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精神疾患は増えているのか? こころの病と精神病のこれから斎藤正彦・東京都立松沢病院名誉院長・精神科医
2024年3月1日
厚生労働省は、3年に1回、医療機関を受療(入院・外来)した患者さんの実態を把握するために「患者調査」を実施しています。
2002年と17年のデータを比較すると、精神科の受療患者は258.4万人から419.3万人に増加。15年でおよそ1.6倍になりました。そのうち、外来患者数は223.9万人から389.1万人に増え、入院患者数は34.5万人から30.2万人に減っています。
入院患者数を疾患別に見ると、統合失調症(統合失調症型障害および妄想性障害を含む)が4.9万人減です。その他の疾患については大きな増減はないため、入院患者の減少は統合失調症患者の減少だけで説明できます。
外来患者の増加人数で最もインパクトの大きいのは、気分障害の56.1万人で、これに認知症の47.3万人、神経症性障害、ストレス関連障害および身体表現性障害の33.4万人が続きます。統合失調症は10.8万人の増加です。
今回は、これらの数字が意味するところを考えてみようと思います。
患者調査を読み解く
患者調査が公表しているのは、医療機関に受療している人の数です。特定の集団を対象にさまざまな病気の頻度や分布を調べる「疫学調査」の結果とは当然異なります。
例えば、認知症の患者数は、疫学調査の結果から現在500万~600万人と推定されます。一方、17年の患者調査の結果では、認知症患者の入院・外来の合計が70.4万人ですから、認知症患者の10%強だけが、定期的な外来診療や入院診療を受けているということになります。
患者調査における02年と17年の認知症患者数を比較すると、入院・外来の合計で3.1倍増加していますが、この15年における65歳以上の高齢人口の増加は1.4倍。17年の方が有病率は上がっているという条件を勘案しても、医療機関を受療する高齢者数の増加率の方が高いと言えるでしょう。
デイサービス施設「リハデイnoie」で、おやつを食べながら談笑する女性=東京都江戸川区で2023年6月7日、内藤絵美撮影
これは、認知症の診断を受けに外来通院する高齢者の割合が増えたことを意味します。00年に導入された介護保険のサービスを受けるためには医療機関での診断が必要なので、受診のインセンティブが高くなったせいでしょう。
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つまり、認知症という疾患については、精神医学的ニーズは限られていて、10人に1人ぐらいしか医療にかからないが、その中には福祉サービスを利用するための社会的ニーズも含まれているということになります。
同じ視点から統合失調症の患者数を見てみましょう。
統合失調症の有病率は国や人種に関係なく、人口1000人に対して7人、およそ0.7%程度と考えられています。02年、17年の外来患者と入院患者をそれぞれで合計するとどちらもおよそ70万人程度で、これは人口のおよそ0.7%になります。
そうすると、日本では、統合失調症の患者さんの大部分は医療を受けていると考えられます。つまり、疫学的に推測される患者数と、実際に医療機関にかかっている患者数がほぼ同じです。これは、認知症とは違って、統合失調症という病気が医療を必要とする病気だからです。
私が医師になったばかりの1980年代には、時々、「未治療の精神分裂病(当時はこういう病名でした)」とカルテに記載された患者さんがいました。精神医療に対する偏見が今よりずっと強く、精神疾患の息子や娘を家族が囲い込むという風習が残っていて、医療機関へのアクセスが遅れるというケースがあったのです。
統合失調症は適切な薬物療法を行えば社会的機能を維持できるのですが、未治療で長年放置されると荒廃状態に陥ります。そのため、精神分裂病という病名が一般的になる前は、「早発性痴呆」と呼ばれていました。
統合失調症の三原俊弘さんが小学4年の時に描いた牛の絵=島根県出雲市で2022年10月6日、目野創撮影
統合失調症については、日本では60~70年ごろに「病気」として医療に結び付けるべき状態と認識されるようになり、抗精神病薬の進歩、精神医療に対する偏見の緩和、さらには世帯規模の縮小によって家族で抱え込むことが難しくなったという社会的要因も相まって、発症すれば医療にかかるというようになったのだと考えられます。
気分障害増加の背景にあるもの
さて、外来患者が激増している気分障害はどうでしょうか。
気分障害には、うつ病、双極性障害(そううつ病)などが含まれます。世界保健機関(WHO)が中心となって国際的な規模で実施された疫学調査の結果を見てみましょう。
02年から06年にかけて1次調査(こころの健康についての疫学調査)、13年から15年にかけて2次調査(精神疾患の有病率等に関する大規模疫学調査研究:世界精神保健日本調査セカンド)が行われました。およそ10年の間隔を置いて行われた2回の調査で、日本人の気分障害、不安症、依存症などの有病率は若干減少か、ほとんど変化がないということが分かっています。
また、気分障害と診断された人が医療にかかっている率は1次調査で約20%、2次調査で約30%でした。一方、患者調査において、02年と17年の入院・外来患者数を比較すると1.8倍増加しています。
ここにはさまざまな意味があるでしょう。
