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午後七時を迎える十分前。
バタバタと副長室へやって来たのは土方の小姓であるテツだった。
「副長! 加藤様の迎えの方がいらっしゃいました!」
「おう。分かった。今行く」
テツと近藤には今晩、加藤との接待があることを伝えており、テツには門衛も任せていた為、すんなりと土方に加藤の到着が知らされた。
隊服にコートを羽織った土方が門へと向かう前に近藤へ一言伝えれば事情の知らない近藤は笑顔で〝よろしくな!〟と土方を送り出した。
「お待たせしました」
加藤の付き人が運転する車へと乗り込もうとしたが、そこに加藤の姿は無い。
「?」
「加藤は業務が早く終わりましたので、先にお待ちです」
「そうでしたか」
困惑する土方へ、すかさずフォローを入れる付き人に頷き今度こそ車の中へと乗り込んだ。
車に揺られながら土方は沖田や坂田と遭遇しなかったことに心底ホッとしていた。沖田に見付かれば途端にわざとらしく坂田を呼ぶだろうし、坂田に遭遇すれば嫌味なことを言われるのは間違いない。つまるところ、土方は出掛ける前に坂田に会いたくなかった、ということだ。
「着きました」
「!」
車に揺られること二十分。目的地の料亭は幕臣御用達の料亭だということが一目で分かる。
護衛で来ることがあっても、中で食事というは初めてだった。
加藤から聞いていたらしい女将が〝ようこそ〟と深く頭を下げる姿に、自分にはほとほと場違いな場所だと思った。こんな料亭よりも、大衆居酒屋で、仲間達とバカみたいに安い酒を飲み比べている方が自分には合っていると、失礼ながら土方は胸の内で軽く溜め息を吐いた。
「こちらです」
案内された鶴の間の襖を女将がそっと開けると、中には既に酒を嗜んでいる加藤が居た。
「加藤様、お待たせしてしまって申し訳ございません」
「いやいや、時間通りだよ。土方殿。君、もう下がって良いよ」
「失礼致します」
女将が襖を閉めて立ち去った時、不意に土方の鼻腔に嗅ぎ覚えのある匂いが漂った。
はて、この匂いはどこで、と思案した矢先、加藤が座るように声を掛ける。
「失礼します」
ハッとして加藤の向かいに腰を下ろすと加藤は土方へハトメ紐付きの大型茶封筒を差し出した。
「早速で悪いが、見てごらん」
「拝見します。…………っ!?」
くるくると留め紐を外して封筒から五、六枚の書類を取り出しその一枚を手にした土方はひゅ、と息を飲んだ。
そこに記されているのは坂田銀時の、過去。
「………」
かつて吉田松陽の元で過ごし、学んだ彼は、その師を国に奪われた。
幕府の決定に背き、師を取り戻すために攘夷戦争に参加し、多くの仲間を失う。
その仲間には、今も攘夷浪士として活動している高杉晋助と桂小太郎の名と、今は宇宙で商いをしている坂本辰馬の名前が記されていた。
「……加藤様、失礼ですがこの情報はどちらで?」
「疑うのも無理はないが、私にも色々ツテはあるのだよ」
「………」
「攘夷戦争当時、彼は〝白夜叉〟と名を馳せていたそうだ」
「……、!」
加藤の言葉を聞きながら、別の書類に目を移した土方は再び驚きに目を見開く。
その書類は他とは違い、原本の写しのようだった。その原本には〝罪人名簿〟と記されており、一覧の中に坂田銀時の名が載っている。
「土方殿、そこに名がある彼は間違いなく罪人だよ。まぁ、打首の刑直前に上手いこと逃げ出したのか、はたまた逃げる手助けをした者が居たのか、定かでないがね」
ごくごく、と手元の酒を呷る加藤に土方は黙り込んだ。
これまでの書類なら偽造も十分に考えられたが、罪人名簿の偽造までは流石に難しいはず。そうなると、この情報は全て〝事実〟ということになってしまう。
「この事をご存知なのは……」
「今のところ私だけだね」
その言葉に土方が安心したのも束の間、加藤は土方のその表情を待っていたというようにニヤリと口角を上げた。
「だが、私はこの事実を公表すべきだと考えているよ」
「!!」
「元攘夷志士が警察なんておかしいとは思わんかね。桂や高杉一派と繋がっている可能性も無いとは言いきれん」
「待ってください! 坂田はかつて桂や高杉と共に攘夷戦争に参加していたかもしれませんが、今は!」
「交流がないと断言出来るのかね」
「……それは、」
断言出来る、と。あいつはそんな奴じゃない、と言い切れるほど、自分は坂田のことを知らない。けれど信じたい気持ちが先行して〝断言出来る〟と答えても、証拠を見せろと言われてしまえば打つ手無しだ。黙り込む土方へ、加藤が硬い声で続けた。
「それに、土方殿、これは坂田くん一人の問題ではないと私は考えている。……松平殿や近藤殿は本当に知らないのかね?」
「!」
「知らないとしても、知っていたとしてもどっちにしろ問題だということは土方殿も分かっているだろう?」
加藤の言う通りだった。仮に松平と近藤が知っていたとしたら、二人はその事実を伏せて坂田を真選組に入隊させたことになる。逆に知らなかったとしても、入隊前に坂田を洗わなかった失態を詰められることになる。それは、加藤の言う組の存続に関わる話だった。
「……加藤様、その話は一旦、胸の内に留めておいてはくれませんでしょうか」
向かい合う形だった体勢から土方は加藤の傍までより深く頭を下げた。今はこの方法しか浮かばない。
「断る」
「っ、」
しかし加藤はにべも無く土方の頼みを切り捨てた。元より、加藤の目的は別にある。
それを果たすためか、加藤は〝だが、〟と言葉を続けた。
「私も真選組が無くなってしまうのは実に悲しい」
「………」
「土方殿、全ては君次第だ」
「……と、言うのは……、」
「分からないかね?」
顔を上げて加藤を見れば、その瞳は邪な欲に塗れていた。途端、ぞわりと怖気立つ。
