなど)の源泉であり、「私」に詩を書くように、歌を作るよう促してくれる原動力でもある。
数多くの切ない思い出。日差しに暖かくなった洗濯場がある川辺にいっぱい散らばっていたさざれ石と、郊外に走るバスの終着駅に降りて眺めて見た野辺の真白な葦の花、何もない林檎梨(延辺特有の果物-論者注)の木の間にある小さな一本道に沿って話しながら登った冬果樹園の丘、そして学校からの帰り道で凍ってしまった両手と赤くなった頬を被ってくれた少しクリームのにおいがする白い兎の毛のマフラー… こんな香ばしい思い出をいっぱい持ち、そのためまるでポケットを捜せば何時でも出てくる焙り豆のように香ばしい思い出を限りなく持っている幸せな子供になりたかったです。
立ち去るものの名残を惜しむ心を与え、そして懐かしさと優しさと切なさと柔らかさを教え、私のすべての感覚の美しい泉を湧かせてくれる親しい姉さん。時には母の懐のようになごやかでもあったけれど、やがてとどまることのできない季節のように去ってしまう姉さん、その暖かい手先と切ない眼差しと限りない名残を与えてくれるのが姉さんです。このように今、私の傍にはいないけれど、そのきれいで、善良で、頼もしい姉さんたちをすべてを与え、いつも私を夢見る子供のままでいさせてくれます。詩を書くように、歌を作るようにさせてくれます。(エッセイ、「「秋の夜に書く手紙」から」)
石華の作品に見られている「姉さん」のイメージは、それがどんな風に表現されようとも、「男」と対立する「女」ではない。それは何時でも子供の視線から見た「姉さん」であり、「母」であり、自然の花であり、思い出であり、全ての美しい感覚と想像の源泉である。しかし、その潜在意識の中に、「女=美しい=自然」という構図が潜んでいることは否定できない。
石華の詩の中の「姉さん」は、実体としての「女」を示してはいない。「姉さん」は何時も「私」との繋がりの中で存在している。「姉さん」は、顔の見えない幻の存在でもある。「私」に「私」が見えないように。
「姉さん」と「私」は一体である。「私」が「姉さん」であり、「姉さん」が「私」である。「私」が「姉さん」と呼びかける時、それは「私」の内面に向かっての呼びかけでもある。故に、「私」は「姉さんの香り」、「姉さんの触感」、「姉さんの体温」を感じることができるのである。「姉さん」が「発信」しなくても、「私」は、それを「受信」することができるのである。「姉さん」に向かっての「通信」は、実は「私」に向けての「通信」だったのである。
しかし、冬の果樹園に花が咲いていないように、「私」のそばには「姉さん」がいない。いなければならないのに、「姉さん」はいない。それよりも「私」が「姉さん」にならなければならない。しかし、「私」は、今は「姉さん」になれない。いない「姉さん」を捜し求め、「姉さん」になろうと努力しているこの過程が、「私」が「私」になる過程でもあるのだ。
「私」は「姉さん」になることによって「私」になれる。ここには「女」も「男」も存在しない。しかし、「男」も「女」もすでに「私」の中にいる。「男」が「男」になることも、「女」が「女」になることもすでに「私」の中で起きている。「男」が「男」になることも、「女」が「女」になることも、全て「私」が「私」になる過程である。
第四章 遂に融合の道へ
コーラ(場)は「女たちの種族」には属さない。[……]
カップル外のカップルにおいて、
生み出すことなく場を与えるこの奇妙な母を、
われわれはもはや一つの起源と見なすことはできない。
―ジャック・デリダ
벗으라 한다
벗어야 한다
벗어라
벗자
마지막 한장의 그 …
마저도
속살과 속살끼리만 만나
만지고 부비고 삼키고 무너지자
맑은 그 빛갈
달콤한 그 맛
감미로운 그 향기
네가 나 되고
나는 너로 된다
그 모습
다 벗고
비로소
포도들은 포도주가
된다
