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仏・ナント市で開かれた、日本の障害者の絵画や陶芸作品の芸術展は大勢の市民でにぎわった=仏・ナント市で2017年10月、野澤和弘撮影
絵画や音楽といえば趣味や遊びのように思う人が多いかもしれない。しかし、社会が成熟し精神的な問題を抱える人が多くなった時代、芸術や文化の役割は以前よりはるかに大きなものになっている。教育や街づくりにおいてアートの果たし得る可能性をもっと真剣に考えるべきだ。
美術や音楽を軽視する学校教育
なぜ人は歌うのだろうか。うれしくて心が弾むと自然に鼻歌が出たり、悲しくせつない気持ちを歌に込めたりする。誰に教わるともなく子どもは絵を描き、一枚の絵が時を超えて人々の心に感動をもたらしたりする。
私たちは自分でもよくわからない情動に駆られながら日常を過ごしている。合理性では埋められない心の隙間(すきま)や痛みを無意識のうちに何かを表現することで癒やしている。
「創造性とは、日常的な『囚(とら)われ』から逃れるためにどうしても必要なものであり、『存在することの苦痛』を和らげる手助けをしてくれる」
フランス西海岸のナント市で2017年に日本の障害者芸術展が開催された。その際に行われた学術シンポジウムで、フランスの精神科医は語った。さまざまな利害や価値観がぶつかり合う社会の中で生きるということは、嫌でも抑制を強いられ、誰もが不全感やストレスを背負うということなのだ。そうした日常の「囚われ」や「苦痛」から精神を解放するために芸術が必要だというのである。
社会的格差は広がっているものの飢えやテロとは縁遠い社会に私たちは生きている。情報テクノロジーが高度化し、知りたいことや見たいものが瞬時に手に入る便利さを享受している。それにもかかわらずというべきか、それゆえなのか、見えない不安が社会に広がり、孤立感や疎外感にさいなまれている。精神疾患の外来患者は20年に586万人に上り、精神を病んだことによる労災や自殺も増え続けている。
小学校ではいじめや不登校が急増し、小中高校生の自殺は年間500人を超えるまでになった。子どもたちを覆う影は暗く重苦しいものになっている。
子どもたちだけではない。22年度にうつなどの精神疾患で休職した公立学校の先生は6539人に上る。前年より1割も多く、初めて6000人台となった。
こんな時代だからこそ学校教育においてもアートの持つ可能性を再評価すべきだと思うのだが、主要5科目に比べて図画工作や美術の授業はコマ数が少なく、専門の美術教員ではない先生が兼務している学校もある。さらに小学校では英語やプログラミングの授業が導入され、学力重視の風圧が強まっている。美術や音楽が軽視される傾向がますます強まっていると嘆く美術教員もいる。
国際競争に負けないよう経済界は学校現場に即戦力を求めるが、何か大事なものを失っているように思えてならない。
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アール・ブリュット
一方、芸術や文化を積極的に取り入れ、多方面から注目されているのが障害者支援の現場だ。
知的障害がある作家である山下清は放浪の天才画家としてテレビドラマに何度も取り上げられているが、近年は各地で知的障害や精神障害のある人が絵画や陶芸で傑出した才能を発揮し、欧州各国で日本の障害者芸術の展覧会が繰り返し開催されている。
山下清の作品「長岡の花火」。大輪の花火を見上げる群衆を緻密に描いた=滋賀県守山市水保町の佐川美術館で2023年4月28日午前10時45分、礒野健一撮影
彼らの多くは誰かに指導されるわけでもなく段ボールや広告の裏に絵を描き、その芸術性に気づいた福祉職員らの手によって、作品として世に出るようになった。何か目的があって創作活動をしているようにも思えず、既存の美術教育の手あかが付いていないところから「アール・ブリュット(生の芸術)」とも呼ばれている。
フランスの画家、ジャン・デュビュッフェが1945年に「アール・ブリュット」を提唱し、障害者の作品だけでなくアフリカやオセアニアの未開部族による民族芸術も含むものとして概念化されてきた。ピカソは作風に影響を受けただけでなく、熱心な収集家としても知られている。
2000年代に入ってから、日本の障害者福祉の関係者がスイスやフランスの美術館に作品を紹介し、欧州各国で日本のアール・ブリュットが注目されるようになった。知的障害者の独特のユーモアやおおらかさを感じさせる絵画や陶芸作品が人気を集め、作者である障害者はアーティストとして現地の美術誌に紹介されたり、芸術祭に招待されたりしている。
あたかも明治の開国期に竹細工や漆器など日本の伝統工芸が欧米の人々を驚かせ人気を集めた状況と重なるような気がしてくる。
「日本の強みは職人の器用さや生真面目さだけでなく、職人を使う側のセンスと目利き。人々が生活感覚の中で一定レベルの審美眼を身につけていた」と語るのはローマ文明の研究者で元文化庁長官の青柳正規氏だ。