自分は男だと言うのに、女に向けるような欲の孕んだ眼を過去に何度も浴びてきた。髪が長かった所為もあるだろうが、一重に土方の見た目や性格も、雄を駆り立てる何かがあったのだろう。当然、その都度、自分をそういう眼で見てきた気色の悪い馬鹿共は片っ端から地面へと沈めてやったのだが、今回ばかりはそうもいかない。
固まる土方に加藤はふむ、と顎を触り土方を上から下へ舐めるように見やると意地の悪い笑みを浮かべた。
「手を」
「……………ッ!?」
土方が恐る恐る、手を伸ばせば痛いくらいに手首を掴まれてあろうことか加藤の股間へと押し付けられる。
既に、固く隆起しているそれに土方は堪らない吐き気を覚えた。
好々爺だと思っていた男は、とんだ狸ジジイだったらしい。
「こういうことだよ土方殿。ずっと君が気になっていてね。……最近ますます艶っぽくなって年甲斐も無く我慢が出来なくなってしまったんだ」
「っ、」
ほう、と吐息を漏らす加藤に土方は振り解きたい思いをどうにかやり込めて訊ねる。
「……取引、ということでしょうか」
坂田の過去と、自分の身体。
護れるのはどちらか、一つ。
「ははっ、提案だよ、土方殿」
「………」
掴まれていた手首を離した加藤に土方はサッとすぐさま手を引いた。掌に残る気色悪さを誤魔化すようにキツく手を握る。
「……考える時間をいただけますか」
今すぐに決断は出来なかった。……それに、少し気になることがある。
唇を噛み締める土方に加藤は〝おや〟と意外そうに続けた。
「土方殿なら彼一人に全てを押し付けて組を護る算段もつけるだろうに。情でも移ったかね。あの夜叉に」
「………」
「……まぁいいだろう。けれど猶予は二週間だ。二週間あればこれが事実だという裏を君も取れるだろう? 二週間後、土方殿が何も言ってこなければその事実が公になることを覚えておきなさい」
「………ありがとうございます」
「食べていかないのかね?」
「本日は体調が優れませんゆえ、ご挨拶にて失礼致します」
「ふ、そうか」
再び下げたくもない頭を下げて、土方は足早に部屋を出る。加藤も、そんな土方を止めはしなかった。
料亭を出た土方は加藤の付き人の送るという申し出を断り屯所を目指しながら携帯を開いて電話を掛けた。
『はい、もしもし?』
ワンコールで直ぐに出た部下に何故か安心感が芽生える。決して口にはしないけれど。
「俺だ」
『副長? どうされました?』
「今どこに居る?」
『ついさっき屯所に戻りましたけど……、』
「迎えに来い」
『迎え!? というか副長こそどちらに行ってるんですか!? 今日が接待ってテツから俺初めて聞きましたけどそんな予定ありました!?』
「うるせぇな、急に決まったんだよ! 良いからさっさと来い!」
耳元でギャアギャアと喚く部下、山崎に簡潔に今いる場所を伝えて問答無用で通話を切った。
それから程なくして、迎えに来た山崎の運転する車に乗り込む。
「遅ェ」
「いやこれでも急いだんですけど!!」
当たり前のように文句を言えば山崎はひくひくと口角を震わせていかに自分が急いで来たかを語ったが、土方はほとんど聞いていない。
「今回の潜入はどうだった?」
「……全然俺の話聞いてないし。……まあいいけど。今回も大元までは辿り着かなかったです」
「そうか」
すみません、と謝る山崎に〝いい。次だ〟と短く答えてゴソゴソと内ポケットから煙草を取り出した。バックミラー越しにそれを確認した山崎はスーっと窓を少し開ける。
カチ、と火をつけ、息を吐いた土方へふと山崎が訊ねた。
「あ、そう言えば今日の接待、坂田副長に言わなかったんですか?」
ピクリと僅かに変な反応をしてしまったが、気付いてないと信じて答える。
「礼儀知らずなバカ連れて行けるかよ」
「あはは、確かに」
すぐに納得されるのもどうかと思うが、それ以上追求されないことに胸を撫で下ろし土方は加藤とのやり取りを振り返った。そして。
「山崎」
「はい?」
「ちっと急ぎで調べてほしい案件がある。期限は一週間。最悪二週間でも良い」
「また無茶な……。で、どのような案件です?」
首を傾げる山崎へ、土方が内容を告げれば山崎は目を開いて驚いたあと、いつものように〝はいよ〟と頷いた。
そうして、屯所に戻った土方は真っ先に洗面所に向かい念入りに手を洗った。しかし洗っても洗っても、その汚れは自身の掌にこびり付いて落ちないような感覚に襲われる。
もし、山崎が調べきれなかった場合、自分はあの男によって今以上に汚されることになる。自分を綺麗だとは決して思わないけれど、その屈辱に自分は耐えられるだろうか。否、耐えなければ誰も護れない。
「………」
「ちょっ、副長! アンタどんだけ手ぇ洗ってんですか! そんな真っ赤にして! うっわ冷た!!」
必死に洗っていると車を車庫に戻した山崎がやって来て、延々と手を洗っていた土方へ声を掛ける。山崎の指摘通り、土方の手は真っ赤になっていた。その手を取って山崎が土方の冷たくなった手を甲斐甲斐しくタオルで水滴を拭いながら温める。
「ほら! もう綺麗ですって!」
「………」
本当に? そう喉元まで出かかった言葉を土方は何とか飲み込んだ。
「……副長? ……何かあったんですか?」
「別に、何もねぇ。考え事してただけだ」
「………」
土方のどこか様子のおかしい姿に山崎は例の調べ物が関わっていると察して、土方を安心させるように告げる。
「すぐ調べます。大丈夫ですよ」
そう言うと土方の表情が少し柔んだ。
何だかんだ分かりやすい人だなぁと山崎が思っているとその背後から尖った声が掛かる。
「ジミーくんと土方くんじゃん。何してんの?」
「!」
「あ、坂田副長」
坂田の登場に土方は目を伏せた。何となく、その眼を見ることが出来なくて、土方は何も言わずに山崎と坂田の横を通り過ぎて行く。
「何あれ」
「さぁ、何でしょう……。副長なんか考え込んでるって感じですね……大丈夫かな」
「………」