(석화 <<그 모습 다 벗고 포도들은 포도주가 된다>>)
脱いでという
脱がなければ
脱げ
脱ごう
最後の一枚のそれ…
までも
肌と肌だけが交じり合い
触り、揉み、呑み、崩れてゆこう
鮮やかなその色
甘ったるいその味
香ばしいその香り
君は僕になり
僕は君になる
その形
全部脱いで
やがて
葡萄は葡萄酒に
なる
(石華、「その形を全部脱いで葡萄は葡萄酒になる」)
「脱ぐ」という言葉の普遍的意味(辞書的意味)は、体に着けているものを取り去るということである。「服を脱ぐ」、「靴を脱ぐ」のように。これを少し変えて、「一肌脱ぐ」とすると、それは、「人の為に骨を折る」という意味になる。「一肌脱ぐ」での「脱ぐ」は、やはり何かを取り去るという意味から離れてはいない。しかし、「一肌脱ぐ」という言葉は、「人の為に骨を折る」という意味を派生させている。「脱ぐ」という動詞から「折る」という意味の動詞が派生されるのである。言葉(記号)は差異のシステムであり、言葉(記号)の意味は差異の産物であるから、言葉には「本質的意味」もしくは「絶対的意味」が存在しない。石華のこの詩での「脱ぐ」という言葉は、「裸になる」と「葡萄の皮を剥く」という二つの意味を派生させている。と言い切ってしまうと、そこからひとつの矛盾が生じてしまう。言葉には「絶対的意味」などないというなら、なぜそれが何かを意味していると断言できるのか。
この詩での「脱ぐ」は、まず「裸になる」と「葡萄の皮を剥く」という二つの表意的意味を派生させているが、それで終りになるわけではない。それらはほかの言葉との相互関係によってまた他の意味を派生させ、その新しい意味はまたほかの意味を派生させる。意味の派生はこのように果てしなく繰り延べられるのである。意味は、常に達成される可能性があると同時に、常に達成不可能なものなのである。
石華のこの詩は、「脱ぐ」という行為から始まっている。
脱いでという
脱がなければ
脱げ
脱ごう
「脱ぐ」という行為は、受動的行為と主動的行為、二つの面から考えることが出来る。「脱いでという」(受動的)、「脱がなければ」(主動的)、「脱げ」(受動的)、「脱ごう」(主動的)。「脱がなければ」という主動的行為は、「脱いでという」のように誰かの勧誘によって行われている。「脱ごう」という決意は、「脱げ」という誰かの命令によってなされている。つまり、実は「脱ぐ」ということは受動的に進行させられているのだ。しかし、この受動的というのは見せ掛けかもしれない。自ら脱ぎたがっているのに、それに口実を与えているかも知れない。「脱ぐ」という行為に何の抵抗も示さず、「最後の一枚のそれ…/までも」脱いでしまうからである。
この「最後の一枚のそれ…」とは、何だろうか。「肌と肌だけ」の交じり合いという表現から考えれるものは誰もが想像する「それ」である。しかし「葡萄は葡萄酒に/なる」から判断するなら、それは、葡萄の皮である。「最後の一枚のそれ…」まで脱いで、「肌と肌だけ」の交じり合いを楽しんでいるというのは、人間の性愛のことである。「肌と肌だけ」の交じり合いで、「君は僕になり/僕は君になる」のである。
「肌と肌だけ」の交じり合い、これは「男」と「女」の性愛である。否、テクストはそうは言っていない。これを「男」と「女」の交じり合いであると、ほぼ確信をもって教えてくれるのは、われわれの「常識」であり、われわれの「文化」である。「異性愛」だけを認め、他の性愛の形を「性の倒錯」として排除しようとするわれわれの「常識」であり「文化」である。この「文化」というのは奇妙なもので、「異性愛の文化」を強調するということは、どこかに「同性愛の文化」も存在し、その侵害(汚染)を恐れているということの証でもある。つまり、「異性愛」を云々するのは、その裏で「同性愛」の存在を認めているからである。人間の性愛には、「異性愛」、「同性愛」のほかにも、具体的な対象を必要としない「想像的性愛」のようなものも存在するのである。
