不老不死の薬を探させたという秦の始皇帝。
永遠の若さを手に入れたいと願ったとされる古代エジプトの女王クレオパトラ。
「不老長寿」は「人類の永遠の夢」とも言われてきました。
始皇帝やクレオパトラが生きた時代から2000年以上の時が経ったいま、老いにあらがい、健康に生きられる時間を少しでも延ばそうという研究に、巨額のマネーが投じられ、世界の一流の研究者たちがしのぎを削っています。
ある世界的な研究者は私たちの取材に「老化を遅らせ、寿命を延ばす『抗老化』は、もはやサイエンスフィクションではない」と熱く語りました。
世界の研究者たちは、どうやって老いにあらがおうとしているのか?そこにある課題は?研究の最前線を取材しました。
(市毛裕史・佐々木良介・森渕靖隆)
クローズアップ現代 健康寿命を延ばせるか “老いにあらがう”研究最前線
「健康寿命」を延ばしたら1億ドル!?
取材のきっかけは、ある驚きの賞金レースでした。
ピーター・ディアマンディス氏/XPRIZE財団代表
ピーター・ディアマンディス氏/XPRIZE財団代表
「2030年までに健康寿命を延ばすことができた研究に対して、1億100万ドル、日本円で140億円あまりを支払う」
主催するのは、アメリカの非営利の民間財団「XPRIZE」(エックスプライズ)。
世界初の民間による月面探査の賞金レースを行うなど、人類に利益を与える技術の開発や、世界が直面する課題の解決を目的とした賞金レースを手がけています。
147億円という今回の賞金額は史上最高規模です。
レースでは具体的に何を目指すのか?
それは、「少なくとも10年間、目標としては20年間、『筋肉』、『認知機能』、『免疫機能』の回復を実証すること」。
財団のガイドラインによると、大きな病気や障害のない65~80歳の人を対象に、1年以内に治療を実施することが求められています。
賞金は、10年回復させたら6100万ドル、15年回復させたら7100万ドル、20年回復させたら8100万ドルと、予想される加齢に伴う機能低下に対し、機能改善の大きさに応じて決定されるとしています。
7月にエントリーが始まるやいなや、世界の大学や製薬会社など400を超えるチームが、開発競争に名乗りを上げました。
なぜいまこのようなレースを立ち上げたのか。
企画した1人が口にしたのは「機が熟した」ということばでした。
ジェイミー・ジャスティス氏/XPRIZE財団取締役
ジェイミー・ジャスティス氏/XPRIZE財団取締役
「この10年ほどの間、老化・長寿の研究にとても大きな成長がありました。この賞金レースを始めることによって、この分野は機が熟したと示すことができます。目標は、世間の注目を集めて、この新しい分野において投資のための場所があることを確実にし、そして学界、非営利部門、企業の科学者が開発のための滑走路を得られるような共通の枠組みを作ることです」
世界でうごめく“抗老化”マネー
調べてみると、この分野の研究開発には、著名な投資家たちも相次いで出資しているらしいこともわかってきました。
海外メディアは、IT大手アマゾンの創業者、ジェフ・ベゾス氏(共同出資)がおよそ4380億円、生成AI・チャットGPTを開発したオープンAIのサム・アルトマン氏(個人出資)もおよそ262億円と、人間の老化にあらがう研究に数百億円規模で投資を行っていると報じていました。(※いずれも2024年9月2日時点)
この分野の市場規模は2031年までに、世界で6兆円を超えるという試算も出されています。
関係者の中には、この分野をこれからの社会変革のフロンティアと位置づけ、「『生成AI』の次はこれだ」と語る人もいました。
盛り上がりの背景にあるものは
巨額マネーが流れ込む、老いにあらがう研究。
背景には、単にいつまでも若くありたいという人々の願望だけではなく、日本などが直面する高齢化社会の課題を解決できるのではないかという期待もあるといいます。
それは「平均寿命」と、介護などを受けずに、社会生活を送ることができる「健康寿命」の差を少しでも縮めるということです。
平均寿命と健康寿命の差
日本は「平均寿命」も「健康寿命」も、ともに世界で最も長い国です。
しかし、男女ともに80歳を超えている「平均寿命」と、
「健康寿命」の間にはおよそ10年もの差があります。
この傾向は欧米などでも同じです。
差にあたるおよそ10年は、日常生活に制限があり、例えば、介護を受けたり、人によっては寝たきりの状態だったりするかもしれません。
10年もの差が生まれてしまう大きな要因は、認知症や心不全など老化にともなって発症率が上がる加齢性の病気だと言われています。
高齢化は世界で急速に進み、内閣府によると2060年には、65歳以上の人口が18億人を超え、2020年の2.5倍に増加すると言われています。
これに伴って加齢性の病気にかかる人も増えていくと考えられます。
しかし、もし加齢性の病気を発症する前に、細胞や臓器の老化そのものを食い止め、健康で生活できる期間を延ばすことができれば・・・。
その経済的・社会的な影響は極めて大きいと考えられているのです。