心配だなぁ、と零す山崎に坂田は興味ありません、とでも言いたげに〝ふぅん〟と短く返す。
そして、〝あ、〟と今し方思い出したように山崎へ話しかけた。
「そうだジミーくん」
「山崎ですけど」
「ちょっと頼み事聞いてくんね?」
「えー、坂田副長の頼み事ってろくなやつじゃないからな。それに俺これから忙し、」
「うるせぇぞ。副長命令」
「職権乱用! はぁ、まぁ、聞くだけ聞きます。何ですか?」
「幕臣の、危険薬物の撲滅だかに力を入れてる加藤って分かるか?」
「え、と、はい」
「そいつ、洗え。じゃ、よろしく」
「エッ、ちょっ、坂田副長っ、……行っちゃった」
言うだけ言って、坂田はさっさと歩き出してしまう。
「二人・・して何を調べたいんだろう?」
お互いに突っかかりながらも、明らかにお互いを意識している土方と坂田に山崎はヤレヤレと溜め息を吐きながら、素直じゃない二人の要望に応えるために、夜闇へと姿を消した。
山崎に一方的に頼み事を伝えた坂田は足早に土方の部屋へと向かう。
気配を消して、静かに襖を開けたがその音に土方は直ぐに気が付いた。
「何しに来た」
「何ってナニに決まってんじゃん」
警戒心高く睨んでくる土方へ軽薄に答えれば土方はプイと再び机に向かって言い放つ。
「気分じゃねェ。他当たれ」
そう筆を走らせる土方だが、坂田はそれを無視して土方の背後を取った。
「じゃあその気にしてやるよ」
「っ、オイッ! やめ、っ…!」
抵抗する土方の股間を服越しから掴めばビクリと震えて抵抗が止んだ。急所を握られれば必然、身体は強ばる。
「気分じゃ無ェってさ、加藤のオッサンに抱かれてきたの?」
「は!?」
見当違いなことを宣いながら坂田がカチャカチャと土方のズボンのベルトを器用に外した。
「ひあっ、」
「どうなの?」
「っ、抱かれ、てねぇ…ッ!」
ぐにぐにとまだ柔らかい土方の陰茎を揉みしだきながら聞いてくる坂田に土方はフルフルと弱々しく首を横に振る。
けれど、まだ疑いは晴れないのか坂田はスンスンと警察犬のように鼻を鳴らして土方の首筋の匂いを嗅いだ。
「ぁっ、ッ」
「ん、変な匂いもしねェな」
「っ、たりめぇだろ……! 分かったら離れろ!」
「離れていーの? その気になってきたんじゃねぇの?」
「ふぁ、んっ」
ぐちゅぐちゅ、と先走りが溢れ出し土方の陰茎は頭を擡げ始めていた。
「俺はとっくにその気なんだけど」
「なっ…!?」
後ろから抱きつきながら坂田が自身の兆している雄を土方へ押し付ければ途端に土方の耳が真っ赤に染まる。
最初からその気だったとは言え、こんなにも直ぐに硬くなるものなのかと混乱する土方の手を取り、坂田は自身の隆起するモノを触らせた。同日に二度も他人のモノを触らされる羽目になるとは大変遺憾だが、加藤のモノと坂田のモノとでは土方の心持ちは全く違う。
「気持ち良くしたげるからさ、な?」
「ぁ、ッ!」
「ほら、土方くんのも硬くなってきた。ナカ疼いてきたんじゃねぇの?」
「ンッ!」
坂田の言う通り、ジクリとナカに甘い痺れが広がった。
散々、コレで掻き回されたという記憶を呼び起こされて土方がゆっくりと振り向くとその表情かおに坂田はゴクリと唾を飲んだ。
一際、危険な色香を放つ土方に〝シよ〟と囁けば土方は目を伏せてコクリと頷く。
土方の同意を得た後は早かった。早急にズボンと下着を剥ぎ取り下半身を露出させ、机を支えに下半身を突き出すように促せば土方は大人しくそれに従う。そして坂田が唾液で濡らした指をその孔に這わせて、ずぷ、と押し込んだ。
「んっ…!」
「息詰めんな」
「は、ぁ…ッ」
ぐちぐち、と孔を拡げる坂田に合わせて土方も必死に息を吐く。
「ひ、ああッ!」
ぐり、と坂田が触れたのは土方の弱い部分だ。甘い声を上げながら土方の腰が僅かに揺れる。
「腰振っちゃってヤラシーね土方くん」
「っ、んうっ」
そんな土方の痴態にクスリと笑って坂田は掻き回す指を増やした。バラバラと動かせば〝あ、あっ、〟と指の動きに合わさて断続的に土方が喘ぐ。
どうやら本当に〝今回は〟抱かれてきてはいないらしい。坂田は心底ホッした。テツから土方が加藤の接待に行ったと聞いた時は嫌な予感しかしなかったのだ。
やはり、自分以外の男が土方を組み敷くなんて許せない。彼に触れていいのは自分だけだと、思いたい。
「……土方、もう挿入れていい?」
「んあっ」
じゅぷんっと指を引き抜いた坂田が土方の赤く染まる耳元へ熱い吐息混じりに問い掛ける。
それに驚いたのは土方だった。こういう関係になってから坂田が土方に挿入の可否を問い掛けたことは一度としてない。何の合図もなく挿入されることもしばしばあった。
「……嫌だ、っつったら止めんのか?」
どうせ止める気なんてないだろうと、そう思って意地悪く訊ね返せば坂田はするりと土方から手を引いた。
「え、」
「嫌なら、今日はやっぱ止めとく」
「………」
何故だ、と危うく喉元まで出かかった。
今日に限って何故か想定外の行動を取る坂田に土方は一抹の不安を覚えた。
もしかしたら坂田は、既にこの関係に飽きつつあるのではないか、と。
そう考えた途端に、恐ろしくなった。
これから先、加藤に手を出されたとしても、坂田が乱暴にでも触れてくれれば、淫乱だ、スキモノだと暴言を吐きながらも〝オナホ〟を手放さずに居てくれれば、加藤に何をされても大丈夫な気がしていたのだ。
けれど、触れられることすら無くなってしまったら───。
「………」
「あ? なに?」
か細く呟いた声は坂田に届かなかった。だからもう一度、告げる。
「……挿入れろ、っつったんだ」
「え、」
「〝その気〟にさせた責任、テメーが取れよ。それにテメーは〝その気〟なんだろ?」
「っ、」
煽るように土方が坂田の雄を服越しから撫でるとピクリと坂田が僅かに震える。
こんな関係になってから、土方にこんな風に煽られたのは初めてだった。
