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「住み慣れた自宅で最期を迎えたい」――。多くの人がそう願っています。しかし、厚生労働省の人口動態統計によると、自宅で亡くなる人は2割未満。7割近くの方は病院で亡くなっています。
カギとなるのが、在宅医療です。高齢化の進展とともに社会的なニーズは急速に高まり、2030年には在宅患者数がピークを迎えると想定されていますが、在宅生活を支える医療・介護の施設と人材は足りていません。制度はあっても介護が受けられない「在宅難民」が増えるのではないか、という懸念も高まっています。
厚労省の「在宅医療にかかる地域別データ集」を見ると、全国の市区町村の在宅医療や介護の資源の「格差」が一目瞭然です。在宅療養支援診療所の数は、都市部では年々充実していますが、いまだに一件もない市町村も数多くあります。そうした地域では、「ほとんどの人が病院か施設で亡くなっている」という話を、私自身、何度も聞きました。
「自宅で死亡できる人の割合は、訪問診療や訪問介護事業所が多い地域ほど高い」という研究結果を、東北大の研究チームが発表しています。訪問診療を行う事業所が高齢者人口1000人あたり一つ増えると、自宅で亡くなる率が約2%増えると推定しています。
最初は1人だった訪問診療患者
伊豆半島の付け根にある静岡県伊豆の国市で、伊豆保健医療センター(97床)が訪問診療に力を入れ始めてから、この4月で3年になります。同市には基幹病院の順天堂大医学部付属静岡病院がありますが、在宅医療の資源はほとんどなく、訪問看護ステーションや訪問介護の資源も、極めて少ない地域でした。
同センターの訪問診療の患者数は、2021年4月のスタート時1人でしたが、24年2月には101人(延べ354人)になり、ゼロだった在宅でのみとりも、3年間で155人となりました。22年からは、在宅医療を推進する「地域ケア部」に加え、全国でも数少ない「総合診療科」を新設。健康づくり活動、外来診療、入院治療、訪問診療と健康づくり活動、外来診療、入退院、訪問診療と、市民の健康を切れ目なくサポートしています。
同センターで、訪問診療を担う「地域ケア部」には、常勤・非常勤を合わせ医師8人と、看護師が2人、事務員が1人、管理栄養士と言語聴覚士もいます。
北澤医師(左)と、伊豆保健医療センター地域ケア部のメンバーら=北澤彰浩さん提供
北澤彰浩医師(58)は、「地域医療のメッカ」とも呼ばれる佐久総合病院(長野県佐久市)で、在宅訪問診療に取り組み、診療部長などを歴任。22年1月、同センターに赴任しました。佐久総合病院から、若手の総合診療医、清水啓介医師(31)と長谷島さや医師(30)の2人も加わっていますが、「『第二の佐久』を目指すのではなく、基盤のないところでのモデルづくりをやってみたかった」と、北澤さんは言います。
「在宅という受け皿ができたので、近隣の大きな病院から、家に帰りたいけど帰れなかった患者さんを紹介いただけるようになりました。病院からは『家に帰すという選択肢を提示できるようになった』、患者家族からは『心強い』と喜ばれています。この3年で患者さん、ご家族、医療機関には、在宅医療のことを少しずつ理解いただいたと思います。ただ、地域自体は『病気を持ちながら地域で暮らす人をどう支えるか』、といったところにまだ慣れていないので、そこがまちづくりの課題です」
同センターは伊豆の国市と隣接する市町の計2市町と、地元の医師会が設立母体です。このため、自治体や医師会とさまざまな取り組みを一緒に進めていけるのも強みだと北澤さんは語ります。
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例えば、医療・介護・福祉・行政など多職種による勉強会や、市内の農産物直売場などと連携した健康レシピづくりや健康講座。伊豆の国市のFMラジオでは、センターのスタッフと地域の住民が対話する医療・健康情報番組「病院と!みんなの談話室」を毎週放送していました。
在宅医療に携わる医師を増やしたい
「在宅医療を担える医師を増やさないといけない」という危機感から、静岡県医師会では、23年9月に「在宅医療スタート研修(入門編)」を開始。北澤さんはその講師の一人として、在宅医療人材を増やす教育にも携わりました。
県医師会が医師会員を対象に実施した、将来の在宅医療についてのアンケートでは、「もう年だから、在宅医療をそろそろやめる」「(在宅診療を)やりたいが、やり方がわからない」といった回答がたくさん出てきたと言います。
在宅医療の多くは診療所の医師が担っていますが、この研修では病院の医師からも受講者を募りました。第1期では8人が受講し、全員が訪問診療をスタートしました。
