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史的イエス像をめぐる争い
既成キリスト教会と統一教会の対立
世界基督教統一神霊協会(以下、統一教会と略す)が既成のキリスト教会から非難される理由の一つは、イエスに対する理解の違いにあります。それは、キリスト教会が「イエスは十字架に架かるためだけに地上に来た」としているのに対し、統一教会では「イエスの十字架は神の第二次的な摂理であって、第一次の摂理はあくまで地上で天国をつくることにあった」としているからです。
かりに、イエスが統一教会の主張しているように十字架に架かるためだけに来たのではない、とするとキリスト教会の教理は大幅な修正を加えざるを得ません。それはキリスト教会の教理のほとんどがイエスの十字架を前提として組み立てられているものが多いからです。したがって、統一教会のイエス像にキリスト教会が感情的に反発することが多いわけです。
ところが、今日では統一教会のイエス像を冷静にキリスト教会が見詰めてみることができる時期になってきたと思われます。それはさまざまな聖書研究によって、これまでのイエス像、つまり十字架に架かるためだけに地上にイエスは来られたとの内容が、随分とあやふやなものであることが明らかになってきたと思われるからです。
この小論の目的は、これまでの聖書学のいくつかの成果をもとに、イエスが十字架に架かるためだけに地上に降臨したという従来のキリスト教の立場を再検討し、『原理講論』が提唱するイエス像を紹介、その妥当性を検証することにあります。
たとえば様式史研究や編集史研究の成果をもとにしても、否定される福音書の部分は、イエスが最初から十字架に架かるためだけに地上に来たというテーゼだけであって、その点を注意深くイエスの生涯のある時期まで排除して行けば、福音書から史的イエスは探求できるというのが本書の立場です。
つまり、これまでの研究の結果、歴史的にイエス自身によって語られていないとされるイエスの言葉についても、その言葉がイエスに由来する場合があるという立場で『原理講論』の史的イエスを、探求してみようというものです。
統一教会の掲げるイエス像の三原則
そこで、統一教会のイエス像を考える場合、三つの原則を立ててみなければならないと考えられます。それは言わば、統一教会の教理解説書である『原理講論』の公式のようなものでもありますが、(1)物事を決定する時に人間には自由意志に基づいた責任分担というものがあり、それには神も干渉することができない、(2)イエスは第二のアダムとして誕生し、その使命はヤコブやモーセの路程を完成させるような展開がある、(3)したがって、イエスの第一義的な来臨の目的は地上に神の家庭を中心とする「神の国」を建設することにあるのであって、単に十字架に架かるためだけに来たのではなかった。しかし、イエスは十字架にご自分の肉体を付けることによって霊的救いへの道を開かれた、という三点です。
第三点目のイエスの十字架の問題については、第二章において十八世紀に入ってからの新約聖書学の展開を追いかけながら論証を試みようと思います。つまり、イエスが十字架に架かるためだけに地上に来たという伝統的なイエス像には、大きな疑問が投げ掛けられているということから、『原理講論』のイエス像も新しいイエス像の可能性の一つとして議論する事ができるということを論証しようというわけです。
第一点目については、これから説明し、その上で統一教会のイエス像を私見として紹介してみようと思います。それから、第二点目のなかで、『原理講論』は「神の国」をどう考えているのかという問題と、ヤコブ、モーセとイエスの関係性については、のちほど触れる予定です。
神の全能性と人間の責任分担
人間の責任分担という考え方を理解するためには、まず、神の創造には成長期間があったということを知らなければなりません。つまり神は、いきなり完成物を創造されなかったということです。
このことを『原理講論』は、創世記の天地創造の由来に関する記述を引用して説明しています。つまり、創世記の創造の六日間では各一日ごとに「夕となり、また朝となった。第何日である」とのくだりがあります。
例えば、第一日目の創造のみ業を終えてのち、「夕べがあり、朝があった。第一の日である」(一・五新共同訳・以下新共同訳より引用)とありますが、通常、夕となり、朝となると二日目、つまり翌日ということになるのですが、創世記では翌日となっても「第一の日である」としています。
この理由を『原理講論』は、夕と朝の間にある「夜」という期間を「成長期間」と解釈します。つまり、朝から始まった神の創造が夕べに終わって、そのあとの夜という成長期間を経過して、つまり翌朝になって森羅万象はでき上がる、というわけです。
その成長期間は、ただ動植物だけのものではありませんでした。創世記一章三一節では人間の創造にも「夜」という成長期間があったことが記されています。
しかし、森羅万象と人間との成長期間には決定的な違いがあることに注目しなければなりません。森羅万象の場合には成長が「原理の自律性と主管性」によってのみ行われるのに対し、人間の場合はそれプラス人間自身の責任分担が必要であるということです。分かりやすく言うと、森羅万象の場合、環境さえ整えば成長し完成するのに対して、人間の場合、いわゆる「努力」が責任分担として必要になってくるということです。