興味深いことに、セクシュアリティ(性の活動に結びつく性別)を決定しているのは自然の性(生物学的性)ではなく、ジェンダー(社会・文化的性)である。ジェンダーによって、「私は男である」或いは「私は女である」というジェンダー・アイデンティティが形成されるのである。性差は自然の産物であるという発想から、「文化=自然」の構造が築き上げられ、それによってジェンダーが生まれるのである。性差が自然の産物であれば、「生殖」は性行為の目的となり、それによって「異性愛」だけを認める文化が形成されるのである。性行為を「生殖」の目的だけではなく、快楽の目的とすると「同性愛」も認めなければならない。
石華のこの詩は、「葡萄のエロス」を表現しているとも言えよう。「肌と肌だけ」の交じり合いにより、「君は僕になり/僕は君になる」人間的性愛のイメージと、葡萄の粒と粒の「交じり合い」により、葡萄が葡萄酒になるイメージがひとに重なっている。人間の「肌と肌」の「混じり合い」は、葡萄の粒と粒の「混じりあい」であり、葡萄が葡萄酒になる過程は人間の「君は僕になり/僕は君になる」行為である。この二つの行為(過程)は一つの文脈の中に同時に存在し、同時に作用している。
これは「葡萄」の粒と粒の「交じり合い」であり、人間の「肌と肌」の「混じり合い」である。「葡萄」の粒と粒の間に「性」は存在しない。この「交じり合い」には、「性」は存在しない。これは「同性愛」でもなければ、「異性愛」でもない。これは「性」なき愛、「無性」の愛である。最終的には「葡萄酒」になるための「愛」であり、「交じり合い」であり、「快楽」である。同じように、「肌と肌」の「交じり合い」も、「男」と「女」の、いや、人間の性愛ではなく、「君は僕になり/僕は君になる」ための「愛」、「融合の快楽」ではないだろうか。たとえそれが人間の性愛の形で表現されていても。
このように「脱ぐ」という行為から、「肌と肌」の「交じり合い」と粒と粒の「交じり合い」が生じ、そしてこの二つの「交じり合い」から、「葡萄酒=融合」という意味合いが生まれるのである。
そして「葡萄酒」は、「血」の象徴でもある。水を葡萄酒に変えたのがイエスによる最初の奇跡である。そして最後の晩餐の席で、人間の罪を赦す新しい契約の血として葡萄酒がイエスにより弟子たちに振舞われたのである。
宗教的な起源説という視点から読むと、「君は僕になり/僕は君になる」行為は、この「愛」、「交じり合い」、「快楽」において、最終的には「血」と「罪」に繋がるのである。
人間の「罪」、人間の「原罪」は、「禁断の果実」(林檎)から始まる。
사과를 먹자
껍질을 살살 벗겨버리고
속살만 사각사각 씹어먹자
새하얗게 드러나는 속살
단물이 배여나는 속살
사과를 먹자
향긋한 속살
싱싱한 속살
단물이 배여나
더욱 목마른 속살
새하얗게 드러나
한결 부끄러운 속살
사과를 먹자
해아래서
달아래서
하나의 동산을
다 넘겨줘버리고
한알의 사과를 바꾸어 먹자
사과를 먹자
후회는 없다
망서림도 없다
이렇게 속살이 이쁘고 탐스러운데
이렇게 솔살이 향그럽고 싱싱한데
이렇게 너와 나
아름다운줄 알았는데
사과를 먹자
(석화 <<사과를 먹자>>)
林檎を食べよう
皮を軽く剥いて
肉だけをサクサク食べよう
白く露出する肉
甘い汁が滲み出る肉
林檎を食べよう
香ばしい肉
みずみずしい肉
甘い汁が滲み出て
もっと渇くなる肉
白く露出されて
ひとしお恥ずかしい肉
林檎を食べよう
陽の下で
月の下で
一つの楽園を
全部渡して
一つの林檎と換えて食べよう
林檎を食べよう
後悔はない
惑いもない
こんなに肉が麗しくて好ましいのに
こんなに肉が香ばしくてみずみずしいのに
こんなにあなたと私
美しいことが分かったのに