そのうちの1人は「院長は反対しているが、自分は訪問診療をやりたい」と受講した病院の医師でした。
北澤さんは「私は無床の診療所から800床の病院までの経験があるので、病院でも在宅医療はできるといろんなアドバイスをしました。彼女はそれを生かして院長と交渉し、修了式のときに『やり始めました』と報告してくれました。うれしかったですね。そんなふうに病院でも在宅を担えるというノウハウを伝えたい。大きな病院の先生は在宅を知らない人も多いでしょう。開業医が在宅医療を教えることにハードルがあるのなら、こういう研修をどんどん使ってもらいたいですね」と、振り返ります。
「くらし」を切り捨てないで
病棟、外来から在宅診療まで、長年、並行して続けてきた北澤さんは、病院医療と在宅医療の大きな違いは、患者さんの「くらしへの視点」だと語ります。
「病院では『治療優先』を大義名分に、『患者さんの生活』という大事な部分が切り捨てられているのが現状です。同じ肺がんと診断されてもAさんとBさんには、それぞれ異なる生活の歴史、病気になった経過がある。にもかかわらず、病院は同じ『肺がん患者』として扱ってしまいがちです。でも、AさんもBさんも病院にいようが、施設にいようが、自宅にいようが、同じAさん、Bさんで、決して『同じ肺がん患者』ではないんですね。病院、特に大学病院やがんセンターのようなところが気づいてくれると、日本の病院のあり方が変わってくると思います」
北澤さんが講座などでよく取り上げるのは、広辞苑での医療の定義です。第6版までは「医術で病気を治すこと」と説明されていました。その定義が10年ぶりに改訂された第7版(18年刊行)では、それに加え「医学的知識をもとに、福祉分野とも関係しつつ、病気の治療・予防あるいは健康増進をめざす社会的活動の総体」と加筆されています。
「人を癒やすというのは臓器だけではなく、メンタルも含めて診るということです。試験では評価できないところがありますが、しっかり医療従事者に教えることが必要です。一分でも一秒でも長生きさせることよりも、患者さん自身の意思を尊重することが大事なのに、病院ではまだはばかられていることも問題だと思いますね」
モットーは、「いち訪問、いち笑い」
外来で患者と接するときも笑みを絶やさず、根気よく話を聞く北澤さんですが、訪問診療の際のモットーは「いち訪問、いち笑い」だとか。リラックスできないと本音を語ってもらうことはできません。
「それには医者自身が変わる必要がある」と、笑顔が出るまで1年半かかった患者さんの家族の話を教えてくれました。
「患者さんはニコニコしていろんなことを話してくれるんですが、旦那さんは横でず~っと苦虫をかみ潰したような顔をしている。1年半たったらようやく笑いが出て、それから話ができるようになりました。私が『実は最初は怖かったんですよ』ともらしたら、旦那さんが『いや、わしも好きでやってたんとちがう』と。『医療のせいで妻がこんな状態になってしまったから、医者を見張っていたんだ』とおっしゃった。『だけど、来るたびにしょうもないことばかり言って、笑わせようとしやがって。いったん笑ってしもたら、アホらしゅうなって』と話してくださったんです」
北澤さんは学生時代、大好きな先輩のひとりから「行くのがいやだと思うような患者さんの重い扉は、軽くなるまで開けろ」と教わったそうです。苦手な患者に対しては、たびたび病床を訪れ、コミュニケーションを取らないと、余計に扉は重くなるばかりだと。北澤さんは、いまもそれを大事にして、後輩たちにも伝えています。
取材後、訪問診療に同行しました。この1カ月でみとりが来るかもしれないというがんの患者さんも、北澤さんは大笑いさせていました。私自身、訪問診療の取材が楽しみなのは、こういう瞬間に出会えるからです。
特記のない写真はゲッティ
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中澤まゆみ
ノンフィクションライター
なかざわ・まゆみ 1949年長野県生まれ。雑誌編集者を経てライターに。人物インタビュー、ルポルタージュを書くかたわら、アジア、アフリカ、アメリカに取材。「ユリ―日系二世 NYハーレムに生きる」(文芸春秋)などを出版。その後、自らの介護体験を契機に医療・介護・福祉・高齢者問題にテーマを移す。全国で講演活動を続けるほか、東京都世田谷区でシンポジウムや講座を開催。住民を含めた多職種連携のケアコミュニティ「せたカフェ」主宰。近著に『おひとりさまでも最期まで在宅』『人生100年時代の医療・介護サバイバル』(いずれも築地書館)、共著『認知症に備える』(自由国民社)など。