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発売されたRSウイルスワクチン=グラクソ・スミスクライン提供
小児のみならず高齢者でも重症する事例が少なくないRSウイルスには有効な治療薬がほとんどないものの、ワクチンを含めいくつかの期待できる対処法が登場するという話は2023年9月に本連載で述べました(「RSウイルス、ワクチンで安心できるのは高齢者のみ」「RSウイルスの小児への予防対策、日米間で大きなギャップ」)。24年1月、そのひとつであるRSウイルスの新しいワクチンが日本で発売されました。そこで今回はRSウイルスがどのような感染症であるかを再確認し、どういった人がこの新しいワクチンを検討すべきなのか、さらにRSウイルスにおける今後の課題について取り上げたいと思います。
かつては「乳幼児の風邪」と考えられていた
まずRSウイルスの特徴を簡単にまとめておきましょう。
▽小児から高齢者まで誰もがかかる風邪の病原体。生後1歳までに半数以上、2歳までにほぼ100%が感染する
▽基礎疾患のない成人は感染しても軽症。重症化し死亡のリスクがあるのは乳幼児と高齢者。基礎疾患を有する高齢者はリスクが高い
▽治療薬はなく、できることは解熱鎮痛薬やせき止めなどの対症療法となる
▽重症化リスクのある乳幼児に対してはパリビズマブ(商品名は「シナジス」)と呼ばれる予防薬(抗体製剤)が日本でも02年より用いられているが、適応のある疾患は先天性疾患の一部に限られる上、費用が極めて高額
▽23年、ワクチンの一つ「アレックスビー(Arexvy)」が米国のみならず日本でも承認され、24年1月に発売が開始された
RSウイルスの発見は1956年ですから風邪の病原体のなかでは「歴史」があります(風邪の病原体として最近話題になるヒトメタニューモウイルスが発見されたのは01年。新型コロナウイルスは19年)。当初はチンパンジーの風邪の原因ウイルスと考えられ、その後ヒトにも感染することが分かりました。ただし、重症化するのはほとんどが乳幼児と長年考えられてきました。私が医学部の学生だった90年代には「乳幼児の風邪」と説明されていました。
新型コロナやインフルエンザよりも少ないと見積もられる死者数
RSウイルスが乳幼児のみならず高齢者にも注意が促されるようになったのは私の印象でいえば05年ごろです。米国の当時の論文では、「米国では64歳以上の高齢者がインフルエンザA型で約3万7000人死亡、RSウイルスで約1万人死亡する」とされていました。24年1月18日時点の米疾病対策センター(CDC)のサイトには「RSウイルスにより高齢者が毎年6000人から1万人が死亡している」と記載されていますから、年によって変動するものの、多い年には約1万人が死亡することに変わりはないということになります。
では、日本ではどうでしょうか。医学誌「Influenza and Other Respiratory Viruses」22年11月11日号に掲載された論文によると、60歳以上の日本人のうち、1年間にRSウイルスに感染するのは約70万人、約6万3000人が入院し、約4500人が死亡します。
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「4500人」はどのように考えるべきでしょう。ここで過去のコラム「新型コロナ 今後の方針は3通り 選ぶカギは『死生観』」でも紹介した日本人のインフルエンザと新型コロナの年齢ごとの死亡者数をみてみましょう。奈良医大の研究者によるこの報告によれば、60歳以上の日本人が1年間にインフルエンザで死亡するのは約1万900人です。新型コロナウイルスは半年で約1万3000人とされていますから単純に2倍すると1年間で約2万6000人となります(ただし、この調査が実施されたときに比べ、コロナは軽症化し、そして内服薬が広く使われるようになりましたから、現在では減少していることが予想されます)。
これらを比較すると、60歳以上の日本人にとって死亡の原因となりやすい風邪の病原体は、新型コロナ>インフルエンザ>RSウイルスとなり、RSウイルスが最も軽いとみなされるかもしれません。ですが、RSウイルスによる死亡者の年間約4500人という数字は決して小さくありません。それに、インフルエンザと新型コロナに比べ、RSウイルスを侮ってはいけない理由が二つあります。