林檎を食べよう
(石華、「林檎を食べよう」)
「禁断の果実」である「林檎」を食べようとしている。「一つの楽園を/全部渡して/一つの林檎と換えて食べよう」としている。アダムとイヴのように「蛇」の誘惑によるのではなく、自分の意思で「林檎」を食べようとしている。
「こんなに肉が麗しくて好ましい」こと、「こんなに肉が香ばしくてみずみずしい」こと、「こんなにあなたと私/美しいことが分かった」ので、「後悔」も「惑い」もなしに、「林檎」を食べようとしている。「林檎」を食べることは、「愛」することであり、「愛」することは、「麗しく」、「香ばしく」、「美しい」ことである。
人間の精神や肉体に対する禁止の数々、その全ての象徴としての「禁断の果実」、それを今食べようとしている。
こんなにあなたと私
美しいことが分かったのに
林檎を食べよう
ここには「国家」も「民族」も「宗教」も「文化」も存在しない。ここにいるのはその全てから脱した美しい「あなた」と「わたし」だけである。これは「脱民族」、「脱文化」を望んでいる未来志向的人間の願望でもあるだろうか。
これは起源説ではない。これは起源のずっと後の話である。しかし、これは起源のずっと前の話でもある。起源は存在しない。何処にも存在しない。起源は定立された時に定立されると同時に消え去る。
「禁断の果実」、「林檎」を食べることや、罪を赦す「血」の象徴である「葡萄酒」になることは、元に戻るためでもなければ、未来に向かって先に進むためでもない。「裸」の、全ての「皮」と全ての「形」を全部脱ぎ去り、ありのままのその姿で生きるためである。
この「皮」、この「形」とは、われわれの「常識」ではないだろうか。われわれの「倫理」、「道徳」、「文化」…その全てではないだろうか。「私」を「私」としてつくり、しかし「私」ではない者としてつくっているその全てを象徴するものではないだろうか。
「裸」と「裸」の「交じり合い」、「君が僕になり/僕が君になる」。こうした「融合の快楽」を思い切り楽しめる時代が今始まったのである。
終わりに
移民は自分がその中で育ってきた
禁止の数々が取りさられ、
象徴界の権力が取りさられて、
突然宙づりにされるのに
気づくことがあるかもしれない。
移民は、自分自身でない者となって、
「解放」される。
―キャサリン・ベルジー
始まりのない終わりが、始まる。
「私が私の本を残すとき、私は、出現しつつ消滅してゆく、けっして生きることを学ばないであろう、教育不能の幽霊のようなものになるのです。」(ジャック・デリダ、『生きることを学ぶ、終に』、p.34)。
育ての親が、自分の産みの親でないことを知っている。このことが、「私」が生きるために何の役に立つのか。「私」と無関係ではないが、「私」が生きるためには余り役に立たないだろう。しかし、私たちは自分の産みの親を、もしかしたら育ての親ではないかと疑ったことはないだろうか(特に、親に酷く叱られた時など)。私たちはなぜ、自分の親について何かを知りたがるのか。それが自分の生きるために余り役に立たないと分かっているにもかかわらず。
中国朝鮮族、彼らが何者であり、何者であるべきかを彼らに教えること。はたして、そんなことがわれわれにできるだろうか。できるとしても、それが彼らが生きるために役立つと本気で考えているのだろうか。
デリダが述べたように、この論文も「けっして生きることを学ばないであろう、教育不能の幽霊のように」。
しかし、人間に何が学べるだろうか。イタリアの哲学者ヴィーコが語ったように、人間が知ることのできるのは、人間が作り出したものだけである。
「私」について、「女」について、「性」について、そして「中国朝鮮族」についてわれわれが何か知っているとするなら、それは、それらが人間の作り出したものであるからにほかならない。中国朝鮮族文学も、われわれ人間が作り上げた「幻」であるに違いない。つまり、「中国朝鮮族文学」は存在しない。「中国朝鮮族文学」は、その不在によって存在する。
