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2024年1月2日、羽田空港で日本航空の旅客機と海上保安庁の航空機が衝突しました。この事故で、海上保安庁の5人が死亡し、1人が大けがをしました。また、日本航空機の一部の乗客もけがをしました。日本航空機は、年末年始の帰省客などを乗せていました。海上保安庁の航空機は、能登半島地震の被災地に物資を運ぶため、新潟に向かうところでした。
滑走路上で2つの機体が衝突した今回の事故、何があったのでしょうか。
事故の概要、今後の原因究明のポイントなどについて考えます。
事故が起きたのは、1月2日午後5時47分ころです。新千歳空港から羽田空港に向かっていた日本航空516便が、羽田空港に着陸した際、滑走路上にいた海上保安庁の航空機と衝突しました。双方が炎上しました。
衝突し火を上げる両機
炎上する日本航空516便
翼部分が残った日本航空機(1月3日)
海上保安庁の側は6人が乗っていました。5人が死亡、機長は脱出しましたが、大けがをしました。日本航空機は、乗客と乗員合わせて376人が乗っていましたが、脱出スライドを使って、全員が脱出しました。15人がけがなどで医療機関を受診しました。
上の図は羽田空港で、オレンジ色部分が「C滑走路」です。日本航空機は、図の右、空港南側から着陸し、その直後に海上保安庁の航空機と衝突しました。機体は、さらに滑走路を進んで止まり、炎上しました。
着陸直前の滑走路に、他の航空機が入ることはあってはなりません。では、なぜ滑走路内に海上保安庁の航空機がいたのでしょうか。
日本航空は、乗員の話として「着陸許可を得て、着陸操作を実施した」としています。一方、海上保安庁の機長は、聞き取り調査に対して、「滑走路に入る許可を得ていた」と話しているということです。
証言の通りであれば、管制官が2つの航空機に滑走路に入る許可を出したことになります。
しかし、航空機と管制官の交信記録からは、許可が出されたのは一方だけだったことが読み取れます。
管制官は、日本航空機に対して午後5時43分から交信を行っています。「着陸操作の継続」について、やりとりした後、5時44分に「C滑走路、着陸支障なし」と伝えています。これは管制官が「着陸許可」を出したことを意味します。乗員の話と一致します。そして、復唱して確認しています。
一方、海上保安庁の航空機は、どうでしょうか。
直後の5時45分、管制官から「C-5上の停止位置まで地上走行」するよう伝えられています。これは、滑走路の脇の「C-5」という位置で停止するという指示です。海上保安庁の航空機側は「停止位置C-5に向かう」と復唱・確認しています。これが、管制官との最後の交信です。
このやりとりで重要なのは、管制官から海上保安庁の航空機に対して、滑走路に入る許可が出されていない点です。
滑走路に入るには、管制官から「滑走路の中に入ることの許可」、あるいは、滑走路に入ってそのまま離陸することを意味する「離陸許可」が必要ですが、いずれの許可も出されていません。交信記録は、「許可を得ていた」とする海上保安庁の機長の認識と食い違います。
この食い違いが、なぜ起きたのかが、原因究明の焦点になるとみられます。
原因を考える上でポイントとなるのは、なぜ海上保安庁の航空機側がC滑走路に入る許可を得たと考えたのかです。コックピット=操縦室には、機長と副機長がいます。仮に一方が、なんらか思い違いをしても、同じ交信を聞いているもう一方が、許可を得ていないことに気づくことができたのではないか、あるいは2人とも思い違いをしていたのでしょうか。
この点の解明には、コックピットの会話を録音した「ボイス・レコーダー」がカギになるとみられます。海上保安庁の機体からはボイス・レコーダーは、回収されています。国の運輸安全委員会が分析を進めています。
では、滑走路に入った海上保安庁の航空機との衝突を回避することはできなかったのでしょうか。
一般に、着陸前に滑走路に異常が見つかれば、着陸のやり直し、いわゆる「ゴー・アラウンド」という方法がとられます。しかし、日本航空のパイロットは、滑走路上の航空機を目視できなかったということです。すでに日没から1時間以上が経過して、暗かったことが影響しているかもしれません。
では、管制官はどうしていたのでしょうか。
国土交通省によると、C滑走路については、2人の管制官が担当していました。1人がC滑走路を中心に受け持ち、もう一人が誘導路などを受け持っていたということです。それぞれ同時に複数の航空機を扱っていたということで、海上保安庁の航空機が誤ってC滑走路に入っていることに気づかなかった可能性があります。
衝突までを見てきましたが、今回の事故では、衝突の後、日本航空機からは乗客・乗員全員が脱出しました。
機内で出火し始めた日本航空516便(1月2日午後6時6分ごろ)
上の画像は、NHKが事故を伝えたときの映像です。窓から機内に火が見えます。実は脱出が完了したのは、この画像が撮影された時刻のわずか1~2分ほど前でした。
日本航空機が着陸したのが、午後5時47分です。直後に衝突して、およそ1キロ先で止まりました。この機体には左右に4か所ずつ、合わせて8か所の非常口があります。このうち、最も前の左右2か所の非常口は、コックピット=操縦室からの指示を受けて、ドアをあけました。
他の5か所の非常口は、外で火災が発生していたため、あけるのは危険と判断されました。最後尾、左側の非常口は脱出できました。このとき、機内のインターフォンが通じなくなっていたため、コックピットと連絡が取れませんでしたが、客室乗務員が自らの判断で非常口をあけて、乗客を避難させたということです。
そして機長が、全員の脱出を確認して最後に脱出スライドから降りたということです。この時刻が6時5分。着陸から18分後でした。
379人全員が脱出できたことについて、専門家などからは、乗員が毎年受けている訓練による技術とともに、乗客が「逃げるときは荷物を持たない」というルールを守り、素早く行動し、協力したためではないかと指摘されています。
ただ、今回、脱出した後、比較的機体の周辺にとどまる人が、少なからずいたとみられています。本来は、できるだけ機体から離れることが必要です。爆発などの危険があるためです。今回は、乗務員がそうした乗客たちを、さらに遠くに移動するよう誘導したということです。
みてきたように、これまでのところ事故につながるような機器の故障やトラブルは報告されていません。事故の原因は、いわゆる「ヒューマンエラー」である可能性が高いと考えられます。
関係者への聴取とともに、飛行記録の「フライト・データ・レコーダー」やコックピット内の会話を記録した「ボイス・レコーダー」の解析を進めて、事故の原因に迫る必要があります。
そして、指摘しておきたいのは、今回、これだけの事故がおきたのに、衝突するまで、ないし衝突直前まで、当事者がその危険を誰も認識していなかった可能性があるという点です。
国の運輸安全委員会の調査が始まっています。羽田空港の安全管理は十分だったのか、見直す点はないのか。航空機の安全を構築していくため、事故の原因究明と再発防止に向け、徹底した調査が求められています。
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