「はやく、さかた」
飽きないで。この身体は好きにしていい。その他大勢の中にすら入れなくても、都合のいい玩具で良いから、まだ、もうしばらくは、捨てないでいて。
我ながら女々しい恋心に零れそうになる涙を必死に耐えて坂田を誘う。その土方の姿はあまりにも淫靡で刺激的だった。
「……俺の気遣い返せよバカヤロー」
「ふ、テメーの気遣いなんざ要らねェや」
「生意気。これから俺にアンアン言わされちゃうクセに」
「い゙っ!……ンアッ!」
ペチンッと土方の剥き出しの尻を叩き、じゅぷんと再び指を捩じ込んだ。
「ひぐ、ッ、ん、」
「乾いちまったね。もっかい濡らさねェと」
「あっ、んあ、っ、アッ!? や、やだッ! 坂田っ!」
ぬるりと、生暖かい軟体動物のようなものが後孔を這う感覚に土方はぶるりと震え、何とか首だけで振り向けば坂田があらぬ所に顔を寄せている姿を捉えた。
坂田は土方の臀たぶを左右に拡げて、ぬちぬちと皺を一本一本解すように舌を這わせている。
「やあっ、アッ、さか、たぁッ! きたね、っ、汚ェから、ッ!!」
その事実に混乱した土方は坂田から逃げようと身体を動かすがガッチリと強く腰を掴まれて逃げることは叶わない。
ぢゅるるるっ、ぐちゅ、ちゅぱっ、と音を立てながら舐め続ける坂田の所為で羞恥に耐えきれなくなった土方の瞳からボロボロと涙が溢れ出した。
「ひ、あっ、やだ、あっ、舐め、んなぁッ!」
汚い、恥ずかしい、気持ちいい。
ぐちゃぐちゃな感情の中に紛れる確かな快楽。
そんな浅ましい感情に首を振って土方は必死に坂田に懇願する。
「さか、た、やぁッ、おねが、んっ、もお、やめ…ッ、」
しかし、坂田はやめるどころか更に舌を孔の中へと押し込んだ。坂田の舌が、ナカの膨らみをざらりと舐める。さすれば当然、快感が全身に広がった。
舐められて感じるなんて恥ずかしい。けれど、恥ずかしいと思えば思うほど、土方の意思に反して快感は増していく。
「あっ! ひぅ、ッ、ううっ」
秘密の場所を坂田に暴かれたことだって、恥ずかしくてたまらなかったのに、それを遥かに超える辱めがあるなんて土方は思いもしなかった。
土方の懇願を無視してようやく、にゅぽん、と坂田が離れると孔は可哀想なくらいにヒクヒクと収縮して、前からはポタポタと射精したのかと勘違いするほどの先走りが溢れている。
「ハハ、土方くん、ケツ舐められて気持ち良かったんだ」
「ひ、ぁ、っ」
良い子、良い子、と土方のまろい尻を撫でて収縮する孔へふぅ、と息を吹き掛けた坂田は自身の痛く張り詰めた愚息を、土方の孔をくぱぁと拡げて押し当てた。
「挿入れるよ」
「あ、あっ、ぐ、ぅぅん゙ッ…!!」
ゆっくり、ゆっくり。坂田の熱が分かるほど緩やかに。
いつもの性急的な動きでは無く、焦らすようなその動きに土方は腰をくねらせた。
「あ゙ー、っ、すっげ、なんか、いつもより吸い付いてくんだけど、……きもちぃ」
「〜〜〜ッ、」
「ちょっ、土方くん、あんま締めないで、ッ」
坂田の恍惚とした声に思わず身体が反応してしまう。坂田がこんな身体でも快感を得ていると分かってどうしようもなく、嬉しくなってしまったのだ。
もっと、もっと。善くなってほしい。そんな想いで、土方は自ら腰を動かした。
「ぁ、んっ、ンッ、は、あっ」
「ぅ゙、ッ、おめ、マジでその気になったの、っ、エッロ」
「うるせ、っ、ふ、あ、テメーも、動け、よ、っ」
「わぁった、よ」
「は、ぁンンッ!」
坂田のモノに押し付けるように淫らに腰を揺らしていた土方の骨盤をしっかりと掴んだ坂田がバチュッ!と一気に奥まで打ち込んだ。
きゅうきゅうと坂田の雄を締め付けながら蠢く肉襞が〝気持ちい、気持ちい〟と鳴いてるように思えて、つい訊ねてしまう。
「気持ちい?」
問い掛けておいて失敗した、と坂田は思った。
あの頑固な男が〝その気〟になったとは言え、素直に答えるとは到底思えない。いつも、必死に声を殺そうと、まるでこの行為が早く終わるのを願うように苦しげに喘ぐのだから。
実際、土方が声を殺すのは坂田に聞かれるのが恥ずかしいという感情も勿論あるが第一に坂田に言われた「声を出すな」的な台詞が主な原因だ。だが、その原因を作った男はその事に全く気付いていない。
坂田からすればその「声を出すな」はこの屯所で万が一、土方の艶めかしい声が聞かれでもすれば聞いてしまった人物をどうするか分かったものじゃなかったからだ。それに自分以外が土方の喘ぎ声を聞いていると思い込んでいることも相俟って言い方がキツくなってしまっている。
土方の淫靡な声を聞かせたくないというのなら、屯所以外でヤるべきなのだが、それこそ真選組の副長二人が連れ立ってホテルに入るところを撮られてしまっても問題なわけで。結果的に、互いに間違った認識を持つことになってしまったわけだが、人はこれを不運と呼ぶのだろう。
「ンっ、はぁ、きもち、ぃ」
「!」
〝気持ちい〟なんて死んでも言わないと思っていた土方が甘い吐息と一緒にそれを口にした。
思わず、からかいの言葉が出そうになった坂田だが、何とかその言葉を飲み込んで腰を振る。
「ぁ、うッん、あ、ッア、あうっ」
「気持ちぃっ? 土方くん」
「ひゃ、あンっ、んっ、きも、ちッ、」
もう一度、今度はちゃんと名を呼んで訊ねれば土方はコクコクと首を縦に振って答えた。
どうやら聞き間違いでも、言い間違いでもない。
「俺も、きもちぃ、」
「アッ! んっあ、さか、たぁ…っ」
それが何だか無性に嬉しくて、けれど、苦しくて。
ぐちゅりとナカのしこりを擦ると土方が快感に蕩けた甘い声で今まで一度も呼ばなかった坂田の名を呼んだ。
飽きないで、捨てないで、と。そう願っても、人の感情はコントロールすることは出来ないから。これが最後かもしれないなら、と、土方は自分に触れる男の名を口にする。
「あっ、ふ、ぁ」
「っ、今日マジなに、エロ可愛いって反則だろ…ッ!」