中国朝鮮族文学について延々と論じながら、ここでは中国朝鮮族文学の不在を宣告することしかできない。
本論文の第二章から、「中国朝鮮族文学」は消えている。その代わりに現れてくるのが「他者」と「自己」であり、「女」と「男」である。
ここで、「他者/自己」、「女/男」のようにその位置が逆転されているが、これは二項対立の逆転を意味するのではない。「他者/自己」も「女/男」も最初から対立として存在するのではない、その間には、上下関係もなければ、優劣関係もない。「自己/他者」=「男/女」=「上/下」=「優/劣」。こうした構造が消え、その不在によって立ち現れてくるのが「自己」であり、「他者」であり、「男」であり、「女」である。
同じように、「国民文学/少数民族文学」=「中国文学/朝鮮族文学」=「上/下」=「優/劣」といった構造から「中国朝鮮族文学」が消え、その不在によって存在するのが「中国朝鮮族文学」である。
やや込み入った説明となってしまったが、その主旨は、本論文の前半部(第一章)と後半部(第二章以下)は分断されているのではなく、既に一つの構造(文脈)の中で結びついている、ということである。そのことを最後に強調しておきたいと思う。
参考文献
Ⅰ、朝鮮語の文献
* 석화 시집 <<나의 고백>> 연변인민출판사 (1989년)
石華 詩集『私の告白』延辺人民出版社(1989年)
* 석화 시집 <<꽃의 의미>> 삶과 함께 (1993년)
石華 詩集『花の意味』生とともに社(1993年)
* 석화 시집 <<세월의 귀>> 흑룡강조선민족출판사 (1998년)
石華 詩集『歳月の耳』黒龍江朝鮮民族出版社(1998年)
* 황송문 <<중국조선족시문학의 변화양상연구>> 국학자료원(2003년)
黄松文『中国朝鮮族詩文学の変化様相研究』国学資料院(2003年)
* 윤윤진 <<재중한인문학 연구>> (서우얼출판사-2006년)
尹潤真『在中朝鮮人文学研究』(ソウル出版社-2006年)
Ⅱ、日本語の文献
* 花輪 光編『詩の記号学のために―シャルル・ボードレールの詩篇「猫たち」を巡って』 水声社(1985年)
* 水之江 有一『ヨーロッパ文化の源流―聖書・神話の世界から歴史へ』丸善ライブラリー(1993年)
* 大橋 洋一『新文学入門-T・イーグルトン「文学とは何か」を読む』岩波書店(1995年)
* 小林 康夫『出来事としての文学』作品社(1995年)
* 小森 陽一『出来事としての読むこと』東京大学出版会(1996年)
* 中島 義道『「時間」を哲学する―過去はどこへ行ったのか』講談社現代新書(1996年)
* 鶴嶋雪嶺『中国朝鮮族の研究』関西大学出版部(1997年)
* 富山 太佳夫編『ディコンストラクション―現代批評のプラクティス』研究社出版(1997年)
* 渡辺 諒『フランス現代思想を読む』白水社(1999年)
* 守中 高明『思想のフロンティア―脱構築』岩波書店(1999年)
* 土田 知則『間テクスト性の戦略』夏目書房(2000年)
* 難波江 和英/内田 樹『現代思想のパフォーマンス』松柏社(2000年)
* 佐々木衛ほか『中国朝鮮族の移住・家族・エスニシティ』東方書店(2000年)
* 真木 悠介『自我の起源―愛とエゴイズムの動物社会学』岩波書店(2001年)
* 土田 知則ほか『現代文学理論―テクスト・読み・世界』新曜社(2002年)
* 大村益夫『中国朝鮮族文学の歴史と展開』緑蔭書房(2003年)
* 丹治 愛『知の教科書―批評理論』講談社(2003年)
* 磯貝 治良『<在日>文学論』新幹社(2004年)
Ⅲ、日本語訳の文献
* ジャック・デリダ(梶谷 温子訳)『エクリチュールと差異』(上、下)法政大学出版局(1983年)
