어느새 종착역 01 再婚自由化時代

気がつけば、終着駅 -2019 佐藤愛子作 01 再婚自由化時代 最初の結婚に破れた体験 私は再婚者である。約十四年ほど前に離婚し、それからほぼ七年の後に再婚した。三十二歳の時である。最初の結婚に破れたとき、私はもう生涯二度と再び自分が結婚生活に入るようなことは絶対にあるまいと固く思い、もうこりごりです、と人にもいった。 そんなことを思ったりいったりしたのも、私たちの結婚生活がどんなに悲惨で無意味であったかということと同時に、私自身がいかに結婚生活を営むのに不適当な女であるかということを自覚したためでもあった。 私と夫が別れたのは、夫がモルヒネ中毒になったことが表面上の理由となっている。しかし私には、もし夫がモルヒネ中毒にならなかったとしても、何か他に私たちの結婚生活が破壊される原因が出て来たのではないかという気がその頃からしていた。 私と歩調を合せて暮して行ける男など、そうザラにはいないということを、今日までの間に何人かの人からもいわれたし、自分でもそう思った。 つまり私は結婚生活にこりごりしたと同時に、人と一緒に暮す時の私自身にもこりごりしたのだ。私のような極度に我儘な女は、生涯、孤独に暮すのが一番似合った生き方なのだと思いきめていたのである。 夫と別れた私は、母の許でそのスネを囓って生活していた。母のスネといっても、その頃はもう父も死亡していたから、まことにたよりないヒワヒワの痩せスネである。そうして私は小説を書いて、それによって生計を立てることを考えていたのだった。 私はそれを少くとも二、三年のうちに実現出来るつもりだった。私の家では父も兄もものを書いて生活していたので、ちょっとした才能さえあれば、文学でごはんを食べることなど簡単に出来ると思っていたのである。 しかし、私にはそれまでに何の文学的な経歴もなければ素養もなかった。娘時代から特に本を読むのが好きというわけでもなく、何かを表現せずにはいられないという渇望があったわけでもない。私が文学を志したのは、ほかに何も出来ること、したいと思うことがなかったからなのであった。 娘時代から私は実に驚くべき怠け者であった。高等女学校を卒業しただけでも、もうずいぶん長く勉強したような気がしたものだった。私の娘時代といえば、太平洋戦争の勃発から末期へかけての最も暗澹たる時代に当っているのだが、私は私が怠け者だったことを、この時代のせいにするつもりはない。 苦難の時代であればあるほど勇猛心を持つ人もいるし、自由がなければないほど高い理想に向う人もいる。だが私は根っからのぐうたら嬢さんなのだった。 こんな時代に上級学校へ行ったって、どうせ兵隊服作りに工場へ行くのがおちだと思い、お茶やお花などの花嫁修業などしている時代ではないと思い、職業につくのはいやだと思い、そうかといって心のうち深く潜めた思索の生活があるわけでもなかった。 その頃、私のしたことといえば、配給物の行列に並んだことや、防空演習の梯子上り競争で一等になって得意に思ったことぐらいのような気がする。そんな私だったから、さて自分で自分の生活を立てねばならぬと思ったときは、全く途方に暮れてしまった。 「何も出来ないなら出来ないで、せめて人づきあいがいいとか、おとなしいとか、 気がきくとか、我慢強いとかいうことがあれば、また何か商売でもするということもあるけれどねえ」母と姉がつくづくそういっていたことを私は今でも覚えている。結局、私は作家となる努力をやってみるより他に何の途もないのだった。 私にはいささかの文才があるという自負が私を支えたのだ。といってもそれは学校時代の作文や、父へ出した手紙や、兄へ出した手紙などで褒められたという、ただその程度のものであったのだが。私は母の痩せスネを囓り終ってしまわないうちに、何とかならなくてはならなかった。 〈つまずき〉を怖れない わが国には〈出もどり〉という言葉がある。それから〈嫁きおくれ〉という言葉がある。それからまた〈二度目〉という表現もある。この三つの言葉はそれぞれに、女はかくあるべしという観念から批判的なニュアンスをこめて作られている。 その 証拠にそれらの言葉を口にする時、人は必ず声を潜めるのだ。「あの方、二度目ですって…」「あら、まあ...へえ…そうだったの…」それからこんな言葉がつけ加えられる。「でもほかへいわないでね」「ここだけの話よ」まるでそれらのことが、その人のどうにもならない人間的な欠陥であるかのように、そういうのだ。 確かに三十娘や離婚や再婚が、その人の人間的な欠陥に原因している場合はあり得るだろう。しかしそれはいわば、駈けるのが下手なので運動会でビリだったり、 転んだり、転ばされたりしたことと、本質的には何の変りもないことである。 