「ンンッ! あっ! は、ぁんッ!」
普段と違う土方の態度に、小さな声で呟いた坂田の顔がみるみる赤くなる。そんな熱くなる顔を誤魔化すように、ばちゅっ、どちゅっ、と粘着質な音を立てて土方のナカを激しく掻き回した。
「んく、ぅっ、アッ! ひゃ、あッ、つよ、い、ッ」
「強いのが好きだろ、ッ、」
「あ、ぅ゙っ、ああっ…!」
机に突っ伏しながら、坂田の雄をきゅうきゅうと締め付ける。ガタガタと揺れる机が快感を貪る二人の激しさを物語っていた。
「土方、ッ、」
「ひあっ、あ、ぅ゙ンッ! あっ、ァ、っ!」
坂田のカリが土方の膨らんだ前立腺を引っ掛けるように擦る度に、ビリビリと胎の中から全身へ言い表せない快感が広がっていく。
神経が全て繋がってしまったような感覚だった。一つの回路を繰り返し快楽の波が行き交う所為でもう気持ち良いことしか分からない。
そして、ごりゅ、と決して人体からさせてはいけないような音が土方の頭の中に響き、〝かひゅっ〟と呼吸の仕方さえ分からなくなった。
「アッ! ふあっ、は、あっン! さ、かたぁ、ッ、そこ、っやら、ぁ…っ!」
「ヤなの? ココ擦るとキュンキュン俺の締め付けてくるけ、どッ!」
「ぉ゙ッ! あ゙あっ! は、ひぅっ!」
必死に酸素を取り込んで喘ぐ合間に、嫌々と首を振っても快楽に馴らされた身体は正直で、坂田の言う通りナカはもっと奥へと言わんばかりに坂田の雄に絡み付く。
「な、気持ちいだろ?」
「あうッ!」
「答えて土方くん」
「ひゃあっ! アッ! イイ、っ、きも、ちぃ…っ!」
土方に覆い被さって、坂田がその赤く染った耳にかぷと歯を立てればまた甘い声が部屋に響いた。
こんなにも素直に喘ぐ土方の痴態に、いつもなら貶すような言葉が出てくるはずなのに今は何一つ出て来ない。
「ひじかた、っ、土方…ッ!」
「ンアッ! あ、ッ、アッん…っ、」
土方の名前を呼んで腰を振る坂田に、土方は何とか後ろに伸し掛る男の方へ顔を向ける。額に汗を滲ませた雄の顔に、ドキリと心臓が高鳴った。自分のことをそんな顔で触れていたのかと。そしてまた、坂田もゆっくりと振り向いた土方の顔を見てドクンと心臓が鼓動を奏でる。うっとりとあまりにも扇情的な、艶かしい顔を今までもしていたのかと、ゴクリと唾を飲み込む。
「ッ、」
「ぁ、」
まるで、お互いに求め合っている、そんな勘違いを、互いにしてしまいそうだった。
土方が静かに瞼を閉じれば、吸い寄せられるように坂田が閉じきらない土方の濡れた唇に近付く。
──あと、数センチ。
「坂田副長〜!!」
「「!!」」
重なり掛けた唇はあっという間に遠ざかって行った。
「くっ、」
「っん!!」
「ぅ゙…ッ、」
パシッと咄嗟に坂田は土方の口を押さえるとナカがきゅぅうっと締まる。
その締めつけに、限界の近かった坂田はドクンッと土方のナカに欲を吐き出した。土方もまた、ナカに広がる坂田の熱を感じてビクビクと身体を震わせ絶頂を迎える。
「坂田副長〜〜」
「チッ!!」
「ンンッ」
坂田を探す隊士の声にずろりと自身の雄を土方のナカから引き抜けばコポリと白濁が溢れ出た。
「っ、はやく、行け、」
「いやでも、」
はぁはぁ、と乱れた呼吸を整えながらシッシッと手を払う土方に坂田は隊士が去るまで息を潜めようと考えていたらしいがその考えは声のでかい隊士によって打ち砕かれた。
「坂田副長〜〜! もう寝てんですか〜? 開けていっすかー? 開けまーす。……あれ? 居ない。全くどこ行ってんだかあの人は。あ、土方副長知ってるかな」
「!?」
隣の部屋から聞こえた声に坂田は慌ててズボンを正し、去り際に土方の髪をサラリと撫でる。それは恐ろしいことに無意識だった。
撫でられて驚く土方に気付くことなく、坂田はスッと土方の部屋を出て行った。
「オウコラ、俺の部屋で何してんだ」
「あっ、坂田副長。どこに居たんすか」
「何処だっていいだろ。つか、何? 何の用? すっげぇ良いとこ切り上げて来たんだからしょーもねェ用だったら切腹させんぞ」
「何荒れてんすか? ほら、今日薬物案件でパクった男がようやく売買場所吐いたんで報告しに来たんですけど。てか副長が吐いたら即報告しろって言うから来たんですけど!」
「あ、あー……言ったような言わなかったような……。え? 俺言った?」
「言いました!!!」
「わぁったわぁった。んなでけぇ声出すなっつーの。そんじゃもっかい取調べ行くぞ」
「え、今からすか!?」
「まだ聞きてぇ事があんだよ。売買場所吐いたなら奴さん相当疲れてるはずだ。畳み掛けんなら今だ」
「うす」
隣から聞こえてくる話し声に耳をそばだてつつ、遠くなっていく声に、土方はようやくホッと胸を撫で下ろした。
そして、先ほどの行為を反芻する。
「……きす、すんのかと思った……」
小さな声で呟いた土方の顔は今まで見たことがない程、真っ赤に染まっていた。紺青の瞳を潤ませて口元を手で隠す姿は生娘よりも遥かに無垢に見える。
結局、唇は重ならなかったけれど、去り際に撫でられた感覚が残って土方はパタリと尻を出したまま畳に倒れ込んだ。
一体、なんだと言うのだ。坂田の熱を宿す瞳が、余裕の無さそうな顔が、網膜に焼き付いた気がした。
「っ、」
今までもあんな顔で、触れられて居たのかと思うとキュウと胸に甘い痛みが疾走る。
「んっ、」
坂田がどうして、あんな風に自分に触れたのかは分からないけれど、ただの気紛れだとしても、土方の心は歓びに震えていた。
そして、先刻の坂田の表情を思い出しながらくちゅりと指を閉じきらない孔へと這わす。
「ンッ、ふ、ぁ……っ」
ぐちゅぐちゅと坂田が出したモノを掻き回しながら、再びゆるゆると頭を擡げ始めた自身に手を伸ばし、扱く。
「ぁっ、あっ、ンッく、ぅ…ッ」
目を閉じて、鮮明な記憶に溺れれば坂田の〝土方っ〟と切なげに呼ばれた声が甦った。
「ひぁう…ッ!」