具体的に植物は、水と空気と光という外的環境が整っていれば、種から芽が出て、成長し、また実を結んで種をつくります。ところが、人間が外的環境だけで成長するのは肉体だけです。人間のもう一方を構成している重要な「精神」が立派になるためには、本人の精神的努力が必要だということです。
この精神的努力は『原理講論』によると、神がアダムとエバに対して与えた「取って食べるな」という戒めを、未完成期間中、守り続けることでした。戒めを与えた理由は人間の愛を完成させるためであったと『原理講論』は指摘しています。
その人間の責任分担が遂行される場合には、神も干渉することができない領域において行われる、ということがポイントです。つまり人間が責任分担を果たす場合、神は、たとえそれが間違っている方向に展開されようが、明らかに失敗に終わるようなことが分かっていても、それを止めさせるようなことはしないし、また創造者でありながら、それをできもしない立場にご自分で立つことを決められたというのです。
この点は、従来には見られなかったポイントですので、ちょっと詳しく理解しておく必要があります。
神の全能せいは自己制限的全能性
つまり、これまで神は全能であるから、何でも心に思ったことがただちにできると考えられる傾向が強かったのですが、『原理講論』の神観では、神の全能性はそういうふうには捉えられていないということです。
神の創造は、最初から完成したものを創造されたのではなく、未完成なものを創造したのち、それが成長期間を経てから完成するように創造されたというわけです。つまり神の完全性は、それに人間の責任分担を加えてはじめて完全なものとなるということです。
この神観はいわば、神の全能性を神ご自身が制限するという、自己制限的全能性ともいうべき神観なのです。神は自己の愛の完成、つまり創造の完成を人間に託したのです。
『原理講論』の「予定論」の項では、神のご理想が成就するに当たっての神と人間の責任分担を次のような分かりやすい公式で表現しています。神の理想成就=神の責任分担(九五パーセント)+人間の責任分担(五パーセント)というものです。これはあくまでも喩であって、神の恩寵は九五パーセント程度の数字で表せるようなものでないことはいうまでもありません。また、ある時には死に物狂いにもならねばならない人間の努力が、わずか五パーセントばかりでないことも同じです。
数字によって神と人間の責任分担を表示するということに無理があることは、いうまでもないのですが、あくまで分かりやすさということに『原理講論』はアクセントを置いていることを強調しておきます。
この公式の言わんとするところは、以下のように理解されます。つまり神のご理想は絶対的です。これを『原理講論』はイザヤ書四六章一一節の「わたしはこの事をはかったゆえ、必ず行う」を引用して説明しています。
神の理想の「成就」は、三段階の数理性を踏む
ところが、神のご理想が成就されるかどうかは相対的だというのです。『原理講論』が神の「ご理想」とその「成就」を分けて考えていることに注意しなければなりません。なぜその「成就」が相対的になるかと言えば、それは人間の責任分担があるからです。人間の責任分担が果たされれば神のご理想は成就されますし、果たされなければ「成就」されません。したがって、神のご理想の「成就」は相対的だというのです。
神のご理想の「成就」が相対的だといっても、それで神のご理想自体が相対的になるという意味ではありません。神のご理想の「成就」が相対的だということは、いつ、ご理想が成就するという時期は特定できないけれども、いつかは必ず「成就」するということです。
ことに『原理講論』の復帰歴史をみると分かりますが、神のご理想の「成就」は三段階という数理性を踏みながら行われていっています。
これまで、キリスト教で神は絶対であるということは、すべての議論の前提であり出発点であったといえます。ところが、この絶対性がなかなか保障されにくいという大きな問題がありました。例えば、絶対の神がなぜ人間の堕落を許したのか、あるいは罪に苦しむ人類をなぜ一挙に救済しないのか等です。
これを伝統的な教義では、堕落の問題に関しては人間に自由意志があったからだとし、救済のただちに行われないことには「神は、すべての人間が滅びないよう忍耐して待っておられるのだ」(ペテロⅡ三・九)と解釈しています。
しかしながらこの解釈には、少しばかり強引な点があったことは否めません。かりに自由意志で人間が悪を選び取ることが出来るとするならば、神の人間創造には非常に疑問な部分が出てきてしまいます。つまり悪を選択出来る可能性を神自らが創造されたということになるからです。
そして、人間が選び取った「悪」は一体、どこから来たのか、誰が造ったのかという疑問が出てきます。完全な善の神が、悪を創造したという理屈はキリスト教においては成り立ちません。もし悪を神以外の存在が創造したとなると、神以外の創造主はいないというキリスト教成立の一元論の大前提が崩れてしまいます。