* テリー・イーグルトン(大橋 洋一訳)『文学とは何か』岩波書店(1985年)
* クリストファー バトラー(和田 旦/加藤 弘和訳)『解釈・ディコンストラクション・イデオロギー―現代文学理論入門』芸立出版(1987年)
* ジャック・デリダ(高橋 允昭訳)『ポジシオン』青土社(1988年)
* ラマーン・セルデン(鈴木 良平訳)『現代の文学批評―理論と実践』彩流社(1994年)
* D・バックバインダー(菅野 弘久訳)『いま詩をどう読むか』リーベル出版(1994年)
* ジョナサン・カラー(富山 太佳夫/折島 正司訳)『ディコンストラクション』(1、2)岩波現代選書(1998年)
* ロラン・バルト(花輪 光訳)『物語の構造分析』みすず書房(1997年)
* ジャン=フランソワ・リオタール(小林 康夫訳)『ポスト・モダンの条件-知・社会・言語ゲーム』水声社(1998年)
* ビル・アッシュクロフトほか(木村 茂雄訳)『ポストコロニアルの文学』青土社(1998年)
* ジュディス・バトラー(竹村 和子訳)『ジェンダートラブル』青土社(1999年)
* ロマン・ヤーコブソン(川本 茂雄訳)『一般言語学』みすず書房(1999年)
* ロラン・バルト(林 好雄/森本 和夫訳)『エクリチュールの零度』ちくま学芸文庫(1999年)
* ジャック・デリダ(足立 和浩訳)『グラマトロジーについて』(上、下)現代思潮新社(2000年)
* ジャック・デリダ(守中 高明訳)『たった一つの、私のものではない言葉―他者の単一言語使用』岩波書店(2001年)
* ポール・ストラザーン(浅見 昇吾訳)『90分でわかるデリダ』青山出版社(2002年)
* ジグムント・フロイト(懸田 躬克訳)『精神分析学入門』中央公論新
社(2003年)
* エドワード・W・サイド(板垣 雄三訳)『オリエンタリズム』(上、下)平凡社(2003年)
* ギャサリン・ベルジー(折島 正司訳)『1冊でわかる―ポスト構造主義』岩波書店(2003年)
* ジョナサン・カラー(荒木 映子訳)『1冊でわかる―文学理論』岩波書
店(2003年)
* ジャック・デリダ(鵜飼 哲訳)『生きることを学ぶ、終に』みすず書房(2005年)
Ⅳ、石華文学研究関連の評論、記事(朝鮮語)
* 평론 『우리 시단의 희망과 미래 -「청년시회」의 시를 읽고(최삼룡글)』
《아리랑》 4기(총제26기). 1986년 9월.
評論、「我が詩壇の希望と未来-『青年詩会』の詩を読んで」(崔三龍)、
『アリラン』四期(総二十六期)、一九八六年9月。
* 평론 『읽는 재미와 이미지씹기(김경훈글)』 《문학과 예술》 6기(제38호). 1986년 12월.
評論、「読む面白さとイメージの味」(金京勲)、『文学と芸術』六期(第三十八号)、一九八六年十二月。
* 평론 『예술적가설의 상징력(산천글)』 《흑룡강신문》. 1987년 6월 30일.
評論、「芸術的仮説の創造力」(山川)、『黒竜江新聞』一九八七年六月三十日。
* 평론 『공간의 미학(광천글)』 《흑룡강신문》. 1987년 8월 25일.
評論、「空間の美学」(光川)、『黒竜江新聞』一九八七年八月二十五日。
* 인터뷰 『가사문학의 새 지평을 향하여(리임원글)』 《연변일보》. 1989년 1월 14일.
インタビュー、「歌詞文学の新たな地平に向かって」(李任元)、『延辺日報』一九八九年1月十四日。
* 평론 『「나」의 세계와 세계속의 「나」(김문학글)』 《료녕신문》 1990년 1월 13일.
評論、「『私』の世界と世界の中の『私』」(金文学)、『遼寧新聞』一九九〇年一月十三日。
* 평론 『당대청년들의 생명체험과 석화의 시 -시집「나의 고백」을 놓고(최삼룡글)』 《연변일보》. 1990년 2월 13일.