ぞくぞくと背筋から脳天に向かって止めようのない快感が駆け抜ける。身体を胎児のように丸めてびゅくびゅくと二度目の絶頂を土方は迎えた。
「はぁ、っ、はぁ、………」
手を汚した白濁をぼんやりと眺めて、段々と熱に茹だった頭が冷めてくる。
きっと自分は加藤との出来事を一時的にでも忘れたくて、らしくないことをしてしまったんだろう。
そのらしくない自分の姿に、坂田も戸惑って、彼らしくないことをしてしまった、ただそれだけの事。
自分達二人の間に、特別なものは、無い。特別な感情が生まれるはずも無い。けれど、もし、一つ。……欲を言ってもいいのなら、土方は今日の行為だけは、坂田に〝抱かれた〟のだと思いたかった。
***
それから一週間と五日。
山崎からの報告が無いまま、無情にも約束の日が迫っていた。
「土方さん」
「総悟か。始末書出来たのか」
自室で書類仕事をしていた土方の元へぷくぅと風船ガムを膨らませながら沖田がやってきた。当然、手ぶらだ。
「はて? 始末書?」
「はて? じゃねぇわバカ。テメー今朝の朝礼で書いとけっつっただろ」
ハァ、と呆れたように溜め息を吐く土方とは裏腹に沖田は素知らぬ顔で部屋に寝転ぶ。
「オイ、何してんだ? 用があったんじゃねぇのか?」
「アンタに用なんてねぇでさァ。自惚れねぇでください」
「じゃあ何しに来やがったんだよ」
「昼寝」
「永眠させてやろうかこのバカタレ。昼寝する暇があんなら始末書出せっつーの」
チッ、と大きく舌打ちをして再び書類に向き合う。
煙草を咥え深く吸い込み、ふぅ、と吐き出せば紫煙が広がった。
どうせ自分が沖田に何を言っても聞く耳持たないだろうと筆を走らせていると、不意に。
「土方さん、旦那と何かありやした?」
「………」
途端、ピタリと土方の筆が止まる。だが、動揺を悟られないように何とか止めた筆を動かした。
「別に何もねぇが?」
「ふーん。じゃあ最近絡んでねぇなぁと思うのは俺の勘違いってことですかねぃ」
「勘違いも何も、前から特に絡んでねェ。たっく、しょーもないこと言ってねェでさっさと仕事に戻れ」
沖田の言う通り、例の、加藤から取引の話を持ち掛けられた日にセックスをしてから坂田の様子がおかしくなった。どうやら自分は坂田に避けられているらしい。それもそうだろう。自分が冷静になったように、坂田も冷静になって自分のあんなみっともない姿を気色悪いと思ったに違いない。そして、そんな気色悪い人間に今まで触れていたことを嫌悪しているのだろう。
飽きられないように、捨てられないようにと、浅ましく媚びた結果がこれでは笑えない。
「副長同士が揉めてんじゃあ、指揮に関わりまさァ。討ち入りも近ェのに。明後日ですぜ、討ち入り」
「………」
「すっかり隊士達の間じゃ副長同士が揉めてるって噂が広がって、坂田派だ土方派だとうるせぇったらねェや」
「………」
沖田の苦言に耳が痛い。自分達の関係性が隊士達に影響を与えることを分かっていながら私情を優先してしまっている。それが討ち入りにまで影響してしまうことは是が非でも避けたいところだ。
「分かったよ。ちゃんと話す。……別に揉めてる訳じゃねぇけど」
「……ま、俺ァ、近藤さんの迷惑にならないならどうでも良いんですけどねィ」
その言葉に土方は全面同意だった。
近藤に、組に迷惑を掛けるのは土方も本意ではない。そして、年下の幼馴染みに心配されるのも。
沖田が何だかんだ、坂田を慕っていることは知っていたし、沖田以外にも意外と坂田が慕われていることも知っている。……だから、彼の過去を知られる訳にはいかない。
「話が済んだならさっさと戻れ」
シッシッと再度あしらって今度こそ、書類に向かう。
山崎が間に合わない場合の覚悟はもう、疾うに決まっていた。
これ以上は話す気など無いと語る土方の背中を沖田は呆れたように見てから自前のアイマスクで視界を遮った。
すやすやと寝に入った沖田に気付いた土方の怒声が屯所内に響き渡ったのは言うまでもないだろう。
そして、その怒号を坂田も聞いていた。
「おー、今日も土方副長絶好調だな、な、坂田副長」
「んあ? ……ああ、そうだな」
隣に並ぶ原田に同意を求められ何とも歯切れの悪い返事をすれば原田が怪訝な顔をして坂田へ訊ねる。
「……坂田副長、あんたやっぱ土方副長と喧嘩でもしてんのか?」
「あ? 何で?」
「ココ最近あんたらが絡んでるとこ見てないぜ」
「……んな事ねぇだろ」
原田に指摘された坂田はほじほじと鼻をほじって誤魔化すが、意外と人を見ている部下にはその僅かな動揺を悟られてしまった。
「んな事あるだろー? で? 何を揉めてんだあんたら」
「……別に揉めちゃいねぇよ。いやホントに」
「土方副長に何か言われて避けてんじゃねぇのかあんた」
「……言われたっつーか、まあ、……え、俺避けてる?」
「自覚無かったのかよ」
がはは、と笑う原田を他所に坂田の顔はみるみる青くなる。
「え、待って土方くんもそう思ってんのかな?」
「あ? さぁなー、でも俺らが気付くくらいだから土方副長も気付いてんじゃねぇか?」
「………」
何気ない原田の言葉に坂田の顔色はあっという間に青から白へと色を変えた。
「坂田副長? 真っ青、っつーか、真っ白な顔になってっけど」
「…………吐きそう」
「オイオイ、勘弁してくれよ。変なモンでも食ったのか? 討ち入りも近いっつーのに」
心底呆れたような物言いをする原田に〝うるせェハゲ、テメーは余計な事ばっか言いやがって〟と地を這うような声で坂田が呟く。
あの日、土方が加藤と食事に出たとテツから聞いた時、どうして土方が加藤との会食を自分に伏せたのか気になった。常日頃から〝報連相〟と仕事に関して厳しい男がそれを怠った。何かあると思うのが自然で、案の定、接待から戻ってきた頃を見計らって加藤と関係があるのかと聞きに行けば、土方の態度が普段とは違い、下衆な勘繰りをしてしまう。
