コレア百景やまと百景99
最後のホテル考3 輪廻する地球
空想と願望を込めて、あの世には天国、極楽、桃源郷、ユートピア、アルカディア……と楽しげな言葉が置かれますが、来世は現世の人間が作り上げた仮想にすぎず、それが本当であるかどうかはまだ実証されていません。男が女の心を覗けないように人間はあの世の実態を見ることはできないわけです。
しかし深海底を覗き、太陽系の外まで人工物を送った人類は、あくなき探究心をもって死後の世界を尋ねます。立花隆は、死の淵を見て戻った人に取材して「臨死体験」を現しました。キューブラ・ロスは、15,000例もの臨床経験から「死は恐れることはない」と言い切りました。医療と呼ぶより、人間のもつ好奇心から、死の本質を覗こうとする努力が続けられています。
しかし文字で書かれた死後論はどこまでも観念的です。死の淵をさまよった他人の感想を組みあわせても、それが本当かどうかは自分が経験するまで分からないからです。死を学問として捉える「死学」を提唱する人もいますが、言葉を組み合わせて死を探る学問には原理的な限界があるはずです。死は個人に与えられるものだから個人で感じる他ないのでしょう。言葉で語られた死は、死の一部でしかありません。
そんなことより宇宙物理学の方が面白いです。東京大学の松井孝典は、「人間圏、生物圏、物質圏」とわけて「おばあさんが人口爆発の原因を作った」「やがて太陽が膨張して地球はガスになる」と面白いことを言う人なので5冊まとめて本を買いました。天文学に名をかりた文学ではないかと思わせる「松井教授の東大駒場講義録」末尾は、地球の崩壊が、映画を思わせる筆で淡々と描かれます。アホくさい小説の100万倍も面白いので地球の「最後のホテル」を紹介します。
興味深いのは、光度を増す太陽と二酸化炭素による温度調節論です。太陽が輝きを増す。地球が温まる。海水が蒸発し、雲になり、大気中の二酸化炭素を溶かした雨が降る。二酸化炭素が薄くなる。温室効果が弱くなる。地球は冷える、というわけです。もちろんその逆もあって、水と二酸化炭素の惑星は、太陽の光量にかかわらず、みずからを温度調節してきました。人間が汗をかいたり、犬が長い舌で息をするようなもので、宇宙から眺めた青い地球は生き物です。宇宙科学の現場から輪廻思想が実感されます。最終講義の末尾を引用します。長いですけど愉しんでください。
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「では未来はどうなるか。結論を先にいうと、地表温度を大気中の二酸化炭素濃度で調節する地球システムのメカニズムは、あと5億年ぐらいしか続きません。太陽光度の増加による温度上昇と相殺するように、大気中の二酸化炭素量は、ぎざぎざと波打ちながらだんだんと減ってきています。我々が大気に全く擾乱を与えない、つまり二酸化炭素を出さないとすると、5億年後には大気中の二酸化炭素が現在の10分の1くらいになってしまいます。こうなると普通の光合成生物は光合成ができなくなります。生態系は光合成生物による有機物合成が基本になっていますが、5億年後には二酸化炭素濃度が低くなりすぎて現在の生態系は維持できなくなります。つまりあと5億年で、地球上から生物圏が消えてなくなるのです。
二酸化炭素レベルが現在の10分の1、何10ppmというレベルになると、太陽の温度上昇を大気中の二酸化炭素でコントロールするという地球の応答メカニズムも機能しません。温室効果の寄与が下がって、太陽放射による温度上昇が勝ってしまうわけです。地球の未来においては、太陽光度の上昇がもろに地表環境を支配し、したがって地表温度も上昇します。10億年、20億年という時間単位でみれば、地表温度は何10度という単位で上がり、海からの蒸発が増えます。水蒸気は温室効果をもっていますから、その結果、地表温度はさらに上がっていく。これがいわゆる暴走温室効果です。実際には暴走はせず、多少違うメカニズムが働くと考えられていますが、いずれよせよ、20億年後ぐらいには海がすべて蒸発して、干上がってしまう。かつて金星で起こったことが、地球の未来にも起こることが予想されるわけです。水分だけでなく最終的には岩石に固定されていた二酸化炭素も蒸発しますから、こうなると、まさに金星と同じような大気になる。もちろん温度もますますあがります。
太陽はその構造を維持するもとでもある燃料の水素がどんどん減り、内部構造が変化して重力的な安定が失われていきます。最終的にどうなるかというと、重力的に不均衡な状態になり、その結果膨張し、赤色巨星という、主系列状態とは違う状態の星になっていきます。これは今から50億年くらい先の話ですが、膨張した太陽の表層は地球の軌道付近にまで達し、そ結果地球はどろどろに溶けてしまいます。表面だけではなく地球全体が溶けて蒸発し、ガスとなって銀河系宇宙へ散っていく。これが地球の未来です。
ここに至るまでの段階で、地球システムの構成要素として最初になくなるのはたぶん人間圏でしょう。ついで生物圏が失われ、その後、海、大陸とこれまでの地球史で分化してきた物質圏が、その誕生順とは逆の順で消滅し、より均質な最初の状態に戻っていくというのが地球の未来のシナリオです。我々人類の存在ということでいえば、たとえ生物圏の種の一つとして生き残ったとしても、あと5億年で失われてしまいます。人間圏はそのままでいいのか。われわれは、我々と人間圏についてどんな未来を描きたいか。みなさんの考え方次第で、その未来は大きく変わっていくはずです。
以上で講義は終わります。最後は時間がなくなり、だいぶ省略しましたが、11回にわたって話してきた内容の大半は、ここ10年、15年以内に判った事柄です。これらの新事実の発見によって地球惑星科学、あるいは古生物も含めた生物関係の学問はドラスティックに変わりつつあります。まだ判っていなことは山のようにありますか、だからこそ学問としては非常に面白い、ともいえるわけです。」p227
松井孝典
「松井教授の東大駒場講義録」
集英社文庫2005年刊
そのようなワケで地球の「最後のホテル」は50億先の話になりますが、50代の人間にとっては50年先も50億年先も同じことです。世界で最も早い乗り物は意識です。意識さえすれば、ぼくらの認識はかるがると遠未来へ到着します。
その遠未来の地球は、死んで「最後のホテル」に入ったのかというと、そうではなくて物質もエネルギーも不変ですから、形を変えるだけです。すなわち「ガスとなって銀河系宇宙へ散っていく」のであって、物質そのものが消えるわけではありません。蒸発した地球のガスは、再び固定され、惑星となり、冷えて、分化し、生命を育むのでしょう。すると地球も輪廻することになります。人類が発明した最も美しい幻想は輪廻思想です。
食えるのにもっとお金を欲しがったり、奥さんじゃない女の人によろめいたりするのも人生ですが、松井教授みたいに火星探査機が送ってくる宇宙誌を見て役満こさえたかの如く興奮するのも人生です。紙と鉛筆があれば認識はとめどもなく広がります。認識の喜びは地球を汚さない健全な遊びなので、息子に墓地を買わせた母親が、もしもおいらを賢く産んでいたら東京大学物理学教室に入っとけばよかったと思うこの頃です。ちょめ ( > < ”)
070517助村栄