臨床医として日々患者さんに接している精神科医の私見を述べれば、おそらく、決まった質問を読み上げ、回答をPCに入力すると診断が出てくるプログラムを用いたWHOの疫学調査ではうつ病と診断されない患者さんが、私たちの目の前に来るようになったからだと思います。
病状の定義が、精神医学的に比較的堅固で、かつ、患者さんも家族もそう診断されることを望んでいない統合失調症は、社会情勢によって患者数が大きく変わることはありません。診断基準は明確ですし、あえて、統合失調症の診断を求め、薬を飲みたがる人はいないからです。
これに対して、気分障害、特に「うつ病」については、日本社会の状況が変わるにつれて、従来の精神医学が定義していたうつ病の範囲を超えて、より広い精神状態について診断されるようになりました。
第7回大阪メンタルヘルスフォーラム=2008年8月31日
患者さんや家族の拒否感もそう強くはないので患者調査の統計に表れる患者数が増えます。特に、うつ病の診断を受けて通院することは、主観的に困難な状況に直面している人にとっては、かつてのような後ろめたさはなくなり、むしろ、診断によって守られるというケースもあり得るのです。
次に、神経症性障害、ストレス関連障害および身体表現性障害を見ていきます。
患者調査において、パニック障害、恐怖症、不安障害、強迫性障害、ストレス反応、解離障害などが含まれるこの疾患群においては、外来患者数のみ増加し、入院患者数には変化がありません。
これは、特に内科的な異常がないのに、強い体調不良を訴える心気症、自律神経障害、原因不明の疼痛(とうつう)などが、精神的な問題だと広く認識されるようになり、患者さんや家族の側の精神科治療へのハードルが低下したところが大きいと思います。
うつ病同様、患者さん以外の市民の間で、こうした疾患への偏見がなくなり、このような精神の変調がだれにでも起こるものだという認識が深まったことも外来患者数が増えた理由でしょう。
こころの医療と精神医療
松沢病院のある東京都世田谷区内に、精神科の外来医療を受けられる診療所(総合病院や精神科病院を除く)は112カ所あります。
このうち、標ぼうする診療科として精神科を最初に掲げているのは36カ所(児童精神科を含む)ありますが、「〇〇精神科クリニック」という看板を掲げているところは一つもありません。
最も多いのが「メンタル(ケア)クリニック」(24カ所)で、「こころのクリニック」などが6カ所、「こころの診療所」は2カ所。「さいとうクリニック」のように、「メンタル」や「こころ」などのフレーズがない、名前や地域名のみを掲げる診療所は11カ所ありました。
精神科の患者さんの外来が増えたのは、偏見が和らいで、精神科のハードルが低くなったからだと先ほど書きましたが、こういうところを見ると、精神科への抵抗感は、患者さんにも医師の側にも依然として強く、メンタルクリニックやこころのクリニックという名前で、その抵抗感を薄めているのだと言えるかもしれません。
東京都立松沢病院=東京都世田谷区で2021年2月22日、大西岳彦撮影
では、「精神疾患」と「こころの病」は同じものなのでしょうか。
私は、統合失調症や双極性障害など生物学的な要因が大きい精神疾患と、漠然とした不安や抑うつ状態のようなこころの病は、異なると思います。こころの病は必ずしも医学的な基礎のある概念ではないからです。
したがって、医学的な疾患として統合失調症や双極性障害などの“コアな精神疾患”の有病率は変わらず、これを治療する病院の病床は、医学的な進歩や社会施策、さらには統合失調症の発症リスク年齢人口の減少によって今後も徐々に減っていく。しかし、いわゆる“こころの病”は、家族規模の縮小による家庭内での保護機能の低下、効率優先の社会が生み出すストレスの増大などによって増えていくだろうと推測しています。
現状、こころのクリニックやメンタルクリニックといった看板を掲げる診療所を含め、精神科を標ぼうするクリニックのほぼすべては薬物療法を中心とする精神医学の訓練を受けた医師が診療にあたっています。
しかしこれから先、コアな精神疾患ではなく、その周辺のこころの不調を理由にクリニックを受診する人が増えると、医療の枠にとらわれない、もう少し別の治療法が求められるのだと考えています。
私は、精神科医として40年以上仕事をしてきました。この間に精神医療は大きく変貌しましたが、それは社会が変化したからだと思います。日本の社会は便利になり、物質的には豊かになりました。しかし、社会が持っている精神的な資源は年々枯渇しつつあるように感じます。こころの病の増加はその反映なのではないでしょうか。
このコラムは、今回でひとまず終わりにします。
私は今年72歳になりますが、心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えずどころか、いまだに迷いまくっています。また、聞いていただきたいことができたら、コラムを書きたいと思っています。
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私は、サンフランシスコ講和条約の年に千葉県船橋市で生まれた。幼稚園以外の教育はすべて国公立の学校で受け、1980年に東京大学医学部を卒業して精神科の医師となり、40年を超える職業生活のうち26年間は国立大学や都立病院から給料をもらって生活してきた。生涯に私が受け取る税金は、私が払う税金より遙かに多い。公務員として働く間、私の信条は、医師として患者に誠実であること、公務員として納税者に誠実であることだった。9年間院長を務めた東京都立松沢病院を2021年3月末で退職したが、いまでも、私は非常勤の公務員、医師であり、私の信条は変らない。