〝抱かれてない〟とは言っていたが、抱かれる以外の〝躾〟をされた可能性も否めない。
じゃなきゃ、〝気持ちいい〟だのと土方が口にすることも、切なげに自分の名を呼ぶことも、それに、……キスを受け入れようとすることもないはずだ。
男を喜ばす作法だと、それを躾られて実践した、そんな可能性が無いとも言いきれない。そう考えると土方と顔を合わせるのが気まずくなった。別に意識して避けているつもりはなかったのだが、原田に避けていると映っているのなら、土方も〝避けられている〟と思っているはずだ。
「八つ当たりはやめてくれよ。俺がいつ余計なこと言ったよ」
ぐるぐると例の行為について考えている坂田へ心外だと原田が口を尖らせれば坂田はジロリと睨んで言い放つ。
「いつも何も、オメー前に土方に俺が女買ってるだとか、意外とモテるだとか話しただろうが」
「?」
恨み言をこぼす様な坂田の声量に〝言ったっけ?〟と原田は首を傾げた。そんな原田にイラッとしながら坂田が続ける。
「とぼけてんじゃねぇぞハゲ。ちゃんと土方から聞いてんだこっちは」
「えー、んなこと言われてもよぉ、いつ言ったかは覚えてねぇけど事実じゃねぇか」
「………」
確かに、それは原田の言う通りだった。
土方に想いを馳せつつ、叶わないと思っていたあの頃から、坂田は土方への持て余す熱を他所の女で発散していた。けれど、半年程前から坂田は女を抱いてはいない。抱いているのはただ一人。
「あ、なんだ? それで土方副長に嫌味でも言われたのか? ガハハ、土方副長にゃ、女遊びは出来ねぇからな、嫉妬されたんじゃねぇか?」
再びどこかのゴリラとそっくりな笑い方で坂田の背中を叩く原田。
そう言うことじゃないのだと言いたくても、当然本当のことを言うことは出来ない。
それに、土方が勘違いしているのも無理は無いだろう。坂田は土方を抱くようになってからも、度々花街へ誘われることがあるのだが、カモフラージュも兼ねてその誘いに都度都度乗っていた。まぁ、実際女と床を共にしても土方と関係を持ってからは、坂田の坂田は女に全く反応しなくなってしまった。あの時の女の顔と言ったら、軽いトラウマものである。以来、花街へ言っても金を渡してただ寝るだけになっていた。女共には絶対に言うなと釘をさして。そんな坂田を気の毒に思った女達は一様に口を噤んでくれた。それもそれで複雑な心境である。
「まぁ、なんだ、とりあえずあんたらが揉めてると下にも影響でんだよ。討ち入りも近ェんだ、頼むぜ」
「わぁってるよ」
そろそろ、いや、最初から、自分の感情をコントロールすることが出来ていないと再認識して坂田は深く溜め息を吐いた。
討ち入りが終わったら、土方に自分の本当の想いを伝えてみようかと、そうして、潔く振られてみようかと諦めを心に宿しながら討ち入りの為の最後の仕上げへに向かうのだった。
結局お互いに誤解したまま討ち入りの日がやってくる。
そして土方が動いたのは討ち入り前夜のことだった。
加藤の付き人へ、明日、加藤と面会したい旨を伝えれば二十時に二週間前の料亭に来るように伝えられる。山崎からの続報はまだ無い。やはり、徹底しているなと自分の持っている手札でどこまでやり切れるか、ギリギリまで静かに策略を練った。
「一番隊、二番隊は昨日も言った通り本丸へ。突入合図までA地点で待機。三番隊は近藤さんと一緒に薬の蔵として使われてる別宅だ。ここも合図までこのB地点で待機。四番隊は坂田を筆頭にここも薬の備蓄庫兼主な金銭やり取りとして使われている別荘へ。ここのC地点で待機。良いか、メインは今呼ばれた各隊だ。その他の隊は屯所にて待機。あと、九番隊と十番隊が坂田の指示で何かこそこそ動いてるみてぇだが……」
「あー、それは大丈夫。俺の方で面倒見っから」
綿密な計画を土方が各隊長に伝える中、報告に上がっていない動きをしている隊をジロリと見れば坂田が飄々と答える。
それにチッと舌打ちをする土方を〝まぁまぁ〟と近藤が宥めた。
「いいかお前ら、決行は今夜九時。奴さん達はまだ俺達の捜査が進んでねぇとタカを括ってやがる。今が最大にして最高のチャンスで、久々の大捕物だ。気合い入れてくぞ!」
「「「おう!!!」」」
ピシッと締めて纏めあげる近藤の号令で各隊長が隊士達と最終確認を行う中、土方が坂田へ近付き問い掛ける。
「おい、テメー何をコソコソやってんだ」
「あ? 俺の事は気にしなくていいから。つーか、そういうオメーこそ、何企んでんの?」
「あん?」
「一、二番隊の筆頭は沖田くん、三番隊はゴリラ、四番隊は俺。で? オメーは? 普段ならやめろっつっても本丸に自分を置くのに今回はどこにも頭数に入れてねェよな? 鬼の副長さんよ」
「………テメーには関係無ェ」
そう答えた土方は坂田の指摘にくるりと背を向けて、胸ポケットから煙草を取り出し何事も無かったように立ち去っていく。土方が何かを隠していることは明白だったが、確証がない坂田はそれを問い詰めることが出来ない。ただ底知れぬ不安と、ままならない歯がゆさに爪が皮膚に食い込むほど強く拳を握る。……この時、確証が無くても問い詰めていれば良かったと後悔することを坂田は当然知らない。
刻一刻と、時間が過ぎていく中、時計の針が夜七時を回った。
「それじゃ、トシ、俺と総悟は先に持ち場に向かうぞ」
「ああ。頼んだ」
割り振った持ち場へと向かう仲間を見送っていると近藤が不意に振り返る。
「トシ」
「なんだ?」
「お前が今回屯所に残るのは作戦・・なんだよな?」
近藤からのまさかの問に一瞬土方は息を飲んだ。近藤はその一瞬を見逃さない。しかし。
「もちろん作戦だ。この役は俺にしか出来ねェ。アンタはこっちの心配はしなくて大丈夫だ」
咥えてた煙草をゆっくりと吸って紫煙を吐き出し、答えた。
「………」
「ネズミを一掃するんだろ?」
「ああ。だが、俺ァ、お前に何かあったら、」
