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今となってはにわかに信じられないことですが、北朝鮮が核実験や弾道ミサイルの発射を中断してアメリカとの対話に乗り出していた時期がありました。北朝鮮は核開発を諦めるのか?そんな期待はベトナムのハノイで行われた当時のキム・ジョンウン委員長とトランプ大統領との2回目の首脳会談が物別れに終わり、あっけなく吹き飛んでしまいました。今から5年前のことです。北朝鮮の核開発を止めさせるための米朝協議はなぜ失敗してしまったのでしょうか?当時のトランプ政権高官の証言などによってその理由が次第に明らかになってきました。
【解説のポイント】
解説のポイントです。
▽ハノイでの首脳会談に先立ってアメリカ政府は合意文書の草案を作成していました。
しかしその草案が日の目を見ることはありませんでした。
▽背景には北朝鮮への対応をめぐるトランプ政権内での意見の対立がありました。
▽最後に、ハノイでの失敗を教訓に私たちは何を学び、何をなすべきなのか考えたいと思います。
まず5年前の出来事を簡単に振り返ります。
5年前の2月27日、ベトナムの首都ハノイで始まった2回目の米朝首脳会談の焦点は、その8か月前、キム委員長がシンガポールで約束した朝鮮半島の完全な非核化を実現するための具体的な道筋をつけることでした。
ピョンヤンから列車でおよそ60時間かけてハノイに到着したキム委員長は、2日間にわたってトランプ大統領との首脳会談に臨みました。最終日には昼食会や合意文書の署名式が予定されていましたが、両者の主張は最後まで平行線を辿り、会談は物別れに終わってしまったのです。
【幻に終わった合意文書】
首脳会談に先立ってアメリカ国務省では北朝鮮問題担当のビーガン特別代表が中心になって合意文書の草案をまとめていました。
その詳細は明らかにされていませんが、当時の交渉担当者などの話を総合しますと草案は次の5つの柱から成り立っていました。
▽ 朝鮮戦争の終戦宣言
▽ 朝鮮戦争中に死亡したアメリカ人兵士の遺骨返還
▽ 相互連絡事務所の設置
▽ 北朝鮮支援会議の開催
関係者によるとこの4点については概ね双方が合意していたということです。
問題は5つ目の柱、
▽ 北朝鮮による非核化と制裁の解除でした。
このもっとも重要な点で合意できるかどうかが首脳会談での最大の焦点でした。
【トランプ政権内の対立】
当時、トランプ政権内には2つの異なる考え方がありました。
国務省のビーガン特別代表ら実務者グループは、北朝鮮との対話を通じて段階的な非核化を実現する立場、非核化に向けた最初のステップとしての小さな合意を目指していました。合意文書の草案はこうした考えに沿って作成されていました。
これに対してホワイトハウスのボルトン大統領補佐官ら強硬派は、完全な非核化が実現するまでは制裁の手を緩めず圧力をかけ続けるべきだと主張、目指すべきは大きな合意、それができなければ交渉は決裂してもよいという立場でした。
ハノイに向かう途中、合意文書の草案に初めて目を通したボルトン補佐官は回顧録の中で「まるで北朝鮮側が書いたかのようだった」と振り返っています。
「北朝鮮に騙されるな!」ボルトン補佐官らは大統領を説得すべく巻き返しを図ります。
ハノイでの首脳会談は、こうした意見の対立を抱えたまま本番を迎えたのです。
会談に同席していた当時のポンペイオ国務長官によりますと、初日の会談でキム委員長は「アメリカが経済制裁を完全に解除すれば、ニョンビョンにある核施設を解体する」と申し出ました。しかしそれだけでは到底制裁を解除することはできないというのがボルトン補佐官らの主張でした。この時すでにアメリカ政府は、ニョンビョンの他にも核施設があることを把握していたからです。トランプ大統領はキム委員長の提案を即座に撥ねつけます。
17回にわたってトランプ大統領にインタビューをしたジャーナリストのボブ・ウッドワード氏はこの時の2人の生々しいやりとりを次のように記しています。
(ウッドワード著「RAGE」より)
トランプ大統領:「5か所の核施設すべてを放棄しなければダメだ」
キム委員長:「しかしニョンビョンは最大の施設だ・・・」
