80代の女性の口座から300万円がどこかに振り込まれていました。
「何に使ったんだろう」
息子が不審に思って調べたところ、ある会社からアパートの1室を購入していたことがわかりました。
でも女性はそのことを一切覚えていません。
認知症だったからです。
息子が語る被害の実態とは。いま相次いでいる認知症高齢者を狙った不動産詐欺事件を取材しました。
(社会部記者 小山志央理)
通帳から“消えた”300万円
母親が被害に遭った男性
最初に異変に気付いたのは、定期的に母親の自宅を訪問していた妹でした。
「お母さんの口座から300万円がどこかに振り込まれているんだけど、何か知らない?」
母親は当時、千葉県内で1人暮らし。
6年前に認知症の診断を受けたものの、「1人で気楽に暮らしたい」という本人の意向もあり、ヘルパーやケアマネージャーの支援を受けながら元気に生活していました。
物忘れがひどくなったものの、ふだんの生活には支障がないと息子は思っていました。
母親
心当たりがなかったため母親に直接聞いてみましたが、「まったくわからない」と要領を得ません。
そこで通帳に記載された306万5000円の振込先を調べたところ、口座振替サービスを使って東京・板橋区の不動産販売会社「インターネット不動産販売」に支払われていたことが確認できました。
後にわかったことですが、このサービスは本人が金融機関に行かなくても、キャッシュカードとその暗証番号があれば、自宅で手続きできるものでした。
母親の通帳不動産販売会社「本人が納得して購入」
なぜ母親は不動産販売会社に300万円を支払ったのか。
息子が会社に電話で問い合わせると、担当者は丁寧な語り口でこう言ったそうです。
「お母様には神奈川県相模原市にあるアパートの1室を購入してもらいました。ご本人も納得して契約したので問題のない取り引きですが何か?」
母親が購入したアパートの部屋
電話を切ってその物件を調べると、購入していたのは築30年以上のアパートの1部屋。
母親に再度「不動産を買ったのか」と聞いても、「何の話?買ってないよ」という反応でした。
息子
「担当者に『母は何を買ったんですか』と聞いたら、『区分マンションです』と。母はもともと投資に興味はなかったし、契約を交わしたことすら何も覚えていない。認知症がここまで進行していたのかと驚き、複雑な心境でした」
購入したのは1部屋の「55分の6」
自宅には契約書も担当者の名刺も残っておらず、どうすればいいのか困って弁護士の法律相談に行ったところ、契約書類がないなら取り寄せればいいとアドバイスを受けました。
会社側に「契約書」や「重要事項説明書」を送るよう強く要求すると、見慣れた母親の字で書かれた署名や印鑑が押された書類が届きました。
ただそこには思いもよらないことが書かれていたのです。
契約書
「55分の6」
母親が300万円で購入したのはアパートの1室ではなく、55分の6(約11%)の持ち分だけだったのです。
同じアパートのほかの部屋は、1部屋およそ300万円で販売されています。
つまり所有権の一部を相場の10倍ほどで売りつけられた疑いがあるのです。
息子
「1部屋の権利だと思っていたのに55分の6の持ち分だと知って、そんなやり方があるのかと憤りを感じました。物件を切り分けて販売して暴利をむさぼっていると。でも母が不動産投資に失敗したと見えなくもない。泣き寝入りさせるのが目的だと感じました」
購入したアパートを訪ねると…
母親が購入したという相模原市内のアパートを訪ねました。
最寄りの駅からは徒歩40分ほどで、外観からも投資対象の物件には見えません。
不動産登記を調べたところ、母親以外にも複数の所有者がいて、販売を行った不動産販売会社も持ち分の一部を所有していました。
1部屋を共同所有している場合、売却するには全員の同意が必要となるため、簡単に売却できないようにしていたとみられます。
この部屋は賃貸物件として第三者に貸し出され、賃料収入として月に2500円ほどが母親の口座に振り込まれる契約も交わされていました。
息子はこの契約について「毎月2500円の賃料収入では、仮に支払った300万円を回収するには100年かかる。認知症でなければ80代の母がこんな条件に納得して契約するはずがない」と話していました。
母親が購入した部屋
警視庁はことし6月、「インターネット不動産販売」に勤務していた4人を逮捕。
別の80代の認知症の女性が判断能力が低下した状態だったのを利用し、東京・青梅市や相模原市のアパートの部屋を購入させ、合わせて5000万円をだまし取った準詐欺の疑いです。
その後の捜査で、逮捕された4人が被害者の女性とともに金融機関に同行して振り込みの手続きをさせたり、女性名義のインターネットバンキングの口座を勝手に開設して、会社側の口座に現金を振り込んだりしていたことがわかったということです。
警視庁は認知症高齢者などを狙って50件以上の契約を結び、1年間で7億円余りを売り上げていたとみています。
マニュアル「○○さんから声をかけてもらい励みに」