今回取材した団体のひとつ、石油が主な産業のサウジアラビアの王室が出資しているヘボリューション財団。
抗老化分野の研究に対して、年間の出資予算は1400億円に上ります。
世界でも最大規模です。
ヘボリューション財団の投資リスト
財団のトップは巨額の投資を行う意図について、健康寿命を延ばすことで、社会保障費の抑制など、世界的に加速する「高齢化」に対処したいと語りました。
メハムード・カーン氏/ヘボリューション財団CEO
メハムード・カーン氏/ヘボリューション財団CEO
「世界的に進む高齢化は、近代以降で最大の健康問題です。単に人々が高齢化するだけではなく、加齢に関する病気の重荷を背負っているのです。こうした状況がもたらす損失は、生活面でも財政面でも、もはや負担可能ではありません。いまこそ科学技術に重点的に投資し、その科学技術が実用化されれば、未来を変えることができるでしょう」
見えてきた老化のメカニズム 老化しにくい動物の存在
では実際にどのような研究が行われているのか。
1つは長生きする動物からヒントを得た研究です。
長生きする動物というと、カメやゾウが知られていますが、近年、こうした“老化しにくい”生き物の研究によって、老化のメカニズムの一端が見えてきたといいます。
そして今、注目されているのがこちら。
ハダカデバネズミ
ハダカデバネズミです。
アフリカに生息し、寿命は最大で40年。
同じサイズのハツカネズミの2~3年と比べても異例の長寿です。
加齢による死亡率の上昇や身体機能の衰えがほとんど見られないなど、顕著な老化耐性があることがわかっています。
さらに、がんにも極めてなりにくいことから、ヒトに役立てられないかと注目されているのです。
そして、このハダカデバネズミを世界最大規模で飼育している研究機関が実は、日本の熊本にあります。
熊本大学大学院生命科学研究部 三浦恭子教授
ハダカデバネズミの老化について研究を進めている熊本大学大学院生命科学研究部の三浦恭子教授です。
最新の研究で、老化しにくい謎を解くカギの一つが、体内の細胞にある可能性が浮かび上がってきたといいます。
ハダカデバネズミの老化細胞
年を取ると細胞は老化していきますが、ハダカデバネズミは、老化した細胞を自動的に消滅させるメカニズムを持っていたのです。
三浦教授はこの仕組みを解明し、人間にも応用できないかと考えています。
熊本大学大学院生命科学研究部 三浦恭子教授
「ヒトに応用できそうなメカニズムを抽出して、そこに対する創薬を実施することで、ヒトにおいて老化を遅らせるとか、老化するとなりやすい病気を抑制して健康長寿に生きる方向につなげていきたい」
健康寿命延伸へ 抗老化研究の“戦国時代”
日本で進められている最先端の研究の1つを紹介しましたが、健康寿命を延ばす研究の中で、今後大きな進展が期待されるとして世界で注目されているのは、主に以下の3つのアプローチだと言います。
(1:老化細胞を取り除く)
老化細胞
1つ目が、ハダカデバネズミの研究でも紹介した「老化細胞」を取り除くアプローチです。
細胞は分裂を繰り返していますが、老化細胞というのは、分裂が止まった細胞のことで、高齢者にはもちろん、若者にも赤ちゃんにも存在します。
老化細胞は本来、体にとって不要なため、ほとんどは免疫により取り除かれます。
しかし、一部は体に残り続け、年齢を重ねるにつれて体内に蓄積されていきます。
老化細胞の中には炎症を引き起こす物質を分泌するものがあり、周囲に広がっていきます。
炎症が全身で起き続けることで、臓器や組織の機能低下を引き起こし、がんや動脈硬化などさまざまな加齢性の病気にかかりやすくなっていると考えられています。
マウスの実験で老化細胞を取り除くと病気が改善し、寿命が延びたという結果が報告され、老化制御につながると期待が高まっています。
一方で、老化細胞を取り除いたら、むしろ寿命が短くなってしまったという報告もあり、検証する研究が続けられています。
(2:老化を遅らせる物質「NMN」)
実用化に最も近いとされているのが、老化を遅らせる物質「NMN」に着目した研究です。
この分野の第一人者としてアメリカで研究を進めているのがワシントン大学の今井眞一郎卓越教授です。
す。
NMNはビタミンに似た物質で、もともとあらゆる生物の体内に存在しています。
しかし、加齢とともに、作られる量は減少します。
そこで、今井さんは人為的に補充することで老化を抑えることができるのではないかと考えました。
今井さんによると、マウスにNMNを作り出す酵素を投与すると高齢になっても活動が衰えないことがわかってきたと言いま
この結果に着目した企業がヒトへの臨床研究が義務とされていないサプリメントとして商品化を始めています。
しかし、今井さんは、NMNはマウスに対しては抗老化作用が確認できているものの、ヒトに対して確実に効果があるとまではまだ言えない状況だと考えています。
ワシントン大学 今井眞一郎卓越教授
ワシントン大学 今井眞一郎卓越教授