トランプ大統領:「ああ、それにもっとも古い・・・私は5か所の施設すべてのことをほかの誰よりも知っている・・・あなたは協定を結ぶ準備ができていない。あなたは私の友人だ。・・・しかし協定を結ぶ用意がないのなら、私たちは帰るしかない」
キム委員長はニョンビョンの核施設の放棄を持ち出せばアメリカから譲歩が引き出せると過信していたようです。この場に立ち会っていたポンペイオ氏は「北朝鮮側の交渉担当者とキム委員長との間に大きな溝があったようだ」と振り返っています。
こうして2日間に及んだ協議は物別れに終わりました。その後、北朝鮮は中断していた弾道ミサイルの発射を再開、核・ミサイル開発を加速していきます。
【なぜ決裂したのか】
交渉の経緯に詳しい早稲田大学大学院の李鍾元(リー・ジョンウォン)教授は、ハノイ会談に臨んだ両首脳の思惑の違いが、交渉が決裂した要因だと分析しています。
キム委員長がニョンビョンの核施設の廃棄と引き換えに制裁の解除を望んでいたのに対し、トランプ大統領は小さな合意ではなく、当時、取り沙汰されていた自身のスキャンダルを吹き飛ばすようなインパクトのある結果を望んでいたというのです。
(早稲田大学大学院 李鍾元教授インタビュー)
「キム委員長もトランプ大統領もそれぞれ大きな成果=ビッグディールを望んでいたと思うが、色々な経緯があってそれぞれが考えたビッグディールのビッグの意味が違ったり、かけ離れたりすれ違ったりしていたのが決裂の最大の要因だと思う。核問題が一歩も進展できなかったという意味では失敗と言わざるを得ないと思う」
2004年から2010年にかけて7回も北朝鮮を訪れニョンビョンの核施設も視察したこともあるアメリカの核科学者ジークフリート・ヘッカー博士は最近出版した著書の中で、ハノイ会談についてこのように指摘しています。
「北朝鮮の核開発の脅威を取り除く絶好の機会を失ってしまった。もしあの時、北朝鮮の提案を受け入れていれば、ニョンビョンでの核開発は停止され、核開発の実態を把握することもできたはずだ」
一度に完全な非核化を実現することはできなくても、北朝鮮を交渉の場につなぎ留めておくことはできたのではないか、というのがヘッカー博士の主張です。
歴史にイフ(もしも)はないと言いますが、ハノイ会談の決裂によって、結果的に北朝鮮はアメリカとの協議への意欲を失い、核・ミサイル開発に突き進んでいきました。
ハノイ会談が決裂してからもうすぐ5年、キム委員長の妹のキム・ヨジョン氏は15日、個人的見解と断りながらも国営の朝鮮中央通信を通じてこのような談話を発表しました。
「岸田首相がピョンヤンを訪問する日が来るかもしれない」
もちろんその意図や思惑を慎重に見極める必要があります。
「拉致・核・ミサイルを包括的に解決する」というのが日本政府の一貫した方針です。
ただ数少ない対話のチャンスを逃せば、北朝鮮の暴走を許してしまうということを、私たちはハノイでの失敗の教訓から学びました。北朝鮮の核・ミサイルの脅威は日に日に増しています。北朝鮮を対話の場に引き戻すために、何らかのアクションを起こす時が来ているのではないでしょうか。
【参考文献】
李鍾元(2023) 「トランプ・金正恩会談から5年 米国から見た北朝鮮」
『東亜 No.673』 霞山会
Bolton, John (2020) The Room Where It Happened:
A White House Memoir. P323 Simon & Schuster
Pompeo, Mike (2023) Never Give an Inch:
Fighting for the America I Love. P198-199
Broadside Books
Hecker, Siegfried (2023) Hinge Points:
An Inside Look at North Korea’s Nuclear Program. P342
Stanford University Press
Woodward, Bob (2020) Rage: P175-176 Simon & Schuster
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