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亡き飼い主を渋谷駅で待ち続け映画にもなった忠犬ハチ公。今年、生誕100年でイベントが開かれるなど時代を超えて人気が続く。そうした中、生前のハチ公が子どもたちと写る写真が見つかり、当時の人気ぶりを示す資料として注目されている。
水野倫之解説委員の解説。
ハチ公生まれて100年たっても人気が続いている。まずは外国人に大人気。
ハチ公と言えば渋谷駅前の銅像が有名。
先週取材に行ったところ、多くの外国人観光客が写真撮影の順番待ちで列をなしていた。
アメリカからの観光客は…。
「 36年前、ロサンゼルスで映画を見て、とても感動しました。今35年ぶりに泣きたい気分です。私はこの像を見に来たかったんです。ハチ公は飼い主をとても愛していましたし、飼い主もハチを愛していました。」
そもそもハチ公はどんな経緯で忠犬として有名になったのか。
ここからは紙芝居、ハチ公物語を。
時は100年前の大正ロマンの頃、秋田県は今の大館市で一匹の秋田いぬが誕生。
ほどなく秋田から、渋谷は松濤に住む大の犬好きの東京大学の教授のもとへと。教授はハチと名付け、一緒に寝るほどかわいがり、愛情を注いだ。
ハチも教授の送り迎えで渋谷駅にも何度も通っていた。
ところが幸せな日々は長くは続かない。教授はある日、大学で倒れ、帰らぬ人となってしまう。
そんなことを夢にも知らぬハチ公はその後も教授を迎えに雨の日も雪の日も、何と10年近く渋谷駅に通い続けることになる。
という話が「 いとしや老犬物語」として昭和7年に新聞に載るや、ハチ公は忠犬として一躍国民的な人気者に。
ハチ公を見に渋谷駅には大勢の人が詰めかけ、生きているのに銅像も建った。
しかし昭和10年、ハチ公は渋谷駅近くで死ぬ。
駅では盛大な葬儀が行われ、人々がハチ公に手を合わせる様子を伝える新聞記事に、多くの国民が涙した。
当時は何も東京の人だけではなく、全国からハチ公見たさにわざわざ観光で渋谷を訪れる人も多くいて、ハチ公が東京観光の目玉の一つだったとも言われている。
ただ本当に全国から来ていたのか証明する資料がなかったが、生誕100年に合わせてハチ公展を開催中の渋谷区の博物館に先月、 1枚の写真が提供された。それがこちら。
3人の子どもが、銅像前で秋田犬とともに写っている。
よくある記念写真だが、ここに当時のハチ公人気の高さを垣間見ることができるという。
まずハチ公に詳しい博物館の松井学芸員によると、秋田いぬは首輪の特徴からハチ公と断定できると言うこと。
そして写真を提供した神奈川県在住の大島健一さんによると、写真はすでに亡くなった父親が保管していたもので、当時小学生だった父親が真ん中に、左右に叔父と叔母が写っていると言うこと。
そして叔父によると、当時兵庫県に住んでいたきょうだいは、昭和9年の夏休みに母親に連れられて渋谷を訪れ、駅前にあった写真館に頼んで、駅前にいたハチ公とともに銅像前で記念撮影をしたということ。
当時有名になったハチ公を子どもたちが見たいと言ったか、教育熱心だった母親がぜひ見せてやりたいと考えたのではないかと。
当時の写真撮影は今と違って大型機材を使って時間もかかった。
ハチ公に銅像前に長くいてもらうためには何か必要だと言うことで、母親が、おそらく写真館の人に頼んで近くの肉屋で肉を買って与えたということで、ハチ公は肉を食べているため下を向いてじっとしてくれていたということ。
当時渋谷には市電の停車場があったが、叔父は、運転士が窓をあけて撮影の様子をニコニコ眺めている様子や、逆に通行人から「 犬に赤肉なんか与えて」と苦情めいたことを言われたことも覚えていたと言うこと。
松井圭太 学芸員
「 この写真、非常に歴史的にも意義深い写真でして。とにかくハチ公の人気はすごくて、この子たちはハチ公と一緒に写った写真を持っていることが自慢だったと思う。だから年をいかれても大切にしまっておいたのできっと戦争をこえて残ったんだと思います。」
博物館にはほかにも子どもたちからの人気ぶりを示すものが展示。
こちらは当時発売されたハチ公チョコレート。犬の形で子どもたちに人気だった。
またハチ公クレヨンなど文房具も発売。
さらに当時は子どもたちが渋谷駅の駅長あてに手紙を送っていた。
こちらハチ公が初めて新聞に載った時のもので、青山しはんふぞく小がっこう、今の東京学芸大学附属の小学校と思われるが、その女子児童からで、「 しんぶんにでていたハチ公のおはなしをお母さまにうかがいました。がっこうにゆくみちで、よくみていましたので、かわいそうにおもいます。少しですが おこずかいのうち2えんおおくりいたします。ぎゅうにゅうでもやっていただけませんか。」
「 おせわしい中を、ごむりおねがいして、すみません。おたのみいたします。」
こちらはハチ公が死んだ時の手紙で、同じく小学生から、
「 ああハチ公ちゃん わらわは毎日ハチちゃんがご主人のお帰りを待つ澁谷駅から通學する一小學生です」
「 ハチちゃん わらわは母が亡いのです ハチちゃんがご主人を待つ心とわらわが母を想う心とは、形は違ってもその思慕の念は同じです。」
「 家に歸ってハチちゃんの新聞記事や今日の澁谷駅の模様をお話しして、お父さまと共に泣きました」
子どもの悲しい思いがひしひしと伝わってくる手紙。
そしてこのハチ公人気、100年近くたった令和の現在も健在。
こちら、生誕100年を記念して8月に渋谷で開かれたイベント。
ハチ公の着ぐるみが通れば周りの人がスマホを向け、お披露目されたハチ公の金ぱく像にもカメラを向ける。
会場には企業や関連する自治体のブースが設置され、ハチ公クッキーなどお菓子が販売されていたほか、ハチ公のトイレットペーパーもお目見えし、多くの人が手にしていた。
ハチ公が生まれたのは100年前の11月、今後生まれ故郷の大館市などでも関連イベントが計画されています。
誕生から100年を祝ってもらえる犬は、そう多くはいない。今後もハチ公人気は続く。
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