「『抗老化』はもはやサイエンスフィクションではないところまできている。今後、ヒトへの臨床研究を厳格に行い、老化の予防に使うために非常に確固たる科学的な根拠とともに、それを市販で提供できるような形を目指したい。安全性も有効性もきちんと検証されたものを人々に提供していきたい」
(3:細胞機能の再活性化)
そして最も多くの投資を集めているとされるのが、加齢によって変化してしまった細胞の機能を再活性化し、臓器の機能を改善する「リプログラミング」と呼ばれる研究です。
京都大学の山中伸弥教授が、細胞の機能を初期化する4つの遺伝子を発見したことをきっかけに進んだ研究とされています。
例えば、もともと皮膚だった細胞に4つの遺伝子を送り込んで、2週間から3週間働かせると、いろいろな組織や臓器の細胞に分化する能力を持つiPS細胞になります。
これは完全に初期化した状態で、皮膚の細胞ではなくなります。
この初期化の動きをうまく途中で止めることができれば、例えば60歳の皮膚の細胞が30歳の皮膚の細胞に戻るのではないかという研究が進められているのです。
アメリカ・スタンフォード大学の研究者などが6年前に作ったスタートアップ企業でも、リプログラミングの研究が進められていました。
50代の人の皮膚の細胞をマウスに移植し、独自に開発した薬を使ったところ、30代の肌に近い状態まで戻ったという結果が得られたと言います。
ヒトへの臨床試験はまだ先ですが、すでに58億円の資金が集まったということです。
ヴィットリオ・セバスティアーノ氏/ターン・バイオテクノロジーズ 共同創業者
ヴィットリオ・セバスティアーノ氏/ターン・バイオテクノロジーズ 共同創業者
「私たちがやろうとしているのは、体の組織の時計を逆戻りさせることによって再活性化させ、それによって高齢者、体が弱った人たちが、より長く、より健康的な人生を送れるようにすることです」
専門家の声 基礎研究が大事
前老年医学会理事長で東京都健康長寿医療センター 秋下雅弘センター長
老化研究に詳しく、前の老年医学会理事長で東京都健康長寿医療センターの秋下雅弘センター長は、老化研究の盛り上がりについて、まだまだ有効性や安全性が確立した研究は無く、戦国時代のように世界で研究者がしのぎを削っている状態だと指摘します。
前老年医学会理事長で東京都健康長寿医療センター 秋下雅弘センター長
「老化のメカニズムがわかるようになって、人為的にコントロールして老化を抑えて、病気になるのを防ぐことや治療に老化の研究が役立つ可能性が見えてきた。ただ、まだまだ黎明期で、老化の度合いをどう測るかのモノサシもまだ確立されていない。今後、ヒトへの安全性や有効性がしっかり検証されるべき段階。老化研究をめぐっては、注目を集めた論文が出た後に、その論文とは逆の内容の論文が出ることもある。どこまで普遍化できるかは常に注意をする必要があり、まさに着実な基礎研究が求められている。一方で、医薬品など実用化も目指す必要があり、継続的な資金的支援をする仕組みがどうしても必要となってくる。しかし、まだまだ国内の投資はアメリカと比べると少なく課題となっている」
そのうえで、今後研究が進んだ後の社会的課題についてこう指摘しました。
秋下雅弘センター長
「費用をだれが負担するのかも今後の課題だ。老化を抑えられるような薬が出てきたら高価なものになることが予想される。治療にアクセスできない人も出てくる可能性があり、かえって健康格差が生じることも懸念される。国による健康格差解消に向けた適切な対策も求められてくる」
取材後記 抗老化研究を希望とするために
アメリカで研究を続ける今井眞一郎さんは抗老化研究について、ギリシャ神話の「パンドラの箱」になぞらえて表現します。
パンドラの箱から最初に出てくるのは苦痛・苦しみ・厄災で、最後に希望が残っていたという話です。
抗老化研究も最初は社会に厄災をもたらすかもしれないと指摘します。
資金があり、抗老化医療を手に入れた者と、そうでない者との健康格差など社会的な問題が起こる可能性もあります。
しかし、研究者は最終的には恩恵を受けられる人を増やす希望を実現するために研究を続けていると話していました。
取材を進める中で、そんなに長生きしたいのかという疑問の声も聞きました。
どれだけ長く生きたいかということ自体、一人ひとり答えが違うかもしれません。
一方で、老化によって引き起こされる病気の治療法が確立され、死ぬその時まで健康に生きていける技術が実現できれば、広くすべての人が享受すべきことのように思えます。
今後、さらに研究開発が進むことを期待したいですし、老いを取り巻く社会の課題についても取材を続けていきます。
(9月4日 クローズアップ現代で放送予定)
報道局取材センター社会部 記者
市毛 裕史
2015年入局
岩手・釜石支局などを経て2021年から現所属
医療や健康にまつわる社会の課題を取材
鳥取局 ニュースデスク
佐々木 良介
2014年入局
鳥取局、広島局、社会部を経て現所属
報道局社会番組部 ディレクター
森渕 靖隆
2013年入局
仙台局、おはよう日本、スポーツ情報番組部を経て現所属