こうした問題を避けるために、カトリック特にアウグスチヌスは悪の定義を「善の欠如」としました。「善の欠如」した状態であれば、悪は悪として実体的には、つまり存在論的には存在しない、つまり神が悪に対応することにはならなくなるということなのです。 この悪を「善の欠如」とすると、神が絶対的な善であるということは保障されるようになりました。ところが、悪が実体的に存在しないというとになると、実際にはだれが見ても存在する貧困、戦争、殺人などの悪をどう説明するのかという、新たな問題が生じてしまうのです。
この問題は悪の問題として多くの神学者や哲学者が論じていますので、詳しくはそれらの本を読んでいただきたいと思います。
ここでは『原理講論』が、神はご自身の(理想)愛の完成を人間の完成することに委ねた、と説明していることを強調しておきたいと思います。つまり、神はご自身の創造の一番後の大切な部分を、その愛する子供である人間に任されたというのが原理の解釈です。それは人間が神のロボットとなるのではなく、あくまで自由意志を持ち、自分の判断で神を喜ばす、正に神の子となるためであったのです。
イエスは第二のアダムの立場
パウロは自分の神学のなかで、イエスを第二のアダムと位置付け、独特の、かつ分かりやすい救済論の説明を行いました。それによると、
そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。(ローマ五・一八~一九)
というのでした。つまりパウロはここで、アダムが神の戒めを守らず、神に不従順であったため、すべてのアダム以降の人類が罪人となったのと反対に、今度は成功したアダムとしてイエスが神に従順であったため、子のイエスの救いを受け入れた人は、イエスによって神の前に義とされるのであることを、分かりやすく解説したのです。
また、別の場所ではこうも言っています。
死が一人の人によって来たのだから、使者の復活も一人の人によって来るのです。つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。(コリントの信徒への手紙一一五・21|―22)
『原理講論』もイエスを第二のアダムとしてとらえています。そして、アダムが勝利して完成すべきであったことがらを、イエスはその使命を継承して勝利しなければならない立場であったと考えています。そういう意味では、イエスの勝利をアダムの失敗と対比させながら、つまり、言葉は悪いのですがアダムをだしにしながら説明したパウロの立場とは違うものが『原理講論』にはあります。
それでは、アダムが勝利しなければならなかったことがらとは何だったのでしょう。それは『原理講論』によると、アダムとエバは未完成な存在として創造されていましたから、神が「取って食べるな」と言われたみ言を守りながら成長期間を通過して完成し、神の家庭を築くべきであった解釈しています。
その根拠として『原理講論』は、神が人間を創造された時に人間に与えた祝福の言葉を挙げています。それによると、神は「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」(創世紀一・二八)と祝福されたのでした。
これを『原理講論』は、(1)個性(個人)完成、(2)家庭完成、(3)万物(人間以外の被造物)主管(愛による支配)、という三大祝福と解釈しています。したがって、アダムとエバはそれぞれが個性を完成し、その後に二人で神を中心とした家庭を形成して子女を繁殖して、よろずのものを治める愛の主人となることが、神が二人に与えた祝福であったというわけです。
この三大祝福を、二人は堕落、つまりパウロ風に言えば神に対する不従順によって失いました。サタンに三大祝福を奪われたということです。したがって、これを取り戻して、完成させる使命をイエスは持っていたと『原理講論』は解釈するのです。
イエスばかりではありません。旧約時代の、エサウの弟ヤコブもそれからモーセもそれと完全に同じではありませんが、似たような使命をイエスの模擬者として持っていたというのです。したがって、この三者の生涯には共通点がなければならないというのです。
たとえば、ヤコブには十二子息(創世紀三五・二二~二六、「ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ゼブルン、ヨセフ、ベニヤミン、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル」)がいたように、モーセには十二部族(出エジプト記二四・四、「十二の石の柱をイスラエルの十二の部族のために建てた」)が、またイエスには十二弟子(マタイ伝一〇・一)がいたというのです。
それからヤコブには七十人の家族(創世記四六・27、したがって、エジプトに行ったヤコブの家族は総数七十名であった)がおり、モーセの七十人長老(出エジプト記二四・一、主はモーセに言われた。「あなたはアロン、ナダブ、アビフ、およびイエスラエルの七十人の長老たちと一緒に主のもとに登りなさい」)、そしてイエスには七十二人門徒(ルカ伝一〇・一)がいたのも、この三者の共通性を物語っている理由のひとつであると『原理講論』は解釈するのです。