なぜ、女は〈つまずき〉を怖れるのだろう? なぜそれを取り返しのつかぬこと、と思うのだろう? なぜ不幸は隠さねばならぬことのように考えねばならないのだろう。 人生のつまずきは、さらに新しい人生へ向う一つの契機にほかならない。それ以外につまずきの持つ意味を考える必要はない筈である。運動会でつまずいて転んだ子供が、起き上って走って行くとき、大人たちは感動して声援の拍手を送る。 それなのに女がその人生でつまずいた時は、人々は目を外らすのだ。なぜだろう? 私が女学生の頃、ふとした事件で数人の生徒が女教師に叱責される事件が起きた。 私もその叱責されたグループの一人に加わっていたのだが、われわれはその女教師の叱責を甚だ理不尽なものに思い、日が暮れても学校から帰ろうとせずに、口惜しさのあまり教室の中にかたまって心ゆくまで号泣したのだった。そのとき、声をはり上げて泣いている仲間の一人が、ふと泣き声をやめていった。  「えらそうなこというたって、あの先生、四度目のくせに」「四度目?」私は泣くのを中止して訊いた。「何が四度目?」すると彼女は答えた。「旦那さん、四人目----」叱られた口惜しさの中で、彼女はその教師についての最高の欠点を探したのだった。 わからず屋とか、意地悪ばあさんとかでは、比較にならないほどの最高の悪口が〈四度目〉という言葉だったのだ。結婚を四回もした教師に、生徒を叱る権利があるのか! 彼女はそういっているのだった。結婚を何回もするということはそれほどまでに大きな人間的欠陥であるという通念は、そんな幼い女学生の頭にもしみ 込んでいたのである。 わが国には〈ガンバリ〉に対する非常に強い讃美の精神がある。子供を抱えた未亡人が、手内職で一家を支えたという話は、文句なしに人を感激させる。だが子供を捨てて再婚した女は、冷やかな身勝手者として批判され易い。しかしそのどちらが善い悪いということはいえないと同様に、どちらがガンバリの勇気に欠けているかということだっていちがいにはいえないのである。 現状を自分の力で壊すということは本当に勇気の要ることなのだ。どんなに苦痛に満ちた生活も、連続している間はまだ耐え易いものである。苦しいながらも惰性が前へと進めてくれるからだ。最も大きな苦痛というものは耐え忍ぶことよりもむしろ〈断ち切る〉ことにあると私は思う。それによって人を傷つけ、また自分も傷つくことの苦痛を踏み越えなければならないからだ。 それを踏み越え、そして新しく進んで行く力をふるい起すとき、人は本当にその人生を豊富にすることが出来るのである。人間の不幸や苦痛の量を比較するのはおかしな話である。しかしわれわれ女は、ややもするとこの比較をしたがるようだ。 そうして再婚に踏み切った女は、安易な道を選んだかのように批判され、当事者自身もまるで前科者にでもなったかのように、肩身の狭い思いをしてくどくどと余計な弁明をしたりする。もっと弱い人になると、世間一般のそうした通念に負けて心ならずも無理ながんばりを自分に強いて、いやが上にもみすぼらしくなって行ったりするのは、つまらないことである。 未来への可能性を信じて 私は三十二歳で再婚したとき、主人は二十七歳で初婚だった。しかも主人の方は、一家眷属、実業畑で堅実極まる生活を営んでいる家だった。それ故世間では、このあまりにもひどいアンバランスに驚いた。 ある名流夫人のごときは驚きのあまり、平素のたしなみも忘れはて、履物を一メートルもすっとばして玄関を駆け上り、病 気で寝ている御主人の枕許で、「たいへん、たいへん、大事件、篠原さんの御次男さんが、五つも年上の出もどりさんと...」と叫びもあえず、水と間違えて御主人のコップの薬を飲んでしまったということである。 いうまでもなく私たちの結婚については、色々な障害や不安があった。かねて結婚なんてこりごりと思っていた私であったし、生活の安定よりも文学の方を大切に思うようになっていたからだ。当初の目論見とちがい、私の小説は何年経っても売 れず、たまに認めてくれる雑誌社があると、不思議につぶれてしまうのだった。 私は文芸首都という同人雑誌に入り、ある病院に勤めながら小説を書きつづけていたが、その頃がそれまでの私の人生の中で最も絶望的な時代だったと思う。離婚の時には私は、まだ私の未来への可能性を信じていた。だが今の私にはもうどんな可能性も絶えてしまったように感じられた。 私は出発点において全く考え違いをしていたのだ。私は文学というものは、才能だけで勝負出来るものだと考えていたのだ。正直いうと、私は自分の才能について疑問を持ったことは一度もなかった。 しかし私は私の作家としての〈人間的な資格〉ということについて絶望したのだった。その絶望を私に与えた悪魔が、今の夫の篠原(田畑麦彦)だった。彼は幼い時に患った小児麻痺のために左脚が不自由である。 そうしてその、どうにもならぬ彼自身の現実の中から、克服を重ねてうち立てて来た精神の強靭さに、人一倍強い自負を持っている男だった。