「近藤さん、俺達に〝何か〟があるのは当然だろ。〝何も〟なくて良かったっつー方が稀だ。こっちは俺で対応出来る。だからちったぁ信じてくれよ」
〝信じてくれ〟と。旧友で有り、信頼出来る部下で有り、志し同じの仲間に言われてしまえば近藤は信じるしかない。
「……分かった。任せたぞ」
「おう」
完全に納得した訳では無いが、土方が死のうとしている訳では無い真意に一先ず安堵し、ポン、とその肩を叩く。思わずギュっと力を込めてしまった近藤に土方はいつものように微笑んだ。
「死にやしねェよ。それに仮に死ぬならアンタの隣だ」
「ガッハッハッ! なら大丈夫だな! 俺の隣に居る限り死なせやしねェからな! おし! じゃあ行ってくる!」
「おう」
ようやく、普段の調子を取り戻した近藤を見送ると土方はホッと胸を撫で下ろす。近藤に気掛かりを残したまま現場に向かわせるようなことにならなくて良かったと、安堵の息を吐いてそろそろ自分も用意をしなくてはと自室に戻ろうと振り返るとそこに、感情の見えない表情をした坂田が立っていた。
「! 坂田、テメーも早く持ち場に向かえ。サボんじゃねェぞ」
「………」
多少驚きはしたものの、土方はそれだけ言って坂田の横を通り過ぎる。否、通り過ぎようとした。
「ッ、いって……!!」
しかし、左腕を坂田に掴まれてしまい通り過ぎることは叶わなかった。容赦ない力で掴まれている所為か、土方の顔に苦悶の色が浮かんでいる。
じわりと腕に広がる痛みに、坂田の顔を見なくとも怒っていることが分かった。だが、坂田が何に怒っているかまでは土方は分からない。
「オイ、痛ェ、離せ」
「………」
「ッ、坂田!」
「!」
振り払おうとしても土方を掴む手はビクともしない。何も言わない坂田に思わず土方は声を荒げた。
すると坂田の方がビクリと肩を震わせハッと土方に視線を向けて一瞬、泣きそうに顔を歪めた。
「……悪ィ」
「………」
名残惜しそうに手を離し、ポツリと零したのは謝罪の台詞。多分、それは坂田からもらった初めての謝罪の言葉だ。その謝罪は何なのか。あまりの衝撃にポロ、と土方の口元から咥えていた煙草が落ちた。
あ、と落ちた煙草を拾う為に土方がしゃがむと坂田はそのままくるりとその場から離れて行く。
「……何だあの顔」
たった一瞬の表情かおが土方の網膜に焼き付いた。坂田が何を考えているのか、分からない。分からないから、知りたい。……もっと早く、坂田と向き合っていれば何か変わっただろうか、そんな風に思って苦笑した。変わるわけが無い。自分とあいつの気持ちが交わる日は訪れない。
瞼を閉じて、ゆっくりと開けば土方は真選組、鬼の副長の顔に戻っていた。
「行くか」
時計を確認し、土方はあの料亭へと誰にも告げずに屯所を出る。……山崎が戻って来たのは土方が屯所を出て一時間後だった。
「副長!!」
スパンッ!と勢いよく副長室の襖を開けるが当然土方は出た後だ。
「土方副長!!」
そう声を張り上げながら屯所内を駆け回っていると異変に気付いた隊士の何人かが山崎に声を掛ける。
「山崎さん?」
「そんなに慌ててどうしたんですか?」
普段はいくら騒いでも地味だと、存在感が無いなどとスルーされてばっかりの山崎だが、今回はしっかりとその存在を認知されていた。その事実に喜ぶ間もなく山崎は隊士の肩を掴んで訊ねる。
「君達! 土方副長見てない!?」
「え? いや、自分は見てないです」
「自分もですが……携帯とか繋がんないんですか?」
「そっか……。携帯は何度掛けても電源を切ってるみたいで繋がらないんだ……。非番の時でもすぐ繋がるのに……」
山崎の焦りようが隊士達へ伝播しそうになった時、もう一人の副長が現れる。
「オーイ、オメーら何はしゃいでんだ」
「! 坂田副長!」
気の抜けた声に三人が一斉に声のした方へと顔を向ける。そこには相変わらず気の抜けた顔をした坂田の姿があった。けれど、山崎にとって今はそれさえも頼もしく見えていた。本人には決して言わないけれど。
「あっ! 坂田副長! 例の件でお話が! 君達ありがとね!!」
そう坂田の腕を掴んで引き摺り、人気のない所へと場所を移した。
キョロキョロと辺りを確認してから坂田が小声で山崎へ訊ねる。すると、山崎もつられるように辺りを見回して答えた。
「……で、ジミーくんどうだったよ」
「……旦那の言う通り、加藤が元締でした」
「やっぱりな」
「中々、慎重な奴で思いの外時間がかかってしまって……」
危険薬物の取り締まりに力を入れている稀有な幕臣の正体は、危険薬物を売り捌く側の人間。売人の黒幕だったのだ。
「それから活動拠点は正確には四つでした」
「ん」
山崎から渡された資料に記載されている、いくつかの地名。その中の三拠点が今回の討入の場所に当たるのだが。
「土方副長にも加藤が繋がってる件と、あともう一箇所の拠点を伝えたかったんですけど、携帯も繋がらないし、屯所にも居なくて……」
「は?」
珍しく黙って資料に目を通していた坂田が驚いたように資料から顔を上げ、山崎を見やると山崎はキョトンと瞳をパチクリさせながら続けた。
「え? 旦那も副長も加藤について調べてたんですよね?」
一緒に調べてたんじゃ、と言いたげな山崎に坂田は背中に嫌な汗をかきながら問い掛ける。その答えが〝いいえ〟であることを願いながら。
「土方も?」
「あ、はい。二週間くらい前に加藤を洗えって旦那に頼まれる前に副長にも頼まれてたんですよ」
「………」
しかし、返ってきた答えは無情にも〝はい〟だった。それはつまり……。坂田の頭の中には最悪の事態が浮かんでいた。
「というか、あれ? 旦那、今日四番隊と一緒に討入じゃ、」
「ジミー、今すぐ車出せ」
「へ?」
「あのバカ、四つ目の拠点だ!!」
「!! はい!!」
坂田の怒号に転がるように走り出した山崎の背後から、「五番隊! 出動準備!!」と坂田の切羽詰まった号令が屯所中に響き渡った。