1946(昭和21)『ばあやたずねて』 歌唱:川田正
作詞:斎藤信夫/作曲:海沼 實/
https://www.youtube.com/watch?v=YwOONaLB_QU
職場のデイサービスでは、この歌を知っていた人は約5%くらいしかいませんでした。 特に歌が好きでコーラス等をやっていた人は、懐かしそうにに歌っていました。
名作『里の秋』や『蛙の笛』と同じ斎藤信夫と海沼 實コンビによる作品です。 この美しい詩を生み出した斎藤信夫は、小学校教員のかたわら、毎日一つ童謡を作り続けていました。川田正子によると、“戦時中は、生徒たちを前に「日本は必ず勝つ。君たちもお国のために尽くして欲しい」などと言ったこともあるそうです。斎藤先生はこのことをとても悔いていて、終戦後、教師を辞めました。「自分には教師としての責任がある。自分は罪深い人間だった」と思い詰めて語るような人でした”
(川田正子著『童謡は心のふるさと』(東京新聞出版局)より抜粋)。
「池田小百合なっとく童謡・唱歌」より
ばあやたずねて
作詞:斎藤信夫、作曲:海沼実
1
森かげの白い道
かたかたと馬車は駈けるよ
あかい空 青い流れ
ばあやの里はなつかしいよ
2
くりの花かおる道
ほろほろと夢はゆれるよ
枝の鳥ちちと鳴いて
ばあやの里はなつかしいよ
3
思い出の長い道
とぼとぼと馬車は進むよ
暮れの鐘 招くあかり
ばあやの里はなつかしいよ
《蛇足》 数々の傑作童謡を生んだ斎藤信夫・海沼実コンビによる作品の1つ。詩は昭和16年(1941)8月22日に、曲は昭和21年(1946)夏に作られました。
斎藤信夫と海沼実の出会いについては、『里の秋』をご覧ください。
斎藤信夫は、明治44年(1911)3月3日、千葉県山武郡南郷村(現・成東町)五木田で生まれました。小学校教員のかたわら、毎日1つ童謡を作っていたといいます。名作『蛙の笛』は、敗戦後教師を辞める直前の作品、『夢のお馬車』は教師を辞めたあと何をしようかと模索していた時期の作品です。
斎藤信夫の子ども時代、近所にばあやのいる裕福な家があって、とても羨ましく思っていたこと、また九十九里浜から彼の村まで乗合馬車が開通し、ぜひ乗りたかったのに、果たせないまま廃線になってしまったこと――この詩は、そうした思い出から生まれた作品ということです。
ばあやとは裕福な家に雇われて子育てや家事を手伝う女性のことで、多くの場合乳母の親称です。
子どもが成長して手がかからなくなると、ばあやは実家に戻るのが一般的でした。その場合でも、子どもとの交流が長く続いたケースが多かったようです。この歌でも、ばあやの実家を子どもが訪ねるという設定になっています。
肉親か他人かにかかわらず、ひとは自分を育ててくれたひとに愛情を持つものです。まあ、育て方にもよるでしょうが。
下村湖人の自伝的大河小説『次郎物語』で、主人公の次郎は、母親の独自の教育論に従って、小学校の用務員の妻・お浜に預けられます。次郎の家から与えられる飯米目当てに養育を引き受けたお浜でしたが、やがて損得抜きで愛情を次郎に注ぐようになります。
少し成長した次郎は生家に戻されますが、実母になかなかなじめず、何度もお浜の許に逃げ帰ります。
第一部では、この次郎とお浜・実母との関係が主要なテーマになっています。
(二木紘三)