私は彼と文芸首都で知り会ったのである。 その頃彼は毎日新聞の学芸部の記者で、私の家の近くに住んでおられた向井潤吉画伯のところへ毎日、新聞小説の挿絵を取りに通っていたが、ある日、 絵の出来上りを待つ間にパチンコ屋で有金残らず使い果して私の家へ帰りのバス代を借りにやって来た。 それが私たちの親しくなったはじまりだった。それ以来、彼はパチンコで金を使い果すと、私の家へやって来た。親しさが増すにつれ、次第に図々しくなって、遂にはよからぬ場所へ出没する資金まで借りに来るようになった。私たちはそんな友達づき合いを約五年ほどした後で、結婚をしたのだ。 当時、彼に近よる者はすべて彼の文学の毒気に当てられて書けなくなるという定評があったが、遂に私もその何人目かの犠牲者となってある時期、文学的には全く死んでしまった。 もし私の再婚ということに意味をつけるならば、私はその死から立ち上るために彼の力を必要としたからだ、ということが出来るかもしれない。作家を志したからには、いい作家になりたいという望みをもし私が持っていなかったら、私は果して彼と結婚したかどうかわからない。 現実生活における、いわゆる亭主としての彼には、全く私には理解を絶するような面があまりにも多かった。私たち共通の友人は彼のことを「ボンクラ」と呼び、そう呼ばれた彼は平気で「何だ」と返事をするのである。 再婚者に勲章を 女は独身でいるよりは、たとえ失敗しても結婚した方がよい。忍耐だけで成立っている結婚生活をしているよりは、別れた方がよい。別れて一人で無理な頑張りようをしているよりは再婚した方がよい。ものごとに〈こりた〉などという考えはよくない考えである。 自分はこうだからダメだときめてしまう考え方も、よくない考えである。私は近頃、そう思うようになった。それはあるいは私自身が再婚したことによって成長した一面といえるかもしれない。再婚をしたからといって、今度失敗したら、もうおしまいだ、などとビクビクする必要は少しもないのである。 再婚に失敗すれば三度目をやればよい。三度目に失敗すれば四度目をやればよい。三度目以上の結婚者は胸に勲章をぶら下げることにしてはどうであろう。なぜならばそれは、自分自身の力で積極的に切り開いて行った勇者だからである。 現代は女にとって特に輝かしい新しい時代が来たといわれている。何かというと女は強くなった強くなったと男性からいわれ、おだてられたり、からかわれたり、イヤミをいわれたり、歎かれたりしているようであるが、靴下なんぞに比べられて強くなった強くなったと得意になっていてはならない、と私は思う。 われわれ女性はまだ真の意味で男性から独立してはいないのではないだろうか。女性は現実生活の中でやたらに強がっているだけで、まだまだその精神は男に依存しているように思われる。 女の離婚や再婚に対して一般女性の考え方が批判的であるのは、男性によりかかった価値基準で結婚ということ、女というものを見ているからではないだろうか。 男たちは一度結婚した女を古ものという観念で見る。そして男の目で物ごとを見ることに馴らされた女たちは、自分で自分を古ものだと思って自信をなくすのである。女の離婚者(乃至は未亡人)が古ものなら、男のそれも古ものである筈だ。 それなのに女の古ものだけが値が下り、男の古ものは下らないのはどういうわけなのか。まるで女というものには若さや新しさ、肉体的な純潔だけにしか値打ちがないみたいに。女は大根やサンマとは違うのである。 私は古ものでありながら、新ものの男と結婚し、うまいことをした、とよく人からいわれる。だがいったい何がうまいことなのか、私にはさっぱりわからない。 うまいことをしたのは、あるいは私より夫の方であるかもしれないとさえ思っているほどである。というのは、一度結婚をした女というものは、未経験者よりも男性に対する認識を深めているということがいえるのだ。 亭主とは夜遅く帰ってくるもの、しかしそうだからといって女房を忘れているわけではないこと、会社と家庭の中間で、自分ひとりの時間を持ちたがっているもの、一見強けれども心弱く、悪がってはいてもおおむね好人物であるなど......こうした認識を深めている古もの女房は、新女房よりは遥かに寛大でものわかりがいい筈だ。 喧嘩をするにせよ、仲直りをするにせよ、話が早い。(もっとも逆に急所を突き刺すコツなども心得ているから油断がならないという説もあるけれども)。 少くとも再婚者はそれくらいの自信を持って進みたいものである。要するに女は常に女自身で生きることだ。いろんな既成の観念に煩わされず、女自身の考えで行為することだ。女はもっと強くならなければならない。しかしそれは男に対してではなく、女自身に対してなのである。 (40歳・一九六三年十二月号)