話す内容だけでなく、口調や見た目、ちょっとしたふるまいが、選挙結果を左右しかねないと言われるテレビ討論会。
日本時間の11日、ハリス副大統領とトランプ前大統領が初めて直接、論戦を交わします。
2人の直接対決に世界の注目が集まっていますが、アメリカ大統領選挙の討論会では、これまでも候補者の明暗を分けた“名場面”がいくつもありました。
命運を分けた「テレビ映り」
有名なのはテレビ討論会が初めて行われた1960年。
あのJFK、民主党のケネディ上院議員の戦略が光った討論会です。対する共和党の候補は当時の副大統領、ニクソン氏でした。
ケネディ氏(左)とニクソン氏による最初の討論会(1960年9月26日)
9月26日に開かれた最初の討論会は、成人人口の3分の2にあたる全米約7000万人が見たとされています。
大きな注目が集まる中、2人の命運を分けたのは「テレビ映り」。
ニクソン氏は、討論会の前にひざのけがをして、退院したばかりでした。
テレビ出演用のメークも「見てくれよりも討論の中身が重要だ」と拒否したため、顔色が悪く見え、ニクソン氏の母親が討論会のあと「病気なのか」と心配して電話をかけてきたほどだったと言います。
しかも、灰色のスーツを着て登壇しましたが、当時は白黒テレビ。
スタジオの背景の色に溶け込んでしまい、有権者に強い印象を与えることができませんでした。
ニクソン氏
これに対して、ケネディ氏は討論会に備えてコンサルタントまで雇い、スタジオのデザインなどを事前に確認。
自分の姿が映えるように濃紺のスーツを選び、メークもした上で討論会に臨みました。カメラにまっすぐ語りかけるその姿は、若々しくエネルギッシュで自信に満ちた印象を、テレビの前の有権者に与えました。
この1か月余りあとの大統領選挙を接戦の末に制したのは、ケネディ氏。勢いをもたらしたのが、この討論会だったと言われています。
いかに有権者の心をつかむか
逆に、共和党の候補が討論会をうまく使ったのが、その20年後の1980年。
カリフォルニア州知事だったレーガン氏が、再選を目指した民主党のカーター大統領に挑んだ討論会でした。
討論会に臨むカーター氏(左)とレーガン氏(1980年)
ハリウッド俳優出身でカメラ慣れしているレーガン氏は、経済問題について細かい数字をあげて議論しようとするカーター大統領に対し、「またその話ですか」とあきれた様子で切り返しました。
視聴者の笑いを誘うとともに、相手に風格で勝るという印象を与えたのです。
最後に設けられた3分間の自由なスピーチでも、レーガン氏は「あなたの暮らしは4年前に比べて良くなりましたか?」とカメラに向かって語りかけ、不況やインフレに苦しむ有権者の心をつかみました。
討論会の前は劣勢だったレーガン氏ですが、テレビの特性を利用した、短くて分かりやすい言動で逆転し、カーター大統領の再選を阻んだのです。
“迷”場面から失速も
テレビ討論会での、ちょっとしたミスが痛手となったケースもあります。
1992年の討論会は、共和党のブッシュ大統領(父)と、アーカンソー州知事だった民主党のビル・クリントン氏など3人の間で行われました。
1992年の討論会
このとき、有権者が質問している最中にブッシュ大統領が自分の腕時計を繰り返し見たことが「有権者に関心がない」、「討論を早めに切り上げたいのでは」と受け止められてしまいました。
また、クリントン氏が質問者の近くまで歩み寄って答えたのに対し、ブッシュ大統領はいすから立たずに回答したため、さらに印象を悪くし、支持率を下げて再選を逃しました。
質問に答えるクリントン氏
民主党の方は、2000年。
クリントン政権で副大統領を務めたゴア氏が、テキサス州知事だった共和党のブッシュ氏(子)と対決した討論会でした。
このとき、政策通を誇るゴア氏は、知名度がまだ比較的低かったブッシュ氏の発言に対し、何度もため息をついたのです。
この姿が「人を見下している」などと批判を浴びてゴア氏のイメージが低下し、落選につながったとも言われています。
2000年の討論会でのゴア氏(右)とブッシュ氏(子)今回の討論会はどうなる?
ことし6月27日に行われた討論会では、何度もことばに詰まるなど、精彩を欠いたバイデン大統領。
その結果、民主党内で撤退圧力が高まり、投票日までおよそ3か月半という段階で現職の大統領が撤退を表明するという極めて異例の事態となりました。
ハリス副大統領(左)と トランプ前大統領
日本時間の11日に行われる討論会では、ハリス氏がトランプ氏からの攻撃にも感情的にならず、国のリーダーとしての資質を示すことができるのか。
それとも、トランプ氏が、ハリス副大統領の政策をただし大統領としての資質に疑問を投げかけることで、支持を広げることができるのか。
2人の初の論戦となる討論会で、ことしの大統領選挙の行方を左右する新たな“名場面”が見られるのか、注目です。
国際部記者
紙野 武広
2012年入局 釧路局、沖縄局などを経て国際部
ミャンマーなどアジア地域を担当