特効薬や簡便な検査キットがないウイルス
一つはRSウイルスには特効薬がないという事実です。上述したように、ハイリスクの乳幼児には高価な予防薬がありますが高齢者には使えません。他方、インフルエンザにはタミフル、ゾフルーザ、ラピアクタなどの特効薬がありますし、新型コロナにはレムデシビルや中和抗体薬の注射薬が複数そろっていることに加え、現在はパキロビッドやゾコーバのような内服薬もあります。
RSウイルスを侮れないもうひとつの理由は保険診療で実施できる簡便な検査がないという現実です。実際には「ない」わけではなく、15分程度で結果のわかる便利な検査キットがあるのですが、保険診療で実施できるのは1歳未満の乳児か入院中の患者に限られます。他方、インフルエンザと新型コロナは医師が疑えば誰にでも検査ができます。短時間で結果がわかる迅速検査はPCR検査ほどには精度が高くないのは事実ですが、それでも臨床上こういった検査があるのとないのでは治療のしやすさに大きな差があります。
つまり、インフルエンザや新型コロナに比べ、RSウイルスは簡易検査ができないために診断がつけにくく、また臨床的に症状などからRSウイルス感染を疑ったとしても使える薬がないのです。しかし、乳幼児のみならず高齢者も感染すれば重症化リスク、さらには死亡するリスクもあります。
安全性が高いとみられる不活化ワクチン
だからこそワクチンが期待されるのです。他にも、麻疹、風疹、おたふく風邪といった、飛沫感染または空気感染する感染症に対してワクチンが強く推奨される最大の理由は「治療薬がない」ことです。他方、水痘(みずぼうそう)や肺炎球菌の場合は、すぐれたワクチンが存在し推奨されていますが、有効な治療薬が存在するためにワクチン未接種の場合でも効果が期待できる治療があります。
私が繰り返し主張しているように、ワクチンはベネフィットとリスクをてんびんにかけて接種すべきかどうかを検討せねばなりません。治療薬がない感染症に対する有効性の高いワクチンには大きなベネフィットがあります。
では、リスク、すなわち安全性はどうでしょうか。一般に、ワクチンのみならず新しい薬が登場したときには副作用のリスクに注目すべきです。コロナワクチンが登場したとき、私が「接種してもしなくてもリスクがある」(参照「新型コロナ ワクチン接種はよく考えて」)と訴えたのは、人類が初めて使うmRNAワクチンにはデータの蓄積がなく安全性が充分に検討されていなかったからです。ではRSウイルスワクチンはどうかというと、たしかに発売されたのはつい最近ですが、これまで何十年とかけて開発されたもので、安全性が高いと考えられる不活化ワクチンです。もちろん発売されてから予想されていなかった副作用が見つかる可能性はあるわけですが、コロナワクチンが登場したときの状況とは大きく異なります。
最大の障害は接種費用約2万5000円
残された課題は「費用」です。コロナワクチンやインフルエンザワクチンと異なり、RSウイルスのワクチンには今のところ行政からの助成が一切ありません。(当院も含めて)だいたい2万5000円くらいの価格で接種しています。1回接種して生涯有効というわけではなく、だいたい2~3年ごとに追加接種が必要になると言われていますから、今後このワクチンの最大の障害となるのは費用だと思われます。
では「高齢者におけるRSウイルスとワクチン」をまとめてみましょう。
① RSウイルスは小児のみならず高齢者にとっても「死に至る病」となりうる。日本では毎年60歳以上の約4500人がRSウイルスで死亡している
② RSウイルスには特効薬がなく、検査は成人の場合は入院したときにしか受けられない
③ 有効なワクチンが登場したが、費用が高いのが欠点で、現在は助成がない
特記のない写真はゲッティ
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谷口恭
谷口医院院長
たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。