欧州は貴族や富豪がパトロンとなって芸術を育てたが、日本は庶民が少しずつお金を出して歌舞伎や浮世絵を育てた。そうした庶民レベルの審美眼の高さが、今日においては福祉施設で働く支援スタッフに受け継がれ、優れた芸術作品の発掘につながっているように思えてくる。障害者の芸術的なセンスを引き出すことに成功しているのかもしれない。
海外での人気が国内にも還流し、各地の障害者施設で埋もれていた才能が次々に発掘され、施設での作業に創作活動が取り入れられては新たな作品が生まれている。
18年に障害者文化芸術活動推進法が施行され、「障害者の個性と能力の発揮、社会参加の促進」を目的に、現在計43都府県に障害者芸術文化活動支援センターが開設されている。創作活動によって障害者が生きがいを感じたり、展示の機会を通して社会とつながったりするだけでなく、その作品が商業デザインとして評価され、企業などと契約して対価を得ているケースもある。
アール・ブリュット作品がパッケージに描かれたアルファベットチョコレート=名古屋市西区で2023年8月23日午前10時41分、川瀬慎一朗撮影
国が法律を定めて障害者の文化芸術を推進しているのは日本だけともいわれており、わき水のように各地で新たな活動が芽を出す活況を呈している。自己肯定感や幸福感を醸成するものとして障害者にとって文化芸術活動はなくてはならないものと考えられるようになった。
ナント市の街づくり
芸術や文化は街づくりに関しても大きな可能性を秘めている。
フランスのナント市はかつてアフリカの奴隷をアメリカ大陸へ輸出する三角貿易で栄え、その後は造船業を中心とした工業都市として発展した。ところが、第二次大戦後、日本の造船業の隆盛の影響を受けて急激に衰退した。
ナント市の街並み=筆者提供
火が消えたような街を復活させたのは、89年に30代で市長となったジャン・マルク・エロー氏(後のフランス首相)である。街全体で芸術のイベントを開催し、多額の費用を投じてナントの街を再現した船を建造し南米に向けて航海するなど、次々と奇抜な企画を実行した。財政難を理由に批判の声は絶えなかったが、メディアを通してイベントが広く紹介され、フランス各地から観光客が集まるようになった。
温暖な気候もあって移住する若い世代が増え、保育所や医療施設、建築や美術の学校などが設立されると、仕事や子育て環境を求めて転入者はますます多くなった。雇用が生まれ、税収が増え、さらに芸術や文化政策に公費を投じる。そうした好循環で街は活気を取り戻した。
近年は住みたい街のランキングで常に上位を占めるようになり、ナントで住居を構えながら週2~3日パリのオフィスへ出勤する人も多くなった。
「文化を土台にこの町は発展してきた。市民はその価値をよく理解している」とエロー氏は語る。産業の衰退と人口減少で自信を失った市民に希望を与え、精神の豊かさをもたらしたのが文化や芸術というのである。
インタビューに応じるエロー氏=筆者提供
ナント市を歩くと、かつての奴隷貿易の歴史を残す展示物や造船所の痕跡があちこちに見られる。「土地の魂やアイデンティティーを残しながら変えるのです。ナントは港町であり、港町ならではの魂がある。港を通しての出会いがあり、新しい発想に対して柔軟に受け入れる風土がある」
かつてナント市が陥っていた産業の衰退と財政難は、現在の日本の地方都市にも共通した課題だ。中央政府の巨額の補助金と引き換えに核関連施設やダムを建設したり、企業を誘致して工業団地を造成したり、といった即効薬を求めた自治体は多い。
逆に、街の歴史やプライドを大事にしながら、住民たちの精神的な充足感や暮らしの楽しみを求めてきたのがナント市だ。ただちに税収増にはならないが、文化や芸術の取り組みが人々の関心を集め、教育や福祉の政策を積み重ねてきた。それが結果的に人口増と経済発展へとつながった。
人口が急激に減少する局面となったのが今の日本である。どのように地方での暮らしを再生していくのか。文化と芸術を土台にしたナント市の街づくりが示唆するものは多い。
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野澤和弘
植草学園大学教授/毎日新聞客員編集委員
のざわ・かずひろ 1983年早稲田大学法学部卒業、毎日新聞社入社。東京本社社会部で、いじめ、ひきこもり、児童虐待、障害者虐待などに取り組む。夕刊編集部長、論説委員などを歴任。現在は一般社団法人スローコミュニケーション代表として「わかりやすい文章 分かち合う文化」をめざし、障害者や外国人にやさしい日本語の研究と普及に努める。東京大学「障害者のリアルに迫るゼミ」顧問(非常勤講師)、上智大学非常勤講師、社会保障審議会障害者部会委員なども。著書に「弱さを愛せる社会へ~分断の時代を超える『令和の幸福論』」「あの夜、君が泣いたわけ」(中央法規)、「スローコミュニケーション」(スローコミュニケーション出版)、「障害者のリアル×東大生のリアル」「なんとなくは、生きられない。」「条例のある街」(ぶどう社)、「わかりやすさの本質」(NHK出版)など。