さらに会社の関係先からは80歳以上の高齢者およそ9万人分の名簿や電話マニュアルが押収されました。
その電話マニュアルには、“会話の切り出し方”として次のような文言が書かれていました。
「6年くらい前に営業担当としてこの地域を回っていたときに、○○さんから声をかけてもらい励みになりました。おからだにお変わりありませんか」
会話の中では、▽認知機能の程度、▽1人暮らしかどうか、▽デイサービスなどを利用しているか、▽家族との距離感、▽資産状況、▽こちらのペースで話ができるかなども聞き出すよう指南していたとみられています。
警視庁は、高齢者の名簿をもとに特殊詐欺の手法でいわゆる「アポ電」をかけて、だましやすい高齢者を探したうえで自宅を何度も訪問し、契約を迫っていたとみています。
認知症高齢者の資産 2040年には197兆円の試算
厚生労働省の研究班の推計では、認知症の高齢者は▽2025年には471万6000人に、▽団塊ジュニア世代が65歳以上になる2040年には584万2000人に上ります。
2040年には高齢者のおよそ15%、6.7人に1人が認知症と推計される計算です。
また民間のシンクタンクがこの推計に加え、総務省や日銀がまとめた世帯ごとの金融資産などの統計をもとにまとめた試算では、認知症の高齢者が保有する金融資産は、▽2023年に118兆円、▽2040年には197兆円となるとしています。(第一生命経済研究所 星野卓也 主席エコノミストの推計)
増加する認知症高齢者の資産をどのように管理していくのか課題となっています。
専門家「早めに対策を」
被害に遭わないために何ができるのか。
高齢者の資産管理に詳しい、司法書士の杉谷範子さんに聞きました。
杉谷さんは、対策の1つとして「家族信託」や「民事信託」と呼ばれる制度を挙げました。
この制度は本人が健康なうちに、あらかじめ信頼できる家族や知人と信託契約を結び、金融資産や不動産の管理を任せるものです。
相続や贈与とは異なり、財産の持ち主は親のままですが、子どもの名義で財産を管理するため、悪意を持った人物に狙われた場合でも子どもが知らないうちに現金を引き出されるという心配は少ないといいます。
資産の一部のみの管理を任せることもできるため家族や本人の希望に合わせて利用しやすく、手間も少ないので利用のハードルは低いということです。
ただ後々のトラブルを避けるためにも契約内容は公正証書に残すことが望ましく、管理する人とは別に、兄弟姉妹などに監督人をお願いすることを勧めています。
また、犯罪やトラブルに巻き込まれないようにするためだけでなく、高齢者が病気で倒れるなどして突然本人の意思の確認ができなくなるケースも想定して、家庭であらかじめ話し合っておくことが必要だといいます。
司法書士 杉谷範子さん
「突然親が倒れてしまうと、子どもでも基本的に親の預金は下ろせません。高齢者施設の費用や入院代などのために親族や子どもが本人の預金を下ろそうとしても資産を動かせずに困ってしまうケースが最近増えています。
お金の話はしづらいかもしれませんが、正月や盆など家族が集まったときに財産の話題を出して、早めに対策を話し合うことも必要だと思います」
このほか家庭裁判所に手続きをして、本人の判断能力が低下したあとに利用する「法定後見制度」などの制度もあります。
杉谷さんは本人の希望や生活状況、資産状況などを踏まえて司法書士や弁護士などの専門家に相談してどの制度を使うべきか相談してほしいとしています。
取材後記
記事の冒頭で紹介した母親が被害に遭った息子によりますと、母親の自宅には同じ県内に住む妹がこまめに訪問していたほか、ヘルパーなどの支援も受けていたので、誰も訪問しない日は週に1日程度しかなかったといいます。
それでも被害に遭ったため、デイサービスの頻度を増やすなどしてなるべく母親が1人で過ごす時間を少なくしたそうです。
今回取材を受けたのは、同じような思いをする人を少しでも減らしたいという思いからでした。
息子
「母は家に来たのが誰かわからないまま、不動産を買ったという認識もないまま、言いなりになって契約書にサインしたのかもしれないと思うとやっぱり許せないです。今回の手口を考えれば、親が遠方に住んでいるなどの理由で被害に気付いていない人がもっといるかもしれない。こういうケースがあるということを知っておいてほしいです」
高齢化が進む中で、特殊詐欺など高齢者の資産を狙う犯罪は後を絶ちません。
今回のケースは判断能力が低下した状態の高齢者をターゲットにしていたとみられ、より悪質です。
高齢者の資産を守るための有効な手立てはほかにないのか、社会全体でさらなる議論が必要だと思います。
それと同時に自分の両親や祖父母を守るためには、日頃のコミュニケーションを大切にしつつ、制度の利用など一歩踏み込んだ具体的な対策について話題にすることも必要だと感じました。
(2024年6月25日 ニュースウオッチ9で放送)
社会部記者
小山 志央理
2017年入局
京都局を経て2022年から社会部・警視庁クラブに所属
知能犯事件や外国人が関わる国際犯罪事件を担当