こうしてヤコブが叔父ラバンに十回もだまされながら(創世記三一・七、四一)苦労の日々を経験しながらも最終的にはカナンに復帰して兄エサウと和解したように、またモーセもその使命をヨシュアに継承させながらもイスラエルを奴隷にエジプトから脱出させて乳と蜜の流れるカナンの地に導き入れたように(出エジプト記―ヨシュア記)、イエスの使命も霊的な神の王国を建設するだけではなく、実体的な神の国を、イエスが生きて建設するべきであったいうのが『原理講論』の理解です。
「神の国」建設は一貫性、連続性がある
こうした、イエスを旧約時代の摂理的中心人物と関連させて理解するという方法は、これまで、とかくするとユダヤ教とイエスを対立させて考えたがるキリスト教会の欠点を補う考え方だといえます。つまり、『原理講論』の理解によれば、神の人類救済の摂理には、旧約から新約にかけての連続性、あるいは一貫性というものがあるということです。たとえば、イエスが「はっきり言っておく。子は父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである」(ヨハネ伝五・19)と語った言葉はそういった流れの中で解釈できるというのです。つまり、ヤコブやモーセの生涯はイエスの生涯の象徴路程であったということです。
一般にキリスト教会の「神の国」論は、イエスがもたらした神の国を霊的なものとして解釈する傾向にあります。第二章で紹介するキリスト教会の「終末論」においても、イエスのもたらした神の国がイエス当時にできたのか、あるいはまだ実現と途上にあるのかという議論はありますが、いずれもこの場合の神の国とは、霊的な神の国のことを指摘しているのに過ぎません。いわゆる、霊化(SPIRITUALIZED)された神の国というものです。
こうした傾向になった理由が二つほど考えられます。一つは、ユダヤ教の持つ神の国観、つまり異邦人からの完全な、軍事的意味も含めた独立をもたらしてくれる解放者としてのメシヤ像とイエスとに一線を画すためです。つまり、キリスト教側から言わせると、イエスが現実的な神の国をもたらす者となると、ユダヤ教の、きわめて民族主義的なメシヤ像と区別がつきにくくなるということです。
第二に、これまでのキリスト教の歴史の中で、現実的な神の国を唱えたグループは問題を起こしたことが多かったという歴史性もあって、したがって、あたりさわりのない霊化された神の国を主張している方が無難だということがあるように見えます。
これに対して『原理講論』の神の国観は、個人の内的・霊的救い=家庭レベルの救い=氏族レベルの救い=国家の救い=世界の救い、という具合に個人から世界レベルの救いには一貫性・連続性があるもので、神の救いに不連続はないと考えているのです。
したがってこの神の国観は、シュバイツアーなどが主張した黙示的終末論、つまり超自然的な方法で神の国が降って来るという考え方とも少し合わないところがあります。あくまで、罪を解決した個人が家庭を形成し、その家庭がヤコブの家族のように生み広がって氏族、民族を形成し、それがさらに拡大して神の国家をもかたちづくるというものです。 この際、神の国は一国に留まるというものではありません。神はあくまで、最初の神の国をモデルとして建てられるだけであって、そのモデルをまねてすべての国家が神の国となるよう摂理するというのです。したがって選民とは、最初に神の国を建てることを許された民族であると理解しています。
以上の点を踏まえて、『原理講論』の描き出す史的イエス像を、私見として紹介してみたいと思います。なぜ私見かといえば、著者自身の理解が『原理講論』のイエス像と完全に一致しているかどうかは分からない点もあるからです。
『原理講論』のイエス像を考えるに当たって、ルカによる福音書を中心に展開していくつもりです。その理由は、共観福音書問題の項ではマルコ伝が最古の福音書とされているものの、『原理講論』のイエス像についてはルカ伝が最も近いように思われるからです。これにマタイ伝、マルコ伝、さらにはヨハネ伝のなかにも『原理講論』のイエス像を描くに当たって貴重なポイントが含まれていると考えています。
『原理講論』の史的イエスとルカ伝に共通点が幾つかあるということも、あながち理由がないわけではありません。名著の「NTD新約聖書註解」を担当したドイツの著名な聖書学者ゲルハルト・フリートリッヒ博士はルカ伝について、「ルカにとって大事なのは、パウロには中心的な「我らのために」イエスは死したという発言ではない。十字架は救いの出来事として宣べ伝えられることはなく、むしろユダヤ人に向けられた告発なのである」(注1)と指摘しているからです。
つまりルカにとって、イエスの死は、彼の神学上、大した意味を持っていないというのです。(注2)ここで誤解を避けるために説明しておかなければならないことは、かりにルカが十字架の救済的意義をあまり強調していなかったとしても、イエスの死の持つ意味には十分、対応しているということです。(注3)
以下に『原理講論』の史的イエスを、私見というかたちで述べていきますが、その生涯を描くに当たっての指標ともいうべきものは、イエスに先がけて神が示してくださった幾つかのモデル・コースがそれであると見ています。それは、アブラハムの孫ヤコブの生涯であり、またその子ヨセフ、それからモーセ路程であったというのが『原理講論』の主張です。