評論、「当代青年たちの生命体験と石華の詩-詩集『私の告白』について」(崔三龍)、『延辺日報』一九九〇年2月十三日。
* 평론 『「연길시청년시회」 신인작가들의 시세계(허세욱글)』 《대륙문학 다시 읽는다》. 한국 대륙연구소 출판부. 1992년 8월.
評論、「『延吉市青年詩会』新人作家たちの詩の世界」(許世旭)、『再び、大陸の文学を読む』大陸研究所出版部、一九九二年八月。
* 평론 『우리 시단에 서광이 비껴 -석화시 인상(전국권글)』 《연변라지오텔레비죤신문》. 1995년 8월.
評論、「我が詩壇の曙光-石華の詩の印象」(全国権)、『延辺ラジオ・テレビ新聞』一九九五年八月。
* 평론 『시단의 새로운 발상(리금복글)』 《연변일보》. 1995년 12월.
評論、「詩壇の新しい発想」(李今福)、『延辺日報』一九九五年十二月。
* 평론 『도시감각과 자연감오 그리고 비우는 마음 -시집 「세월의 귀」를 평함(최삼룡글)』 《흑룡강신문》. 1996년 10월 24일.
評論、「都市感覚と自然感悟、そして空ける心-詩集、『歳月の耳』を論ずる」(崔三龍)、『黒竜江新聞』一九九六年十月二十四日。
* 평론 『연변시인 석화의 시세계(송재학글)』 《시와 반시》 겨울호(18). 한국 시와반시사. 1996년 12월.
評論、「延辺詩人・石華の詩の世界」(孫哉学)、『詩と反詩』冬号(十八)、韓国詩と反詩社、一九九六年十二月。
* 평론 『곡선, 변용, 발돋움 -석화의 시「곡선의 이미지」(최룡관글)』 《연변일보》. 1997년 12월 6일.
評論、「曲線、変容、背伸び-石華の詩、『曲線のイメージ』」(崔龍冠)、『延辺日報』一九九七年十二月六日。
* 평론 『자기부정으로 안받침된 탐구정신 -석화의 근작시에 관하여(리복글)』 《장백산》 2기. 1998년 4월.
評論、「自己否定で支えられる探求精神-石華の近作詩について」(李福)、『長白山』二期、一九九八年四月。
* 평론 『새시기가 낳은 청년문인 석화(최삼룡글)』 《문학과 예술》 11-12기. 연변문학예술연구소. 1997년 11월.
評論、「新時期が生んだ青年文人・石華」(崔三龍)、『文学と芸術』十一-十二期、延辺文学芸術研究所、一九九七年十一月。
* 평론 『누나의 실존적 의미(김몽글)』《문학과 예술》 11-12기. 연변문학예술연구소. 1997년 11월.
評論、「姉さんの実存的意味」(金夢)、『文学と芸術』十一-十二期、延辺文学芸術研究所、一九九七年十一月。
* 평론 『의의있게 살며 깊이있게 생각하며(금성글)』《문학과 예술》 11-12기. 연변문학예술연구소. 1997년 11월.
評論、「意義ある生、深みある思惟」(金星)、『文学と芸術』十一-十二期、延辺文学芸術研究所、一九九七年十一月。
* 평론 『석화시에서 보여지는 패러디수법(허련화글)』 《장백산》 1기. 1999년 1월.
評論、「石華の詩に見られるパロディー手法」(許蓮花)、『長白山』一期、一九九九年一月。
* 평론 『석화시인의 시세계(리상각글)』《문학과 예술》 11-12기. 연변문학예술연구소. 1997년 11월.
評論、「石華詩人の詩の世界」(李相珏)、『文学と芸術』十一-十二期、延辺文学芸術研究所、一九九七年十一月。
* 평론 『조용히 흐르는 사색의 무늬 -석화의 「사모곡」일별(김룡운글)』 《연변일보》.2004년6월22일.
評論、「静かに流れる思考の模様-石華の『思慕曲』一別」(金龍雲)、『延辺日報』
二〇〇四年六月二十二日。
* 대담 『연변문학의 교류와 민족어 문학의 의미(임광호)』 한국 《시안》사.
対談、「延辺文学の交流と民族語文学の意味」(李光浩)、韓国、『詩眼』社。